第14話-05 淫らな聖女、アンゼリカ



 突如路上で始まった愛欲の宴は、周囲を巻き込み怒涛のように広まった。男は吸い込まれるように娘の中に分け入り、操り人形のように体を揺らした。汗は滝となって流れ落ち、今ひとつの液体は尽きることなき間欠泉の如く噴いては止まり、また噴いた。一体幾度果てたかわからぬ。果てた途端に娘の手が彼をくすぐり、すぐさま高みに引き上げられて、再びの絶頂を迎えさせられる。無限に続く悦楽の地獄。

 女ならば幾人も抱いた。だがこんなことは初めて。男の体に、こんな……こんな感じ方が出来ようとは!

 小娘の如く泣いて、彼は、とうとう仰向けに倒れた。路上での出来事なれば、辺りには少なからぬ見物人が集まっていた。多くは男。白目を剥いて卒倒する彼の姿に、見物人ども恐れを、そして興味をも覚えていたに違いない。

「見ているだけで、いいの?」

 娘はその男どもにも手を差し伸べた。

「おいで」

 殺到した。

 ここは裏通り。男どもはみな悪党。強盗、殺人者、博徒、呪い師、やくざ者。ゆえに彼らの貪りようは暴力的であった。寄ってたかって娘を押さえつけ、代わる代わるに挿し込み、犯した。娘は子犬の如く鳴き、その声がいっそう男をたぎらせた。娘は、彼女最大の道具のみならず、指を、口を、乳房を、脚を、全身を余すところなく用いて多くの男を相手した。ときには視線ひとつで射精に至らしめたことさえあった。

 やがて一巡したころ、異変が起きた。あれほど雄々しく猛っていた男どもが、妙に柔らかく、愛おしむように娘を撫で始めたのだ。

「もう一度、したい」

 誰かが勇気を持って呟いた。頷くものはふたりだけだったが、他の者たちも意思は同じと見えた。男たちは異状を自覚した。なぜ、許しなど請わねばならぬ? 無理矢理ぶち込んでやればいいではないか? 今しがた、他ならぬ自分たちがそうしたように。

 だが、娘の妖艶な笑みが、あらゆる疑いを吹き散らす。

「いいのよ。何度でも」

 歓声が上がった。

 二巡目が始まった。快楽は先ほどに勝るとも劣らぬ。初めの男がそうしたように、悪党どもは次々に果てた。猛り狂う男の塔から白いものを打ち出すたびに、彼らの中の別のものが吸い上げられていく。荒々しさ、利己心、暴力性、侮り、ありとあらゆる悪意の塊――

 夜明けを迎える頃には、十名以上にも膨れ上がった男たちが、精根尽き果て路上に喘いでいた。その中心で、泰然と腰を下ろす娘の姿。子犬のように甘える男どもを、そっとさすりながら見守っている。

「あんたを抱きたい。もっともっと」

 そう言ったのは、はじめに手を出したあの男だった。娘は頷く。

「望みのままに」

「だが無理だ。もう動けねえ」

 娘は男の頭を撫でた。慈母のするが如く。自分の上や下で必死に腰を振る男たちを、いまや可愛く思うに至っていたのだ。

「ありがとう。あなた達のおかげで、自分の為すべきことが解った」

「どうすればいい? どこに行けば逢える? またあんたを抱きたいんだ」

 懇願する男に、娘は名前を教えてやった。屋敷の場所をも。そしてこう付け加えたのである。

「いつでもいらして。私を口説いて。あなたはあなたなりのやりかたで」



   *



 どうせ汚れたこの身だ。どこまでも汚してしまえばいい。

 それで誰かを救えるのなら。

 さながら厚い雲の合間から曙光の差すが如くであった。突如としてアンゼリカは理解した。己の持つ力がなんであったか。己の使命がなんであるかを。

 まずは相続した伯父の屋敷を改装した。歓楽街に自ら出向き、その道に長じた手練をいくらか雇い入れた。すなわち娼婦や、その管理人、そして金勘定に優れた者などをだ。小娘と侮ってかかる者も少なくはなかったが、金を見せれば大抵は黙った。さらに類まれな床の技をも用いれば、説得に困ることは皆無であった。

 準備は滞りなく進み、その月の末には開店の運びとなった。

 娼館である。

 高貴な遺産通りの高貴な屋敷に、高貴な女が股を広げて待っている。それだけで街中の話題を浚うには充分過ぎた。単なる好奇心でもって門を叩いた男たちは、ひとり残らず恍惚の面持ちとなり、ふらつきながら門を出た。誰もがひれ伏した。天使の手になる卑猥な、あまりにも卑猥な、妙技の数々に。その手にかかればどんな男もたちまち精をほとばしらせるに至り、至りては戻り、戻ったかと思えばまた至り、とめどない快楽の連続に、ほんの一分が一晩にも感じられ、ついには身も心もとろけて足腰立たぬありさまとなる。

 たちまち評判が広がって、店の門前には街中の男どもが列をなすようになった。そのひとりひとりを、アンゼリカは恋人さながらの微笑みで迎え入れた。そして床では、恋人以上のもてなしで彼らを遇したのである。

 そうするうちに、妙な噂が広まった。アンゼリカを抱くと――抱かれると、の誤りだったやもしれぬ――いかなる悪人も、精と一緒に毒気を抜かれてしまう。善人とはいかぬまでも、無用の暴力で他人を傷つけることがなくなるのだ、と。

 これこそが、彼女の自覚した、彼女の力であった。

 かつて偏屈の錬金術師は、彼女を抱いて子供の如く素直になった。裏通りの荒くれたちは、大勢で彼女を犯していながら、ついに慈悲を懇願するに至った。そしてそも、伯父は。ああ、恐るべき悪徳の権化たる伯父は、アンゼリカ以外には誰ひとりとして犯していなかったではないか。あれほどの歪な性欲を抱えていながら、彼女ひとりで満足していた――これは尋常のこととは思われぬ。

 あらゆる悪を愛もて上塗りする、高貴なる娼婦。その手にかかれば、ひれ伏さざる男はなし。まるで聖なる教典に記された改悛の奇跡そのものではないか。

 ゆえに、いつしか街の人々は、畏敬を込めて彼女をこう呼ぶようになった。

 淫らな聖女、アンゼリカと。



   *



 そして一年が過ぎた。

 聖女の店は相も変わらぬ繁盛ぶり。手が足りぬので新たに女を何人も雇い入れた。娼婦はもちろん、掃除、洗濯、炊事、寝床の整備や使い走りなど、仕事はいくらでもあった。男に――あるいは社会に、時代の流れに――酷い仕打ちを受けた女は、特に手厚く迎えられた。同情、それもないとは言えぬ。しかしそれ以上に、必要に迫られてだ。虐げられた者たちが、互いに身を寄せ合って生き抜くための手段。さながら、吹雪の中の渡り鳥たちが団子になって寒を凌ぐように。

 その頃には、聖女アンゼリカを頼る有力者が時折訪れるようになっていた。彼女の不思議な性の力をあてにして。どうしようもない荒くれが現れると、人々はアンゼリカに縋り付く。どうか彼を鎮めてくれ、と。効果はてきめんに表れた。一体どれだけの乱暴者が彼女のおかげで悔い改めたか数知れぬ。

 そうしたわけで、自然と、彼女の元には暴力の噂が集まった。その中のひとつに、彼の話も混ざっていたのである。

 青年オーデルは生きていると。



   *



 それは全くの幸運だった。あの夜、辱めを受ける恋人を前にして、何もできず転がるばかりだった青年は、その恐るべき拷問の済んだ後、ゴミのように棄てられた。屈強の力士によってどこかの裏通りに運ばれ、壁際に放置されたのであった。

 すでに虫の息であり、極寒の冬のことでもあり、放っておけば夜明けを待たず死んでいたはずだ。

 丁度そこへ錬金術師が現れたのが、幸運でなくてなんであろう。

 錬金術師は周囲の家の戸を叩き、幾人かの男に硬貨を掴ませ、瀕死の青年を自分の研究室へ運び込ませた。そこで行われたのは、見るに耐えない秘術の数々。痛々しい絶叫は半日あまり続いた。それがすっかり収まった頃、ようやく錬金術師は溜息をつき、椅子に深く身を沈めた。施術台の上には気を失った青年。そして脇には、切り取られた役立たずの四肢が転がっていた。

 それから一年、青年は錬金術師の庇護の元で暮らした。弱り、傷つき、恐怖に引き裂かれた精神は、たびたび恐慌の発作を起こした。これを鎮められるのは錬金術師の調合した秘薬のみであった。訓練もせねばならなかった。今や自由になるものは胴と頭と腰しか残っておらぬ。体の捻りと頑丈な顎だけで生活の細々したことをやってのける技術を身に着ける必要があった。

 初めは自暴自棄に陥っていた彼だったが、いつの頃からか、物も言わず訓練に打ち込むようになった。その小さな体には、見るものに息を呑ませるだけの気迫が籠もっていた。

 一体いかなる感情が彼を動かしたのか。錬金術師には想像できるような気がした。その歪みや、行き着く先も。しかし水を差すのはやめておいた。動機は闇色に染まっているかもしれぬ。だが、力は力。ひとを生かすには足る。

 ひと通り体を操れるようになり、這って道を進むも苦でなくなった頃、唐突に青年は姿を消した。口に木炭をくわえて書いたであろう書き置きを残して。文面は簡潔。

「お世話になりました」

 これだけのことを、やっとの思いで書いたのだろう。のたうち回る線虫のような字は、しかし強い想いを孕んでもいた。

 その後の足取りは誰も知らない。ただ確かであったことは、街から遠い古代遺跡“墜ちたルルフォン”の一角に、最近化物が住み着いたということ。化物は近隣の街や村を度々襲い、人々を恐怖に陥れているということ。そして化物が、苦しげにこう名乗ったということだけだ。

「我はオーデル。そうである、はずなのだ」



   *



 話を聞くや、アンゼリカは椅子を蹴って立ち上がった。噂話を持ち込んだ男が戸惑う。いぶかりの視線に気づいて、すぐに平静を繕いはしたが、アンゼリカの心中には黒雲めいた感情が湧き上がっていたのだった。

 生きている。彼が。

 生きているのだ、どんなものに成り果てようと!

 その日以来、アンゼリカは四六時中そわそわと落ち着かぬ様子であった。逢いたい。彼の元へ行きたい。だが、と別の自分が氷の声で言う。行ってどうするというの? あの人は私が殺したようなもの。今更どんな顔して逢おうというの?

 ずっと圧し殺してきた罪の意識が、戒めを解かれて一気に吹き上がった。眠れば決まって同じ夢を見た。血まみれのドナ。狂気を顔に貼り付けた伯父。そして――そして、這いつくばり、ただただ慟哭するオーデル。その前で腰を振り嬌声を上げる醜い獣――アンゼリカ。

 懊悩おうのうは深く、食が細り、やつれ、ついには病を発症し、彼女は屋敷の奥に引きこもった。男を迎えることもできなくなった。聖女目当てでやってきた男たちは不満たらたら、その欲望を他の女たちで発散させた。

 その間にも、オーデルの噂は二度三度と舞い込んだ。彼の苦しみが伝わってくるようであった。遥か遠く離れたアンゼリカの寝床まで。アンゼリカは頭から毛布をかぶり、枕に耳を埋め、震えながら日夜を過ごした。一秒ごとに罪がいや増す。一秒ごとに心が蝕まれていく。男どもの相手をすることで、今までずっと目を逸らしてきたものが、今や眼前に突き付けられているのだった。

 そんな折、聖女を訪れる男があった。

 聖女はいま客を取らぬのだ、と案内の女に制止され、彼は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「説明されるまでもなく街中の噂になっておる。そんなことも知らぬのか、馬鹿め。

 聖女様に伝えるがいい。薬屋が、自分なりのやりかたで口説きに来たとな」




(つづく)

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