第5話-04 狂気の道化、シーファ



 緋女ヒメはしる。

 人から犬へ姿を変えて、稲妻の如く間合いを詰める。飛び上がりざま人に変身。横手から目にも止まらぬ薙ぎ払いを仕掛ける。剣の軌道を見切ったか、道化シーファは片手の剣で易々とそれを受け流す。

 が、こちらはフェイント。

 刃がぶつかり合う瞬間、緋女ヒメは意図的に力を。太刀は過剰に大きく弾き返され、その勢いで逆回転。

 緋女ヒメが着地したのはそのときだった。

 竜巻!

 としか言いようのない剣風を纏い、渾身の力を込めた本命の一撃を叩き込む。

 ――どうよ!!

 問を叩き付けるかのような一撃を、しかしシーファは逆手の剣で事も無げに受け止めて見せる。舌打ちひとつ、緋女ヒメは地を蹴り後退する。またしても攻撃は不発。だが、ここにはもうひとりいる。

 ヴィッシュ。

 緋女ヒメの背後、道化からは完全に死角となる位置をキープしていたヴィッシュが交代に飛び込んでくる。彼にできる最速の突きが、道化の喉元に襲いかかる。

 ――ダメだ、甘ぇ!

 緋女ヒメにすらそれが分かった。踏み込みが8分の1歩浅い。ほんの僅か、指数本分の差しかあるまい。だがその僅かな間合いの差が、達人とそれ以外を分ける絶対の壁となる。

 道化が踏み込む、無造作に。その時、ヴィッシュの背筋に悪寒が走った。

 ――殺される。

 しかし、ヴィッシュは生きていた。

 道化は、何もしなかった。

 突きを避けるでもなく、単にヴィッシュの横をすれ違っただけだ。ただそれだけで渾身の力を籠めた突きは当たらない。そしてヴィッシュは、斬られるでもなく、蹴りや拳を叩き込まれるでもなく、放置された。

 まるでそこにはかのように。

 ――らぬ。少なくとも、わしに害為しる者は。

 道化シーファの声なき声が聞こえた気がした。

 一瞬で永遠の沈黙が、辺りを支配した。斬る価値さえない、そう見捨てられたヴィッシュの背中が、霧に埋没するかのようにかすんでいく。

「手前ェッ!!」

 激昂と、怒声と、なにより恐るべき刃と共に、緋女ヒメ道化シーファに飛びかかった。



     *



 ストックが完成したのは丁度その時。

 タイミングまで完璧。カジュはすぐさまストックをひとつ解き放つ。

 発動したのは《鉄砲風》。猛烈な突風が一直線に吹き付ける。狙いは正面のネズミ頭――ではない。緋女ヒメの背中である。風が緋女ヒメを加速し、同時に、その向こうにいるシーファの動きを鈍らせる。

 打ち合わせも何もない乱暴な即興の援護。だが緋女ヒメなら体勢を崩したりしない。この風を利用して、最速以上の一撃を確実に叩き込める。

「うっ!?」

 これを見てネズミが一瞬たじろいだ。カジュがこのタイミングで援護を優先するとは、想像もしていなかったらしい。僅かな躊躇ためらいの後にネズミがストックを発動する。

 《瞬間移動》。ネズミはシーファの背後に出現。その背中に手を触れると、すぐさま二度目の《瞬間移動》で、道化と一緒に遥か後方に移動する。自分も仲間も守り切る完璧な防御策。

 だが、その動きはカジュの思惑通り。

「王手飛車取り。」

 ずどんっ!!

 シーファとネズミ頭の眼前に、巨大な《石の壁》が出現する。さらに《鉄砲風》。再び吹き荒れた突風が石の壁を突き崩し、無数の石礫いしつぶてとなってふたりの頭上に降り注ぐ。

 カジュの読みはこうだ。ストック構成のバランスから考えて、《瞬間移動》は多くてふたつ。それを使い切らせた上で敵ふたりを同時に巻き込めば、仮に《光の盾》をひとつストックしてたにせよ助けられるのはどちらか片方。上手くすればふたりとも片付く。最悪でも敵の防御はほぼ打ち止めにできる。

 その時、焦り顔のネズミが次の術を発動した。途端、降り注ぐ石礫いしつぶてが、ぴたりと

「げっ。」

 カジュが思わず顔をしかめた。あれは《凍れる時》。一定範囲の時間を停めるという、大技中の大技だ。まさかあんな高度な術をストックに入れられるとは、ネズミ頭の技量も並大抵のものではない。

 だが、せっかくの強力な術を使い切らせた。大きなアドバンテージだ。

 石礫いしつぶてが停まった瞬間、シーファとネズミは素早くその下から抜けだした。道化は再び緋女ヒメの方に向かい、凄まじい速度で肉薄して切り結ぶ。一方のネズミ頭は一直線にカジュとの距離を詰め、射程に捉えるや《鉄槌》を発動。

 一抱えほどもある鋼鉄の塊を生み出し、それを敵目がけて射撃する術である。直撃すれば竜すら仕留めかねない恐るべき質量兵器。これは攻撃力過剰というものだ。カジュがこんなものを喰らったら、一発で細切れの肉片になる。

 カジュはストックの中から、二つ目の《石の壁》を撃ちだした。敵と自分との丁度中間点あたりに壁が聳え立ち、鉄の砲弾を受け止める。だが、強度不足。壁はあっけなく突き崩される。

 ――ばーか! それじゃ自分がおいらの二の舞じゃなーいの!

 ネズミがほくそ笑む。崩れた壁がつぶてとなってカジュに降り注いでいく。

 が、次の瞬間、壁の僅かに手前に、ほとんど重なるようにして、2枚目の《石の壁》が出現した。

「なっ……!?」

 ネズミが黒い玉のような目を見開いた。石礫いしつぶてが、そしてネズミ自身が放った鉄塊が、2枚目の壁に弾かれてネズミの方に勢いよく返ってくる。

 完全に予想外の防御――いや、攻撃。避ける? 雨あられと降ってくる石礫いしつぶてをか? いや、ひとつでも頭に当たればそれで終わりなのだ。最後に残った《光の盾》を使うしかない。

 ネズミは頭上に輝く盾を生み出し、石の雨を防ぎきる。

 これで互いにストック切れ。

 ここまでの展開は、全てカジュの狙い通りであった。

 最大5つの魔法ストックを、ネズミは《瞬間移動》2つ、《光の盾》《鉄槌》《凍れる刻》に使った。やや防御寄りだが、それでも攻撃と防御にバランスの良い構成だ。しかしこの構成を読み切ることは不可能だった。言動からして、ネズミ頭の性格は気まぐれでエキセントリック。その時の思いつきひとつで、攻撃的にも防御的にもなる可能性があった。

 だからカジュは自分のストックを極端な構成にした。《鉄砲風》ふたつに《石の壁》をみっつ、攻撃用の術はひとつもない。敵が攻撃一辺倒で来れば普通にこれを防御に使う。もし相手が防御重視ならば、これらを使い方の工夫で攻撃に利用する。

 その両面作戦で、ネズミが用意しておいた豊富な防御の術を全て使い切らせ――

 最後の最後まで主導権イニシアティヴを握ったまま、「お互いストック切れ」の状態を生み出した。

 これこそがカジュの望んだ状況だったのだ。

 カジュは小さな体で一生懸命に走り、《石の壁》の死角から飛び出した。ネズミ頭の姿が視界に入る。彼はまだ《光の盾》で石礫いしつぶてを防いでいる最中だ。つまり――初動は確実にこちらが速い!

 走りながら呪文構築。呪文と魔法陣に杖の補助まで注ぎ込んで、全身全霊を込めた高速詠唱。瞬きする間に術は完成する。

「《光の矢》。」

 カジュの前に生み出された矢が、文字通りの光速でネズミめがけて飛んだ。

 敵に防御ストックはもはやない。そして後出しでは呪文詠唱が間に合うまい。

 ――勝った。

 カジュがほくそ笑んだ、その瞬間。

 目映く輝く《光の矢》が、一直線に貫いた。



 勝利を確信していたはずの、カジュを。



    *



「カジュ!!」

 ほとんど泣き叫ぶような悲鳴を挙げたのは、言うまでもなく緋女ヒメだった。一体何が起きた? カジュは必殺の一撃を放ったはずだ。なのになぜカジュが倒れた? 疑問が緋女ヒメの中で渦を巻き、同時に絶望と不安が心を埋め尽くす。

 その隙を突いて道化シーファの一撃が迫る。慌てて緋女ヒメは身を捻る。だが遅い。恐るべき鋭さで迫った剣先が、僅かに緋女ヒメの右腕をかすめて過ぎた。ただそれだけで腕は骨近くまで抉られ、爆発のような出血と、猛烈な痛みが緋女ヒメを襲った。

 だが痛がってはいられない。

 迷わず緋女ヒメは左手に剣を持ち替え、シーファの心臓を抉らんと袈裟懸けの一撃。逆手では余りにも力不足。シーファはこともなく受け流す。だがそれで充分。緋女ヒメは僅かに身を退き、体勢を立て直し、なおも果敢に攻め続ける。これ以上は退けない。

 退くわけにはいかない。

 今、ヴィッシュがカジュを助けに走ったところなのだ。

 ヴィッシュは倒れたカジュに駆けよりながら、抜きはなったナイフをネズミ頭めがけて投げつけた。後退しながらの《光の盾》が容易くそれを防ぐ。もとより、カジュの魔法で仕留められないものを、投げナイフ程度でどうにかなるとは思っていない。時間さえ稼げればそれでいい。

 カジュの前に跪き、ぐったりと力を無くした小さな軽い体を抱き上げ、同時に懐から小さな玉を取り出す。鎧の金具に導火線をこすりつけて着火、敵に目がけて投げつける。

 手製の煙幕弾である。小さな玉が破裂するなり、中から黄色い煙が吹き出してくる。煙はまたたくまに広がって、道化とネズミ頭の視界を塞いだ。

「退くぞ、緋女ヒメ!」

 声。そして足音。

 道化は――シーファは、それを聞きながら、興味を無くしたように構えを解いた。剣を鞘に収め、ぼんやりと立ち尽くし、煙にじっと仮面を向けている。

「思いもらなんだでのあろう? 自分達にまさる遣い手がようとは」

 ヴィッシュ達が聞いているかどうかも定かではない。だが道化は語りかけた。煙に向かって。煙の向こうにいる緋女ヒメに向かって。

しかし――れが現実だ」

 しばらくして、煙は拡散し、薄れていった。当たり前の話だが、その向こうにヴィッシュたちの姿はない。その間、シーファはただぼうっとしていただけだ。何をするでもなく。何を考えるでもなく。

 ネズミ頭が、煙幕に咳き込みながら近寄ってくる。

「シーファちゃんシーファちゃん、追っかけてトドメ刺さなくてよかったのー?」

儂等わしらの仕事は殺戮さつりくあらず」

「だーかーらーさー。本音はー?」

 シーファは肩をすくめ、ただ一言。

いた」



     *



 せっかく目を開いたというのに、そこは全然知らない場所で、それどころか自分が何なのかもよく分からない。ただ天井が、白く連なって視界を覆っているのみだ。

「カジュ! カジュっ! 目ェ覚ましたぞ、おい!」

 賑やかな声、緋女ヒメちゃんの声。それから足音。誰かが体を触ってくる。やだなあ。えっち。

「ふうん。こりゃ運が良かったな、ぼうず。あと一寸ちょっとズレとったら肺に穴があいとったとこだ」

「もう大丈夫なんですか、先生」

「意識が戻りゃなんとかなるわい。あとは薬で熱を下げてな……」

 カジュは頭を動かした。あ、みんないる。緋女ヒメは涙目でこっちを見つめているし、ヴィッシュはいつもの不機嫌なしかめっ面をしている。なんか知らないおじいさんまでいるけど。ちょっと安心。

 緋女ヒメが、カジュの細い腕にすがりついてきた。

「よかった……よかったよ、カジュ……」

「……おにのめにもなみだ。」

 顔をしかめる緋女ヒメ。笑顔になるヴィッシュ。

「こんにゃろォ」

「本領発揮だな。良かったじゃないか」

 ようやく意識がハッキリしてきた。と同時に、腹の辺りに凄まじい痛みが蘇ってくる。そうだった。《光の矢》で腹を貫通されたのだ。あれを生物にかけると、傷口は火傷のようになる。出血こそ少ないものの、たぶん内臓はズタズタにされているはず。まずはこれをなんとかしなければ。

「いちゃついてないでさ……。ボクの杖、とってよ……。」

「おい、何する気だ? 安静にしてなきゃ」

「いいから。」

 ヴィッシュは立てかけておいた杖を取ってきて、握らせてくれた。指先に力が入らないのを見ると、緋女ヒメとヴィッシュがベッドの両側に立ち、杖を水平に支える。カジュは回らない舌でたどたどしく呪文を唱えた。杖から光が放たれる。光がカジュの全身を包む。しばらくして光が収まる。

 いきなり、カジュはがばっと起きあがった。

「ふっかーつ。」

「うお!?」

「なんとま」

 ヴィッシュと、知らないおじいさんが目を丸くしている。

「ま、意識が戻りゃ魔法でこんなもんだよ。」

「やだねえ、魔法、魔法か。おいぼうず」

「美少女術士カジュですが何か。」

「なんでもいいから、そんな技、おおっぴらにしねぇでくれや。わしの仕事がなくなっちまわ」

 ぼやきながら、おじいさんは病室を出ていった。

「誰、あれ。」

「モンド先生。名医だよ」

「なるほど。」

「お前が敵の術士にやられてな……その後、遺跡から逃げ出して、街に戻ってきたんだ」

「……そう。」

 そんなところだろうと思っていた。

 あの時、カジュは必殺のタイミングで、《光の矢》を放った。敵に魔法のストックは既にない。防御魔法を構築する時間もない。そのはずだった。

 カジュが敗れた理由はごく単純。敵の詠唱速度が異様に速かったのである。

 敵が《光の盾》の詠唱を始めたのは、カジュが既に《光の矢》の詠唱を半分以上終えた時点。そこからのスピード勝負で、術が完成したのは敵の方が先。おおざっぱに計算しても、倍以上の速度差があることになる。

 その後は、もはやカジュに勝ち目はなかった。無論、防がれるはずのない術を防がれたという驚きのせいもある。だがそれ以上に、ネズミ頭の反撃が発動するのが速かった。為す術もなく、カジュはただ一方的に腹を射抜かれた。

 あの速度はもはや人間業ではない。超速詠唱とでも呼ぼうか。

 ふーっ、と長く溜息を吐くと、カジュは大きく背伸びした。ふと見ると、緋女ヒメの腕にも包帯が巻かれている。布で腕を吊って固定しているところから見ると、浅傷あさでというわけでもなさそうだ。

緋女ヒメちゃん、腕だして。」

「おう。頼むわ」

 万全の状態なら、この程度の怪我を治すのに杖の補助など必要ない。ベッドの上にあぐらを掻いて緋女ヒメと向き合うと、カジュはその傷の周りに指で魔法陣を描き、軽く呪文を唱え、あっといまに傷を完治させてしまった。緋女ヒメが包帯を解くと、もうその後には傷口一つ無い。

「あたしも復活! あんがと、カジュ」

「いーってことよ。」

 ヴィッシュは感心して溜息を吐く。

「モンド先生には、下手すると膿んで腕切断しなきゃならんかも、って言われてたんだぜ。全く便利なもんだな、魔法ってのは」

「魔法には魔法なりの制約もあるけどね。なんでもできるわけじゃないよ。」

 カジュは体をベッドに投げ出して、再び横になった。ぽふっ、と寝台が軽い音を立てる。

「誰にでも勝てるわけじゃないしさ――。」

 片腕を目の上にかぶせ、カジュはそれきり、動かなくなった。やがて小さく、いつも通りの棒読みで、声を挙げる。

「悪いけど、ちょっと出てってくれないかなあ。」

 なぜだかそれが、ヴィッシュたちの耳には悲痛に聞こえて――

 ふたりは何も言わずに出ていった。部屋に残されたのはひとりだけ。

 カジュは泣いた。




(つづく)

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