第4話-02 闇の中に



 その日の夕暮れ、緋女ヒメはいつもの酒場を訪れた。彼女が店に入るやいなや、花火玉の弾けるような歓声が巻き起こった。笑顔と挨拶とを返して緋女ヒメは真ん中の席に腰かける。酔っ払いたちが群がってくる。彼女はこの店の顔なのだ。

 若い女、卓越した剣士、そのうえ美人。緋女ヒメの周りに人が集まらないわけがなかった。

 その人垣を掻き分けるようにしてコンスェラが寄ってきた。コンスェラは、すけべ根性に動かされた酔漢どもとは違う。彼女には、注文を取るという大切な仕事があるのだ。

「何にします?」

泡酒ビールー! あと、適当にお肉!」

「あい。緋女ヒメさん、よく来てくれてうれしいな」

「最近この辺で仕事でさー。なかなかうまくいかなくって」

「そうなの? じゃ、また来てくれる?」

 コンスェラのすがるような気持ちは、むしろ、仕草より体臭に乗って現れた。獣人ライカンスロープ狼亜ローア族の緋女ヒメは鼻が利く。人が放つ僅かな匂いの変化から、その感情をつまびらかに読み取れるのだ。

 緋女ヒメは手を伸ばし、コンスェラの、節くれだってはいるが温かい手をそっと握った。

「どうかした?」

「ん……」

 ためらいがちにコンスェラが目を伏せる。

 緋女ヒメは微笑んだ。偽りもてらいもない、心からの笑顔であった。

「いいよ。言ってみな」



     *



 ゴローは、夕暮れの裏通りを不機嫌にぶらついていた。秋口の真っ赤な夕陽で、ちっぽけな背中が焼かれるかのようだ。

 結局、ゴローは、金貨を掴めなかった。レオの依頼を断ったのである。

 大きな儲けになることは分かっていた。リスクに見合うだけの報酬が望めることは。だが、ゴローの命をこれまで繋いできた鋭敏な嗅覚が、手を出してはまずいと告げていた。これはあまりにも危険すぎる。魔王軍の遺産、それも一級の品物など、ちんけな故買屋の手には余る。品物を探す過程でどれだけの危険が待っているか分かったものではない。大組織の後ろ盾もなく引き受けられる仕事ではないのだ。

 だが、理性からくる冷徹な分析とは裏腹に、ゴローの鼻は、自分の中から匂い立つ激しい感情の気配をも嗅ぎ取っていた。怖気おじけだ。

 理屈など後からついてきたものだ。要するに、ゴローは怖かったのだ。未来の幸福を夢見て現在の危険に手を伸ばす、その勇気がなかったのだ。

 自分の臆病に自覚的であればこそ、ゴローは苛立っていた。ベッドでコンスェラに囁きかけてやめた、あの言葉が思い起こされる。

 ――未来なんて、夢見てどうするよ。

 なぜなら彼は、夢見るべき未来さえ持ちえない。

 懐かしむべき過去を持たないのと同様に。

 ざわつく気持ちを抑えきれないままに、彼はいつもの酒場へ向かった。ポケットには、まだ小銭くらいは残っている。今夜一晩楽しむには足りるだろう――これがなくなったら、また新しい仕事を探さねばなるまい。難しいことではない。盗品の処理に困るような、目端の利かない泥棒はいくらでもいる。ゴロー自身と同じような境遇のクズどもが……

 うっぷんを吹き飛ばしてくれる大騒ぎを酒場には期待していたのだが、たどりついてみると、奇妙なことに店はしんと静まり返っていた。怪訝に思い、ドアの中を覗き込む。

 店内には、見慣れたいたんどもが普段通り集まっていたが、その辛気臭いことといったらなかった。誰も彼もが大人しく席に座り、ちびちびと舐めるように杯をすすっている。

「おいおい、なによみんな、ここは葬式かよォ」

 景気をつけてやろうと、ゴローは明るい笑顔を装って店に入った。が、客も給仕女たちも彼を一瞥いちべつしたのみで、それぞれの仕事なり酒なりに戻ってしまう。こんなことは初めてだ。

「なに……なんかあったの?」

「おいゴロー」

 呼びかけられて初めて気づいた。店の奥には緋女ヒメが仁王立ちしていて、その背に隠れるように、コンスェラが縮こまっている。ゴローが目をしばたたせていると、緋女ヒメがズイと進み出た。彼女の身長はゴローより少し低いくらいだが、その威圧感は伝説の鉄巨人“暁の騎士ナイト・オブ・ドーン”にさえひけをとらない。

「今からテメーに話がある」

「あ、はあ……?」

「言っとくけどな……真剣に答えなかったらブッ殺す!! 分かったな!!」

「うっす」

「よしッ!」

 緋女ヒメに背を押されて、コンスェラが前に出た。

 ゴローはぽかんと口を開けたまま突っ立っていることしかできない。何が何だか、わけがわからない。

 コンスェラが、消え入りそうな声で喋り出した。

「あの、ね……あんた、あのね……」

「おう? どったの?」

「怒らないで聞いてくれる?」

「うん、怒んない」

「アタシのこと、好き?」

「好きよ?」

「ほんとに?」

「ほんとのほんと、スーパーほんと」

 それを聞くと、コンスェラは微笑を浮かべた。見たことがなかった、こんな笑顔は。ゴローは圧倒された。背筋をぴんと伸ばし、それでいて固くもならず、優美な柳の枝のように立つコンスェラは、美しかった。その背から光が差しているような気さえした。まるで、教導院の大聖堂で一度だけ見た、聖女さまの絵のようにだ。

 コンスェラは言った。はっきりと。これまで人類の歴史に存在した、億千万の聖女たちと同じように。

「アタシ、

 ……。

 …………。

 ………………?

 ゴローは、氷河が温んで融けるかのごとく、ゆっくりと、動き出した。自分の顔を指さし、右の酔っ払いの顔を見た。そのアホ顔で問う――オレェ? 酔っ払いが、赤ら顔を神父さまみたいに神妙にしてうなずく。今度は左の酔っ払いを見る。声は出ないが口だけは動く――まじでェ? 5人いた酔っ払いのうなずきがピッタリ揃っていることは、まるでよくよく訓練された親衛隊の敬礼のよう。

「やっ……」

 と、ゴローはうめき、

「やったァ―――――ッ!!」

 コンスェラに飛びついて力いっぱいに抱きすくめた。

「やった! やったァ!! まっじかよお前、やったじゃん!! お前、かあちゃんになるんだぁ……つか、オレとうちゃん? まじかよォ!! ィッひゃァーッ!!」

「あんた、喜んでくれるの、あんた……」

「あったりまえだろォ?

 分かった、分かったよ。

 やろうコンス、結婚しよ!!」

 その瞬間。

 竜巻めいた歓声が、酒場の屋根を吹っ飛ばした。吹っ飛ばしたかに思われた。吹っ飛ばしたようなものだった。もう吹っ飛ばしたでいいではないか! 酔っ払いたちの絶叫は、調子っぱずれな大合唱は、表通りをも震わすどころか隣の教区にまで響き渡った。ゴローとコンスェラは揉みくちゃに揉み潰されて、水入れてねられてパンになった。パンみたいなものだった。パンは聖体、幸福と神の肉。みんなが幸福のおすそ分けを期待して、寄ってたかって祝福しまくったのだ。

 緋女ヒメはその光景を見て、ひとり涙ぐんでいた。酔っ払いがひとり、ヘヘヘ、と下品に笑いながら忍び寄ってくる。緋女ヒメはそいつの頭をポカッと小突き、そっぽを向いた。泣いてねえよ、とその口が言っていたが、声は騒ぎに紛れて聞こえなかった。

 目尻の涙をぬぐい捨て、緋女ヒメは、優雅な空中三回転半ひねり大ジャンプでテーブルの上に飛び乗って、

「っしゃァ! 今日は祝い酒だ! あたしのおごりだッ!! 好きなだけ飲め―――――ッ!!」

 ああ、そこからさきは、もうめちゃくちゃだ。

 止むことのない祝福の声に包まれ、その中でもコンスェラを――そしてお腹の中の我が子を――抱き庇いながら、ゴローは再び、あの言葉を思い起こしていた。

 ――未来なんて、夢見てどうするよ。

 それは、自分への問いかけでもあった。

 本当は分かっていた。ずっとずっと、分かっていたのだ。未来を見て、夢を見て、どうするべきか。

 ――夢見て……そして、創るんだよ!!



     *



 翌朝早く、獅子レオの名とたてがみを持つ男の元へ、ゴローが姿を現した。レオは目を丸くした。彼が根城にしている宿をどうやって探し当てたものだろう? いや、驚くにはあたるまい。彼はゴロー。“探し屋”ゴローだ。

 ゴローは、燃えていた。

 レオはニヤリと笑い、王者の眼差しを彼に向けた。

「その様子では、気が変わったようだな」

 そして、昨日は拒絶された金貨の袋を彼の前に差し出した。

「思うに、あんたは何も知らないだけさ。

 そろそろ学んでもいい頃だ――“夢の見方”ってやつをな」



     *



 ゴローは駆けた。

 この広い第2ベンズバレン、30万の人口を抱える世界最大の都市の、ありとあらゆるところを駆けずり回った。心当たりの取引先をしらみつぶしに全て巡った。ツテで次々に新しい同業者を紹介してもらった。死を覚悟で暗黒街の密売組織に連絡つなぎを取りさえした。

 息をつく暇さえない忙しさだった。睡眠時間は日に日に短くなっていった。探索の過程でどれだけの金をばらまいたかも知れない。何か嗅ぎまわっているというだけで疑われ、追われたことは6度。殴られたことは3度。命を落としかけたのが2度。

 さすがに物は一級の禁制品、伝説の呪具フェティシュ竜使いの鈴ドラゴンルーラーだ。一筋縄でいくはずもない。

 かつての魔王軍の規模から推測して、内海地方に持ち込まれた竜使いの鈴ドラゴンルーラーは多く見積もっても300個。その9割がたは条約にもとづいて回収ないし破壊されたとして、残されているのは30個――この広い内海全域で、だ。一体そのうちいくつが裏市場に出回っているものか。

 これほどの市場規模を誇る第2ベンズバレンでも、おそらく、現物は1つあるかないかというところだろう。わらの中に落ちた縫い針を探すようなものだ。

 だが。

 ――見つけてやる。

 ゴローの炎は、困難を前にしていっそう激しく燃え上がる。

 ――掴んでやる! ――

 今や彼の情熱は、執念へと姿を変えていた。それと同時に、彼は笑うことを忘れた。ニヤついた愛想笑いは滅多に見られなくなり、その代わり、研ぎすぎた剃刀のような表情ばかりが彼の顔面に張り付くようになったのである。



     *



「鈴か……まァ、出物の噂がないでもねェんだが」

 竜使いの鈴ドラゴンルーラーを求めて訪れた小さな呪具屋の老店主は、苦虫を噛み潰したような顔をそむけた。ゴローは無言で彼の手をとり、そっと金貨を握らせた。店主の鼻が興味を惹かれてひくつくが、その重い口はまだ開かない。

 ――笑うんだ、ゴロー。

 父の声が聞こえた気がした。このところ笑顔を失っていたゴローは、ひさしぶりで卑屈に笑い、神にすがるように頭を下げた。

「そこをなんとか。おっちゃァん! たのんまっす!」

 店主は観念して溜息をつき、手の中の金貨を引き付け、数えだした。

「アテにゃァなんねェぞ。恨むなよ」

「うんうん」

一月ひとつきほど前、どっかのお屋敷から鈴を盗み出した盗賊がいるらしい。

 そいつァあちこちの密売組織にブツを売り込んだんだが、何しろモノがモノだ。面倒事を嫌がって、みんな買取を拒否ったんだとさ」

「それガチィ?」

「今時のヤクザてなァ賢いもんさ。ヤバいシノギにゃ手ェ出さねえ」

「んー、で、その泥棒は?」

「さてね。地下に潜ったって話だが……アテになんねェって言ったろ?」

「いやァ、だいじょうぶ。役に立ちそうよ?」

 腕を組んで考え出したゴローの顔は、またしても、あのとげとげしい刃物めいた表情に戻ってしまっていた。彼の頭が回転する。彼に学はない。それゆえか、彼の思考は常にあるものを基盤としていた。他人の心である。

 高価すぎて売ることもままならない危険な盗品。そんなリスクを抱えた泥棒は、今頃何を思っているだろう? 無論、身の危険を覚えて震えあがっているはずだ。それと同時に、堪えがたい欲望にも苛まれているはずだ。

 はやくこれを金に換えたい。つきまとう危険を手放したい。そしてできることなら、この街から逃げ出してしまいたい……と。

 ならば、打つべき手は――



     *



 手を打ち始めて、3日目のこと。

 ついに努力の実る日がやってきた。その日、はるばる西教区にまで足を向け、へとへとになるまで心当たりを巡った後。夕食をとろうと入った小さな酒場で、その男はゴローに声をかけてきた。

「あんた、ゴローってんだろ」

「あァン?」

 男はひどく怯えていた。その姿はさながら、自分が狼だと信じて生きてきたのに、今さら自分の正体に気付いてしまった哀れな羊のようだ。ゴローは一目で見抜いた――盗賊だ。待っていたものが、釣り針にかかったのだ。

「どうかなあ」

「とぼけるな。聞いてるぞ、ヤバい物を探してるって」

「ヤバい物ォ?」

 男は苛立ち、顔を寄せ、囁いた。

すずが欲しいんだろうっ」

 ゴローが打った手はごく単純だった。これまで秘密裏に探し回っていた竜使いの鈴ドラゴンルーラーを、大っぴらに名指しで探し始めたのである。密売組織や故買屋ばかりではない、時には表のまっとうな呪具屋をも訪れ、鈴の出物はないかと訊ねまわった。その大胆な行動に、誰もかれもが目を丸くしたものだ。

 当然、組織には完全に目を付けられてしまったし、警吏には一度牢にぶち込まれてしまった。保釈金はかさんだが、それだけの価値はあるはずだった。一級の禁制品を求めるうかつな仲買人ブローカーゴローの名はたちまち噂になり、きっと届くはずだ。どこかで身を潜めている盗賊の耳にまで。

 そして、ゴローの策は、見事図に当たった。

 ゴローは盗賊を連れ出して、闇の中で何事かひそひそと話し合った。いったん別れ、人気のないあたりで再び落ち合った。その短いやりとりが済んだ後、夜道を跳ねるように駆けていくゴローの姿が見られた――手には、禍々しい瘴気を放つ小箱が握られている。

 笑いが零れた。心からの笑みだ。こんな笑い方を自分ができるだなんて思ってもみなかった。愉快で、愉快で。それは酒が作ってくれる仮初かりそめの愉快とはまるで違っていて。蒸気をあげる間欠泉よりもなお熱く煮えたぎっていて。

「ッしゃァ―――――ッ!!」

 突然の奇声に、通りの窓がいくつか開いたが、ゴローは気にも留めなかった。

 

 この手の中にあるものは魔法の道具などではない。未来だ。幸福だ。彼の夢そのものだ。でかい儲けになる。店を買おう。儲けは少なくてもよい、何か真面目な商売をしよう。そして。そして。

 やりなおすのだ。コンスェラと。まだ見ぬ我が子と。もう一度。永遠に喪ってしまったはずの“家族”を、はじめから!



     *



 さて、ここから先はゴローには知る由もことだが――

 翌朝、西教区はずれの運河に、死体がひとつ浮かんでいるのが発見されることになる。その死体は執拗なまでに顔面を切り裂かれており、素裸で、所持品もなく、個人を特定できるような手掛かりを何もかも奪い取られていた。

 死体を検分した警吏は、何らかの犯罪組織の仕業であろうと結論した。しかしなにしろ徹底的に証拠隠滅がなされていたので、捜査はそれ以上進展しようもなかった。

 ゆえに――この死体が竜使いの鈴ドラゴンルーラーなる呪具を盗み出した盗賊であり、その禁制品が“探し屋”ゴローの手に渡ったのだ、という事実は、ついに誰にも知られぬまま、闇に葬り去られてしまったのである。




(つづく)

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