第2話 数字が繋ぐ縁

「み、三田さん!?」


 俺は最高のコーナリングに成功したが、目の前、正確には目の下に彼女がいたため、それを避けようとこの踏ん張る足から力を抜き、そのまま遠心力に身を任せた。その結果、


「いたっ!」


 思い切り廊下の壁に体を打ちつけた。

 かなりの衝撃が身体に木霊する。

 先ほどの高校生活全力疾走ランキングに続いて、体への衝撃ランキングも更新のお知らせである。


「えっ!?」


 彼女、三田さんがビックリした様子で振り返った。

 そら、急に大きな音がなればビックリするだろう。

 さて、弁解をするか。


「いっつつ……あー、どうも」


 我ながらなんというコミュニケーション能力を発揮してしまった。

 これはさすがにひどい。


「三田、君?」


 名前を知っていてくれた事実。

 感激である。


「えーっと、三田さんは何してるの? もうすぐ四時間目が――」


 キーンコーンカーンコーンと鳴るチャイム。


「あ、鳴っちゃったよ」

 

 間が良いのか悪いのか。

 何はともあれ、俺たちはもうどうあがいても遅刻が確定した。


「……そうだね」


 彼女のあまり宜しくない表情。

 どちらかと言うと涙目である。

 間違いなく一大事。俺は脳細胞を総動員した。


「えっと……何か探し物?」


 三田さんがワザと遅刻するとは到底思えないためその可能性は省き、残りの可能性と現場検証を経た結果の答えがそれだった。

 現に目の前の冷水器を気にかけている様子でいらっしゃるし。


「……うん、冷水機の下に体温計を落としちゃって」

「体温計?」


 何故体温計?

 そう疑問に思う俺は何もおかしくないはず。

 もしかすると三田さんは発熱症状があるのか、それともほかの理由か。

 熟考する俺。

 しかし答えは簡単だった。


「えっと、私保険委員だから先生に頼まれて」

「あ、なるほど」


 納得だ。

 これ以上の回答が見つからないほど、完璧な回答である。


「ちょっと見ていい?」


 俺は彼女から了承を得て、冷水機の下を覗き込んだ。

 確かに体温計が目視出来た。しかもかなり奥に転がっており、見た感じだと取れそうにない。

 おのれ、冷水機。夏に重宝されるからと調子に乗りよって、と叱りたい気分である。


「あぁ、これはギリギリ届かないなぁ」


 試しに手を入れてみるが、やはり後ほんの数センチ届かない。


 このままでは、二人とも遅刻を超えた大遅刻の称号を先生から賜れてしまうことになる。

 もちろん本音では一刻でもこの時間が続けばいいとは思っている、が俺の中に残る真面目な心が一刻でも早く体育館へ向かわないといけないと言っているのだ。

 なんというジレンマ。

 この問いに関する模範解答はきっとないだろう。


「やっぱりダメだよね」


 すっかり落ち込んだ様子の三田さん。

 それを見て黙っているだなんて男が廃るというもの。

 俺は言葉通り男らしい手段に出た。

 男とは力、ならば持ち上げてしまえとばかりに冷水機に掴みかかったのだ。


「え!? 何してるの五島君!」

「持ち上がるかな……って!」


 我ながら良いアイディア、発想ではないだろうか。

 と自画自賛の鼻高々だったのが、


「壊れちゃうよ!」


 という三田さんの忠告を受けたのと、思いのほか重くて動かない事実に俺の心はあっさりと折れた。


「ダメだったか」

「もうっ」


 膨れっ面の三田さん。

 可愛い……じゃなくてどうしよう。

 体温計なんて放って置いて行こうよ! なんていっても三田さんに拒否されたら、「五島君だけでも先に行ってて」なんて言われかねないし。


「後もう少し指が長かったら……」


 その呟きは意図して呟いたものではなかった。

 だが、それは確かにこの問題を解くヒントとなった。


「そうだ!」


 俺は自分の胸ポケットに手をやった。

 指先に目当てのものが当たる。

 三田さんは期待を込めてこちらへ眼差しを向ける。

 照れるからそう見ないで欲しい。

 いや、やっぱり見て欲しい。

 またしてもジレンマの発生だ。


「物差し?」


 三田さんの言葉は何でも正解だ。

 これは定規……ではなく物差し、かの占い好きに渡された一品。

 いわばパワーアイテムと言ってもいいだろう。


「これでこうやって」


 俺はその物差しを手に、再び冷水機の下へと手を伸ばす。


「あと、もうちょっと……」


 コツンと定規の先が体温計に触れる。

 あと、もう少し……!

 あともう少しで体温計を弾き出せる。そんな時に俺のインナーマッスルは悲鳴をあげた。


「うおっとっと……」


 身体を浮かせて右手を突っ込むという体勢で作業を行っていた俺は、そのまま前のめりに倒れかけたのだ。

 しかし奇跡、否、祝福が俺の身体を支えた。


「大丈夫?」

「あ、ありがとう」


 不安定な体勢を見抜いていたのか、さりげなく三田さんが俺の身体を支えてくれたのである。

 これを祝福と言わずしてなんと言おうか。

 なんて思う間に、俺はミッションをやり遂げた。

 ついに成功したのだ。

 目の前には体温計が転がっている。

 確かにやり遂げた事はとても小さい、だが俺という人生の中ではかなり大きな活躍ではなかろうか。


「ありがとう! 五島君!」


 満面の笑みの三田さん。

 これだけで俺の頑張りは報われたというものだ。

 もう少しこの幸せを味わっておきたい、そう思っていたのだが、


「おい! そこにいたのか五島!」

「うえっ! 新木先生!?」


 見事にこの空気をぶち壊したのは担任の新木先生だった。

 何故か三田さんには何も言わず、俺に対してだけ怒鳴りつけてくる。

 ただ三田さんが身代わりになれているのだと思い込めばなんてことはない。


「もうお前の番だ! 早く行け!」

「は、はい!」


 しかし担任の絶対権力に敵うわけもなく、俺は慌てて体育館へと走った。

 その際に、三田さんが、


「あ、物差し!」


 と言っているのが聞こえたが、これ以上別のことで時間を取ると、今度は新木先生の怒りが三田さんに向きそうだ。つまり返事をするべきではない。

 それに五時間目でまた隣同士の席だからその時に返してもらえばいい、そう思って俺はそのまま走り去った。



 170センチ。

 60キロ。


 はい、身体測定終わり。



 あっさりと終わった身体測定を終え昼食。

 俺はいつものように自分の席で弁当を食う。

 そして前の席には、その席の人から席を譲ってもらった景也が座っている。


「お前体育館にいくまでどれくらいかかってんだよ」


 唐突に景也が聞いてきた。

 気になるのも無理はない。

 結局俺は10分という中遅刻をしたのだから。


「色々あったんだよ」


 色々という形容でも足りないくらい色々あった。

 今思い出すと、本当にあれが現実とはとても信じられない。

 だが手元に定規がないことが、何よりの証拠である。

 意識的にチラリと隣の席を見た。

 だが三田さんはいない。

 彼女は昼食は別のクラスの友達と食べるタイプらしいので、何も珍しいことではないのだが、やはり残念と思ってしまうのは男の性というものか。


「色々ねぇ」

「な、なんだよ」


 景也が怪しむような目で俺を見てきた。


「そういえばお前の席の隣、三田茅乃だっけ? 彼女も遅刻したらしいな」

「そ、そうみたいだな」


 落ち着け。

 ただのほうれんそう。

 奴の言葉の裏には何もない、はず。


「それでお前は三田のことどう思ってんだ?」

「……は?」


 前言撤回。

 予想以上の裏を隠してた。


「い、言っている意味が分からないなぁ」

「俺を騙そうだなんて5年早いぞ」

「微妙だな、おい」


 口ではそう言ったものの、内心はパニック状態だ。

 え、何でこいつ知ってんの?

 エスパーなの?

 読心術身につけたの?

 という感じに大混乱だった。


「丁度今いないんだから、素直に言っちゃえよ」


 もうウキウキしているのが片目でも分かるほどに景也はハイテンション。


「俺にも言えないんじゃあ、告白なんて永遠に出来ないぞー」


 煽る煽る。

 でも一理あるという気もするのも事実。

 いや、騙されてはいけない。


「……うるさい」

「おーい、否定じゃなくなってるぞ」


 くっ……なんて正確な尋問術なんだ。

 こいつ……出来る!


「はぁ……分かった、俺は三田さんのことが好きだよ」


 仕方がないため真実を口にした。

 とはいえそろそろ相談を持ちかけようと思っていたところでもあった。

 俺の友人の中で恋愛相談と言えばこの男以外に思いつかないからだ。


「おぉ!」

 

 確信を持って聞いてきたくせに、なんともオーバーな驚きようだ。

 素直に腹が立つ。


「で? 何で好きになったんだよ?」


 質問も体勢も前のめり。

 かなり面倒くさい。


「言わなきゃ良かったわ……」

「悪い悪い冗談だ、で? 何で?」


 何も反省してない男。

 これだからモテ……なくないんだよなぁ。


「好きになった理由っつてもなぁ……」


 人を好きに理由なんてあるのか、と声を大にしていいたい。

 好きの理由を尋ねるのはナンセンスだと。

 ……嘘です。

 ただ恥ずかしいだけです。


「まず顔だろ?」

「勝手に決めんな」


 ……間違っちゃいないけどさ。


「他は何かあるか? 頭が良いところに惹かれたとか」

「それも然り」

「っぷ、何だよその口調」


 うるせえ。

 照れ隠しだ。


「はは、すまんすまん、あんまりこういう話題に関わったことがなくてな」

「たち悪いわ」


 こちらは顔面から炎が吹き出るほど恥ずかしいというのに。


「まあ好きになるっつうのは理屈じゃないか」

「お、おう」


 急にまともな事を言い出す親友。

 しかしその言い草はまるで……


「おいそれって――」

「――俺は応援するからな」


 半ば強引に本日の恋愛報告会は幕を閉じた。



 そして五時間目。

 俺は隣の席をため息混じりに見た。


「はぁ……」


 そこはもちろん三田さんの席。

 だがどういう訳か彼女はいなかった。

 もちろん俺が落ち込んでいるのは、それだけが理由じゃない。

 まあ直結する問題ではあるのだが。


「皆、連絡どおり定規は持ってきてるか?」


 数学の先生がそう言った。

 はい、持ってきていましたが、今は持っていません。

 なんと言う怪奇現象。


「持ってない奴は、手を挙げろ」


 俺は手を挙げる。

 なんと、俺はクラスで唯一の定規無所持者だった。


「五島か、ちゃんと次からは持ってくるように」

「……はい」


 さっきの幸せの報いなのか。

 これが非リア充の呪いなのか……!

 占いなんて碌なもんじゃねえ!


 八つ当たりと憂鬱な気持ちのまま、五時間目を終えた。


 そうして六時間目前の休み時間。

 景也と先ほどの定規の件を話していると、彼女が帰ってきた。


 すると早速、


「ごめんなさい、五島君」


 と俺に頭を下げ、定規……物差しを渡してきた。


「ん? どういう状況?」


 と呑気な返事をするのは景也。


「ちょっと立て込んだ事情があってな」


 説明するには面倒すぎるほど複雑で難解過ぎる事情なのだ。許せ、景也よ。


「あぁ、だからお前はさっき定規なくて、先生に注意受けたんだな」


 と余計な事を口にする我が親友。

 おいおい、そんな言い方したら、三田さんが責任感じちゃうだろ。


「……ごめんなさい!」

「いやいや、あの時受け取らなかった俺も悪いから」

「でも……」


 全ては景也、お前のせいだ。

 どうしてくれる、この変な空気。


「ならこういうのはどうだ、三田茅乃」

「は、はい!」


 景也の唐突なフルネーム呼びに困惑して畏まる三田さん。

 一体何を言い出す気なのか。この男は。


「定規の件のお詫びに五島とデートするってのは」

「……は?」

「……え?」


 さて問題です。

 デートとは何でしょう。


「はああああああああああ!?」


 知らないわけがないだろ。

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