とある勇者のbackstory


 夜の闇に、火の手が上がる街。

 四方から怒号が飛び交う。


「お父様! 兵を! 兵をお出しください!」

「ならん! 我々は魔族に降伏する」

「考え直しくださいお父様! その道の先に待っているのは破滅です!」


 ルザン子爵は、娘の訴えを袖にする。彼の顔は砦外に走る炎の光に照らされていた。


「我が娘サリーよ。破滅の何が悪いというのかね」

「お父様!?」

「魔族と戦う道、それこそ修羅の道だ。犠牲の道だ。悪魔の道だ。それにより死にゆく人々が苦しむのならば……」


 彼は砦の窓を開け放った。熱気が部屋に流入し、サリーの青髪が靡く。


「私は……緩やかな破滅を選ぶ」


 ルザン子爵領は決して豊かではない。故に領土争いのようないざこざは帝国以前も少ない地域であり、兵力も乏しかった。例え籠城したところで、無闇に兵を死なすだけである。

 そも魔族と人間の間には個人の戦闘能力に差がありすぎるのだ。端からまともに戦ったところで、勝ち目はない。愚かな行為である。それを頭の堅い人々は、自らのプライドに固着し魔族に下るという発想がないのだ。


(だいたい、奴らには知恵と呼べるものがないではないか。それならばまともに戦うよりも、一度取り込まれてより内から制す方がより合理的ではないか……)


「オマエが、このマチのオサか」


 突如声が聞こえ、二人はその主を振り返る。聞き取りづらい不思議な声色であった。

 そこには三体の魔族と思しき存在が居た。それぞれが顔に覆面をつけている。


「覆面の……魔族」


 サリーはか細い声でそう呟いた。それは最近各地で被害を出している魔族集団である。なぜ覆面を被っているかも不明。何人いるのかも不明。彼らは古今東西あらゆる街や村に現れては、虐殺を働く。


「魔族様! 我々は降伏いたします!」


 ルザン子爵は地に頭をつけ、そう叫んだ。


「お父様!」

「我々はあなた方に逆らいませぬ! 兵も出さず、命令には諾々と従いましょう。奴隷になれと言われれば、そう受け入れましょう。だからどうか、我々を魔王様の支配下に入れて頂けませぬか!」


 一切の誇りも躊躇もなく、そう述べるルザン。サリーは自らの唇を噛む。


「なんて……事を……」

「どうか、どうか、我々の命は救っていただけませぬか!」

「コウフク? よくわからないな」

「な、何!? グキャっ」


 瞬間、覆面をつけた彼らは手に持っていた剣でルザン子爵の頭を切り落とした。

 転がる首の眼は驚愕に見開いていた。覆面の男はしゃがみ込み、今まさに死にゆく生首によく聞こえるように言う。


「オレのモクテキはニンゲンをコロすことだ」


 やはり降伏など出来ようもない。サリーは確信した。


「和解はおろか、降伏もかなわない。ならば」


 サリーは部屋の棚の上に置かれていたナイフを手に取り、震えながら構える。


「ならば、戦うしかないのです」

「ウマそうなニンゲンだ……」


 覆面の下で、男が舌なめずりをした。


 次の瞬間、部屋が目を閉じずにはいられぬほどのまばゆい光で満たされた。部屋だけではない。砦が、街が、強烈な光で埋め尽くされたのである。

 地球における閃光弾を参考に、勇者が作り上げた魔法。使用魔力のうち攻撃力を犠牲にして光度のみを上げたそれは、『光魔法』の加護を持つ彼が使えば、「敵の目潰し」に留まらない。


「グアァッ!!」


 まるで街すべての時間が止まったかのような錯覚。網膜から瞬間的に侵入した膨大で強烈な視覚情報は、魔族も人間も等しく思考をフリーズさせた。間髪入れず、対象を人間に限定した「エリアヒール」が街全体に発動し、サリーの視界は回復する。

 その時には全てが終わっていた。部屋の壁は破壊されていて、炎に焼かれる街がよく見える。風が吹き、彼のやや長い黒髪が靡いていた。

 床には壁の破片と、先程まで無かった新しい血痕があり、サリーが目を瞑っていた僅かな間に何が行われていたかは容易に想像がついた。


「遅かった……か」


 一瞬で魔族を消し飛ばした勇者は、既に命の光のないルザン子爵の首を前に跪き、光神教の祈りを捧げていた。







 日が沈んだ頃、ようやく事態は収束した。街を襲っていた魔族は勇者パーティにより殲滅された。家々についた火を魔法で消され、遺体の回収も一通り済み、街は深い静寂に包まれる。

 広場に大きな炎が上がった。その火元に積み上げられたのは、此度の襲撃における犠牲者達の遺体だ。勇者パーティの一人であるエリザベーナが、風の魔法をもってその炎を制御していた。

 光神教では魔法は神より人が授かった力であるとされている。故に遺体は一体一体水魔法で清め、光魔法で傷を埋め、火魔法と風魔法で灰にし、土魔法で骨を埋めるのが正式となる。今回の火葬は戦時に用いられる略式であり、複数の遺体を同様の手順で女神のもとまで送り届けるのだ。


 家々の丈を超えて大きく上がる炎を、勇者は遠くから見つめていた。炎の周りでは遺族達が泣きながら祈りを捧げている。

 星が瞬く夜空の下、煤けた民家は炎の明かりに橙色に照らされ、影を緩やかに揺らす。パチパチと炎の中で人の肉が爆ぜる。うず高く積まれた死体の山は、時を経るごとに徐々に崩れていく。勇者はただただ網膜に、その光景を焼き付け続けた。

 風が吹いていたが、炎は大きく揺れることはない。エリザベーナの制御がよく効いている証拠でもあった。


(随分と慣れたものだな、彼女も……)


 本来火葬は彼女の得意とするものではなかったはずだ。しかし幾度の経験を経て、手慣れたのが見てわかる。

 風と共に形容しがたい臭いが届き、勇者の鼻腔をつく。動物特有の臭みと、少しベタつくようなそれは、勇者が地球では一度も嗅いだことのない感覚だった。だが同時にこの世界では慣れてしまった臭いでもある。しばらくすればまた臭いが変わることすら、彼は知っていた。


「勇者様」


 背後からかけられた声に振り向くと、そこには一人の少女がいた。ルザン子爵が死んだときに側にいた人間であると、勇者は記憶していた。


「君は……」

「私は亡きエル・ルザンの娘、サリー・ルザンです」


 名乗りと共に、彼女は喪に服した大人しいデザインの白いドレスの裾をつまんで、深いカーテーシーを見せる。その仕草から教養があることを見て取れた。

 勇者も深く頭を下げて答える。


「そうか……すまなかった。私の到着が遅れてしまったせいで、君の父上を死なせてしまった」

「おやめください勇者様。あなた様の責では決してございません。私の父……ルザン子爵の死は彼の選択の結果なのです」

「そんな、ことは……」

「いいえ勇者様。私が娘だからといって、気を遣うのはおやめください。エル・ルザンは私の父である前に、子爵なのです。この領土を治める領主なのです。この街の長なのです」


 サリーは背筋を伸ばし、広場の炎に視線を向ける。


「彼は愚かな選択のために多くの民を殺し、より多くの民の命を危険に晒そうとした。それはエル・ルザンが死んでいようが死んでいまいが変わらぬことなのです。全ての責は父に、引いては娘である私にあります」

「…………」

「ですから勇者様。あなたはこれからより先の道を歩む人。歩まなければならない人。どうかお気に悩まず、進んでくださいませ。あなたはこの街の多くの民を救ったのだということを、お忘れなく」


 彼女の瞳には確かに炎が映り込んでいた。サリーはこの世界でも成人に届かないような外見をしている。だがこの光景を前に、まぶたを閉じようともしない。


「君は、強いのだな」

「強くなければなりません。成人するまでは摂政という形になりますが、いずれこの街、この領を治める身です。今日この日の罪を、自らに刻みつけなければなりません」

「そうか……やはり君は強いな」


 サリーは視線を炎から外すことなく、その場に座り込む。勇者も続いて地面に座った。


「……風が強いな」

「勇者様。勇者様のお体は大切なものです。お体を冷やす前に、宿でお休みになられては」

「君から言われると格好がつかないな。こういうのは男から女に言うべきじゃないだろうか」

「私は最後まで見届けなければならない。それが既に逝ってしまった民への贖罪であり、責任です」

「私も似たようなものだ。最後まで見ているよ。今までも、これからも」


 勇者の言葉を最後に、二人の間にはしばらく沈黙が続いた。

 二人はひたすらに炎を見ていた。相変わらず風が強く、夜の冷たい空気が容赦なく体温を奪う。サリーの体が震え始めたのを見て、勇者は自らの上着を彼女に羽織らせた。


「サリー。あまり君の父上を責めないでやってくれないか」

「……どうしてですか」

「彼は彼で、人々を救うために動いたのだろう。多くの人を救うために、自らの人道を犠牲にして行動したのだろう。私と彼との違いは、ただ単純に選択の違いなのかもしれない。あるいは同じなのかもしれない」

「…………」

「実際に旅をしてみて分かった。私のやっていることはきっと、人類にとって藁にでもすがっているようなものなのだろう。はっきり言って、魔王を倒して人類全てを救うなんて、不可能にも近い所業だ。それを信じられないという気持ちも、正直分かるよ。だから……」

「勇者様。分かりました。私はもうお父様を責めません。わかりましたから」


 サリーは泣きそうな顔で、勇者を見上げる。


「それ以上は、言わないでください」


 その時だけ勇者には、彼女が年相応の女の子に見えた。


「……すまなかった。君の強さに、つい甘えてしまった」


 サリーは炎に視線を戻し、何も答えなかった。だがその肩はまだ震えていた。







 火葬も終わり、広場の人々は片付けと埋める作業に移っていた。サリーはいつの間にか勇者の肩に頭を預け、寝てしまっていた。本当のところ、墓場までついていきたいのではあったが、まさか領主の娘を寝かせたまま放っておくわけにも行かない。

 勇者は彼女を抱きかかえた。衛兵に預けてもいいが、騒ぎの後である。彼らはひどく忙しいかもしれない。領主の邸宅に行けば使用人がいる事だろう。彼らにサリーを預ければ、まあ安心と言えた。

 実際に邸宅を訪ねれば、使用人は随分と慌てた様子であった。サリーは大人びた喋りのくせに、随分とお転婆であったらしい。部屋で休ませていたところ、使用人に黙って家を出たのだという。涙ながらにそう話す侍女にサリーを預けながら、勇者は頭を抱えて嘆息した。


 随分と遅れてしまったが、勇者としては戦いにおける死者の弔いは全て目に焼き付けたい。ゆえに墓場まで行こうと考えていたところ、路上で彼は呼び止められた。


「勇者。少々よろしいですか」

「……ダグムーン。どうしたんだ」


 声をかけたのは新しく勇者パーティに入った「賢者」、ダグムーンであった。白髪を後ろに撫でつけたやや大柄の美丈夫だ。しかしその外見と裏腹に策略に長け、魔動具を扱いこなす達人でもある。


「いえ。隠密部隊の一人が負傷したようで、回復をお願いしたいのです」

「なるほど。今回の待機場所は?」

「森です。ついてきてください」


 ダグムーンの表情は明るくなかった。勇者は特に何も言わず、首肯して彼についていく。


 街を囲う石壁の外に出て、真っ暗な森を黙々と歩く二人。森の中は恐ろしく静かで、空気が爽やかだった。よほど街はあらゆるものが燃えた臭いで充満していたらしい。光の当たらない木々は真っ黒な影となり、二人の姿を空から覆い隠す。勇者とダグムーンは慎重に一歩一歩、枯れ葉と枝を足で掻き分け進んでいった。

 ダグムーンは森に消え入る程小さい声で話し始めた。


「勇者」

「なんだ」

「先程の子は、元領主の娘ですか」

「ああ」

「……随分と楽しそうな話をしていましたね」

「そうか? というか、聞いていたのか」

「ええ。少し聞いて気分が悪くなったので、すぐに離れてしまいましたが……」

「それで声をかけてくるのが遅かったのか。すまなかった」

「いえ。隠密部隊の方は、急を要するほど重傷では無さそうなので大丈夫です。しかし勇者の魔法による回復なしだと、明日以降に支障をきたしますので」

「分かっている」


 砦が遠く見えなくなってからようやく、勇者は『光魔法』で足元を照らせる程度の灯りを浮かせた。


「……あなたは凄いと思います。俺は今の状況において、彼女にあのような顔で話すことなどできそうもない。本当に強いですね」

「もしかして皮肉か?」

「皮肉というか、弱音でしょうか。俺もあなたも同じ咎を背負っている。まさか皮肉など言えたような立場ではない。あるいは、あなたのように素知らぬ顔で通せるほうが、余程暗躍というものに向いているのでしょう」


 ダグムーンはやややつれた顔で、自嘲気味に笑った。


「その点やはり俺は向いていませんね」

「君は心底、善人なのだろうな」

「善人だったらこんなこと、していませんよ。俺もあなたも……」


 それからまた二人は黙って歩き始めた。

 しばらくすると、ダグムーンはある樹の木肌に触れた。その樹の表皮には傷が刻まれており、文字列のようになっていた。傷をしばらく撫でるように確かめたダグムーンは、今まで進んできた方向から見て右折し、また進み始める。

 また傷のある樹があると、ダグムーンはその傷を確かめて、今度は曲がることなく真っ直ぐに歩く。そんなことをあと2回ほど繰り返し、ようやく二人は隠密部隊の待機する場所に到着した。


「怪我人は?」

「こちらです」


 ダグムーンの言う怪我人はぶらんと手をぶら下げ、木を背にして地べたに座り込んでいた。その服には赤黒い血が滲んでいる。勇者は膝をついて、男の袖をまくりあげ患部を晒す。


「どんな感じだ」

「ユウシャサマ……モウしワケありません」

「いや。こちらこそ無理をさせている。よく頑張ってくれた」

「アリガトうゴザいます……」

「覆面と変声の魔動具は、私がいなくなったら外した方がいい。呼吸は生命の基礎だ。回復が必要なときは呼吸をしっかりするべきだ。……だが、私の前では外せないのが難儀だな」

「モウしワケありません。しかし、ワタシタチのショウタイをシるコトは、アナタのためになりません。どうかゴヨウシャください」

「あぁ」


 覆面をつけた男は、領主を殺したその男は、怪我をした際の状況を説明し始めた。


「センコウダンのタイミングがあわず、ヘヤのカベのアナからオちるときにスコしムリのあるシセイをトりました」

「そうか。私も少し急き過ぎたかな。次の作戦のときは上手く合わせられるように調整しよう」

「アリガトうゴザいます……それで、ジメンにオちたときにウデのホネがオれて、ヒフもキったのでシュッケツしています。しかしユウシャサマ、ナニよりもワレワレのショウタイとサクセンをシられないことがジュウヨウなのです。そのタメにならば、ワレワレのミなど」

「しかし君達はただの人間だ。勇者である私や、魔族達のように回復しないのだからな」


 勇者は止血用の包帯を外すと、『光魔法』による回復魔法で覆面の男の治癒を行う。破れた皮膚からは骨の破片が見えているほどであったが、妙に曲がった腕は真っ直ぐになり、筋繊維が繋がり、患部を皮膚が覆う。見る見る内に健全な状態にまで回復した。


「これでいいだろう」

「アリガトうゴザいます」

「折角だ。他に怪我がある者は手を上げろ。擦り傷程度でも治してやる」

「ダイジョウブですか? その……ザンゾンマリョクのホウは……」

「魔力は問題ない。魔族の討伐自体はほとんど仲間がやってくれたしな」


 それから勇者は、三人ほどの傷の治癒を完了させた。その間、賢者ダグムーンは黙って彼の仕事を見続けていた。


「では、次の作戦もよろしく頼む」

「はっ」


 隠密部隊と建前上名付けられた彼らの元を離れ、勇者とダグムーンはまた来た道を戻る。

 二回ほど方向を変えたあたりで、ダグムーンはボソッとつぶやいた。


「勇者。あなたと領主の娘の話なのですが」

「ああ。どうした」

「実は、一旦は耐えられなくなりその場から離れたのですが、話し声が聞こえなくなった辺りでもう一度戻ったのです」

「聞こえなくなった辺り、か」


 勇者は下を見ながら、サリーとの会話を思い出す。


「『あまり君の父上を責めないでやってくれないか』……でしたっけ」

「…………」

「それはもしかして、領主の事ではなく、あなたのことを言っていたのでは無いですか? 勇者」


 勇者は黙ったまま立ち止まった。明かりにしていた勇者の魔法の光球が瞬き、影が揺らぐ。ダグムーンは彼の背中から語り続けた。


「多くの人間を見捨て、多くの人間を殺し、それでも魔王を倒すことを選んだのはあなただ。選択したのはあなただ。まさか、この期に及んで揺らいだなどと言うことはありませんよね? 折れたなどと言うことはありませんよね?」

「揺らいでなどいない」

「あなたと最初に会った時、あなたが全ての罪を背負うと言った。代わりに、あなたは我々全てを巻き込んだ」


 ダグムーンの声は小さく、低く、かすれていた。


「俺はその時のことを、一時たりとも忘れたことはありません」






 勇者と賢者が対面したのは、メディリーナが死んだ直後であった。

 勇者は皇帝に、この国で最も知略に長けた人間が誰か尋ねた。魔王を倒すにあたって、ただ襲ってくる魔族を殺すだけでは決してたどり着けないと、身に以て感じたのである。事態は急を要するのだ。他の魔族を対処するよりも先に、魔王を一手で討伐できればそれに越したことはない。そのためには何よりも、策略が必要であった。

 てっきり軍師か何かを紹介されると勇者は考えていたのだが、皇帝はある館を紹介した。そこには天賦の学を持つ賢者がいるのだという。賢者は公には存在を知らされていない。山の中、帝国の所有する館にただ一人で住んでいるのだという。国や軍として助言を求める場合にのみ、皇帝はその館に使いを送るのだ。


 勇者は一人で館を訪ねた。賢者は書斎の中にいた。

 真っ暗な部屋であった。部屋の壁は本の棚で埋め尽くされており、大きな机の上には山のように本が平積みにされている。かび臭く空気の淀んだ部屋の隅で、一人の少年が震えながら膝を抱えてしゃがみこんでいた。


「……君が、賢者ダグムーンか」

「あ、あなたは……?」

「私はマッカード帝国に召喚された勇者だ」

「勇者っ」


 白髪の少年はいっそう震え、勇者に背を向けてぶつぶつと小さくわめき始める。


「あの、あのジジイめ……勇者から隠れてろって言っていたのに、ここに勇者が来たってことは、あいつが情報を漏らしたということではないですか。端から魔王討伐など無理だと散々言ってきたのに、娘がどうとかまるで掴まり立ちを覚えた赤子を見るように、遊びではないのだ遊びではっ! 大体俺にどうしろって言うんですか……なんで俺が魔族に襲われる理由を作らなきゃいけないんですか……俺はここに籠もって思索をしているのが楽しいだけなのに、俺が何をしたっていうんだ。今まで散々助言してやったんだから恩返しとして隠し続けてくださいよハゲ皇帝め……」


 勇者の目には、駄々をこねる子供にしか見えなかった。およそ賢者と呼ばれるような、知略に長けた老獪な人物には見えようもない。


「すまない」

「ひっ!」


 勇者の声に、ダグムーンはビクリと体を震わせる。


「ああいや、違う。怖がらせようとはしていないのだ。ただ私は一つだけ聞きたい。『魔王討伐など無理だ』とは、どういうことだ」


 ダグムーンは勇者の問いに対して、彼の顔を睨む。


「そ、そのままの意味ですよ。例えあなたを召喚しても、魔王を討伐などできるわけがないっ」

「いや、その、だからそういう結論に至った理由を聞いているのだが……」


 勇者がそう言うと、少年は呆れたように口を開けた。


「まさかあなた、勇者一人で魔王を討伐できると思っているのですか? 国民の、他の多くの人間の協力無しには不可能なんです」

「だが……歴史上の勇者たちは、少数精鋭で魔王を倒していることがほとんどだ。不可能とまでは」

「不可能です。何よりも歴史がそれを証明しているんです。右の本棚、上から5段目の右から二十四冊目」

「え」

「歴史書です。特に勇者と魔王の戦いに注目して、現在まで伝わっている全ての確定的な事実を客観的に羅列したものなので信頼度は高いです。……まあ、それも俺の個人的な感想ですが」


 勇者は言われた通りの本を探し出し、それを抜き取った。比較的新しく傷の無い革の装丁である。


「それを読めば分かりますよ」

「……読めと言われても」

「それくらいすぐ読めるでしょう」

「待ってくれ。それは普通の人間にはできない」

「普通の人間ではなく勇者でしょう。全く、なんの為に高い知能を与えられているのですか」

「恐らく魔法を扱うためだと思うが……」


 大きくため息をついたダグムーンは、立ち上がって部屋の四方の辺に沿いながら、勇者の周りをくるくると歩き始めた。


「勇者。魔族の最たる脅威とは何だと思いますか?」

「それは、勿論魔王の存在だ。魔王がいることにより魔族は強くなり、団結し、人間を滅ぼそうという一貫した運動が行われる。逆に言えば魔王さえ倒せば、状況は沈静化するだろう」

「確かにそうです。魔王とは元凶であり討伐対象。しかし勇者。魔王はあくまで原因であって弱点です。脅威ではない」

「じゃあなんだ……周囲の魔族か」

「その通りです。魔族の一人一人が、人間を遥かに超えた身体能力を所有している。兵士が魔導具を使っても、戦闘訓練をしていない一般の魔族に一対一で勝てるかどうかという次元です」

「だがダグムーン。私は勇者だ。私は今まで魔族相手に苦戦したことはほとんどない」

「それは一握りの魔族しか相手取ったことがないからです。いいですか勇者。魔王は未だに本格的な進軍を開始していないのです。魔王の意思をよく理解していない辺境の木っ端魔族が、勇み足で人間の領土に踏み込んでいるに過ぎない。その段階ですら、あなたは助言を求める為に私を訪ねているんです。それを認識したほうがいい」

「全ての魔族を相手取る必要はないはずだ。魔王さえ倒せば魔族は一旦脅威でなくなるのだから」

「確かにその通りです。だからこそ歴史上、人類は魔族に勝利を複数回収めることができている。これは勇者という精鋭戦力を人類が保有しているからです。しかしあなたの考えは強引すぎる。勇者が強いとは言っても、武神の如き圧倒的な力を持っているわけではないのです。魔族領には数万の魔族がいるんです。数はそのまま力となる。個にできることには限界があります」

「では史上における勇者は、どのように勝ちを収めてきたのだ」


 勇者の問いかけに、賢者は立ち止まって彼の方を向いた。


「それこそ先程の本に載っていることです。端的に言えば、魔族のほとんどを人間領に引きずり出し、ガラ空きとなった魔王城に勇者戦力を叩き込むのです」

「……なるほど、だが、どうやって引きずり出す?」

「魔族の性質を利用します。奴らの度し難いほどの単純さを。これからしばらくすれば魔族は、少数部隊を逐次投入し最小戦力での制圧を試み始めます。人間を舐めきっているからです。それを勇者が遊軍となり叩き続けます。そうすれば魔王は頭に血が上り、全軍での突撃を始めます」

「そう簡単に行くものなのか……?」

「それが魔族というものです。しかし勇者」


 ダグムーンは指を一本立てる。


「ここで一つの問題が生じます。一つでありながら、とても重大な問題です」

「私も気になっていた。私が、勇者が魔王を討伐に向かう間、全軍で人間領に攻めてきた魔族をどう対処するのか」

「そう。それこそが、あなたの魔王討伐が不可能と断ずる理由です。いや、魔王討伐をするだけならば叶うでしょう。しかしその場合、人間も同時に滅亡することとなる」


 ツカツカと音を立て、ダグムーンは勇者に詰め寄った。


「歴史においては、全軍で攻めてきた魔族を人族側も全軍で団結し。防衛に当たります。防衛というよりは遅滞戦闘……時間稼ぎと言ったほうがいいかもしれません。勇者が魔王を討伐するまで」

「人類が……団結」

「魔王という外部の敵が居て、さらに勇者という希望の光があれば、それはもう簡単に団結するものです。本来はね」


 しかし現状を鑑みれば、人族は団結とは程遠い位置にある。


「今もはや、勇者の派閥はマイノリティにある。魔族をどうこうする以前に、あなたが手を付けなければならないのは人族の状況です。しかしあなたにそれができますか? たった一人で、世情を入れ替えられますか? それも短期間で。だから言ったのです。魔王討伐など不可能である、と」


 書斎に沈黙が下りた。勇者としてはダグムーンの言葉を認めるわけには行かない。だが賢者の言葉は、唾棄するにはあまりにも説得力を帯びていた。

 空気が膠着する。しばらくして賢者はため息をついて、部屋から出ていこうとした。その背中を、勇者は呼び止める。


「待ってくれ、ダグムーン」

「何ですか、俺の話はもう終わりました」

「私はまだ終わっていない。終わりたくない」

「知ったことではありません」


 ダグムーンは振り返ることなく、出口のドアノブに手をかけた。しかし次の瞬間、彼の動きが止まる。


「その話を、君は皇帝にしたのか?」


 勇者はゆっくりと、今部屋を出んとする彼に向かって歩き始める。


「いや。したはずだ。皇帝は絶対に一度は、君に助言を求めたはずだ」

「……したと言ったら?」

「ならば皇帝も不可能であることを承知のはずだ。しかし皇帝は、私にこの場所を教えた。君に会わせるためだ」


 もはや勇者とダグムーンの距離は、数歩の内にある。


「あるんじゃないのか? 希望さくりゃくが」


 背中の気配で、勇者がダグムーンのすぐ後ろにいることがわかった。


「だが皇帝はその希望を、自分で実行することを諦めた。そして私にその希望を託したのだ。亡き娘の、メディリーナの思いと共に。違うか?」


──魔王を……討伐せよ……わかったな──


 マッカード帝のあの言葉は、藁にすがるような願望ではなかった。むしろ強要に近い頼みだった。賢者から不可能だと太鼓判を押されたならば、そんな事はしない。ならば不可能ではなく、可能なのである。勇者はそう確信していた。 

 ダグムーンは硬い動きで振り返った。恐る恐る目線を上げれば、勇者は誠実さのあった今までと打って変わって、威圧的な目で彼を見下ろしていた。

 彼は思わず笑う。


「はは……希望? そんな輝かしいものじゃあないですよ」

「あるんだな」

「あると言ったら……?」


 勇者は彼の両肩をがっしりと掴んだ。


「教えてくれ。私はそれを実行する」

「無理です」

「なぜだ」

「その道は悪魔の道です。勇者とも、英雄とも程遠い。正義の欠片もない道です」


 ダグムーンは勇者の目を見た。彼の目は全く揺るがない。


「私は例え何をしてでも、魔王を倒すと誓ったのだ」

「……後世から悪と罵られても?」

「構わない」

「……人を何人、何千人と見殺しにしても?」

「構わない」

「人を、……人を何人も何十人も、その手で殺めようとも?」

「構わない」

「何人もの人間を巻き込み、同じ咎を背負わせても?」

「構わない」


 いつしかダグムーンは、白髪の少年は膝を折って地べたに座っており、勇者がそれにのしかかる形となっていた。


「私は何でもやろう。どんな罪も、罰も、業も、咎も、怨恨も、全てを背負おう。だから教えろ賢者ダグムーン。その悪魔の道形みちなりを」


 勇者は彼の瞳を覗き込んだ。

 ダグムーンは震え、拒むように勇者の両手を振り払い、蹲る。


「嫌だ! 俺には耐えられない! 教えた時点で俺も同じ罪人です。そんな咎を、俺は背負って生きていくことなんてできない……できたら、こんな所に隠れて住んでいないんですよ!」

「ならば貴様の分も、私が全て背負ってやる!」

「できやしない! 勇者にそんな事が……」

「できる! 私は何でもやると誓ったのだ」


 勇者は少年の白髪の頭を掴み、地べたに叩きつけた。そのショックでダグムーンは、体に力が一瞬入らなくなる。

 目を開けたその時には、ダグムーンは完全に勇者に馬乗りにされていた。


「私は何でもやる。人殺しも、拷問も。今貴様の身を以て証明してやってもかまわない」

「な、な……」

「これから貴様を拷問する。よく見ていろ」


 勇者は自分の左腕に向けて、何かの魔法を発動する。次の瞬間、勇者の血管が沸き立ち、膨らみ、皮膚を破って血液が溢れ出した。


「ひっ!」

「ぐっ……こ、これは、マイクロ波というものだ。これで血液を沸騰させた。この痛みを想像できるか。血が膨らみ、神経が焼け、骨が圧迫され、筋肉が熱で固まり、皮膚細胞が裂けるこの感覚が……」


 勇者はまた魔法を発動する。今度はみるみる内に皮膚が治り、腕が元の状態に回復していく。


「ふぅ……痛みの割に軽症だから、回復魔法で簡単に治る。だから安心してくれ。与えるのは精々気が狂う程度の痛みだけだ。つまり、拷問には最適だな」

「やめ、や……」

「さて、私の身を以て取り行う実演は以上だ。貴様はどちらの腕がいい。別に足でもいいぞ。首も……まあすぐ治せば平気だろう」

「やめてくださいお願いします! やめて、やめてください……」


 勇者は沈黙し、ダグムーンの細い右手をむんずと掴む。


「やめてください! うあぁぁ!」

「哀願を垂れる前に策を教えろ。嘆く前に言葉を紡げ」

「教えます! 教えますから一旦離してください! 落ち着かないと、まともに話せやしないんです!」


 勇者は立った。ダグムーンは息を切らしながら、身を起こす。


「その言葉、違うことはないな」

「あり、ませんよ……あなたの勝ちです。暴力の勝ちですよ。ええ、おめでとうございます英雄様」

「安心しろ。これで君は俺に脅されて策を教える羽目になったのだ。君の咎じゃない。罪じゃない。君は暴力の被害者だ」


 ダグムーンはポカンとした表情で勇者を見たあと、ため息をついた。


「そんな屁理屈、通りませんよ。俺はあなたと一緒に罪を背負います。何せ俺は弱いですから、死や痛みが怖いんです。これから先、どんなに苦しむかも考えず、目先の救いに縋った弱者です。だからもう、いいですよ」


 賢者は勇者に手を伸ばした。


「俺はあなたの……悪魔の道先案内人となります」


 勇者は賢者の手を取り、引き起こした。


「だからせめて、道端に落としたりしないでください」






「これから数度、各地で魔族の襲撃があるでしょう。その際すぐに助けに入ってはいけません。ある程度被害が拡大するまで待つんです」


「この地図の上で、印をつけた街にいるのが、『反勇者派』の主要貴族がいる街です。魔族の襲撃に紛れ、魔族に変装した隠密部隊でもって彼らを殺します。襲撃によって殺された……その事実に説得力をもたせるために、街の人間にはある程度犠牲になってもらいます。はは……もうやめますか? 個人的にはもう止めてほしいのですが」


「勿論襲撃など受けようもない内地で引き籠もっている『反勇者派』の貴族もごまんといます。彼らは勇者本人が暗殺してください。『光魔法』という加護は、暗殺に適しているはずです。ある程度皇帝にも隠蔽工作をしてもらいますが、現場も情勢としても目立たず実行する必要があります。一度バレれば我々は窮地に陥ります。本当に、お願いしますよ……」


「ある程度被害にあった街を、勇者がわかりやすく救済してください。『反勇者派』といっても、彼らは魔王による不安を抱えきれないだけの風見鶏です。あなたが分かりやすく希望を見せれば、彼らは必ず靡きます。彼らは俺と同じ弱者ですから」


「風見鶏が多いとはいえ、『反勇者派』は多数派です。彼らを全て殺すとなれば、人族の軍力の低下を意味します。それを数で補いましょう。あなたの元いた世界の『銃』というものは大変都合がいい。とくに女子供も兵とできることが。まあ質が低い分余計に死ぬことになるでしょうが……やめますか? ああ、そうですね。今更やめられませんね。ええ」


「単位もあなたの世界の合理性に揃えたほうが良さそうですね。『勇者派』が過半数を超えた瞬間、マッカード帝から急激な軍備の変革を開始します。今は秘密裏に事を進めてください」


「魔族は徹底的に拷問してください。なるべく奴らの内情を正確に知りたい。『反勇者派』の拷問は、まあ、済んでいますので。これ以上やりたいというならどうぞご自由に、勇者様」


「俺もついていきますよ。ここに閉じこもっていては現状がつかめない。魔族の襲撃に合わせてどのように動くべきか、逐一把握して行動しなければなりませんから。何よりまあ、あなたよりは弱いですが、俺も一応戦えるので。万一バレたときもここにいるよりは逃げやすそうですし」


「姿は変えていきますよ。魔動具で大人の姿にしてね。俺みたいな少年が賢者なんて、よろしくないでしょう。バレたときの保険にもなります」


「幻……とは違いますね。姿変えの魔動具ではないというか。俺が十年もかけて開発した、俺専用の魔動具です。俺の血筋に関係することなのですが……まあ、説明したところでしょうがないですよ」









「ええ、俺は忘れていませんよ。あなたがしてきたことも、俺がしてきた事も」


 ダグムーンは勇者の背中に頭を擦り付ける。

 魔動具の魔石内の魔力が切れたのか、或いはダグムーンが操作を誤ったか。その真実は定かではないが、ダグムーンの姿は美丈夫から少年へ、元の姿へと戻ってしまっていた。


「俺達も、隠密部隊の人達も、もう折れてしまっています。でもあなたが折れないでいてくれるから、俺達を落とさないでいてくれるから、俺達はまだまともでいられる」


 ダグムーンの体は酷く震えていた。


「でもあなたが折れてしまっては、俺達はもう正気ではいられなくなります。だからお願いです。あなただけは、折れないでください。揺るがないでください」


 彼の声はまだ細く、かすれていた。まるで親に叱られる子供のようであった。勇者は振り向くことなく言い切る。


「安心しろ。何度でも言ってやる。私は揺らいでなどいない。私はどんな手を使ってでも魔王を討伐する。そして英雄となる」

「本当に、お願いしますよ……」


 茂みの奥で虫が羽を擦って鳴いていた。冷たく細い音色が、枯れ葉に覆われた地面に染み入る。

 風が吹き、真っ黒な樹々が葉を揺らしてざわめく。夜空の天球で一際強く光る白い星が、儚げに瞬いた。






『勇者様が街を救うと、貴族達は膝をついて感謝しました。「ああ勇者様。あなたこそ我々の希望。我々は愚かなことを考えていました。もう魔族には従いません」』(リーン聖国リーン大聖堂所蔵『勇者伝』より抜粋)


『覆面の魔族とは、大戦初期にあらゆる街を襲い有力貴族を殺した魔族集団の俗称である。最も多くの人を殺した最悪の魔族とも言われているが、その真偽は定かではない』(マッカード帝国所蔵『帝国史概論』より一部抜粋)


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