闇魔法使いの閑話

 顔がほんのりと暖かい。小鳥のさえずりが、遠くの方から聞こえる。そうか、もう日が昇ったのか。


 異世界召喚の失敗から5日、期限を過ぎた私の体は一気に老け込み、もう目も見えなくなった。もう体を動かすのもまともに出来ず、昨日から何も食べていない。

 これが孤独死と言うものだろうか。もう明日には、この体は餓死してしまうだろう。自分の体にかかっている布団すら、今は重くて苦しくてしょうがない。

 せめて、弟子か助手の一人くらいは作っておけばよかったと、今更ながらに思う。作れたら、の話だが。


 ああ、今でも考えてしまうのだ。あの異世界人が、ここにいてくれたらと。

 彼に私の全ての知識、経験を教え、同じ志をもって、わずかな余生を過ごす。そんな穏やかな生活を、少しでも夢見た自分が情けない。

 そうだ、異世界召喚は失敗してしまったのだ。もうどうしようもない。そんな仮定の夢を思うと、今がより惨めに思えてくるから、もう何も考えない方がいい。


 もう、これで終わりなのか、私の人生は。


 人のためとひたすらに研究して、やっとの事で掴んだのに、結局何の役にも立たずに、終わるのか。

 何のために生きていたのだ、私は。ただ人里離れた小屋で、研究をしていただけではないか。

 思えば人生を歩んできたとも言いづらい。私は魔法学校を途中でやめてから、ずっと研究をしていた。

 家族とのふれあいなどない。友達とのお茶会などない。近所付き合いなど一つもしたことがない。

 夫など、彼氏などいたことはない。それどころか、恋の相手すら一人もいない。

 思い人と手をつないだこともない。女としての喜びなどかけらも知らない。子供も当然いなかった。

 家族と過ごすこともなかった。育った子を見守ることもなかった。

 私は生きていたと言えるのか?

 他人を救うなんて、大きな目標を掲げて、結局私が生きていないじゃないか。


 空腹とのどの渇きが、消化器官と全身を締め付ける。

 どう思ってもこの人生は終わりだった。

 あの異世界召喚さえしなければ、後一月生きていけたかもしれない。その間に、仲のいい男か、気の知れた女など作れば良かった。

 まあ、ずいぶんと人から離れ、魔女と言って嫌われた私がそんなことできようはずもないが。


 もっと闇魔法が、嫌われていなければ。

 仲のよい研究員と、楽しく研究出来たかもしれない。

 だが、嫌われているからこそ、私は研究したのだ。


 なんだ、結局、私の人生は空っぽじゃないか。

 こんな価値の無い人生など、もう放っておいて、来世に期待しようか。

 さっさと死んでしまえばいい。こんなババア。














「…………生きたい……」
























「お、まだギリギリ生きていたな」


 …………もう死んでしまったのだろうか。

 これは夢か?

 こんな小屋を訪ねてくる人間など、それも男など、私は知らない。

 扉をきしませて入ってきたのは、男の声であった。目は見えないから、その姿は分からない。


「いや、生きてるのか? 本当にギリギリだな……あの人め……、っと、まあいいか。おい、まだ耳は聞こえているか?」

「……ええ……あなたは誰?」


 絞り出すような声を出して返事をする。


「俺はある人から教えられてここに来たんだが、シーナさん、だったか? 何も成し遂げられずに人生を閉じる感想はどうだ?」

「意地悪なのね……あなた。これから死ぬ人間を虐めたいの?」

「いいや、そんなつもりはない。とにかくあんたの意志を知りたいんだ。人生に思い残すことはないか?」


 人生に未練? あるに決まっているじゃない。むしろ未練で人生が出来ているようなものだわ。


「質問を簡単にしよう。君はこのまま死にたいか? それともすがりついてでも生きたいか?」

「どういう意味……? それじゃあまるで……」

「生きさせる方法を俺が持ってるって? 当たり前さ。だからここまで来たんだ。」


 だが、と男は続ける。


「君を長生きさせるには、いくつか条件がある。」

「……条件?」

「そうだ。さすがにタダでは治さない。まず、条件の一つ目だ。確かめるために一応聞いておこう。」




「君は処女か?」


 な、なにその質問……


「……それ、私みたいな、おばあちゃんにするセリフじゃないわよ……、情けないことに、その通りだけど。」

「じゃあ二つ目だ。君は助かった場合、一切の人間の尊厳を捨て、俺に従属することになる。」

「従属?」

「より簡潔に言ってしまえば、君は俺の奴隷になる。人として生きることは許されない。もちろん、君の人生における未練がかなわない可能性もある。」


 奴隷、ね。それに処女か?って質問。何となく察しはつくわ。


「……あなた、私を性奴隷にでもするつもり? 私みたいなおばあちゃんを抱いても楽しいことなんてないでしょ?」

「いや、助けた場合、君は若返る。そして半永久的な若さを手に入れるだろう。」

「それってつまり、……半永久的に抱かれ続けるってこと?」

「どう解釈しても構わない。」


 なるほどね。つまり、今すぐ死んで地獄に落ちるか、生き地獄にあうかってこと。


「なんで私を助けるの? ……性奴隷にしたいだけ? 私、そんなに美人じゃないと思うけど……」

「いや十分美人だが……まあそれはいい。俺は君にお礼をしたいのさ。」

「お礼?」

「なに、君の闇魔法で、助けられた人間もいるってことさ。」


 男は一息ついて、真剣な声で言った。


「あまり時間もないだろう。決めてくれ。君は何を選択する?」


 今すぐ死ぬか、生きながら女の尊厳を奪われ生きるか……

 正直怖い部分もある。なにより、何故私がこの男の話を素直に聞いているのかが分からない。お礼をされるあてもないし。

 目の前の男の容姿も分からない。命の恩人だとしても、正直脂汗が浮く肥満の中年に犯されたいとは思わない。


 けど…………


「……生かして、私を。私に何をしたっていいわ。」

「くくくっ……ここまで失敗して、自分の未練さえ叶わないと分かっているのに、生に執着するか。……いい心構えだ。」


 男は愉快そうに笑う。


「当たり前よ。……死んだら何もかも終わりだけど、生きている限りチャンスはあるわ。何をしたって、この世界に闇魔法を広めてみせる。……例えあなたのような、悪魔に魂を売ってもね。」

「……悪魔ってのは酷くないか?」

「こんなボロボロの人間を生きさせるなんて、人間の所行じゃないわ。」

「悪魔よりか、神とか、天使に近い存在なんだが……」


 男はため息混じりにつぶやいた後、動き始めた。


「んじゃ、さっさと終わらすぞ。俺の隣人・・となれ、シーナ。」


 男の吐息が近づき、わずかに彼の体温を感じた。

 姿なんて見たこともないし、会って数分だが、なんとなく私はその感覚に安心感を持った。




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