ペンギン

蛙が鳴いている

ペンギン

 はじめてペンギンを生で見たのは幼稚園児の頃で、家族で動物園へ行った時だったと思う。もしかするともっと前かもしれないが、物心がつく前のことだからわからない。

 とにかく僕は初めてペンギンを見たときに、くさいな、と強く感じたことを覚えている。

 その愛くるしい見た目と歩き方や、ひとたび泳ぐと弾丸のように水を進むかっこよさよりも、ペンギンってくさいな、と思ったのだ。

 生で見る前にテレビや図鑑などで見ていたときは、すごく可愛いと思っていたし、たしか飼ってみたいなんて憧れていたこともあったと思う。


 ペンギンを見ながら、そんなことを思い出していた。平日の動物園は空いていた。休日に多く見かけるような小学生の家族連れやカップルなどあまりおらず、未就学児とその家族がちらほらといるくらいだった。

 ペンギンの種類はフンボルトペンギン。それぞれに「はな」とか「しずく」とか名前がついているとのことだが、誰がどの子か判別はできない。展示スペースには四羽のペンギンがいるが、誰も泳ぐことなく、全員が陸に上がっている。一羽が飛び込もうとプールサイドで前傾姿勢になっているのだが、水面を見ては辺りを見回しての繰り返しで、泳いでいる姿を全然見せてくれない。


「ほら、ペンギンさんもうすぐお水の中にはいるよ」

 僕の隣におばあさんがやってきてそう言った。小さい女の子と手をつないでいる。女の子のほうを向いて「ペンギンさんかわいいねえ」と言ったが、女の子は無表情のままペンギンを見ていた。

 一人で動物園へ行こうと思ったのは何となくで、単に大学へ行く気がせず、だけど家にいたらサボったことが親にばれて色々と言われるので、とりあえず家は出たが夕方までどこかで時間をつぶさなければならなかったのだ。

 もしかすると「失恋をした自分」という映画とかドラマの主人公みたいなシチュエーションの自分に浸りたかったのかもしれない。

 この動物園には彼女と二人で何度も来た。最寄駅がお互いの定期圏内だったし、入園料も五百円なので、あまりお金を使うことなく楽しめるからだ。

 プールの近くで前傾姿勢になっていたペンギンが飛び込むことはなかった。水面を見ては辺りを見回すことを何度も繰り返していたが、結局水面に背を向けて歩いて行ってしまった。

「行っちゃったあ」とおばあさんが言った。

 僕もペンギンに背を向けて歩き出した。


 彼女は可愛い動物が好きだった。もちろんペンギンも好きだった。だからこの動物園へ来るとペンギンの前で立ち止まる時間は長かった。プールへ飛び込むのかどうか、思わせぶりな態度をとるペンギンも彼女の目にはとてもかわいらしく映るのだと思う。

 可愛い動物を見るために、動物園の他には水族館にはもちろん、猫カフェやウサギカフェにも行った。ショッピングモールへ行ったときはペットショップへ必ず寄った。将来は猫も犬も飼いたいと彼女は言っていた。

 ペンギンを見て笑顔になっている彼女に、僕は毎回「ペンギンはくせえ」と言っていた。そう言うと彼女は毎回僕をにらんだ。ちょっと意地悪をしたいという気持ちだった。


 ペンギンから少し歩いたところにはサイがいて、歩いていた。しっかりと地面を踏みしめて、展示スペースの中を反時計回りに歩いていた。僕は足を止めてサイを見た。頭を下げて、何か食べ物を探しているのかなと想像した。顔にあるツノは毛でできていることを知識として知っていたが、全然毛には見えない。顔には皺がたくさんあって、見れば見るほどやさしそうな目をしていた。だけどこれは見た目から僕が勝手にイメージしただけだし、実際はすごく凶暴なんだと思う。

 サイは象に似ているような気がしたし、なんとなく恐竜みたいだなと思った。戦車みたいでかっこよかった。かっこよさに見とれていた。


 そういえば、と思った。

 サイをこんなにまじまじと見たのは初めてかもしれない。

 彼女が好きな動物でない限り、展示されていてもその前で足を止めることは少ない。残念ながらサイはいわゆる可愛い動物には含まれていない。カバやシマウマなどもそうだ。生まれたばかりの赤ちゃんなどがいない限り、彼女は彼らの前を素通りする。せいぜいキリンを少し見るくらいだった。

 時々立ち止まりつつも、サイはひたすら反時計回りに歩いていた。奥に優しさを感じたその目をもう一度確認して、僕は歩き出した。


 彼女とは別の大学に入った。それでも大丈夫だろうという気持ちもあったし、もちろん不安もあった。そして案の定だった。別に好きな人が出来たと言われた。それを聞いて僕は、よりによってこんなときに、と思った。

 大学は自分から動かない人間には厳しいところで、高校まではいつの間にか出来ていた友達も、大学では驚くほどに出来なかった。

 朝から夕方まで同じメンバーで一緒に授業を受けるなんてことはないし、ましてや班や係や委員会などといった自然と友達が出来るようなシステムもない。部活やサークルがあるとはいえ、そこへ一人で飛び込む勇気は僕はなかった。

 一方、彼女はしっかりと友達を作って、入りたいサークルも決めたようだった。大学生活の順調なスタートを切ったのだ。そして大学で知り合った人のことを好きになったらしい。


 大学生は自由な時間が沢山あって、人生でも一番の楽しい時期と誰かが言っていたはずなのになあ、と毎日思っていた。自分から友達を作りに行かなければいけないのだと気づいたときには、既に仲の良いグループみたいなのが形成されていて、今さらそういう連中に話しかけに行くのは変な気がしたし、そもそもそんな勇気は持ち合わせていない。毎日昼食は一人。だからこそ、彼女から別れを切り出されたときに、よりによってこんなとき、と思った。


 ふれあい広場の前に来た。ふれあい広場はほその名の通り動物と触れ合えるスペースで、ウサギ、モルモット、ヒヨコなどを抱っこすることができる。ヤギやニワトリなども歩き回っていてエサをあげることもできる。奥から子供のはしゃいでいる声がして、めえええ、とヤギの鳴き声が聞こえた。

 彼女はここが好きだった。動物園の中で一番テンションの上がる場所だった。ふれあい広場の入り口の前に来ると、一人で走って行ってしまう。小動物のもとへ駆けていく後姿はとても愛くるしかった。

 ふれあい広場の入り口の前に立ってみると、彼女の後姿が見えるようで、目頭がじんわりと熱くなった。こんなところで涙は流すまいと少し目頭に力を入れるように目を閉じた。

 ウサギを膝に乗せて笑顔になっている彼女を見ているのは幸せだったし、モルモットに指を噛まれたときやヤギに洋服の裾を食べられて悲鳴を上げたときだって可愛かったし、ヤギは目が怖いから嫌だという意見で一致したときは嬉しかった。

 目を閉じたまま、ゆっくりと深呼吸をする。いくらか涙は引っ込んだ。目を開けて、深呼吸を続けながら歩き出す。もう動物園から出ようと思った。


 彼女からすると、彼氏から連絡が来たかと思えば愚痴ばっかりで、大学がつまんないだとか、高校に戻りたいといった話しかしないのだから、そんなのをしょっちゅう聞かされていたら別れたくもなるよな、と思った。もっと楽しい話が出来ていれば少しは変わっていたのかもな、なんて思った。毎日色々な公開が頭に溢れてきて、こんなにも彼女のことが好きだったのかと自分でも驚いた。よく何かで言われる、失ってはじめてわかる当たり前の大切さ、みたいなやつなのだろう。


 愚痴ばっかり聞かせるのはやめればよかった。しっかりと好きな気持ちを伝えればよかった。プレゼントだってもっとちゃんとしたものをあげればよかった。もっと勉強して彼女と同じ大学へ行けばよかった。ペンギンを見るときだってくさいなんて言わずに一緒になってはしゃいでいたらよかった。

 後悔が頭から溢れてくる。大きなことから小さなことまで、頭の中が後悔で満たされていく。考えたところで無駄なことはわかっている。やめようといくら蓋をしようとしても次々に溢れ出てくる。

 時間が経てば、少しはマシになるのだろうか。一週間くらい経ったら、少しは落ち着いているのだろうか。


 次から次へと自動的に溢れ出てくる後悔から少し離れたところで、いつかこれが笑い話にできればいいな、と考えていた。飲み会とかそういったところで、昔彼女にフラれたときに、思い出の動物園に一人で行って泣いたんですよーなんて話が出来ればいいな、なんてことを少し思っていた。大ウケはしなくても、少しくらいは笑ってもらえればいいなと思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ペンギン 蛙が鳴いている @sapo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ