第1章 出会い
ゴールデンウィークに入り2日目の事だった。
その子に出会ったのは……。
心地よい風が吹く晴れた昼下がりに、私たちは近くのホームセンターに来ていた。
連休中の日曜日ということもあって、周りにはたくさんの人であふれかえってる。
今年のゴールデンウィークは休みが前半後半に分かれ、その間にある平日2日間が超大型連休の邪魔しているのだが、私は1月から4月初めまで、たっぷりと仕事漬けにされたおかげで、平日を含めた9日間が休みという、まさにみんなが羨むようなゴールデンウィークを手に入れていた。――といっても、それが決まったのは、つい2日前のこと。それじゃ遠出するような旅行も出来ないよ、と思いつつ、何をしようか悩んでいた。
せめて1週間前に教えてほしかったんだが――愚痴を言っても仕方ないか。
結局、私は近所のホームセンターやショッピングモールで買いものをするという、普段の休日と変わらない時間を過ごしていた。
今日ホームセンターに来たのは、我が家で飼っている金魚の草を仕入れるためだ。だが、買い物が大好きな妻の
テレビや雑誌で良く聞くが、女性というのはどうしてこうも買い物が好きなのだろう。このホームセンターに来て以来、目的地まで一直線に向かったことなんて1度もないんじゃないか。そんな事を思いつつ、大きなカートをガラゴロ転がして今日も絵里の後をついていく。
――まぁ、彼女の気晴らしになるなら、それもかまわないか。
シャンプーやら柔軟剤やらを一通り物色し終わった絵里は、やっとのことで金魚コーナーに向かい始めた。
金魚コーナーにつくと目的の草をカートに入れ、水槽にいる金魚たちを少し覗いたらそそくさと小動物コーナーに足を向けてしまった。
ここでの時間は速いんだな! とツッコミを入れたくなったが、彼女の機嫌が180度変わると困るので、そこは黙っておこう。
小動物コーナーは金魚コーナーの隣にあり、ハムスターやフェレット、小鳥などお馴染の動物からプレイリードックやハリネズミ、爬虫類まで、種類が豊富にいる。
通路から見て左手に小動物達、右手には仕切られた小部屋があり、その中に小鳥コーナーがある。そこにはインコや文鳥、そして、同じ場所に小さいヘビやトカゲなどの爬虫類もいた。
私たちは初め、小鳥コーナーでインコや文鳥の雛を見ていた。
かわいいね、なんて言いながら、小鳥たちを眺めた後、爬虫類系はあえてスルーして通路を挟んだ向いのウサギのいるケージに目をやった。
そして……その子は、そこにいた。
テーブル台に置かれたウサギ用のケージが上下にあり、上には少し育ったかなという感じの大きめの黒いネザーランドドワーフが、下には手のひらに乗るのではないか、と思えるくらいの白くて小さなロップイヤーの子が、黒いつぶらな瞳で1点を見つめながら、もぐもぐ草を食べている。そして何といっても、左耳が垂れていて、もう一方の右耳が立っている、というアンバランスさが、とても特徴的だった。
その小さな白い子を見た瞬間、絵里はボソっと呟いた。
「どうしよう……かわいすぎる……」
まぁどうせ、いつものことだろうと思って、私は軽い相槌をするくらいだった。
だが、今日の彼女はいつもと違っていた。
中腰で、じーっと見つめたまま、しばらく動かず、ケージにもたれかかっているお尻に指先で触れてみたり、声をかけたり。そして、またボソッと一言。
「この子……連れて帰っちゃだめかな……?」
ん? 今なんて言った?
私はその一言に耳を疑った。
それはそうだろう。いつもは私が、ウサギかわいいね。連れて帰っちゃだめかな? などと言っているのだ。その度に、あれやこれやと理由をつけて何とか説得しようとするのだが、彼女の鉄壁な防御は、絶対に破れることはなかった。
グレートウォール。越えられぬ壁。そして、反撃を許さず、有無をも言わせず一瞬で轟沈させるほどの恐るべき敵。そんな絵里から、まさかの一言。
……これは……チャーンス!
そんな言葉が頭をよぎった。
今まで幾度となく轟沈させられた私だが、ここに来て、まさにチャンス到来!
動物が大好きな私にとって、家族が増えるのは大歓迎。
断る理由なんてこれっぽっちもない。いつでもウェルカム!
まさに、これは一大プロジェクト。今回ばかりは負けるわけにいかない。
そんな底知れぬ使命感が湧き上がってきた。
――っと、この高揚感をそのまま言葉に出したら、逆に彼女が冷静になってしまう。ここは、冷静に。
「ま、まぁ……、いいんじゃないかな……」
「うーん……」
ん? 彼女の反応がイマイチだ。
もしかして、気づかれたか? いや、そんなはずはない。
あくまで平常心で言ったはずだ。
「
なるほど。息子の事も考えていたわけか。
「あいつなら喜ぶと思うよ。今年は受験なんだし、毎日勉強して疲れても、この子がいれば少しは癒しになるでしょ」
「……うん……そうだよね」
その言葉に絵里も納得した感じだった。
ナイス、俺。良い事言った。自分を褒めてやりたい。
このまま、うまく説得すれば……これは、いけるかもしれない!
そんな私の浅知恵にも気付かず、彼女はまだ、息子の事が気になって悩んでいる。
ならば、ここは一気に畳み掛けよう。
「まぁ、心配なら、慎吾に確認してみたら?」
「そうだね……。うん、ちょっと連絡してみる」
そう言って手に持っていたカバンの中から携帯を探し始めた。
よし、いい流れだ。
慎吾は今年、高校受験を控えている私たちの一人息子で、今は家で留守番をしている。私と同じ動物好きで、来るもの拒まずと言った感じだ。一緒に来るか? と誘ってはみたものの、最近は部活が忙しいらしく、一緒に行動することが少なくなってきている。まぁ、もう中3だからな。
「あ……」
絵里がカバンを覗き込みながら一言。
「携帯忘れた……」
こんな時にか! いつも忘れないあなたが、こんな時にか!
張り巡らされた全機能が停止――っと、ここで止まっていたら、一大プロジェクトが終わってしまう。すかさず、私はズボンのポケットからガラケーを取り出し、彼女に差し出した。
「あ、でも、電話じゃこの子の可愛さ伝わらないかなぁ」
なんと、そんなフェイントを使ってくるか……しかも、さりげなく……やはり手強い。だが今の私に、そんな手は通用しない。連戦連敗で培ったこの手腕を見よ。
すぐさまガラケーを持っていた手を、素早くタブレットに持ち返した私は、そそくさとSNSアプリを開いて彼女に手渡した。スピードが命。迷わす時間を与えてはいけない。ここでしくじる訳にはいかないのだよ。
カシャ。
絵里はSNS機能のカメラで白い小さな子を撮影するとすぐに慎吾に送った。
「気づくかなぁ」
「どうだろうな。部屋で勉強していれば、気づかないかも」
我が家では、居間でしかスマホを触らせないという慎吾専用のルールがある。ずいぶんと前に、部屋でスマホの使用を許した時、1日中ゲームに明け暮れていたことがあった。その時から、部屋でのスマホは禁止にしている。
居間と慎吾の部屋は少し離れているため、彼が自分の部屋にいるときは、スマホの着信音はもちろん、インターホンなどもほとんど聞こえていないのだ。少し経っても先ほど送ったSNSの既読マークがつかない。
「やっぱり気づかないのかなぁ」
「まぁ、もう少し待ってみたら? もしかしたらトイレに入っているかもしれないし」
「うーん……あ、ちょっと携帯貸して」
そう言うと、私からガラケーを取り上げ、家に電話し始めた。
「……あ……、もしもし、慎吾? ……今スマホ見れる? ……うん……そう……画像送ったんだけど……うん…………どう? …………」
電話でのやり取りを横目に私は小動物コーナーの端っこに積まれたケージを見ていた。あの小さな子を迎えるにあたって、どのケージがいいのか。寝床や他のアイテムなど、何を揃えればいいのか、そんなことを考えていた……そう、もはやこれは勝利宣言である。ここまでくれば、ほぼ勝ったも同然。私は端っこのケージと並んである棚の影でグッと小さくガッツポーズを取っていた。
しばらくすると絵里が近づいて、携帯を渡してきた。
「慎吾が話したいって」
携帯からは息子の声が聞こえた。あらかた話はついているようだ。
「どうした?」
「あ、父さん? ウサギなんだけど……いいの……?」
「お前も一緒に面倒みれば、いいじゃないかな?」
「うん…………。じゃあ……欲しいな……」
「わかった。ちゃんと面倒みるんだぞ」
そう言って、携帯を切った。
そして、数秒の沈黙……勝利の余韻……
――やった。初めて勝った。これが勝利ってやつだ!でも、まだ終わっていない。あの子の代金を払うまでは。勝利の余韻を残しながら、うれしさを隠して、まだ平常心でいなくては。
「よし。じゃ、店員さんに言って購入手続きしないとね」
そう言うと、店員を探し始めた。
たまたま近くにいた店員に絵里が声をかけ話をすると、ウサギを触ってみますかと言ってきた。いいんですか? と少し驚いていたが、ケージから出されたその小さな子は彼女の手の中にすっぽり収まっていた。絵里の顔はすでに夢心地のようだ。もう骨抜き状態に近い。あんなに小さくて、白くて、モコモコしている子、私も迂闊に触ると骨抜きになってしまう。今は我慢。この一大プロジェクトが終わるまでは……。
絵里は名残惜しみながら、その子を店員に渡すと、いろいろ聞き始めた。考えてみれば、ウサギなんて我が家で飼った事がないため、何を揃えればいいか全く分かっていない。店員は餌はこれを今食べていますとか、ケージはこんなのが良いとか、いろいろ親切丁寧に教えてくれている。でも、ちょっと待てよ? 今ここで、この場所で全部買わなくてもいいのではないか? フッと私はそう思った。今やインターネットで取り寄せも出来る時代。いろいろなお店でいろんな商品を比較できる。ならば、このケージとかもいろんな種類があるのではないか? 先ほど手に戻ってきたタブレットで検索してみる。
――やっぱりそうだ。
いつも金魚の用品でお世話になっているサイトで調べたら、いろいろなケージがあった。それなら、今ここで買わなくても、一度家に帰ってじっくり調べてからでもいい。何よりも、まずどんな用品があって、あの子にとって何が一番いいのか、それを調べたかった。そこで、絵里にケージや寝床などの用品は良く調べてから買っても良いのではと勧めてみる。彼女もそこは同じ考えだったようで、とりあえず今日は、その子だけ予約してもらうことにした。
だが……、ここで最後のトラップが潜んでいた。
予約、一見購入した気分になるが、ただ単に取り置きをしてもらっているだけ。ということは、家に帰り、良く考えたら、やっぱり……なんてことにもなりかねない。
――危ない。そして、恐るべし予約トラップ。
ならば、ここで代金を支払ってしまえば! そうすれば、もはや完全勝利は我が手に! この考えに辿りついた時間は、わずか数秒――いつもと違う、この思考の速さ。いける、今日の私は冴えている。いつもにも増して冴えている! やれる。やれるぞ。ここでやらねば末代までの恥。いまこそ立ち上がるのだぁ!完全勝利を目前に訳の分からない事を考えて、イッちゃってる――もとい、最高潮の思考の中、最後の仕上げをするべく、さりげなく言葉の魔法をかけていく。
「代金どうする? 後で支払うのもなんか面倒だから、今ここで支払ってもいいんじゃない? ケージとか全部揃えて、あとは迎えに来るだけにすれば俺も楽なんだけどなぁ」
「そうねぇ。どっちでもいいけど……。じゃぁ、先に払っちゃおうか」
ピコーン! ヨシキタコレ!
今日はいつもと違う。神様ありがとう。今まで頑張って轟沈してきた甲斐がありました。
「でも、不思議ねぇ。いつもならこんな気持ちにならないのに。あの子見たらどうしても他の人に渡したくないって思っちゃって……」
支払いをしている最中、絵里はそんなことを言ってきた。
「まぁ、それはきっと、あの子の魅力が絵里にとって、ど真ん中だったからだよ」
「そうかぁ……そうだね」
絵里はにっこり笑った。
確かに言われてみれば、ちょっと不思議かもしれない。けど、それはそれ。もうすぐ新しい家族が増えるのだから、喜ばしい事ではないか。
そして……。
家路についた私と絵里は早速、インターネットでケージや寝床などいろいろ調べていた。二人で画面をにらめっこして、これはどう? とか、こんなのがいいんじゃない? とかワイワイやっていた。夕飯の支度も忘れて……。慎吾はというと、私たちが帰ってきた時、片手しか持っていないビニール袋を見て、あれ? と思ったようだが、事の始終を大まかに説明するとそうなんだ、と言う感じで自分の部屋に戻っていった。うーん、この中じゃ今あいつが一番冷静なのかもしれない……。まぁ、実際に見ないと実感湧かないもんな。慎吾よ、あの子を侮るなよ。一瞬で骨抜きになっちゃうんだからな。マジで。
カチ……、カチカチ……よしっと……。
最終的に、二人で決めたウサギ用具の購入手続きして、パソコンを落とした。
2日後に届く……。
待ち遠しい。
そんな想いの中、夜は更けていった。
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