第14話 女狐の妄執

 週末――。

 貴文はこのリーグ最終戦で、『龍起杯』予選が始まるまでできる限りのことをするつもりだった。この試合が終われば、後は『龍起杯』予選と入れ替え戦という、テストができるような試合はない。今日はリーグ2位どころか1位が確定している振興大学が使える、最後の実戦テストの場だった。

 ただそのテスト内容というのが……。


「うーん、ザバルの試合を観ているという気が……」

「俺もそう思う」

 珍しく揃ってベンチいる春樹と秋雄の兄弟が、試合を何とも言えない顔で見ていた。

「でもまあよく頑張ってるんじゃないか」

 同じくスタベンの陽介が、現在『ワールド』で走り回っているライバル『スターリー』を弁護する。

 この三人がベンチにいるということはつまり残りの選手達がスタメンだった。

 7人のうち3人が女性というのは、ザバルにおいてもかなり珍しい。たいていは多くても2人だ。

 今日は俗に言う『演劇チーム』だ。

 真剣勝負で使う気はないが、現在芸術面でどれほどの力があるのか決戦の前に知っておきたかった。

「しかし、結構人が集まってるのにすごいね」

 聡美のプレーと、『ワールド』周囲のカメラマンの数を見て、秋雄が思わず呟く。

 ザバルというよりは何かの演劇のように聡美は『ワールド』狭しと踊り回り、シャッターも矢継ぎ早に光る。それでも聡美の顔に照れや気負いは全く見られない。いつものように、自分基準の優雅さで『スターリー』を

「お前らも上から目線じゃなく、勉強するつもりで見とけ。とくに小野」

「俺っすか?」

「お前完全に『芸術点』投げ捨ててるだろ。どんなポジションでも常に『芸術点』は狙っておくもんなんだよ」

「でもちょっと恥ずかしいし……」

「あほ、それが二流の証拠だ。少なくとも俺の目から見れば精神的に丸山が一番一流に近い」

『・・・・・・』

 自分がベンチで何を言われているのかも知らずに、聡美は『ワールド』で渾身の笑顔を振りまく。表情も『芸術点』に影響するので、辛い顔は見せられない。

「……しかもあいつ、『実得点』もそれなりに取ってますよね」

「ああ。男女の体格差はどうしようもないが、それでもこのレベルなら丸山でも点が取れる。お前らは『芸術点』をあまり考えてないが、アイツは『実得点』もちゃんと頭の中に入ってるんだよ。本当にアレで性格がアレじゃなければなあ……」

 貴文はその他大勢に負担がかかりすぎる、彼女の強引すぎるプレーが残念でしようがなかった。

 とはいえ、今日はその他大勢も、しっかりと彼女のカバーを務めている。

「この布陣だと丸山がモーターで他の選手は歯車、チームは機械だな。勝利という目的を達成する機械にするために、歯車の連中はしっかりその務めを果たそうとしている。そういう戦い方もあることを知っておけ」

 今回は『マネ』でなく『サポ』として入った沙織も、自分本位なプレーはせず、しっかりと聡美のフォローに回っていた。その沙織と、『実得点』を阻止しようとする他のプレーヤーの繋ぎを、今日は『コンダクター』として入った隆が賢明に務めていた。

「何も丸山みたいにとにかく全力で目立とうというのだけが、最善のプレーというわけじゃない。近藤や三上のように自分を殺して、全力でチームのために働くプレーもまた最善と言える。とにかく今持っている力と頭脳を限界まで使い、これ以上はできないようなプレーをするってことが重要なんだよ」

『・・・・・・』

 この言葉には春樹と陽介が堪えた。

 春樹同様、陽介もまた『芸術点』は考えていない。男『スターリー』はとにかく『ワールド』を切り裂き、『実得点』を挙げるのが全てと考えていた。むしろそれ以外は邪魔とさえ思っていた。

 しかし、それは思考の放棄に過ぎない。むしろ恥ずべきプレーだ。聡美のように表面上は滑稽に見えても、もてる全てを使う方がよほど男らしく格好が良い。

 そんな貴文の思いが、部員達にも少しは伝わったのだろうか。

「……それはそれとして丸山も久しぶりのスタメンだから飛ばしすぎだな。女は男と比べて体力が劣ることを、相変わらず全く考慮しやがらねえ。本宮、準備しておけ」

「了解です」

「俺じゃないんですか?」

 ビブスを脱いで自主的に交代準備をしていた陽介が、不思議そうに聞いた。いつもなら『スターリー』の聡美と交代するのは同じ『スターリー』の陽介だ。立場が逆のときはいつもそうだった。

「お前らはまだ『芸術点』を理解してない。これからベンチに戻って来た丸山の説教を試合が終わるまで良く聞いておけ」

『うげ……』

 春樹と陽介が揃ってうんざりしたような顔をする。

 そして後半が始まってからしばらくし、貴文は宣言通り秋雄と聡美を代えた。

「おつかれさま。こいつらが美について聞きたいって」

「何ですって! それは良い心がけですわ!」

 聡美の目がキラリと、本当に光った気がした。

 そして試合が終わるまで、聡美の美についての講義は続いた。擬音と訳の分からない比喩を使っている聡美の講義は、難解を通り越しもはや同じ日本語には思えず、試合が終わった頃には試合に出た選手以上に疲れ切った二人がベンチに座っていた……。


 『実得点』では負けたものの、『芸術点』で大きく引き離し、リーグ最終戦を勝利で飾った振興大学ザバル部。

 これからの試合は自分達だけでなく、相手の大学についても更に詳しく調べなければならない。今まではスカウティングは広子に任せていたが、5回戦ともなると貴文も協力して調査する必要があった。

 そして『龍起杯』5回戦で当たる格上の大学について調べていたのだが……。


「皆に言わなければならないことがある」

 全ての練習が終わったその日の夜。

 貴文は部員達を部室に集め、厳かな様子で言い始めた。

「次は組み合わせの関係上3部の大学と当たることになっていたが……」

『・・・・・・』

 部員達は次に貴文が何を言うのか予想できず、ゴクリを唾を飲んだ。

「……不戦勝になった」

『・・・・・・は?』

 広子以外の部員全員が唖然とする。

 貴文にはその気持ちが手に取るように分かった。その話を相手大学から聞いた貴文も、同じ気持ちだったのだから。

「いや、俺が偵察に言ったらそこの大学の監督と会ってな。一緒にお茶でもどうですかと?と勧められたんで、大石と一緒に話をすることにしたんだ。で、監督曰く前のリーグ戦で3位以下が確定して残留争いもあるから、今年の『龍起杯』は諦めるそうだ」

「……そういうケースがあることは知ってますが、そういう場合今後の経験のために2軍以下の選手が出るんじゃないですか?」

「いい質問だな三上。本来ならそうだが、その監督の話によると怪我人続出で、30人いる登録選手の中で使えるのは半分だけの上、レギュラー以外はかなり力が劣る選手らしい。おそらく試合に出場しても経験どころか恥をかくだけで、選手のためにも学校のためにもならない、と。つまり面目を取ったわけだ」

「向こうも大変ですね」

「ああ、だが明日は我が身だぞ。うちは向こうより人が少ないんだからな。だからお前ら本当に怪我だけはするなよ!」

『はい!』

「試合当日は次の試合であたる大学の試合を全員で見に行く。そこを心がけていくよう。それでは今日は解散」

 基本的に貴文のミーティングは長々と話さない。練習に関することは忘れないように練習中に話すし、無駄話や思いついたような説教もない。必要な事だけ話して終わりだ。

 解散後、貴文は広子にだけ残るよう言った。

「とりあえず次の試合で当たる大学の情報が観戦前にある程度ほしいんだが。試合を観るにしても情報がないのとあるのとじゃ大きく違うしな」

 未だに大学ザバル界の情報に関しては、貴文も広子には遠く及ばない。頼まれもしないのに趣味でデータベースを作り、有力選手はデッサンまでしている広子のザバル熱は尋常ではない。この点に関しては、貴文も一生弘子に適いそうになかった。

「そうですね……」

 広子はメモ帳を取り出す。情報の整理にはスマートフォンよりアナログ手帳の方が遙かに使い勝手が良かった。

「次の相手は1部の城方大学と3部の海青大学ですね」

「海青……」

 思わぬところで思わぬ大学が出た。何かしらの因縁を感じずにはいられない。

「大石、海青ってどんな感じなんだ」

「海青は去年部を発足したばかりなんですけど、それから破竹の勢いで3部リーグまで駆け上がりました。スカウトも積極的で、うちみたいに新入生だけじゃなくて、2年生以上の生徒もいます。もっともこれは、2部リーグ所属で廃校した大学のザバル部をそのまま引っ張ってきて、それを母体にしていることが一番の理由でしょうね」

「すごいな。正直強引すぎてちょっとひくが……」

「まあ今年の新入生のスカウトもかなり強引な手を使ったって噂がありますね」

「それで、青海は城方より強いのか?」

「下馬評では圧倒的に城方ですね。何と言っても現在1部リーグで3位ですから、優勝候補筆頭でもあります」

「そうか。それじゃあ……」

 貴文はその後気になる選手やチームの方針など色々尋ね、広子はその度に的確に答えた。質問をしているうちに、「やっぱりこいつがコーチでいいんじゃないか」という思いがより強くなっていく。

 あらかた話を聞き終えると、もう時刻は12時になろうとしていた。寮生の推薦組は完全に就寝時間だが、一般の広子にはそういった枷はない。

「遅くまで付き合ってもらって悪かったな。コーヒーでも奢るか? 時間も時間だから自販機のだが」

「ゴチになります」


 ・・・・・・。


「ほらよ」

「――っと!?」

 不格好な体勢で広子は缶コーヒーをなんとか受け取る。本当に運動神経だけは未だに残念なままだ。

 広子は受け取った缶コーヒーを、迷うことなく一気に飲み干した。

「豪快だな」

「帰ってからまだ調べたいことがあるんで。早目の眠気覚ましですよ」

「悪いな、本当に助かる」

 広子は首を振った。

「好きでやってることですから。私、この部に関わっている今が、生まれてきた中で一番幸せなんです。創部から関わってその成長をずっと見ていられるなんて、普通体験できることじゃありませんし。そりゃ大変ですけど、それ以上にやり甲斐を感じています」

「そっか……」

「それにこれ!」

 広子はカバンの中から本を取り出す。

 本の題名は「今日から君も監督だ! 猿でもなれる指導者への道」……。

「絶対またやらされますからね。念のため買っておきました! でも猿以下の私では実践できる見込みは皆無ですが……」

「お前ならそのうちなれるさ。俺が知ってる女『スターリー』でとんでもない人がいたが、その人だって指導者になれたんだ」

「丸山さんみたいな人だったんですか?」

「アイツとは別の意味でとにかく癖が強い人だったよ」

「ふーん……」

「さあ帰った帰った。深夜の女の子の一人歩きは、あんまりいいもんじゃないからな」

「はい」


 ・・・・・・。


「……ふう」

 広子を見送り、自分の部屋に戻った貴文は一息つく。

 念のため貴文は南千住駅まで広子を送ってから別れた。

 初めは住むことを拒んでいたこの部屋も、慣れれば快適だ。次第に物も増え、生活臭もするようになってきた。もっとも、生活の中心は完全に大学で、増えたものはほぼ全てザバル関係の物だけだったが。

「しかし『龍起杯』か……」

 まさかたった1年――どころか2,3ヶ月でそこに手がかかるとは、夢にも思わなかった。実のところ、あの条件を福原学長から突きつけられたとき、ボーナスはほぼ諦めていた。

 それがあともう少しで……。

「いやまあ、冷静に考えるとボーナスはそこまで重要じゃないんだが……」

 引退後は税金で破産するかと思ったが、家や車を売って今はなんとか人並みの生活が送れるようになっている。現役時代と違ってそこまで金に固執する気もない。……というより、もう金に振り回されたくなかった。

 貴文は何とはなしにザバル雑誌を開く。

 貴文の記事はその雑誌には載っておらず、『龍起杯』予選についても少ししかなかった。ほとんどはプロと日本代表の話である。

「まあ『龍起杯』も予選はこんなもんだよな。俺も余計な気負いはしないようにしないと」

 そう思いながら読んでいるうちにまどろみ、気付けばもう朝になっていた。

 最近そんな生活が続いているなと思いながら、貴文は今日も朝練に向かう。


 そして時は瞬く間に過ぎ、いよいよ城方と海青の試合の日を迎えた……。


 ここからトーナメントは河川敷や公園ではなく専用の競技場になり、客席もしっかり椅子が用意される。それまでの観客は立ち見かビニールシートを敷いて座るかのどちらかだった。本来なら振興大学ザバル部一校も見る側ではなく見られる側だったが、今日は全員が椅子に座って『ワールド』を観客席から見ている。

「いよいよだな」

 一番血の気の多い春樹が『ワールド』を睨む。

 すでに臨戦態勢だ。

 貴文は苦笑した。

「あ、入ってきたみたい」

 未央の言葉で全員が入出場口を見る。『ペットン』ならではの洞察力だ。

 両校の選手が『ワールド』の中心に並び、礼ををする。

 特に珍しい光景でもない。むしろこれがない方がおかしい。

 それにも拘わらず、推薦組の何人かが怪訝そうな顔をしていた。

「お前らどうしたんだ?」

「え、ああ、知ってる人がいたんですけど、なんでいるのかなって……」

 松之助の呟きに、何人かが頷く。

 しかし、貴文には訳が分からない。

「どういう意味だ?」

「え、あ、はい。その、全国大会に出てると色々横のつがなりができて、進路とかも結構情報が入ってくるんですよ。誰々がどこどこのプロチームに行ったり、誰々がどこどこの大学に行ったり、とか。中には直接本人から聞いたケースもあります。で、問題はここからなんですが……」

 松之助は首をかしげながら言った。

「本人から直接別の大学に行くって聞いた先輩が、青海のユニフォーム着てるんです」

「は? 聞き間違いとかじゃないのか?」

「そうじゃないよな本宮」

「そうだね。俺もあの人は青海以外だって聞いたよ。確か明皇だっけ?」

「そうそう明皇」

 沙織も話に加わる。

「てーかどこもインターハイ前には願書の締めきり過ぎてんだから、インターハイの時に行くって言ったらもう確定っしょ」

「でもまあ願書提出後も進路変更の方法が無いわけじゃないよ」

 隆も話に加わった。

「これは僕の友達がしたんだけど、大学受験の滑り止めでスポーツ推薦を抑えておくって方法。あんまり褒められたものじゃないけど……」

「でもさ、明皇だよ? あそこザバル抜きにしても偏差値高いじゃん。そこ蹴ってFランスレスレの青海行くなんて、マジないわ」

「まあそう言われるそうだよね……」

「金でも積んだか」

『・・・・・・』

 冗談で言った言葉に、翔を除いた推薦組の全員が黙り込む。

 一人取り残された翔が不思議そうに聞く。

「あれ、みんなどうしたんだ?」

「いや、他の大学からそういう勧誘されたことがあったから。はっきりとは言われなかったけど」

「いやあ、まさか俺レベルの選手にもそういうこと言われるとは思わなかったよ」

 松之助と秋雄はその時を思いだして微妙な表情をした。

「ていうか見た感じ、ヤクザ以外全員そういう勧誘されたことがあるみたいね。こう言っちゃなんだけど、あたしや未央っちレベルでもそうなんだから、あの人クラスになるといったいいくらの金が動いたのか……。想像できへんわ」

「ザバルのために留学生をことも、もう日常化してるしね。それも高校から。さすがにうちみたいな都立高校ではそんなことなかったけど」

「こうなるとプロもアマもたいして違いはないな。ザバル人気の弊害といったところか」

 貴文は何とも言えない気分になった。

「なんか気になるから試合終わったら聞いてみよ」

「そう言うのは箝口令敷かれてるから無理だろ」

「あの先輩めっちゃ口軽いんで余裕っすよ。プレーは重いんすけどね」

 春樹はケラケラ笑った。

「拙者達一般組には遠い世界でござるなあ」

「あまり近づきたい世界でもないけどな」

 グリーンと陽介はしみじみと言った。

「さあみなさん、無駄話していないで。試合が始まりますわよ!」

 聡美の一言で全員が試合に注目する。こういうわけの分からない説得力は、部では聡美しか持っていない。日本人すぎるその顔で前世がパリの貴族はあり得ないが、庄屋の娘程度ではあったかもしれない。

 

 そして振興大学ザバル部一同が見守る中試合は始まる。


 予想通り、序盤から城方大学有利で進んだ。

 試合中、教え子達の話で同じように進路を変えた有力選手が何人かいることが分かったが、それでもチームの完成度では確実に劣っている。チームプレーを何より重視するザバルは、個人の力だけでできることはかなり早い段階で限界を迎えた。

 ただ、試合を観ているうちに、貴文は違和感を覚えるようになる。

「……また笛か」

 城方大学側による反則の笛が吹かれる。

 貴文が見た限り、笛を吹くような反則でもないように思えた。

 そんな笛が試合が始まってから、10回はあった。その一方で海青大学に対する判定は甘い。『反省文』レベルの反則でなくとも、『HJ』を言い渡されている選手がいてもおかしくはなかった。

「なんというか……サッカーで中東の笛って言葉がありますけど、日本人同士の試合でそれを観ることになるなんて」

「だよなあ」

 広子のぼやきに、貴文は全面的に同意した。

 こんな一方的な笛を吹く審判など、貴文は日本では今まで見たことがなかった。海外にいた頃は希にあり、そのときは審判の自宅に『反省文』用のレポート用紙を1000册ほど送りつけてやった。

「てーか青海って完全にヒールやん」

「審判の買収なんて、そうそうできるもんでもないと思うんだがなあ。というかバレたときのリスクがでかすぎて、普通学生スポーツじゃやろうって気さえおきんぞ。トトカルチョじゃあるまいし」

 貴文は軽蔑するより呆れた。

「あー、城方の人達キレて、審判に抗議してる。さすがにここまでされたら、僕でもそうするかな」

「副審の人も戸惑ってる試合なんて、そうそう見ないね」

 平和主義の隆と未央は、明らかな嫌悪感を見せた。

「あー、ついに『HJ』まで……。まあ絶対そうなると思ってた」

「今まで見た中でも最悪の試合だね」

 それは二人に限った話でもない。

 結局この『HJ』がきっかけとなり、城方大学は一気に崩れ、後は海青大学の一方的な試合になった。それでも『芸術点』においては城方が明らかに勝っていたため、逆転もありえる状況ではあった。

 審判団が採点結果を主審に渡し、『実得点』と共に『芸術点』も発表される。

『ひっく!!』

 その結果に観戦席にいる振興大学関係者全員が声をそろえて言った。

 はっきりと加点と分かる部分以外、すべて無視されていたのだ。これでは表現力をどんなに鍛えても、全く意味がない。

 結果発表と同時に、観客席からブーイングの大合唱が始まった。青海の選手もほとんどが居たたまれない表情だ。誰だってこんな判定では、勝った気などしないだろう。中には城方大学の選手に必死に謝っている選手もいた。

 そんな状況にも拘わらず、青海大学の監督はベンチから平然と現れ、観客席に向かってわざとらしくて手を振る。50ぐらいの、派手なスーツを着た珍しい女性監督だった。

 貴文は良くこんな状況で顔を見せられたなと、目をこらして監督を見る。

 その時、女監督と視線が合った気がした。

 同時に、それが誰か貴文ははっきりと思いだした。

「岡田洋子!?」

「どうしたんですか監督?」

「いや、なんでも……なくはないが、後で話す」

「はあ……」

 いきなり冷や汗をかいた貴文を広子は不思議そうに見ていたが、その場ではそれ以上言わなかった。

「残り試合もあるが、俺達にとっては次が事実上の決勝だ。今日はこのまま帰ってミーティングを行う」

『はい』

 競技場から出る振興大学一校。

 彼らは気付かなかったが、女監督はその背中が見えなくなるまでじっと見ていた……。

 

 電車を乗り継ぎ、振興大学の部室まで戻って来た全員の前で、貴文はあらゆる前置きをすっ飛ばしていった。


「ヤバい!」


『・・・・・・?』

 部員の誰もが頭に疑問符を浮かべる。

 貴文の言葉あまりに説明がなさ過ぎた。

「あのー……」

「ああ、あまりのヤバさに結論から入ってしまった。とにかく相手の監督はとんでもない人間だ。大石、昨日丸山よりもとんでもない女『スターリー』がいるって話したろ」

「はい」

「それがあのオバさんだ。俺が初めてプロ入りしたチームの女『スターリー』で、俺が来て少ししてクビになった人なんだが、とにかくヤバい。ヤバすぎてヤバさが服を着て歩いてるぐらいヤバい」

「監督、本当にどうしようもないほど話が要領を得ないんですけど……」

「ああ、すまん。興奮しすぎた」

 貴文は「ごほん」とわざとらしく咳払いをし、心を落ち着かせる。

「あの人はとにかく勝つためには手段を選ばない人だった。しかも大手IT企業の創始者の一族で、自分が出る試合は毎回審判を買収しようとしていたとか。親の力を使って、チームの方針にも介入しようとしたらしい。まあ俺がいた頃はそこまでの力は無かったが、とにかく黒い噂が多すぎて、俺の加入とは関係なしにチームはクビにするつもりだったほどの人間だ」

 枕営業もしていた、という話は健全な学生達の前なので伏せておく。

「あー、なんかそういう噂の選手が昔いたような……。そういういろんな意味で終わった人は興味0なんでよく知らないですけど」

「しかしとんでねえヤツだな……。さっき例の先輩に聞いたんすけど、やっぱり金積まれたらしいっすよ。本人に1000万で家族に半分ぐらい。他の奴らも同じ感じらしいっす」

「そいつの口の軽さも心配になるレベルだな……。そこまで金を出したとなると、またあの人の親が関係してるのか。大学スポーツで良くそこまでする」

「でもそうなると次の試合色々心配ですね。こういうのって学ザに報告した方がいいんじゃないですか?」

「いや、それは負けた城方大学が既にしてるだろ。ただそれを見越しての買収っぽいから、な……。まさか実際に戦う前から戦いが始まるとは……」

 場外戦に関しては、貴文は完全な素人だ。

 まともに戦って勝てる気がしない。

「まいったよなあ……」

「あの、いいですか」

 隆が手を上げる。皆好き勝手に雑談のようにしゃべっている中で、わざわざ手を上げたと言うことは、それほど重要な話なのだろう。

 貴文は視線で先を促した。

「その、スカウトの際に知ったんですけど、学長って日本ザバル界でかなりの力持ってるらしいですよ。相談したら何かうまくいくんじゃないですか?」

「俺もそのつもりだったが、あのオッサンそんなにすごいのか?」

「なんでも寺井さんと懇意だとか」

「寺井って言うと寺井武人か。すごいな……」

 寺井武人は日本代表としてオリンピックで初めて『実得点』を挙げた、伝説機なザバルプレーヤーである。今は日本ザバル協会の名誉顧問で一線を退いたとはいえ、日本ザバル界に与える影響は計り知れない。貴文も日本代表時代何回か会ったことがあるが、眼力からして尋常の人ではなかった。

「寺井さんなら学ザの会長も無碍にはできないだろうな。分かった、今日の練習後に相談してみよう。あとお前らも試合まで隙を見せるような真似はするなよ。あのおばさんはどんな手を使ってくるかわかったもんじゃない。特に近藤!」

「あたしかい!」

「まあ拙者も近藤殿は一番心配でござるなあ」

「アンタまで言うんかい!」

 グリーンの言葉に他の部員達もうんうんと頷く。沙織は「やってられんわ」と、大げさな関西人らしいポーズをとった。


 チーム状況は悪くない。

 あの学長が集めただけ会って、選手の才能は疑いようもない。

 選手間のコミュニケーションも、入学当時よりははるかに強くなっている。

 彼らを最高の状態で試合に臨ませるのが、今の貴文の何よりの仕事だった。

(そのためにはできることは何でもしておかないとな)

 貴文は強く心に誓った。


 放課後練習後、貴文はさっそく福原学長にアポイントメントを取り、会いに行った。

「海青大学の件だね」

 部屋に入ってそうそう福原学長は言った。全くこの老人に対しては、貴文も一切隠しことができない。

「その通りです。どうにかして向こうの妨害を阻止できないでしょうか?」

「ふむ、確かに岡田君のやり口には私もほとほと困っていた。それでも彼女の会社が学ザに多額の献金をしている以上、声をあげて反論できる者は今の学生ザバル界にはいない。大学もやり口に不満はあるようだが、結果を出している手前何も言えないようだ。だが、次の試合に関しては、手が出せない状況に追い込むことはできる」

「本当ですか!?」

「ああ。だがそのためには君の協力が必要だ。はっきり言っておくが、君にとって嫌な仕事だ」

「私にできることなら。今更恥も外聞も気にしません。俺はもう元日本代表ではなく、大学チームの監督ですから」

「その言や良し!」

 福原学長は貴文にどうすればいいのか伝える。

 学長の言ったとおり、それは貴文にとってあまり気持ちの良い仕事ではなかった。就任当時の貴文であったら、絶対に断っただろう。

 だが貴文はそれを全て受け入れた。

 教え子達が変わったように、貴文も既に以前の貴文ではなかった……。


 翌日の早朝練習。

 各々で柔軟をしている教え子達を前に、貴文はさっそく昨日福原学長から提案されたことを伝えた。

「近々、というかおそらく入れ替え戦の前日ぐらいに、テレビの取材を受けることになった」

『・・・・・・』

 部員全員が複雑そうな顔をする。

 口に出しては聞いていないが、貴文のマスコミ嫌いはなんとなく伝わっていた。松之助あたりは目で「いいんですか?」と訴えているようだった。

「正直俺はマスコミが嫌いだ。絶対に引退したときの話を根掘り葉掘り聞かれるからな。だがこうやって注目を集めることで、あのおばさんの行動も監視され、かつ買収なんてマネもできなくなる。学ザにも大学にも体面ってもんがあるからな。まあオバさん本人と対談もしなけりゃならないのが、一番きついが」

「岡田監督って、絶対監督のこと逆恨みしてますよね……」

 やはり松之助はそのあたりの事情に詳しかった。

「ああ、おそらくな。そこらへんの私的な問題を大事な試合に持ち込んで、お前たちにはすまないと思っている」

「そ、そんなことないですよ! 俺達はいいですけど、監督だって出たくもないテレビに出る羽目になったんですから!」

「ま、それぐらいは大人の甲斐性だわな」

 貴文は苦笑した。

「(アンタよく見てなさいよ。アレがもてる男のやり方よ。ああいう笑顔にメスはころっとダマされるんだから!)」

「(おお、参考になるなあ……)」

 沙織と翔が、貴文に聞こえないように囁き合った。

「で、とりあえずお前らもインタビューされるかもしれんから、そのつもりでな。まあ俺の知らないところで雑誌のインタビューは受けてたみたいだが」

「じゃああたしらの方が経験は上かも!」

「アホ、俺が現役時代どんだけ雑誌の表紙飾ったと思ってんだ」

「言われてみればそうだった……」

 沙織はいとも簡単に迎撃された。

「というわけでお前らもそのつもりでいてくれ。じゃあ練習再開するぞ――」


 そして始まる練習。

 ちなみにその日、最も気合いを入れて練習したのは翔だった……。


 4部との入れ替え戦は『龍起杯』予選の前にあり、入れ替え戦の3日後に海青大学の試合があった。テレビ局の取材は、その入れ替え戦の2日前に行われることになった。テレビ局が最速で準備できるのがその日であり、それより遅いと試合に差し支えが出てしまう。そして時間の都合上、洋子との対談もその日――つまり今日行われることになった。

 取材は練習の合間に振興大学全面協力の下、部室で行われ、最初は和やかに進んでいた。インタビュアーは貴文と以前から親交があった女子アナで、貴文の事情もある程度知っている。そのため、あまりに不躾で無神経な質問はなかった。おそらく福原学長が手配したのだろう。むしろ翔が彼女に無神経で下心全開の質問をしていた。

 ただ、やはりテレビ局的に最後の代表戦の話は避けては通れなかった。

「では内田監督に最後の質問です。怪我で引退したとき何を考えましたか」

 女子アナの質問で、部の空気が凍る。その緊迫感はテレビクルーも含め、その場にいる全員に伝わった。女子アナにしても、この質問をするのは初めてだ。プライベートでは質問すら許さない空気だった。

 貴文はすぐに答えず、目を瞑って黙り込む。踏ん切りを付けたつもりだったが、実際に口にするには未だ少しだけ時間が必要だった。

 そして、やおらゆっくり目と口を開いた。

「何も考えられなかった、というのが正直な気持ちです。病院で医者から状況を聞くまで、まだ『ワールド』に立つ気でいましたから。そしてその何も考えられない、いえ何も考えたくない状態はつい最近まで続きました。そんな私に再びザバルと向き合う機会を与えてくれたのが、教え子達と私を引っ張った福原学長でした。どちらも手がかかる人間ですが、感謝しています」

「なるほど……」

 話を聞いている女子アナは少し涙ぐんでいた。彼女は個人的に引退直後の貴文がどれだけ荒れていたのか知っていた。その貴文がこうして再び戻って来たことが、友人として嬉しかったのだ。


 ただ世の中には、それを望んでいない人間もいた。


「……岡田さんがいらっしゃったようです」

 ADからの報告で、女子アナは貴文の耳元で囁いた。翔は羨ましそうに見ているが、貴文は冷水を浴びせられた気分だ。

 派手な香水をつけ、歳に似合わない真っ赤なスーツを着た中年の女は、まるで害虫でも見るような目で椅子に座っている貴文を見下した。

「お久しぶりね、内田さん」

「お久しぶりです」

 座ったままの貴文に手を出し、見下しながら握手しようとした洋子に、立ち上がった貴文は差し出されたのとは別の手で握手した。

「岡田さんもお変わりなく」

「内田さんは引退してから随分変わられたみたいね。着てるスーツも安物だしみすぼらしく……いえ、なんでもないわ」

 教え子達はあからさまに表情を変えたが、貴文は眉1つ動かさなかった。この程度でいちいち反応していたら、この女狐と話など出来ない。

 女子アナも事前に貴文から話を聞いていたので、同じく表情を変えないまま話を続ける。

「お二人は元々同じチームということでしたが、今回は監督として戦うことになりました。やはり他の大学とは違った思いがありますか?」

「そうですね。監督としても選手としても私の方が後輩なので、挑戦者として、胸を借りるつもりで試合に臨みます」

 貴文は無難に答える。

 しかし洋子は違った。

「チームでは不本意な形で退、監督としてはその心配がないので思いきり勝負できますね」

 まるで貴文が手を回して退団させたような言い回しである。

 「このババアマジ腐ってる」と沙織は未央に小声で囁き、今回ばかりは未央も心の底から頷いた。

 女子アナもこれ以上洋子に話を振ると、何を言われるか分からないと察し、なるべく貴文に話を振ろうとした。しかし、その場にいたプロデューサーはしゃべらせた方が面白くなると思ったのか、洋子に話を振るように指示する。

 板挟みになった女子アナは、仕方なく当たり障りのない質問で洋子にも話を振った。

「それでは今大会に対する意気込みをお聞かせ下さい」

「今のチームでは現役時代できなかった、させてもらえなかったことをしています。このチームであの内田のチームに勝てたら最高ですね。もちろんそうなるとは思っていますが」

「・・・・・・」

 部員達の怒りは頂点に近かったが、貴文は相変わらず涼しい顔をしていた。

 彼女に対する怒りは現役時代に使い切り、今は完全に聞き流すというスキルを身につけていた。今頭の中で考えていることといえば、「この後久しぶりに一緒に飯でも食おうかな」という女子アナとのアフターだけだった。

「それでは本日はお忙しい中お二人とも有り難うございました」

 貴文は礼をし、自分から手を差し出す。

 洋子はそれを一瞥しただけで、握り返すこともせずに踵を返し、その場から去って行った。

「なんだよあのババア!」

 姿が見えなくなった瞬間、春樹が吠えた。

「人間ああはなりたくないものだね」

「ほんとほんと」

 秋雄の愚痴に、部員ではなく女子アナが賛同する。

「話には聞いてたけどそれ以上にイヤミな女ね」

「まあアレでも学生時代は逸材だったらしいんだけどな。それが悪かったのか……」

 貴文はインタビューが終わったところで大きく息を吐く。

「聞いた話だと高校時代はすごい『スターリー』だったらしい。それで周りにちやほやされて勘違いしたのがケチのつけ初め。過去の栄光に縛られて自分を過信し真面目に練習もせず、プレースタイルも変えられず、気付けばお荷物と言うオチ。丸山聞いてるか?」

「なんで私に話を振るんですの! そもそも私、卒業してからザバル続けるかどうかすら分かりませんわ。元々体操の特待生ですし」

「ああ、そこらへんはお前も冷静なんだな」

「当然ですわ」

 自信満々に聡美が答える。

 そのとき、何故か女子アナの目が光った。


 後日、インタビューがテレビで放映されたとき、聡美だけやたら尺があったのだが、それはまた別の話……。

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