第8話 寂しいゴリラは愛されたい
『・・・・・・・』
放課後練習に現れた陽介を見て、貴文を含めその場にいた全員が絶句した。
「これはまた綺麗に剃ったね……」
しばらくの沈黙の後、沙織が全員の気持ちを代弁して言った。
小森家の人生設計から数時間後、陽介は元から短かった髪をさらにばっさり切り……というか刈り、見事なまでの丸坊主で現れたのである。
「なんだろ、いやーな汗臭い懐かしさがこみ上げてきた気が……」
「俺も……」
部で坊主を強制されていた春樹と翔が思わず呟いた。その頃の反動か、今は2人とも髪を切らないでいる。秋雄は坊主に特に抵抗は無いようで、いつも短かった。
「その、今まで迷惑かけてごめん!」
陽介は坊主頭を見せるように直角に腰を曲げた。
「俺今まで家のことで色々あったから、周りを見る余裕がなくて……。それでチームにも迷惑かけちまったし、本当に悪かった!」
「そのための坊主か……」
古典的な方法だが、はっきりと誠意をかたちにして見せたのは良かったんじゃないかと貴文は思った。
「俺にはお前をとやかく言う権利はない。ここからはお前らでやってくれ」
貴文は陽介の処分を部員達に任せる。
「じゃあ――」
最初に動いたのは松之助だった。
松之助は腰を曲げたままの陽介に近づき、思いっきり頭を殴りつける。
「いって――!」
小柄で中学生のように見える松之助もそこはスポーツ選手、陽介はその場にうずくまった。
「これで迷惑かけたことはチャラにしてやる」
「お、おう……」
「じゃあ次俺な!」
腕まくりしながら春樹がやってきた。
それから場合によってはいじめと受け取られかねない、精算会が始まった。いちおう全員チームのことを考え、プレーに影響のない場所に迷惑料を求め、未央、隆といった穏健派は軽く叩くだけで済ませた。
ちなみに陽介が一番ダメージを受けたのは、
「・・・・・・」
「・・・・・・」
プレーで最も迷惑をかけたグリーンの無言の笑顔(およそ10分は続いた)だった……。
「それじゃあ
「あの監督」
隆がおずおずと手を上げる。
「その禊が激しすぎて、約1名戦力になりそうにないのですが……」
「……やっぱり馬鹿だわお前ら」
貴文は心底そう思った。
そしてさらに時間は過ぎ、振興大学は2回目のリーグ戦を迎える。
メンバーは貴文が事前に言っていたとおり、グリーンを抜いたものだった。いると貴文が交代したくなるため、ベンチにすらおかなかった。
そしてもう一つ、グリーンが退いてからの前回のチームとは違ってる点があった。
「ついに来ましたわ!」
拳を握りしめ、聡美は『ワールド』の中央で仁王立ちする」
「えがったねー聡美」
「だから私に向かって方言で話さないで下さいまし! 染っちま……いますわ!」
『・・・・・・』
聡美と未央の北関東漫才を、部員達は生暖かい目で見た。
次第に聡美を選んだ貴文は不安になっていった。
「まあ多分何とかなりますよ。丸山さん頑張ってましたから!」
「まあ……」
広子の言葉にベンチの陽介も頷く。
今回の陽介は以前のようにふて腐れた顔をしてはいない。心に余裕が出来たことで、聡美の努力も評価できるようになっていた。ただその一方で同じ『スターリー』として聡美の危うさも理解しているため、いつでも試合に出られる準備は整えていた。
「さあ皆さん行きますわよ! 華麗な舞台の幕開けですわ!」
「(どんな環境で育つとああなるんだろ……)」
「(むしろあたしとしてはこのまま突き抜けた成長を見せて欲しい!)」
聡美の背後で松之助と沙織は囁き合った。
そうこうしている間に試合開始の笛が鳴る。
ベンチでの貴文は試合より、まず陽介を見た。
陽介は集中して試合を観ている。おそらくチームメイトが実際の試合でどんな動きをするのか、確認しているのだろう。
これなら大丈夫だろうと、貴文は視線を試合に戻した。
「いやしかし……」
「すごいですね」
今まで見たことのない試合展開に、貴文も広子も唖然とする。
聡美はプレー中ほとんど踊っていた。
『芸術点』狙いなのは敵味方ほとんど分かっていたが、さすがにここまであからさまなプレーをするとは思っていなかった。それだけならただのアホな『スターリー』だったが、相手が隙(呆れた?)を見た瞬間、果敢に攻め『実得点』も稼いでいった。
どうやら聡美は華麗なプレーで『芸術点』を稼ぐ典型的な女性『スターリー』ではなく、『実得点』も狙う万能『スターリー』を目指しているらしい。
また、聡美が『スターリー』の間は、沙織が特に指示も出していないのにポジションを『サポ』に変えていた。そして聡美に注意が集中したときには、聡美が的確に他の選手の『芸術点』』をお膳立てする。
この2人はまるで長年のコンビのように相性が良かった。
だが――。
「プレーが独特すぎてあまり参考にならない……」
「まあそりゃそうだわな」
陽介の心からの呟きに、貴文は同じく心から同意した。
「まあでもチームとしての引き出しが増えたのでよしとしよう」
「そうですね……」
陽介はいまいち釈然としない気持ちで貴文の言葉に同意した。
そんなこんなで前半は進み、振興大学はかなりの『実得点』を挙げていた。ただ、その分『実失点』も多く、まだクリティカル・ゲームといえるほど点差は開いていない。
後半も同じ布陣を続けさせたが、やがて聡美のトリックプレーになれてきたのか、点差が縮まってきた。
「小森、準備しろ」
「はい」
「あと三上も」
「え!?」
既に心構えをしていた陽介と違い、突然呼ばれたことに隆は驚く。
状況を考えれば、『シッカリ』の自分が出る展開ではない。前回同様相手チームには核となる選手はいない。そうなるとサブポジションが出来る『フラッター』だが、この状況で『フラッター』を変えるのは考えづらいのだが――。
「小森は丸山と交代。三上はたやま……国府田と交代だ」
「ええ!?」
交代を予想していた聡美は、「後は頼みますわよ」と誇らしげな表情で陽介とタッチをしながらベンチに戻る。一方、突然の交代が理解出来なかった翔は、タッチもせず無言でベンチに座った。
「なかなか面白いプレーだったな」
「当然ですわ! ですがあれは勝つためのもの。理想は真に美しいプレーです」
「期待してるぞマジで」
「ええ。ところでこのタイミングで『フラッター』交代は珍しいですわね」
「交代した理由は本人が一番よく分かってるはずだ」
「・・・・・・」
翔はガックリ肩と落としていた。
「さて、生まれ変わった小森はどんなプレーを見せるか……」
「わたしはそれより三上さんが必要以上にあがらないか心配ですわ」
「ある意味で見所の多い後半ですね……」
そしていよいよ後半戦が始まる。
出だし、陽介は無理に前に出ず慎重にプレーする。
その後も慎重にプレーし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・試合は終わった。
「あーとりあえず初勝利おめでとう」
試合終了後、ベンチに戻って来た選手達に向かい、貴文はまずそう言った。
「ただ小森!」
「はい」
「お前は周りに気を使いすぎだ! 振れ幅が大きすぎる! 点差もあったし多少冒険してもいい場面だったぞ。アレじゃあ三上以上のヘタレだ」
「ひどい……」
引き合いに出された隆が凹む。
「あと三上は珍しく安定してプレーできたな。とりあえず『フラッター』の目途は立った」
「いやでも、これはあくまでサブで、本職の国府田君がいる以上今続けている他のポジションの練習が――」
「他の細かいことは明日のミーティングで話す! 今日は解散! たや……国府田以外!」
隆に最後まで言わせず、貴文は話を打ち切った。
部員達はなんとも不思議そうな顔をしたものの、言われたとおり荷物を持ち、帰る準備をしていった。
よく見ると、準備をしている部員達の周りにファンらしき少女達が何人か群がっている。とりわけ松之助が人気で、黄色い声が途絶えなかった。
貴文はかつてはあれ以上のファンがいたので、特に羨ましいとは思わない。むしろほぼ完全にいなくなって清々したぐらいだ。トラック1台分のチョコをもらっても、おいそれと他人にあげることも出来ず、本当に困った。
だが、中にはそれが心底羨ましい人間もいて……。
「いいっすね……」
遠くを見るような目をしながら、居残りを言いつけられた翔は呟いた。
「ゴミムシみたいな自分と違って、心臓動かしてるだけでももてるんでしょうね……」
「お前いきなり何気持ち悪いこと言ってんだ」
これから説教しようとした矢先に情けなさ過ぎることを言われ、貴文は心の底から呆れた。
しかし、言った翔は真剣そのものだ。
「尾崎と小見川に言われたことあるんすよ。「最近女の子がまとわりついて鬱陶しいって」。危うく傷害事件起こすところだったっす」
「……まさかお前、自分がもてないのを理由にあんなプレーしたのか?」
「・・・・・・」
翔はゆっくりと頷いた。
「この馬鹿野郎! お前の持ち味はその恵まれた体格を活かした、堅実なプレーなんだぞ! それをやたら前に出て目立つようなプレーしやがって!」
言いながら翔の頭を殴る。
それでも翔は、肉体的な苦痛より精神的な苦痛で涙を流しながら反論した。
「仕方ないじゃないっすか! 前の負け試合、はっきり言って自分がグリーンの次に活躍したのに、誰も声すらかけてくれなかったんすよ!? 自分はもてるために柔道を辞めてザバルを始めたのに、これじゃあんまりっす……」
翔は心からの叫びを吐き出すと、その場で号泣した。
貴文は呆然とした。
陽介のように心の中に溜めず、はっきりと話してくれたのは楽でいい。ただ、翔のように絶望的なほどもてなかった経験のない貴文には、何と言えば良いのか分からなかった。
貴文はザバルをしていた学生時代から、女性に困ったことはなかった。プロになると、女子アナやアイドルとも浮き名を流し、わざわざ大阪から来た小学生に告白されたこともあった。今はフリーだが、それは自分で精算したからである。
そんな住んでいる世界が違った貴文には、当たり障りのないありきたりなアドバイスしかできなかった。
「まああれだ、部にだって彼女のいない奴の方が多いだろ。焦る必要はないさ」
「小野はああ見えて地元に彼女がいるっす。本宮もアレで案外もてるっす」
「じゃあ小森だ! あいつは孤高気取ってるし、そこまでイケメンじゃなし何要理坊主だから絶対彼女もいないしもてないぞ!」
「世の中ああいうのが好きな子もいるんっす……」
そう言うと翔はゾンビのような動きで、指を動かした。
するとその先には、汗を拭くためのタオルを探していた陽介と、タオルを持っていた女子高生らしき少女がいた。女子高生は何か言って陽介にタオルを渡し、顔を隠しながら逃げるように離れていった。陽介の方は呆然としていたが、とりあえずそのタオルで汗を拭いていた。
「あー……ま、まあお前が好きって子もかならず――」
「地元には一人もいなかったっす」
「東京は人が多いから――」
「そのために今こうやってあがいてるんすよ!」
翔は貴文に詰め寄った。
「自分が監督を尊敬してたのは当然プレーもあるっすけど、何より自分が憧れていた女子アナと普通に付き合ってたからっす! 自分も監督のようになりたいんっす!」
邪すぎる目標だ、と貴文は心の底から思ったが、他人のモチベーションについてとやかく言うことはできない。それで成長してくれるというのなら、指導者としては文句はないのだ。
ただ、今回はそれが完全にマイナス方向に向いていた。
「……とにかく今のままじゃスタメンは三上でいく。お前もそれだけは覚えておけ」
「……押忍」
翔は大きな身体を小さくさせ、力なく答えた。
「しかしもてないのが理由かあ……」
教授室で授業の資料をまとめながら貴文はため息を吐く。
部員間で起こりそうなたいていの問題は、就任前から想定していた。だがこれは完全に想定外だ。
「うーん……」
本当の意味で翔の気持ちが全く分からないので、解決策も何も思いつかない。そしてこればかりは部員同士で、どうにか出来る問題とも思えなかった。
男子部員は翔以外はそれなりにもてているようだし、女子部員と男子部員を監督が率先してくっつけるわけにもいかない。そもそも部活内での恋愛沙汰は、即試合に結びつくので御法度だ。
もっとも、隆と未央のように入部前から付き合っているような場合には、貴文も目を瞑ったが。
「あのー……」
気弱な声と共に教授室の扉が叩かれる。
噂をすれば影だ。
「どうした?」
「実は講義のことで聞きたいことがあったんですが……」
扉を開けるとそこには果たして隆と未央が立っていた。
貴文は少し考え、「とりあえず入れ」と二人を招き入れて扉を閉める。
最初は貴文も隆と未央の質問に教師として答えていた。
しかししばらくすると、逆に貴文から講義とは全く関係ない質問をする。
「ところでお前ら付き合ってるのか?」
『ぶっ!?』
隆は思わず椅子から倒れ、未央は一瞬にして顔を真っ赤にした。
「そ、そ、そ、そんなことないじゃないですか!?」
「おめー何言ってるんだべ!?」
二人のあまりの取り乱しぶりに、貴文は逆に確信した。
「あー、別に責めるつもりじゃない。ただちょっとオフレコで相談したいことがあってな」
『相談?』
貴文は翔の件を二人に話す。真面目なこの二人なら話を広めることもないだろう。未央にいたっては、そもそも話すの相手がいるかどうか怪しかったが。
「……つまり国府田君がもてたいが為にプレーが雑になってると」
「ああ、おそらくあのアホはホセ・ロドリゲスみたいになりたいんだろう」
話ながら貴文は改めて呆れ、ため息を吐いた。
ホセ・ロドリゲスはベネズエラの異色『フラッター』で、そのプレースタイルがとにかく話題になった選手だ。『フラッター』は基本それほど目立たず、堅実なプレーが求められるポジションである。だがロドリゲスは必要以上に攻めたり、『芸術点』を狙ったプレーをするなど、とにかく目立ちたがりの選手だった。それでも本人の性格や身体能力とマッチしそこそこ活躍したが、翔は違う。生真面目な性格も繊細さに欠けるテクニックも、あのプレースタイルとは相性が悪すぎる。
本当になんで恋愛関係だけ生真面目になれなかったのか、残念でしようがない。
「……こういっちゃんだけど、国府田くんの場合、逆効果だと思う」
「・・・・・・」
未央が少し悩んでから頷いた。
ちなみに貴文も100%その意見に賛成だ。
「だからといって今の地味なプレーを続けていて、あいつがもてるかというとそれは……」
『・・・・・・・』
「いや、何か言えよ……」
難しい表情をする二人に貴文は絶望的な気分になる。
(こうなったら昔のツテを使ってプロの方々に協力を……)
貴文がそこまで言ったとき、閉めていた扉がノックもされずに突然開かれる。
「話は聞いたわ!」
「国府田すまん」
貴文は思わずその場にいない翔に謝った。
「そういう話ならこの愛のヴィーナス、むしろヴィーナスが私? 的なこの近藤沙織ちゃんにおまかせよ!」
「帰ってくれないかな。そして今聞いた事を未来永劫忘れてくれないかな」
「無理ね。英単語は5秒で忘れても恋愛話は5日は忘れないわ!」
「そこまででもないんだね……」
未央は思わず呟いた。
「まずはヤクザの好みのタイプはどんなのよ?」
「あの顔で好みとかおこがましくないか?」
「あたしよりカントクの方がよっぽどひどいやん!」
ヤクザ=翔というのをあえて説明しなくてもわかるほど、しっくりくるあだ名だった。
「僕は前に聞いた事があるよ」隆がおずおずと手を上げる。
「よし、地味メガネとっとと言え」
「そのあだ名いい加減止めて欲しいんだけど……。はあ、国府田くんと同じ授業がいくつかあるんだけど、その時聞いてもいないのに言ったんだ。「人類の雌だったら、告白されたら絶対つきあうのにな……」って」
「悲しくなるくらいストライクゾーンが広いな。むしろ駄目なタイプが分からん」
「ゴリラの雌とか? あと人類の雄、あいつ自身は押忍押忍うるさいけど。いやあ、あいつもホモに生まれてれば、こんなに苦しむこともなかったのにね」
「話を振った俺がいうのもなんだが、今んとこ最低の話してるぞ」
「最低の男が話の中心なんだから、当たり前やん!」
「そうなのか……」
「まあでも世の中にはあり得ないバケモノが好きな子もいるし、ここはあたしに任せてよ。色々作戦も練ってくるし」
「まあそこまで言うなら……」
「僕がいうのもなんですけど、絶対ややこしいことになると思いますよ」
「だ、だよな。近藤やっぱりやめ――」
貴文が止めるのも聞かずに沙織は部屋を出て行ってしまった。
賽は投げられた。
貴文はただ、その出目を見守ることしか出来なかった……。
翌日の朝練――。
妙に機嫌のいい翔が『ワールド』に現れる。
貴文は面倒そうなので無視するつもりだったが、あまりに翔がモーションを送って鬱陶しかったため、仕方なく理由を聞いた。
「押忍! 実はラブレター貰ったんす!」
「そうか……」
それが沙織の仕込みであることは明らかだった。
あまり無茶な手でなかったことにとりあえず安心する。
ここはもう自分が余計なことを言わず、2人に任せておいた方がいいだろう。
貴文はそう思ったが――
「これからはこの子のために、もっと派手なプレーをするようにするっす!」
「おい」
そう言われては黙っているわけにもいかなかった。
「だからお前はその顔面同様昭和的な堅実プレーが一番合ってるんだ。無意味なプレーをされるぐらいなら、レギュラーはずっと三上だぞ」
「で、でもそうしないと……」
「いいか、二度は言わん」
「・・・・・・」
翔は黙り込んだ。
貴文は練習の合間にすぐに沙織を呼び、問い詰める。
「お前、国府田宛のラブレターに一体何を書いたんだ?」
「え、あたしまだそんなことしてないけど?」
「本物かよ!?」
「なんかあたしの知らないところで、面白い話が展開してる感じ。おーいヤクザー」
浮かれ気味の翔に沙織がちょっかいをかけ始めた。
「早くも事態が悪化してる感じですね……」
様子を見ていた隆が呟く。
貴文は我知らず頷いていた。
そしてその日の放課後練習――。
絶望的な表情の翔と、面白くてしようが無いと言った沙織が『ワールド』に現れる。
指導者として事情を聞かなければならない気もしたが、個人的には聞きたくなかった。聞かなくともどうせぐだらない話だと言うことは分かっていたので。
「何かあったの?」
貴文が聞かなかったかわりに、広子が2人に話を聞く。『ホスト』として部を把握する義務感でもあったのだろうか。だとしたら不運でありがたい義務感だな、と貴文は同情した。
翔は話づらそうにしていたが、それでやめる沙織ではない。
「実は今日このヤクザがラブレター貰ったんだけどさ」
思い出し笑いをしながら、沙織はその時あったことは話し始めた。
「いや、このヤクザにラブレター出してた奴が気になって、あたしも一緒に会いに行ったのよ。そしたらそいつ女みてえな名前した男でやんの! しかもすんげーデブ! ピザ! いやあ、男が男に汗かきながら「好きです……」って言ってるの初めて見た!」
「私もそんなな話初めて聞いたよ……」
「うう、いくら何でもヤローは勘弁してくれ……」
「・・・・・・」
横で話を聞いていた貴文は絶望的な気持ちになった。
沙織の声が大きすぎて嫌でも聞こえたのか、他の部員達も居たたまれな気持ちになる。唯一沙織だけが純粋に面白がっていた。
「いやあ、まあでもさ、次があるって。あたしも友達に色々聞いてみるからさ」
「ホントたのむぞ」
「まっかせてー」
沙織は気楽そうに翔の肩をバシバシ叩く。
「絶対後悔する羽目になるぞ国府田……」
貴文はそう言わずにはいられなかった。
「こんな短期間でもう友達いるんだ……」
未央もそう言わずにはいられなかった。
翌日の朝練。
今度は難しい表情の沙織と、さらに厳しい表情をした翔が『ワールド』に現れた。話を聞かなくとも碌でもないことがあったということは、だいたい分かる顔だ。
今回も『ホスト』としての義務感に駆られた広子が、率先して2人にことの顛末を聞いた。
「いやあ……うちの大学って体育系だから、1人ぐらいはそういうゴリ専(ゴリラのようないかつい男子が好き)がいるかなって。いやまあいることにはいたんだけどさ……。このブ男が!」
「う、返す言葉も無い……」
「えっと、具体的に何があったの?」
「実際会ったらこいつすげー下心満載の目で、友達見てやんの。もう目でレイプするみたいに。ちょっとからかってやるかーって感じで触っただけなのに、がっつり来やがってこっちはドン引き。なんかもうからかえるレベルじゃなくてただただキモかった。あたしの友達も結構遊んでる子多いけど、そういう子達に即「犯される!」って思わせるなんてフツーありえへん!
「男子校なんでどうしても女の子と会うと胸に目が……」
「胸だけじゃねーだろ! 指の先から頭のてっぺんまで超エロそうな顔で見てたわ! ずっと臭い嗅ぐために鼻の穴ひくひくさせてるし、すぐにキス顔つくるし! ああもう思いだしたけでも気持ち悪いしムカついてきた!」
「最低だね」
温厚な広子も、今回は沙織を全面的に支持した。
あまりのどうしようもなさに、貴文は最終手段に出る。
「なあ国府田」
「お、押忍……」
「金出してやるから練習後風俗行ってくるか?」
『・・・・・・』
広子には思い切り軽蔑した目で見られたが、沙織は「もうそれしかないか」とある程度の理解は見せていた。
「そういう問題じゃないっす! 自分は恋愛がしたいんっす!」
「恋愛がしたい人間は女の子を下心全開の目で見ない。仮にそうだとしてもがんばって隠そうとする」
「う、ド田舎の男子校にいるとどうしても……。とにかく自分はそういう不純なもので童貞を捨てたくはないっす! あ、でも本番無しなら……」
「死ね」
心の中で言うつもりが思わず口に出してしまった。
「と、とにかく自分はザバルで女の子を引きつけて見せるっす!」
貴文達の助言をよそに、翔は明らかに方向性の間違った練習を続ける。
そして瞬く間に日は過ぎ、関東リーグの試合当日。
「・・・・・・」
死んだ魚のような目でベンチに座る翔に、貴文はなんら声をかけることはなかった。
結局スタメンは翔ではなく、再び隆になった。あんなひどいプレーをする選手を、正『フラッター』として使うなどまともな指導者ならあり得ない。
ただ、このままでいいとは貴文も到底思っていない。隆には『フラッター』以外のサブポジションを覚えて貰わなければならないのだ。
そして翔は『フラッター』しかできない。一度「『スターリー』に転向するっす!」と寝ぼけたことを言われたが、その際は「簀巻きにして隅田川から東京湾に放流し、ゴブリンシャークの餌にする」と優しく諭してやった。貴文の予定では、隆を『フラッター』として使うのは、翔が怪我をしたなどやむを得ない場合だけである。
そして現在翔は怪我もしていないのに、やむを得ない事態に陥っていた。
「……改めて見ても地味っすね」
無難に処理する隆を見て、翔は言葉を漏らした。
今日の相手は初戦で戦ったチーム程度の実力で、ある程度チームがまとまっている今、そこまで怖ろしい相手でもない。実際、今回は陽介もグリーンも先発した振興大学が、圧倒的優位に試合を進め、クリティカル・ゲーム間近までいっていた。
やはりこの2人がまともに機能すれば、このリーグではそうそう負けない。
(だがいつまでもそんなチームが相手ってわけじゃない)
『龍起杯』予選では、格上のリーグのチームと必ず当たる。その時、翔がベンチにいて隆を『シッカリ』として使えなければ、活路は見いだせない。
そして前半終了と同時に、相手チームからギブアップの申し出をされる。実力の差が激しい5部リーグでは珍しくもない展開だ。
貴文はそれを受け入れ、前半だけで試合は終了する。
「今日はよくやった」
帰ってきたメンバーを貴文は労った。まだ問題点は多々あるが、勝った試合に水を差すほどの失点でもなかった。たまには素直に褒めてやることも、指導者としては必要だ。
『ホスト』の広子もかいがいしく、皆にスポーツドリンクを配る。彼女の場合勝てばどんな試合内容でも喜べた。
ただし、ベンチの翔は素直に喜ぶこともできない。
そしてそれはもう一人も同じだった。
「悔しいですわ! 私の活躍が見せられないうちに試合が終わるなんて!」
「まあそう言うな。うちみたいな少人数のチームは、試合が早ければ早いだけ良いんだよ。これからもどんどん選手も入れ換えていくしな」
「とにかく次こそは華麗に咲いて見せますわ!」
「……いいよな丸山は。美人だし派手なポジションだし、さぞ女……じゃなくて男にもてるんだろうな」
翔の口から自然に愚痴がこぼれる。
いい加減他の部員達も鬱陶しくなってきた。
「おい国府田! お前最近おかしいぞ。つまんねーことにいつまでもこだわってんなよ!」
「小野はいいよな。彼女がいて……」
「もてないからって僻んでんじゃねーよ」
「なんだと!」
「やるかゴラァ!?」
「お待ちなさい!」
試合後に乱闘が起こりそうだった空気を、聡美が一喝する。
男2人の怒鳴り声よりもよく通る声で、撤収準備をしていた相手チームも一斉にこちらの振り向いた。これには春樹も翔も居たたまれなくなり、そそくさと物陰に隠れて視線をやり過ごそうとする。
一方、聡美は恥じる様子は全く見せず、平然としていた。
「話を聞いていた限り国府田さん、貴方はザバルで異性にもてたいようですわね」
「あ、ああ、そうだ」
「そのために愚にも付かないような目立つプレーをしていると」
「ぐ……ま、まあな」
「おーっほっほっほっほ!」
すると聡美は何がおかしいのか突然高笑いをした。
多分おかしいのは本人自身だろうと貴文は思ったが、翔の件は現状らちがあきそうにないので、しばらく聡美のしたいままにさせた。
「な、何いきなり笑ってんだよ!?」
「これが笑わずにいられますか! 貴方のプレーは突き詰めれば私のように華麗で優雅なプレーを目指すというもの。それが異性にもてると思っているのが、おかしくてしようがないんですの」
「ど、どうしてだよ!?」
「百聞は一見にしかずですわ」
聡美はベンチから立ち上がり、誰もいなくなった『ワールド』に1人立つ。
そして、その場にいた全員の注目が集まっている中、平然と新体操の経験を活かした踊りを始めた。
『・・・・・・』
突然の出来事に誰も何も言えない。
本人が言う華麗で優雅な踊りであるようだが、あまりに場違いすぎてむしろ滑稽に見えた。
(ほう……)
ただ1人、貴文だけが彼女の踊りの意図を理解する。
試合に出られなかった鬱憤を晴らすかのように渾身の踊りを披露し、聡美は深々と頭を下げる。
『・・・・・・』
拍手も歓声もない。
ただ1人、貴文だけが彼女に声をかけた。
「5……いや、良くて4
「まあそんなところでしょうね」
貴文からタオルを受け取り、聡美は汗をぬぐう。
そして呆然としている翔に向かっていった。
「これが貴方の憧れる優雅で華麗なプレーの基本ですわ。どう、私に惚れました?」
「あ……いや……」
むしろ呆れた。
そんな翔の内心など手に取るように分かっているのか、聡美は彼女にしては珍しく苦笑した。
「試合で高『芸術点』を取るプレーをするためには、日頃の練習は欠かせません。そしてその練習は、貴方が考えている他人が憧れるようなものではなく、むしろ間抜けに見られるようなものばかりです。そんな姿に異性は惹かれるかしら? 結局、美しいのは試合中の一瞬だけ。今まで私の練習を見て気付かなかったなんて、節穴もいいとこですわ」
「・・・・・・」
翔は何も言えなかった。
確かに今まで自分以外の練習など、まともに見てきてもいなかった。とにかくギャラリーの女の子だけに注意を払ってきた。
「それでもするのは、何より自分をより高めたいからですわ。もてるもてないはあくまでその結果。貴方の一番の欠点は、顔ではなくその視野の狭さですわ。おそらく今まであったであろう出会いも、何度も見過ごしているでしょうね」
「うう……」
翔は聡美に完全に言い負かされた。
日頃から訳の分からない高笑いをし、方言のボロを未央に指摘され顔を赤くする聡美が、完全な正論で翔を叩きのめした。
そして聡美の話には、貴文も思うところがあった。
(視野の狭さ、か。俺もあいつのことは笑えないかもな)
今までザバルから離れていた反動で、最近はザバルにのめり込みすぎているのかもしれない。陽介の件といい、これからはもっと人を中心に見るべきなのだろう。
「今までのプレーも駄目、かっこいいプレーも駄目、じゃあどうすればいいんだよ……」
翔はその場に頽れた。
そんな翔に秋雄が手を置く。
「もてたいんだろ? そんなの簡単だよ」
「ど、ど、どうすればいいっすか!?」
翔の言葉が思わず体育会系的な敬語になった。
秋雄は無言で人差し指と親指で輪を作る。
あまりに生臭い解答だった。
「世の中金だよ。どんな美女も札束でほっぺた叩けばいちころさ」
「で、でも俺金なんて……」
「死ぬ気で練習してプロになれば、すごい金が入るよ。ねえ監督? 確か契約金で都内に家買いましたよね」
いきなり話を振られ、貴文はぎょっとする。しかもなんでそんな話を知っているのか。雑誌のインタビューで話した気はするが……。
「ああ、まあな。プロの指名受ければ最低でも1000万はもらえる。税金やそのたもろもろで半分引かれても、頭金にはなるし車ぐらいは余裕で買える」
「車……」
何故か未央の目が光る。
ちなみに北関東は車社会であり、免許取得率が全国平均でずば抜けて高い。
「まあ、プロになるためには血反吐吐くような努力が必要だが――」
「やるっす!」
翔は拳を握りしめる。
「俺プロになるために血反吐吐くような練習するっす! 監督、どうすればプロになれるのか教えて欲しいっす!」
「とりあえずお前はあのクソみたいなプレースタイルを変えて、元に戻せ。話はそれからだ」
「押忍!」
「めでたしめでたし……なのかな?」
広子はそう言って締めようとしたが、いまいち納得出来なかった……。
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