「当然でしょう。」
洞窟を出た途端、僕と逆の方向を向いたメイさんに、僕は何も言わずに着いて行った。
故郷には、帰らなくていいのだという安堵が押し寄せた。
そしてそう導いてくれたメイさんにいたく感謝した。
「ありがとうございます。」
僕がそういうと、メイさんは決して振り向かずに、
「いいえ。」と答えた。
それ以降メイさんは口を聞かず、国が近くなると金魚になってしまった。
国に戻ってから、僕は父から手紙を受け取った。
当然叱責の山だった。
やはりきちんと挨拶に行くべきだったかと思い悩み、
遂にため息を飲み込めなくなった時、僕はユヌちゃんに会いに行った。
その道中、メイさんに出会い、僕は再び安堵を感じて声をかけた。
僕にとってメイさんは既に、共に苦境を乗り越える仲間のような存在だと、感じていた。
父という同じ壁を、未だ越えられない僕たち。
メイさんも、そんな僕に親近感を感じてくれているのだと。
「おはようごさまいます。」
昼間なのに薄暗い廊下で、メイさんは首をそっと傾けた。
歩いて行くメイさんの行く方向を見て、ユヌちゃんの病室へ行くところらしいと判断した僕は足早に駆け寄った。
「父に叱られてしまいました。」
返事を待ったが聞こえてくるのは高下駄の音ばかりで、
聞こえなかったのかとメイさんの顔を窺うと、
しばらくしてから鬱陶しそうな視線が向けられた。
「当然でしょう。」
言葉にするのも面倒だという気持ちが、
抑えても抑えきれない程、前面に出てきていた。
「そう、ですよね…。」
「私に責任があろうと仰りたいのですか。」
「い、いえ。そんなことは、全然。」
僕は無意識に背筋を伸ばして答えた。
カツカツと毅然として歩みを進めるメイさんの隣で、自分が驚くほど情けなく思えた。
「ちゃんと返事を書きます。」
「お好きになされば宜しいかと。」
「はい。…あの。」
僕がそう言いかけても、メイさんは少しもこちらを見る様子がなかった。
興味がないか、時間がないのだろうと思えた。
「メイさん。僕にも何かお仕事のお手伝いをさせて貰えないでしょうか。」
メイさんは、今度はちらと僕を見た。
真剣な表情で訴えたつもりだったが、メイさんは眉一つ動かすことがなかった。
「暇つぶしをなさりたいのなら、茶屋へ顔を出したらいかがです。」
「暇つぶしじゃないです。
僕、メイさんのお役に立ちたいんです。」
「その役割はもうなされているでしょう。」
「婚姻だけじゃなくて、僕はもっと、貴女のそばで何かを為したいんです。」
思わずメイさんの行く手を塞いだ。
メイさんは驚く様子もなく急停止をしたが、
黄色い帯の端が、止まりきれずに僕の方へ靡いた。
メイさんは漸く僕の目を見て、そして見続けた。
「そうしたら、僕はきっと変われると思うんです。
父にも正面から話せるくらい、強くなれると思うんです。」
「私の仕事を貴殿の個人的な成長の為に配分せよと仰るのですか。
馬鹿馬鹿しい。
ここで学べて茶屋で学べぬことが有りましょうや。」
「でも、僕は貴女と働きたいんです。
共に働くことで、貴女と共に生きたいんです。」
ぐっと拳を握りしめて、僕が言ったのをメイさんは僕の目を見て聞いていた。
聞いていたのに、その目を閉じると同時に首を横に振るとため息を吐いた。
「左様なことは求められておりませぬ。
宜しいですか。
我々は仲良しこよしを演じる必要はありませぬ故、そうするつもりもございませぬ。
生きている間は、他に何一つ期待しないで頂きたい。」
メイさんはそう言ってから、最後にまたため息を吐いて、僕の横を通り過ぎて行った。
着物の裾が僕の腕をかすめると、キセルの香りが漂い残った。
追いかけるように振り向くと、メイさんの背中が真っ直ぐ大きく見えた。
その背中が、俯きかけた僕をしゃんとさせた。
「僕にできることがあれば、お声掛けください。」
めげない僕に、何か返事を貰えるかと思ったが、期待しないことにした。
メイさんは、既に抱え切れないほどの荷物をその小さい肩に背負っている。
僕はそれを後ろから支える役割をしたいのであって、ただ手を繋ぎたいわけじゃない。
小走りで追いかけた僕は、ユヌちゃんの病室の前で彼女に追いついた。
病室の監視係と何か話してから、メイさんは扉を開けた。
「ユヌ、姉ぇねが来たよ。」
メイさんがそう言いながら病室に入ると、
ベッドで横になっていたユナちゃんの顔がパァッと明るくなった。
「ヤッシーもいるじゃん!」
「いるよ〜」
勢いよく起き上がるユヌちゃんに、メイさんは手を添えた。
ユヌちゃんは今日起きたことや、成果をメイさんに1から10まで話したいようだった。
その大部分は食事と監視係への不満だったが、
メイさんはどんな仕事の議題よりも関心があるように耳を傾けていた。
表情豊かに相槌を打つメイさんを、僕はつい見つめてしまう。
洞窟で見た笑顔を彷彿とさせる。
ここ数日、あれは夢だったのではないだろうかと幾度となく考えたが、
僕はあの日、確かにその手を取り、この地へ帰ってきたのだ。
メイさんは、僕にできることは同じ墓に入ることだけだと言ったが、
共に死ぬということは、共に生きるということではないでろうか。
それとも、メイさんにとって、死後の骨の在りかは取るに足らないことなのだろうか。
「ねぇ、ヤッシーは知ってる?」
ユヌちゃんの声で現実に引き戻された僕は、
彼女の話を全然聞いていなかったことに気が付いた。
「聞いてないじゃん!」
「ご、ごめん。ちょっと考え事。」
「だからさぁ、西門の近くの果物の飲み物屋さん。」
「飲み物屋さん?ごめん、知らないなぁ。どうして?」
「ほんとに何も聞いてないし!あそこのジュースが飲みたいの!」
あぁ、と僕が西門付近の様子を思い出している内に、
メイさんが急いで口を挟むかのようにユヌちゃんに言った。
「ユヌや、じゃあそのジュースはシヴィーが帰ってきたら頼むからね。」
「シヴィーっていつ戻るの?」
「今晩には帰国する予定だよ。」
「えぇー、じゃあ明日じゃないと飲めないの?やだぁ。」
「姉ぇねが買いに行ってやれなくてごめんね。」
ユヌちゃんも、メイさんにそう言われると「ちぇー」としか言えないらしく、
今度は今晩の夕飯を共にするようせがんでいた。
メイさんはそれを承諾し、ユヌちゃんの一言で僕も参加できることになった。
そうと決まると、メイさんは仕事を片付けに早々に部屋を出た。
僕はしばらくユヌちゃんの傍に留まっていたが、父から手紙が届いたと聞いて部屋に戻った。
手紙を読み終わる頃、部屋に誰かが訪ねてきた音がして、
僕は喜んで手紙を手放して来客に出た。
扉の外で僕を待ち構えていたのは、直立不動を貫く琴音ちゃんだった。
「どうしたの?」
「失礼します。」と言って丁寧にお辞儀をする琴音ちゃんが顔を上げるのを待てず、
僕がそう尋ねると、琴音ちゃんは顔を上げて、「はい」と答えた。
「補佐官様からのご伝言がございます。
『本日中に西門付近にある果物飲料店『宝石水』様へ伺い、ユヌ様宛の柑橘ジュースを購入してきて頂けないか』とのことです。」
「それをメイさんが?」
「補佐官様から、です。対応できない場合はそうお返事を頂きたいのですが。」
「勿論、行けるけど、どうして補佐官様は僕に頼むんだろう。
シヴィーさんに明日頼むって言ってたけど。」
「本日お約束されたご夕食をお断りせざるを得なくなったお詫びと聞いております。」
なるほど、と話に合点がいった僕は、口を真ん丸に開けた。
僕の表情に半ば引き気味の琴音ちゃんは、
「では、承って頂けたということで、
代金を僕に差し出し帰っていった。
扉を締め切る前から、僕は両の手で拳を作り、顔の前にまで上げて「よし!」と叫んだ。
父からの手紙を放り出し、僕は懐に代金を押し込み、部屋を駆け出した。
メイさんからの初めての頼み事を、完璧に全うせねばと意気込んで、
「宝石水」等という店名さえ知りもしない店へ向かった。
道中何人かの通行人に宝石水の場所を聞き込み、僕はついに目的のジュースを手に入れた。
風が強く砂が舞い上がり始めていた為、僕はそれを両手で抱えると小瓶を落とさないよう、細心の注意を払って走った。
ユヌちゃんはジュースを喜んだ反面、
メイさんが来られなくなったと聞いて大泣きした。
代わりに眠くなるまでここにいようと言うと渋々泣き止んでくれたが、
ユヌちゃんが眠くなる為には夕飯を食べ終えて、絵を描いて、歌を歌って夜食のデザートを食べる必要があった。
そっと部屋を抜け出したのは、もう日付が変わりそうな時間帯だった。
メイさんの仕事部屋に寄ると、案の定扉の隙間から光が漏れていて、
僕がノックをするとすごく業務的な声が返ってきた。
「失礼します。」
僕が入室して扉をゆっくり閉めた後でも、メイさんは顔をあげなかった。
何か書き物をしている。
メイさんと
「こんな夜更けに何か御用ですか。」
「いえ、ご報告に上がりました。」
メイさんは一度視線あげると、筆を置いて背もたれに背中をつけた。
ひどく疲れている様子が窺え、僕はなるべくそっとテーブルの端に果物のジュースを置いた。
「こちらは差し入れです。
2本ありますので、明日にでもユヌちゃんと一緒にお飲みになってください。
ユヌちゃんに頼まれた分は夕飯前にお渡ししました。
ユヌちゃんは、先程お休みになったので、そのご報告です。」
「左様か。他に御用は?」
「ユヌちゃんの様子ですが、メイさんが来られないと言った時は泣いていましたが、寝る時は落ち着いていたので大丈夫だと思います。」
メイさんは瞬きで、承ったと僕に伝えた。
「何かあれば、またお声掛け下さい。
喜んでお引き受け致します。では。」
今のうちにさっさと退散した方がお互いの為だと悟った僕は、踵を返して扉に近づいた。
「ありがとう。」
急に聞こえた声に固まりかけて、ドアノブに手をかけていた僕はさり気無い様子を装って振り返る。
メイさんはジュースを2本手に取って、僕を見ていた。
「少しでもお役に立てて、嬉しいです。
では、また明日。おやすみなさい。」
扉を開けて、ほとんど閉めかけた時、「おやすみ」という声が聞こえた。
届かないことを想定した声だったように思えた。
僕はもう1度ドアをあけて、首だけ部屋の中に突っ込んで「おやすみなさい」と言った。
メイさんはほんの少し驚いたようだったが、
他に返事を待たずに扉を閉めた。
僕はその夜、最高の心地で布団に入ることができた。
できなかった話ではなくて、実際にした会話を振り返ったし、
キセルの香りを思い出した。
同じ墓に入る夢をみたいと願って、不意にそれが僕だけの特権なのだと気が付いた。
共に生きることは皆んなできるけれど、
同じ墓に入るのは血縁者と、僕だけ。
布団の中で押し殺しきれない笑い声が溢れ、
全然眠ることができなかった。
翌日の僕の睡眠不足の様子を見て、
メイさんは二度と夜間の頼み事はしないと言ったが、それはまた今度の話。
おわり。
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