婿に行くと決めた日

りりー

【第1話】婿に行くと決めた日

空泳ぐ金魚様


大きな内開きの門がぐらりと揺れるように開いた。

格好としては、僕たちを迎え入れるように。


「すごい。」

思わず声を上げてしまうほど、扉の内側は華やかに栄えていた。

水の都と謳われるに、まこと相応しい。


迎え人ふたりはもう到着していて、まっすぐの棒のよう立っていたのだが、僕たちを見つけると大股で歩み寄ってきた。


「お待ちしておりました。

ミツシロ様。ヤシロ様。

水の都リェシアへ、ようこそ。」


暑い日差しの中、黒と銀の衣を纏う男性は左胸に手を当て、礼をした。

暑そうだなと思いながら僕も礼を返し、兄は女性の方へと手を差し伸べ、握手を求めていた。


「ヤシロ様はお越しになるのは2回目ですね?」


歩き始め少しすると、その男性、セナさんは僕を振り返り聞いてきた。


「えぇ、以前はメイさんと顔合わせに参りました。」

「覚えておりますよ。」


セナさんはニコリと微笑んで、また前を向いた。

僕もまた、周囲の風景に視線を戻した。

覚えているものは何ひとつないけれど、僕はここに馴染まなければならない。

眩しい照り返しや、少し賑やか過ぎる街並み、あとは物珍しさに振り返る視線など、それらに。

何故なら、僕はここへ婿入りに来たのだから。

数ヶ月後には、ここが僕の国になる。

今日はその為の、前準備のような何かだ。


馴染めるかなぁ。と、不安に思いながら、ぼんやりと街並みを見つめながら歩いていると、少し前の方から争う声が聞こえてきた。

目をやると、ふたりともまだ10ほどの少年で金魚の入った袋を取り合っていた。


「僕の金魚だい!」

「俺のだ!」

「お前なんか犬っころでも相手してろい!」

「俺の取った金魚なんだぞ!」


どうやら、その金魚の所有を争っているようだ。

たかだか金魚で揉めるとは、可笑しいなと、僕は少し笑ったが、兄はその様子を見て少しも笑ったりしなかった。

セナさんも、その取り合いの様子をじっと見つめている。

どうしようか、考えてあぐねているようだ。


「なんだか、揉めているみたいですね。」

「そうですね。」


セナさんが声を掛けようと口を開いた時、少年たちの元へ駆け寄る姿があった。


「お前たち何してるの!!」


有無を言わさぬ物言い。

多分、母親だろう。


「金魚様が傷ついたらどうするの!!」


少年たちの言い分も聞くことなく、母親らしき女性はその袋を取り上げてしまった。

そして、話し合いで決めてから袋を取りに来なさいと伝えた。


金魚に様をつけるなんて、変なの。

僕は不思議に思ったが、兄はやっぱり真剣そうな顔をしていたので、僕ももう笑いはしないことにした。


真面目な顔をして大通りを通り過ぎる一行があれば、誰もが目を留めるものである。

僕たちは街の人の視線を一身に受けているようであった。

もしかしたら、大勢の前に出ることが多い兄は、そんな小心者のようなことは思わないのかもしれないが、少なくとも僕は少し居心地が悪く感じた。

人の注目を集めるのは、苦手なことのひとつでもあった。



『どなた…?』

『婿候補って噂よ…』

『婿?誰がお嫁に行くのよ…』

『ユヌ様かしら…?』

『まさか。まだ御小さくていらっしゃるのに。』

『でも他に誰が…?』



井戸端会議のコソコソした部分を耳にしながら、僕たちは愛想を振りまくでもなく、楼閣へと真っ直ぐに大通りを通り過ぎた。


ユヌって誰だろう。


実を言えば、僕はこの国のことを何も知らないのだ。

勿論、兄から少しばかしの話は聞いている。


水の都リェシア。

砂漠の中のオアシスだ。

昔、とあるキャラバンの長が病にかかり、道中で伏せってしまわれた。

その子ら、およそ全員が養子か拾われ子の類でであったが、その内のひとりとして彼のために定住することを反対する者はいなかった。

日除けは有り合わせで作り上げたが、なにぶん砂漠だ。

水がなかった。


ほとほと困り果てようとしていた時、かの姫が現れた。

真っ黒な髪に真っ青な瞳を隠した姫で、何か食べ物を恵んで欲しいとやって来たのだ。

彼らのうち、打算の働く兄たちは、自分たちの境遇を話し、申し訳ないが差し上げられるものがないと言った。

しかし末の弟だけは、自分の食事を減らして良いからと、半ば強引に2日分の食糧となけなしの水一袋、更にはラクダまで一頭差し上げようとしたのだ。

姫は大層お喜びになり、このお礼は必ずと言い残して去った。

そして半年後にキャラバンへ戻った時には、宝石や食糧だけでなく、薬草や薬をラクダ5頭に乗せていらしたと言う。

何よりは、姫は驚くべき能力を継承してきた。

それが水源を言い当て、噴水のごとく湧きあげる力であった。


長は亡くなったが、末の弟はその姫と結ばれ、成した子もその子共たちも、水を操ることができる術師になった。

こうして砂漠の中に豊富な資源をもつキャラバンが起源の国が出来上がったわけだ。


僕がこの話を兄から聞いた時、真っ先に『水を操るとはどういうことか。』と質問した。

すると兄はしばらく考えたのち、『水の術師と喧嘩してる時には、朝起きて顔を洗うことすら危険になるということだ。』と答えた。


『でも、喉が渇いたら?』

『襲ってきても溺れない量の水をちまちま飲むんだな。』


兄がそう言うので、僕はついクスリと笑ったが、兄は少しも笑わなかった。

僕の身を案じてくれているのだろうか。

こんな、出来損ないの次男坊の身を。

しかし、流石にそんなことは聞けずに、僕が婿にくる日が来てしまった。



さて、目の前のことに意識を戻すのであれば、金魚様より変なものを目にした話ができる。


真剣な眼差しの兄たちと比べて、僕の方は夢心地で歩いていたから、これが夢か現かは確証がないのだが、そう、何かといえばまたも金魚だ。

一瞬だけ、空中に金魚がいた気がしたのだ。

見上げた空の、真ん中にだ。


何よりその大きさだ。

落ちてきたら優に建物数軒が下敷きになること間違いない。

ほとんど透けていたが、危険信号のような赤色の身体に、尾ビレはガラス細工のように繊細な透明で、消える間際にふいと空気を掻いた。


「兄さん。」

そう呼びかけて天を指差した時には、その魚はもう綺麗さっぱり消え去ってしまっていた。

透き通るように美しいばかりの青い空を、向けた指を静かにおろした。


「どうした、ヤシロ。」

兄さんが振り返り、不思議そうに問うたけれど、その時になっては僕の方が狐につままれたような顔をしていた。


「いや、今、金魚が…」

「金魚?」


怪しんだように聞く兄さんに、僕は言葉を無くして、その、と言い、「なんでもない」といい直そうとしたところで、セナさんが僕へ聞いた。


「もしや巨大な金魚がいらっしゃいましたか?」

「えぇ、そうです。

巨大な金魚が…いらっしゃった?」


僕は途中まで言いかけてから、ふと疑問に思い眉をひそめた。

金魚がいらっしゃったとはまるで、それこそ金魚様じゃあないかと。


「名をメナ様と言います。」

「なるほど。」


兄は合点がいったという風にそう答えたが、残念ながら僕はさっぱりだ。

僕のその顔を見て、兄さんは僕にまるで忠告の言葉のように言った。


「メイ殿の召喚獣ですね?」

「左様でございます。

この国の動向はメナ様がご覧になり、その目と言葉を通してメイ様が詳しく把握されるのです。」

「ご本人がご覧になった方が早いのでは?」


僕が問うと、兄さんは少し眉を寄せた。

どうやらあまり良くない質問だったらしい。

しかし、セナさんは快く答えてくれた。


「メイ様はご多忙でいらっしゃいますから。」


自分の代わりにパトロールをしてくれるなんて、召喚獣とは便利なものだなと思った。

統治者の血縁者のみ従えることができるらしいが、兄は術師ではないし、姉の旦那さんにも2度しかあったことがないから、この目で見るのはおよそ初めてだった。


「だから先ほど、彼女たちは金魚"様"と申していたのですよ。

この国で、金魚は守り神に等しいのです。」

「でもそれなら、金魚ではなくメイさんに敬意を示すべきでは?」

「一理あります。

しかし、この国の者の多くはメイ様を存じておりません。」

「え?」

僕の素っ頓狂な声に、セナさんは少し笑った。


「まぁ、それは後ほど。」

セナさんはそれ以上何も教えてはなかったが、それは意地悪なわけではなく、ようやく楼閣へ辿り着いたからだった。

見える距離になってから、実際に辿り着くまでに相当かかった楼閣は、国の割には小さいように思えた。

時間がかかったのは、僕の歩くのが遅いせいだろうか。



楼閣の屋根からぴょんと何かが降り立った。

猫だ。

紫色の、透けているのかと紛う程、美しい毛並みの細めの猫だった。

首に銀の輪をかけている。


セナさんがその猫へ頭を下げ、兄もそのようにしたので、僕も頭を下げてみた。

この国は動物を愛でる国だったろうかと、記憶を辿ってみたが、実際のこの国の記憶も、兄から受けた説明の中にもそんな言葉はなかったように思われた。


「イヒリエージェ様。

ミツシロ様とヤシロ様がおいでになりました。」


イヒリエージェ様と呼ばれた猫は、それを聞くとぷいと向こうを向き、歩いて行ってしまった。


「どうぞ。準備は出来ているようです。」


セナさんに案内され、僕たちは何階建てにもなっている楼閣の中を、僕たちはほとんど無言で1番上を目指した。


半ばまで登ったところだろうか。

カッカッという下駄の音がした途端、曲がり角からふと女性が現れた。

耳を隠す程の長さで切り揃えられた真っ黒な髪が、少し覆うお顔は大変端整な顔立ちをされており、白い肌に相応しい、華やかな赤い和服をお召しになり、蝶々結びにした黄色い帯を前側で垂らしていらした。


しかし、何より驚いたのは、それ程までに美しい召しものを大変だらしがなく、"着こなしていた"からである。

白い鎖骨から、襟は視線に困るほど下まで重なり合わず、袖が肘まで落ちることも躊躇わない様子で口元のキセルに左手を添えられていた。

真っ白な手のひらが、黒い艶のキセルを支えている様はとても美しい絵のようであった。


「こんにちは。」

兄と僕が頭を下げても、その女性は僕たちをただ見下ろしていた。

高下駄を履いているらしく、僕でも少しばかり見上げてしまう。


「誰じゃこの者共は。」


キセルをふかし、赤い唇を尖らせてふーっと煙を吐き出した。

威圧感のある様が、美しさより逞しさを引き立てている。

僕より、よっぽど強そうだ。


「はい。メイ様の婿候補であられるヤシロ殿と兄のミツシロ殿にございます。」


その女性は僕たちを見定めるように目を細めた。

息を吸うごとに、首のあたりの白い肌が膨らんでいるのが分かった。


「そうか。

シヴィー。お前、着いてお行き。」

「承知致しました。」


女性の後ろにいた男が前に出た。

黒に近い青い髪の、顔の右半分を前髪で隠した若い方だ。

ぱっちりとした目が印象的だった。

気の強い花魁のような女性の方は、ぷいと涼しい顔をして、まるで僕たちなどいないかのように通り過ぎて行った。


綺麗な人だったなと、僕はその後ろ姿を追うと、兄さんの警告的な視線に気がついた。

なに?と視線で問うと、兄は声に出さずに小さく口を動かした。


『 め、い。 』


と。

じっくり考え、そしてワンテンポ遅れて気づく。

今のがメイさん。

僕の、お嫁さんになる人だ。


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