第2話‐3 フウコさんのうわさ
それは、四時間程前のことである。
えりは、親友の
他の美術部員はと言うと、部長を務める三年生の男子生徒と二年生の女子生徒が四人の、計五人が参加している。
私立星降学園では、土日に行う部活動の参加は、基本的に個人の判断に任せている。生徒の自主性を尊重し、育てるためらしい。練習試合や大会前といった時は例外になるが、基本的に自由なため部活動を楽しんでいる生徒が多い。
えりもその一人で、部活動をするために学校に来ていると言っても過言ではないだろう。
えりが絵の下書きを描いていると、まなみが何気なく口を開いた。
「近くに新しいカフェができたんだって」
「え、本当?」
えりは手を止めて、まなみの方を向く。
うなずいたまなみは、ホワイトマリアージュと言う店名で、パフェが人気らしいと告げる。
三人とも甘いものが好きなため、すぐにそのカフェに向かうことにした。
片づけを終え、部長に声をかけて美術室を出る。
廊下は、不自然なほど静かだった。日曜日というのもあるが、他の文化部の活動がないからだろう。
ふと窓の外を見ると、相変わらず雨が降り続いている。湿度が高いせいか、制服が肌にまとわりついて不快なことこの上ない。
「ねえ二人とも、フウコさんのうわさって知ってる?」
昇降口までの道すがら、まなみがどこかのストーリーテラーのような口調で尋ねた。
そこまで興味がないのだろう、えりは素っ気なく知っているとだけ答えた。
さちえは知らないらしく、きょとんとした顔をしている。
フウコさんのうわさとは、私立星降学園中等部に伝わる七不思議の一つである。雨の日、特別教室棟の二階にいると、どこからともなく鈴の音が聞こえてくる。聞こえた方を振り向くと、
静かにまなみの話を聞いていたさちえだったが、次第に顔色が青ざめていく。
「大丈夫だよ。単なるうわさだから」
怖がらなくていいと、えりがさちえを元気づける。
さちえは涙をぬぐってうなずいた。
「さちが怖い話苦手なの、知ってるでしょ?」
えりが、まなみに苦言を呈する。
「雨降ってるから、思い出しちゃったんだもん」
いたずらっ子のような表情でそう言った後、まなみはさちえに謝罪した。
さちえは首を横に振り、もう大丈夫だと笑顔を見せる。
「まなは罰として、私達にケーキを
えりが軽快に宣言すると、
「ちょっと待ってよ。えりに奢る理由、なくない?」
「いいじゃん、ついでだし」
「じゃあ、一番安いアイスね」
「しかたない、それで許そう」
「……なんか偉そう」
まなみが不服そうに告げた後、三人は同時に笑いだした。結局のところ、この三人は仲が良いのである。
階段を下りようとしたところで、まなみが不意に立ち止まった。後ろにいたえりはぶつかりそうになり、声を上げる。しかし、振り返ったまなみは聞いていないのか、
「……ねえ、今、何か聞こえなかった?」
と、二人に問いかける。声が少し震えていた。
えりとさちえは顔を見合わせる。二人には何も聞こえなかったからだ。
……ちりん、と。
それは、微かだが確かに耳に届いた。
刹那、三人の表情が恐怖色に染まる。
気のせいや何かの聞き間違いにして階下を目指せばいいものの、得体の知れない恐怖に身動きできない。
ちりん。
先程よりもはっきりと、後ろから聞こえた。紛れもなく鈴の音である。
三人は青ざめたまま、後ろを振り返る。そこには、桃色地に
「どうして……?」
えりは思わずつぶやいていた。
先程通りすぎた時には、何もなかったはずなのだ。
毬がゆっくりと動き出す。ひとりでに。まるで、三人を誘っているかのように。
「フウコさんだ……」
まなみがつぶやく。
えりはまなみに振り向き、単なるうわさ話ではなかったのかと問う。
だが、まなみは歯切れの悪い返答しかできない。今まで体験したこともなかったし、聞いていた内容と違っている部分があるのだから。
二人がそんなやり取りをしていると、さちえがふらりと毬が転がって行った方へと歩いて行く。
それに気づいたまなみが呼び止めようとするが、聞こえていないのか、さちえはどこか熱に浮かされているようなおぼつかない足取りで来た道を戻る。
さちえが教室側の廊下へと進んで行くのを見て嫌な予感がしたえりは、まなみとともにすぐにさちえの後を追った。だが、廊下にはさちえの姿はどこにもなかった。
「嘘……」
茫然とするしかない。さちえとの距離は、そこまで開いてはいなかったはずだ。それにもかかわらず、さちえを見失ってしまった。
それだけではない。あの桃色の毬も、こつぜんと姿を消していた。
「私がフウコさんの話、したから……」
だから、さちえはフウコさんに連れて行かれた。そう、涙声でまなみはつぶやく。
「まなのせいじゃない!」
えりは、やや強い口調で告げた。
どこにでもある学校の怪談を話していただけなのだから、自分たちに非はないはずである。だから、まなみが自分を責める必要はないのだ。
「とりあえず、さちに連絡してみる」
スクールバッグからスマートフォンを取り出し、さちえの電話番号に電話をかける。
だが、呼び出し音が
えりは電話を切り、グループチャットにコメントを残す。
「さち、電話に出ないの?」
まなみが不安そうに尋ねる。
えりは小さくうなずいて、
「とにかく、この辺捜そう」
近くにいるかもしれない……いや、いてほしい。そう願いを込めて提案する。
うなずくまなみに、
「私、美術室側捜してみる。まなは、逆側お願い」
「ちょっと、えり……!」
呼び止めるまなみを残し、えりは来た道を戻る。
教室の中をガラス越しに見て回る。しかし、当然ながら誰もいない。
美術室まで戻り、さちえのことを部長に尋ねる。だが、三人が美術室を出た後は見ていないらしい。
落胆しながらも、えりは部長に礼を言って美術室を出る。
念のため、突きあたりにある図書室ものぞいてみることにした。しかし、ここも他の教室同様、扉には鍵がかかっている。ガラス越しに中をのぞき見るが、人がいる形跡はない。
焦燥感と膨れ上がる不安に押しつぶされそうになり、視界がにじむ。
こぼれ落ちそうになる涙をやや乱暴にぬぐい、えりはまなみと別れた場所に引き返した。
だが、そこにまなみはいなかった。
まなみに頼んだ方向には、教室が二部屋ある。しかし、そこまで長い廊下ではない。ましてや、部活動とは関係のない多目的室とコンピューター室である。鍵が開いているとは考えられなかった。
「そんな……」
えりは力が抜けてしまったのか、その場に座り込んでしまった。まなみまでいなくなってしまうなんて、これっぽっちも思っていなかったのである。
視界が歪む。絶望と後悔と罪悪感が、心細さと得体の知れない恐怖を連れてやって来る。
えりは、反射的にその場から逃げ出すように階段を駆け下りて職員室に転がり込んだ。
事務仕事をしていた女性教師が、驚いた様子でえりに声をかける。
えりが今しがた起きたことを説明すると、女性教師は半信半疑ではあったが、捜索に協力してくれるという。
「藤野さんは帰りなさい。後は、先生が捜すから」
優しくそう諭されては、従わざるを得ない。
えりはうなずいて、学校を後にした。
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