6

六道先生の住む松雪寺は大きなスギの木が特徴だ。あとは古くこじんまりとした本殿と、裏手の苔むした墓石が並んでいるだけ。全体的に、古くさくてもこざっぱりとした印象だった。

 私たちは一度家に戻ってからお寺に集まり、じき帰ってきた先生に案内されて、本殿脇にひっそり建っている一軒家にお邪魔した。

 そこは二階建てのこじんまりとした家で、居間に置かれた家具はソファーと本棚とテレビしかない。ていねいに折りたたまれた新聞が、きれいに拭かれたテーブルに置かれ、本も整然と並んでいた。男やもめの一人暮らしだと聞いていたので、どんなものが出ても驚かない覚悟を決めてきたのが、かえって恥ずかしい。私の部屋は散らかったまま放置していて、ここよりずっと汚いから。

 ソファーや床へ適当に腰をおろした私たちに、先生は台所から声をかける。

「よく来たな。まずは腹ごしらえでもしろ」

「手伝います」

 私は手伝うべく振り返ったところで硬直した。

 よれた室内着にギャルソンエプロンをつけた住職が、カップとティーポットを乗せたトレイを軽々運んできたのだ。お邪魔する前に決めていた覚悟は、ある意味正しかったのかもしれない。

「いや、いい。取井も座ってろ。俺の趣味だから」

「げげ。おっさんのお茶かよ!」

「悪かったな。遠藤だけスコーン没収」

「あ! ごめんなさい!」

 床で謝る遠藤に笑いながら、家主はソーサーとカップを手際よくを並べていく。

「おっさんと言うがな、これでもまだ三十五だぞ」

「うそ。三十五」

 思わず顔を上げた私に、先生はちょっとだけかなしそうに遠くを見る。父より老けて見える人に、ここまで完璧におもてなしをされるとは思わなかった。

 気を取り直したのか、先生はすぐ楽しげに紅茶を注いでいく。本当に楽しいんだな。

「まあ気にすんな。いやあ客なんて久しぶりだから腕が鳴るねえ。どいつもこいつもろくに食ってないだろうからロイヤルミルクティーにしたぞ。セイロンでいいだろ。本当はアールグレイに合うんだが、葉を切らしててな。今度来た時はそうしてやる。アールグレイで飲むミルクティーは別格だぞ、楽しみにしとけ」

 スコーンをのせる小皿も並び、テーブル中央に置かれたジャム入りの小鉢にはスプーンが添えられた。

「遠藤もソファーに座れ。食っていいぞ。これは昨日焼いたヤツでな。プレーンだがそのまま食っても充分うまい。温かいうちに食え」

「マジでおっさんのお手製なのかよ!」

「一人暮らしだぞ、料理なんて普通だろ。それとも俺がスコーン焼いて悪いか。うん、うまい」  先生がスコーンをおいしそうに食べるのを見て、私のお腹が鳴った。隣に座る会長がうれしそうにティーカップを取る。

「いただきます」

 会長の向こう隣では乾が硬直したままだった。呆然として口が開きっぱなしの点が、笑えるどころか同情を誘う。ただでさえ体育会系の真面目人間だから、すべてが信じられないんだろうな。私も信じられない。

 少し離れた一人掛けのイスは遠藤が陣取って、紅茶で舌を火傷している。おちゃらけている彼でも、どこか動揺しているらしい。

 私もコーヒーが良かったなとか思いながら紅茶を飲み、味に驚いた。

「おいしいっ!」

 それは初めて知る味だった。ミルクティーの牛乳臭さはまったく無く、それでいて紅茶の味がちゃんとする。紅茶がこんなにおいしい飲み物だなんて。

 家主の目が輝かせる。

「な! ちゃんと淹れた紅茶はうまいだろう! 負けたって気がするだろ」

「……いろいろ負けました」

 私は目の前の三十五歳男性に完全敗北を感じながら、スコーンを三個ほど胃におさめた。もっと食べたかったけど、気づいた時には乾と遠藤に全部食べられていた後だった。

 遠藤が最後の一個をほおばりながら聞いた。

「なあ。吉備を使っておびき出すって、罠とか張るのか?」

 先生はカップを置く。

「罠とはまた違うな。しばらく消えてもらうんだ。そして俺の指示にしたがって姿を見せる。吉備を捜していた鬼憑きは、なりふり構わず襲ってくるだろう。そこを討つ。というわけで、吉備は二,三日行動を規制してもらうことになる」

「学校サボるのかよ」

「違う。詳しい話はあとでゆっくりするから、今は紅茶でも飲め。おかわりいるか?」

 一斉にカップを出した私たちに、先生は吹きだした。


 一時間後、私たちは本殿に通され、言われたとおりご本尊の前に座った。すこしして現れた六道先生はさっきまでのエプロン姿ではなく、お坊さんらしく袈裟をまとい、引き締まった表情で経文を配る。

「自分のために読経しろ。それだけご先祖さんは護りに入る。はじめるぞ」

 そう言うと袈裟の裾を払って座布団に座り、鐘を鳴らす。私はぴんと来ないまま、なんとか六道先生のお経を追っていき、また鐘が大きく鳴り響いた。終わったらしい。

 住職は、今度はひとりひとりにお守りを渡していく。お経を上げたものだから普通に見る物ではないと思っていたが、またしても期待がはずれた。赤い生地に『御守』と刺繍された、そこらで売っているような物だった。私はなんとなく肩を落とす。

「これをできるだけ持ち歩け。首から下げたり財布に入れていてもいい」

「こんなもんでなにか変わるんですか」

 いまいち信用しきれない私に、先生はいじわるそうな顔で答える。

「しばらくの間、魔物が見えるようになる。そいつらは妖怪とはちょっと違って、野生動物みたいに存在している、この世のモノではない生き物だ。夜しか見ることができないけどな。寺を出たらわかる」

 会長は感嘆し、乾は怪訝顔でそれをしまった。その横でさっそく御守りをもてあそんでいる遠藤を、先生はたしなめる。

「特に遠藤、よく耳にいれておけ。見えるからって魔物にかまうなよ。へたに魔物を触ろうとして機嫌をそこねて噛みつかれたり、毒吐かれたりするからな。もし襲われて怪我でもしてみろ、吉備にも言ったが、そこから身体が痛みだす。もしもの時は真水で清めたり俺が祓えば傷は治るから、襲われたときは急いで寺に来るように。いいな」

 先生は言葉を切る。

「それとな。本来、魔物は赤い目をしている。しかし、ごくたまに金目のやつがいる。そいつは鬼に操られているやつだ。鬼がなにか取ってこさせたり、獲物を襲わせたり。獲物自身に、近くまで歩いてこさせたりもする」

 乾がなにかに気づいたように顔を上げた。

「昼休みの……」

「たぶんな。気を失ったあとの様子からして、吉備に術をかけてあったんだろう。安心しろ、数珠にふれた段階で完全に術から解放されてる」

 会長はほっと息をついた。

「乾は操られている吉備を見たか」

 乾は膝に拳を握ったまま、ちらりと会長を見て、言い辛そうにうなずいた。

「別人でした」

 驚く私たちのなかで、六道先生だけが納得顔だ。

「だろうな。あの時みたく飛ばされたりしたか?」

「すごい力でした」

 うそ、と会長は自分の手を見る。

「参考に、どんなことがあったのか話してみろ」

 乾はうなずくと、昼休みにあったことを教えてくれた。

 佐々木亭と姿を認めてすぐに裏へ行き、ふらふら歩いていく会長を呼んだらしい。しかし彼はふり返るどころか返事もせず、夢遊病者のように身体を揺らしながら足を進めていく。

 乾は嫌な予感がして駆け寄った。肩をつかんで呼び止めても足は止まらず、腕を取っても片手で払われたり、強く突き飛ばされる。どうしても止められないまま、ふたりはとうとう校舎の影まで来てしまった。もう殴ってでも止めるしかないと、拳を振り上げてこちらを向かせたとき、彼の目を見て乾は総毛立った。

 うつろな表情に光る、左目の金色。あの化け物と同じ瞳に乾は言葉をうしなう。

 そのとき、鬼に憑かれた西川アキが飛び降りてきて、会長のすぐ前に立ち塞がった。彼女の手が会長の腕を捕らえた時、影の向こうから佐々木亭が会長を呼んだ。声に驚いたのか、獣は体育館の屋根に姿を消し、会長は崩れ落ちたそうだ。

 佐々木亭は乾が大騒ぎしたと言っていたけど、あながち外れていなさそうだ。そんなことがあったあとなら、半狂乱で彼を呼んでいたとしても無理ないだろう。

 先生が話をつなげた。

「これでわかったな。操られている魔物は両目、人間は片目だけ変化する。力も強くなる。統計的には男より女のほうが多いようだな。あと子供。本人は操られている間のことは覚えていないし後遺症もないのが救いだけどな」

 先生はおもむろに座りなおす。

「金目のことに話を戻すぞ。この妖術は、距離があると使えないらしい。つまり金の目をした魔物がいたら、それだけ鬼が近くにいるということになる。ここからお前たちにやってほしいことだ、よく聞けよ」

 私たちは聞き逃すまいと全身で集中する。

「金目の魔物がいないかチェックしてほしい。日常生活の範囲でな。普段行かないところまで歩いて捜すようなことはするな。よく知らない場所だと、なにかあった時に逃げられないからな。見つけたら追いかけたりしないで、俺に報告しろ。場所とどんな魔物か、だけでいい。手伝ってもらう事はそれだけだ」

 そこまで言って、先生は会長に向き直る。

「吉備は金目の魔物を見かけたら、どこでもいいからすぐに神社の境内に入れ。寺でもいいが、その場合は雰囲気のいい寺にしろよ。寺はなにかが潜んでいることもあるからな。どうして神社かというと、魔物や鬼は鳥居を越えられないんだ。貴重な避難場所だから、家に帰ったら市内の神社の場所だけでも確認しとけ」

 それと、と先生は仏像の足下から小物を取って会長に手渡す。

「お前にだけ、これを渡す。持っていろ」

 根付けだ。赤い珠がひとつついているだけの、すごくあっさりした物。

「こいつを身につけている間は鬼からは見えないし、妖術も効かない。俺がいいと言うまで、二十四時間肌身離さず持っていろ。風呂のときもだ。ちなみにこいつも、魔物なり鬼なりにダメージを与えられる。ヤバイと思ったらこいつを投げつけて、その隙に逃げろ。一度しか使えないから慎重にな」

「はい」

 会長が真剣な表情でうなずく。

 遠藤は、御守りを投げてはキャッチしながらぼやいた。

「なんだ。見つけたらチクるだけかよ。協力しろ、なんて言うから、すげえ武器でもくれると思ったのにさ。つまんねえの」

 先生は冷たくにらみつける。

「調子に乗るな。武器になる物があったとしても、絶対にだめだ。子供のお前らは、武器を持つおそろしさを知らなすぎる。そんなうちから渡せるわけがないだろう。手に入れたところで、調子に乗ってすこしでも見せびらかして、使いたくてこらえきれず、最後には誰かに向けるのがオチだ。身を守るためならともかく、生き物に向けた時点で凶器となる。そこらへんの心構えがはっきりしないうちは、俺は持つことを許さないぞ」

 遠藤はばつが悪そうに頭を掻いた。

「わかったよ。でもさ、坊さんって、マンガみたいな事を本当にやってんだな」

 先生は笑った。

「確かにな。言っておくが、魔物の存在を知らないままお勤めしている坊さんが普通だ。俺も本職は一応、お勤めしているんだし。そこにちょっとだけ鬼が関わっているだけだ。……そうだな、俺のこともすこし話しておくか。そのほうがお前らも信じやすくなるだろう」

 先生は襟元を正すと、真剣な表情になった。

「俺は鬼に村をつぶされてな。その時、俺だけが生き残った」

 会長がハッとしたように先生を見つめるのを、私は感じ取った。

「以来、その鬼を追っている。追って捕らえて、できるならそいつは消さなきゃならん」

「消すって」

 殺すことですか、と私が言う前に先生は答える。

「殺すとは違って、存在自体を消す。殺すってのは肉体が無くなっただけで、魂は残る。魂だけになったヤツは、いつまでも浮遊して生き物に憑き、動物や人を食う。これがまたタチが悪くてな。鬼ってのは食らうことには貪欲なヤツで、これだけ食ったら満足ということがない。ただし、魂の状態では食えないらしくてな。なにかに憑いて食うことが多い。憑いたものが熊とかならまだしも、人間になると始末に負えなくなってな」

 先生はためいきをつく。

「憑かれたほうはその時に死んじまってるんだが、あるていど知恵のついた鬼なら、その人間のフリをしやがる。こうなったら周囲は気づきにくいし、知ったところで納得できない。挙げ句の果てには目も当てられねえ状況に陥る。もしも親に憑いたなら自分の子供から食いはじめ、子供に憑いたなら母親から食う。つまり一番身近な人間から食うんだな。気づいた時は一家ならず両隣まで食われていたって事もある」

 先生の硬い表情から、想像以上に凄惨なものに感じる。

「こう言っちゃなんだが、吉備を狙っている鬼憑きはまだマシなほうだ。獣のような動きをしてるから、異常に気づいて避けることができるだろ。問題はフリをしているほうだ。襲われた家の中で、泣きじゃくる子供がいたとする。こっちは生き残りだと思って近づく。泣きながら駆け寄って来たら、誰だって抱きとめるだろう。その瞬間、そいつに喉を食い破られたりするんだ。俺はとっさに突き飛ばして難を逃れたがな。鬼憑きの怖さはここにある。吉備に数珠を投げつけた理由もここだ。鬼に関わった相手には疑心暗鬼でかからないと、こっちが食われる羽目になる。これが遊びじゃないってこと、わかったな」

 誰も身動きひとつせず、本殿内は妙に静まっていた。

 うつむいていた会長が顔を上げる。

「すぐ消せるんですか」

「できるだけはやく消すつもりだ。消せなかったら封印だな。出没している鬼は大体が過去に封印されていたヤツだ。封印しないとならないほどの性悪ばかりだから、二度と現れないように消すのが一番いい。それが無理なら、もう一度封印してやるさ。人間は弱いようで強いもんだぞ」  先生は腕時計に目をやって、やおら立ちあがった。

「九時か。続きは明日、カウンセリング室でやるとしよう。やった物なくすなよ。男子は女子を送ってやれ」

 私は自分のジャケットを取るついでに、そばにあった会長のコートを持った。さらりとした生地越しに固く細長く重い物に触れて、すこし躊躇する。ペンケースにしては重い。なんだろうと思ったが、会長がコートを受け取った時点でどうでもよくなった。

「寺を出たら驚くと思うが、あまりさわぐなよ。逆に自分たちが変なんだからな」

 玄関先まで見送りに出た先生に、遠藤が尋ねた。

「なあ、六道。魔物って学校にもいるのか?」

「学校裏の壁にはうじゃうじゃいたぞ。でっかいゴカイとかびっしり」

 私は背中がむずがゆくなった。

 そして六道先生の言うとおり、お寺を出たら景色がおおきく変わった。

 お寺の門をくぐるまでは普段となにも変わらず、一番先に道路へ走り出た遠藤が悲鳴をあげて後ずさったのを、三人でくすくす笑いながら門を抜けたのだ。

 同時に、足を止めた。

「こんなんだったんだ」

 言葉の漏れた私の前を、中型犬くらいある赤い目をした鳩が歩いていく。

 固まっている遠藤の足下には二股首の大蛇が、貫禄あふれる肢体をくねらせながら悠然と舗道をすべっていった。通りすがりの四階建てビル壁の一部にはみっしりと赤い眼球があり、キョロキョロしたと思ったら眠そうに目を閉じた。

「すごいね」

「ああ」

 目を奪われたような会長に、乾も青ざめながらうなずく。魔物の存在を自分なりに認めたらしい。木々を揺らして、身体を赤く点滅させたクラゲの群れが夜空を横切った。

 魑魅魍魎の闊歩する闇の世界は、見慣れてしまえば新鮮で楽しい。交通安全の立て看板に貼りついたアメーバがするする姿を隠したり、ポリバケツの横でトカゲが丸くなっている横を私たちは歩いていく。身体に馴染んでいる街並みを、はじめて訪れた国でも歩くようにキョロキョロしながら。

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