8. 精選


 舞台鑑賞のその夜に物質世界滞在が終了した。予定ではまだ先であったにも関わらず、どうやらナツメの決意一つで受理されたようなのだ。



「天界は何処までも空気を読むのだな……」



 おそらく今世はもう二度と訪れることの無いフィジカル。そして帰還したアストラル。


 二つの世界を結ぶのは世界中にいくつか存在する時空の歪み。その一つである研究所前の森で目覚めたナツメは、生い茂った木々の隙間から見える夜空を仰いで、何故このタイミングだったのかを知る。



「新月」



 世界を渡れば衣服も変わる。ゆえに就寝前のパジャマ姿は一掃され、いつものシャツと白衣の装いに戻ってはいるが、時刻は確か十一時くらいであったはず。


 草木を掻き分け森を抜けると、予感は確かとなった。


 開けた草原の上で見上げた先は南の空。星々の瞬く晴天であるにもかかわらず、強き引力を兼ね備えたあの姿は見えない。



(呼んでいるのだな、私を)



 もうトラックの荷台に乗り込むなんて無茶な真似をする気はさらさらない。しかし、決意した内容が内容だけに堂々と戻る訳にもいかなかった。またブランチあたりがやんややんやと騒ぎそうだからだ。


 いや、それならまだ良い。



――ナツメ、私の希望。私に希望くれる――



 夏南呼むすめの存在を知ったあの頃の記憶が蘇った。低く呻いたナツメがぎゅっと胸元を握る。


 そう、彼女の姿を見たら……



――生きて。ナツメを、大切に、生きてほしい――



 あんな切ない声色を聞いてしまったら……決断は揺らいでしまうかも知れぬ。だけど、もう……迷ってはいられないのだ。




――すまない。




「すまない、ヤナギ……ッ!」




 一目散に駆け出した先は正面玄関ではなく裏側。研究室近くにある勝手口の方向だった。


 幸いなことに、こんなヒールを履いていたって自然に覆われた柔らかい地では足音らしいものも響きはしない。



 さっと靴を脱ぎ捨てたナツメ。


 あとは素早さが肝心だと気を引き締めて、ストッキング一枚の足のまま廊下を一気に駆け抜けた。



 自室に辿り着くともはや音などは気にせず、引き出しの中の財布をひったくって勝手口方面へと引き返す。



 あれっ、ナツメ班長!?



 途中で誰かに声をかけられたが、返答しているいとまは無いのだよと、すまないなと、内心でのみ詫びた。ブランチでもヤナギでもない、ただそれだけに安堵していた。



 ここはいわゆる“田舎”と称される場所。


 この時間帯に頼れる交通手段といったらタクシーくらいのものだ。



「海岸前までって……姉ちゃん、なんか変なこと考えてねぇだろうな?」


 客が乗り込んでも煙草の火を消そうとしない中年の運転手は、無精髭を生やし放題にした外見からしてもがらが良いとは言い難い。しかし訝しげな顔をしながら一度は振り返ったのだ。


 彼なりの親切なのかも知れないとわかりつつもナツメははっきりと言ってのける。


「極めてまともだ。安心して発車して頂きたい」


 そして余計な詮索はどうかしないで頂きたい。


 間違ってもこのまま巡回中の親衛隊に届けたりなどしないでくれたまえ、と祈るのみだ。そうでなければ理不尽なかかと落としをこの男に食らわせねばならぬかも知れないから……などと考えている自分がちょっと恐ろしくもあった。



 しかし、心配したのも無駄だったかと思うくらいすんなりと従った運転手によって、ナツメは思いのほか早く念願の場所へと送り届けられた。


「無理を言った礼だ」


 と言って釣り銭を拒むと


「へへ、どうもな」


 と頰を綻ばせて鼻歌など歌い出す運転手。


 つい一時間程前に私の身を案じたことなどとうに忘れているのだろう。良くも悪くも正直な男だ。



 誰の顔色を伺う訳でもない振る舞い、ちょっとばかり羨ましいな……などと思いつつ、ナツメは目的の断崖絶壁へと歩を進めた。




――やはり来おったか。



 耳にしただけでもすぐにわかる。


 七年前、私の自殺を止めに入ったあの頃と変わらない幼い声、幼い容姿。


 死者が着るような白い装束。今回はりん、と冴えた音色を奏でる杖のようなものまで携えている。



「お久しぶりです、ワダツミよ」



 驚くまでもなく呼んでやる。こうもあっさり登場されては拍子抜けするというものだが、いちゃもんをつけることでもあるまい。


 そして相手がこんな調子なのだ。余計な前置きも必要あるまい。



 正面から向き合ったナツメは早速本題へと突入する。



「あなたが言っていたことを思い出しました」


――唯一無二の存在。片割れ同士の魂――


「私も確かに確信しています」


――双子の光ツインレイと見定めた其方たちだからこそ……――


「ユキは間違いなく私にとって“魂の伴侶”だ。その上であなたは提案して下さった」




 口にするごとに過去が鮮度を帯びてくるのがわかった。夢ではない、確かな現実だった。



 七年前の新月の夜、ワダツミは私に言ったのだ。






――ユキという男のように、現世を捨てる覚悟はあるか?――





 “其方たち二人の魂の時間を巻き戻し、あの世界のあの時代に閉じ込める……という手段を私は思い付いた”



 “しかし運命は変えられぬよ。其方たちは永遠にあの時代を繰り返すが、どんな生き方をしても二十四歳で死することに変わりはない。夏呼という娘との間に子をもうけることもじゃ。巻き戻るのはあくまでも二つの魂だけ……”



 “そして転生は起こらない”




 “ゆえに、ナツメ。そして磐座冬樹は、存在そのものがこの世から消えることとなる”



 “どうじゃ? 悲しいか”



 “しかし、秋瀬夏南汰と春日雪之丞の永遠は手に入るのじゃ”


 “其方たちも結ばれることが全てとは考えておらぬじゃろう。ただ共に在り続けたいだけの極めて無欲な双子の光……見ていればわかるよ”



 “純粋がゆえに生み出すパワーも大きい”


 “ツインレイを必要としているこの世界にとって、手放すには惜しい存在。しかし純粋はときに脅威にもなる”



 “ナツメ、もとより其方は性別と世界を超える役割を担った特殊な魂じゃ”


 “そしてユキという男は其方と関わることで特殊となった。罪と交わることで、彼奴あやつも逃れられない宿命を背負ったのじゃ”



 “私としても判断に迷うところじゃった。しかし、私には逢引転生をフィジカルに残した責任がある”



 “ナツメ。勇敢なる魂よ”



 “我が子孫と深い縁を持つ其方もまた、我が子孫も同然”


 “閉じ込めることで解き放つ。これは私なりの懺悔のつもりでもある”



 “どうじゃ……?”



 “悪い話ではないと思うがのう?”







「そこまで思い出してくれたんじゃな」


「はい」


「これは重要な決断だ。ゆえに勢いだけで決めてほしくはなかった」


「わかっています。だからこそ七年もの間、私の記憶を封じていたのですね」




 厳かなる新月の宵に、向かい合う二人の間に、流れ込んだ秋風が潮の音を連れてくる。


 しゃん、しゃん、と。


 ワダツミの杖のてっぺんで鈴のがかすかに響く。神主の※ぬさを彷彿とさせる菱形の紙が幾重にも折り重なって吹雪の幻想までをも見せた。



「それで、其方は……?」



 やがてワダツミが問いかけると少しの間があった。



 しかしナツメは意を決した。確かな眼差しで、確かな決意を、確かな動きで示して見せる。




「お断りします」


「そうか」



「代わりに私の提案を聞いて頂きたい」



 ナツメはついに口にする。



「カルマの分担です。ユキの背負ったカルマを私に分けてほしい」


 こんな申請は見たことがない。受理されるかどうかもわからない。


 しかしもし出来たなら、それなりの代償もあるはずだと覚悟の元で……これを導き出した。



 やがて正面に小さな頷きを確かめた。


 ずっと無表情を決め込んでいたワダツミの初めて見る困惑の色を確かめた。



 返ってきた言葉で、やはり……と理解した。



「片方だけを分けるということは出来ぬ。其方は其方を半分失うことになるぞ」



 全ては選べない。


 この世はそうやって成り立っているのだと改めて理解した。



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 ※ぬさ・・・神職の者が御祓いなどの際に用いる杖状の神祭用具であり、御幣ごへいとも呼ばれている。



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