第七十七話 アイドル少女漂流記③
人の身体の約六割は水で出来ているらしい。
この一言が切っ掛けで、俺達三人の関係に微妙な亀裂が入ったのは確かであった。
漂流六日目。
パワビタンのおかげで体力だけは回復するので、俺達は医学的には健康な状態と言えるのかもしれなかった。
しかし、飢えと渇きだけはパワビタンで癒すことはできなかった。脱水状態でもないのに喉が渇く、力は満ち溢れているのに腹が鳴る。意識がはっきりしている分、余計にそれを感じて気が狂いそうであった。
朝日が昇ると俺は目を覚ますのだが、ふと、ある違和感を感じて飛び起きた。
「エミールっ! この馬鹿野郎っ、なにやってんだっ! やめろっ!」
俺は叫ぶと海面に頭を突っ込んでいたエミールを引き摺り上げる。
「離せええええええええええっ! そこに水があるんだああっ! 飲ませろおおおおっ!」
「それは海水だっ! そんなもん飲んだら死ぬぞ馬鹿野郎っ!」
間一髪まだそれほど飲んではいないようだったらしく、エミールはその場で胃液ごと海水を吐き出した。
カリカリカリ……。
後方から聞こえる何かを引っ掻く音に俺は振り返ると絶句する。
リサが床板を引っ掻いて剥がすと、それをスルメイカの様に噛みながらくっちゃっくっちゃと食べているのだ。
「塩水に浸かっていたので、いい塩梅になっていますよぉぉ、やっぱり海水は昆布の出汁がでているのでしょうかあ? ふひひひひひひ……」
「そんなもん食うんじゃねえっ! 腹壊したら余計に体力を消耗するだろうが馬鹿っ!」
俺は木片をリサから取り上げると海へ投げ捨てた。
もう限界だ。
空腹と喉の渇きで身体ではなく精神が限界を迎えようとしていた。
なにもない海の上を延々と漂っているのも影響している。嵐に見舞われない分まだ幸運ではあったが、景色は波が少し立つくらいで凪ぎの時なんかにはまったくなにも動かないのだ。
まるでここだけ時間が止まっているようなそんな錯覚すら覚える。人と言う生き物は時間を感じ取ることによって精神の安定を維持できているのではないか、そんな風にすら思えてくる。これでもし一人きりであったらとっくに狂っていただろう。
しばらくすると落ち着いた二人がしょんぼりしながら俺に謝ってきた。
「ごめんなさいべんりさん……私、どうしても喉が渇いて我慢できなくて……」
「同じく空腹のあまり、あんな醜態をさらしてしまってお恥ずかしい限りです」
二人とも項垂れて酷く落ち込んだ様子だ。やはりショックだったのだろう、自制心を失うと言う事はこれほどにも惨めな気分になるのであろうか、気の毒になってきたので俺は二人を励ましてやった。
「気にするなよ。俺だって正直、今にもおまえら二人に飛びかかっちまいそうなくらい疲弊してるんだ」
後から思えば、この時既に俺の精神も崩壊していたのかもしれない。
「知ってるか? 人間の身体の約6割は水で出来てるらしいぜ?」
俺の言葉に「ごくり」と喉を鳴らす二人。しかしリサは、なにを馬鹿なと呆れ顔で反論する。
人や魔族に限らずこの地上に存在するすべてのものが、この大地から神が生み出したものであるから、水どころか土で出来ているんだと、俺のことを馬鹿にしながら語っている。
馬鹿はおまえだ。まったくもってどうしようもないなこの異世界の奴らは、やはり人間には宗教よりも教育が必要であると痛感させられる。
そこで俺は、ちょっとこの二人を脅かしてやろうとある怪談話しをしてやることにした。
「そうそう、こんな話を知っているか?」
そう切り出した俺に二人は興味津々に耳を傾ける。
「これはとある海難事故の話なんだが、ある貿易船が航海中に嵐に遭遇して遭難してしまうんだ。方位磁石もきかない上に、空は曇って星も見えない、方角が分からないので下手に動くこともできずに船は大海原をただ彷徨い続けたんだ」
今の俺達とまったく同じ状況である。二人は固唾を飲んで俺の話に聞き入っている。
「そして漂流から3か月、ようやく遭難船が発見される。見つけたのは漁船だったのだが船に乗り込んだ漁師たちは驚愕した。甲板が血の海になっていたからだ。そして船内を捜索しているとすぐに生存者を発見した。40人ほど居た遭難船の乗組員は三分の一まで減ってはいたものの何とか生き延びていたんだ。なんにせよ無事でよかったと漁師達は生き残った乗組員の肩を抱いて励ますのだがあることに気が付く、30人近く死んでいるはずなのに船の中からは死体が見つからなかったんだ」
「く、腐るので、海に捨てたのではないでしょうか?」
エミールが言う。
「そう、初めはそうしていたらしい。しかし、
「さ……魚を釣って食べていたのではないですか?」
リサが言う。
俺は小さく首を振ると声を張って答えを言った。
「死んだ仲間の肉を食って生き延びていたんだよおおおおっ!」
つづく。
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