第七十六話 アイドル少女漂流記②

 海面に浮かぶ月を見つめながら、俺は知らず知らず「パンケーキが食べたいなぁ」と呟いていたらしい。


「食べ物の話をしないでくださいっ! 余計にお腹が減るじゃないですかあっ!」

「わりぃわりぃ、て言うかそうやって怒鳴ってばかりいると余計に腹が減るぞ」


 漂流を始めてからどれくらいの時間が経ったのだろう。少なくとも半日近くは経過していると思う、星の位置を読めれば今が大体何時くらいなのかわかりそうなものだが、こちらの星座はよくわからない。と言うか元の世界でもわからないや。


 今は日の出を待つしかない。夏とは言っても周りにはなにもない海の上なのだ。

 服が濡れていると体温が下がって体力を奪われてしまう。

 俺はこちらの世界に来てからというもの、もしもの時の為に常にパワビタンを一本持ち歩くようにしていた。それを蓋に注いで一人一杯飲んで体力を回復する。

 一日一回チビチビ飲んで行ったとしても4~5日が限界だろう。それに体力は回復しても空腹が満たされないのは非常に辛かった。


「とにかく夜の内は体力温存に努めよう。なるべく寄り添いあって体温を維持したほうがいい」

「変なことしないでくださいね? 私はこれでも一応騎士なので、べんりさんくらいだったら軽くひねり殺すことできますからね」


 俺のことを睨み付けながら物騒なことを言うエミール。なんか漂流し始めてからこの人やたら攻撃的になったような気がするんだけど気のせいかな?


 そして俺達は、渡り鳥が木の上で羽を休めるように寄り添いあうと、深い眠りに落ちるのであった。


 漂流二日目。


 目の前に広がるのは青い大海原、そして頭上には青空。

 本日は快晴! なにも遮る物のない海の上での夏の日差しは、はっきり言って殺人的な熱さであった。


「痛い痛い痛いっ! 日差しがいてえっ! 海面からの照り返しがソーラレイみたいじゃねえか!」

「うぅぅぅ、このままじゃシミになってしまいますぅ」

「シミどころか炭になっちまうぞこの熱さはっ!」


 こんなんなら日中は海水に浸かっている方がマシなのではないかとも思ったが、水の中にずっと居るのは体力の消耗が非常に激しい上に、もし鮫なんかが現れたら怖いのでやめておいた。


 俺とエミールは日中の日差しでこんがり上手に焼かれたのだが、日焼けは火傷なのでパワビタンを飲んだら回復した。


 漂流三日目。


「べんりさん! あれ見てくださいっ! あそこに、なにかが浮かんでいますっ!」


 空が白み始める明け方にエミールがそう叫んで俺のことを起こす。

 エミールの指さす方を見ると、そこには確かになにか大きな塊が浮かんでいて人の様にも見えた。

 手で床板ボートを漕いで恐る恐るそれに近づいて行くと、俺達はその正体に驚きの声をあげた。


「ま……まじかよ……」

「まさか、こんな所で会うとは思ってもみませんでした」


 それは台風に吹き飛ばされたリサであった。


 まだ息があるようだったので仕方なくリサにパワビタンを飲ませてやる。まあここで死なれたら夢見が悪くなりそうだしな。


「ハぅっ! こ……ここは!? ハっ!! べ、べんりさん!? 私は一体……なにがあったのですか?」


 それはこっちの台詞だ。台風に飲み込まれてあの荒波の中よく無事だったなこいつ。


 とりあえず俺はリサが飛ばされていった後の出来事をかいつまんで説明した。


「なるほど、そんなことがあったのですね。残念です……」


 リサはしょんぼりした様子で唇を噛んで悔しさを滲ませていた。


「なにが残念なんだよ?」

「くっ……できることなら、メイちゃんと一緒に漂流したかったですっ! そして二人っきりで無人島に流れ着く私達、メイちゃんも初めは何時もの様に私に冷たく当たるのですが、お互い頼る者が相手しかいないことにより二人の距離は縮まってゆき。あ! でも、そうしたらご褒美を貰えなくなりそうですし、ぐへへへっ! 妄想が捗りますねべんりさん!」


 とりあえずうっとうしいので俺はリサを海に蹴り落としてやるのであった。


 漂流四日目。


「あぁぁぁぁ、腹減ったよぉ。リサぁ、おまえ魔闘神なんだろ? 海に潜ってなんかマグロとか捕ってこいよぉぉぉ」

「捕ってきても調理ができないではないですか」

「はあ? おまえ、マグロなら生で食えるだろうがぁ。御馳走じゃねえかぁ」

「な……生で食べるのですか? 野蛮ですね」


 なに気取ってやがるんだよリサの癖に。そう言えばエミールの奴は大丈夫だろうか? 最近端っこの方で海面を見つめながらずーっとブツブツ独り言を言っているんだよなぁ。


 漂流五日目。


「べんりさん」

「なんだよ?」

「子作りしましょう」

「は?」


 突然真顔でわけの分からないことを言いだすリサ。とうとう気でも触れてしまったのであろうか? いや、元々頭はおかしかったからこれは平常運転なのか? もうなにがなんだかわらかないよ。


「おそらく私達はもう助からないでしょう、パワビタンも底をつきかけています。ですから! 私達がこの世に存在したという証を残す為に子孫を残しましょおおおっ!」


 こえええええええええっ! こいつ完全に目が逝っちゃってるぞ? 自分がなにを言っているのかわかっているのかっ!?


「馬鹿かおめえっ! 今から作ったって生まれる前に死ぬわああっ!」


 ん? そう言う問題か? でもなんだろう? これが生存本能なのだろうか、死を悟って本能的に子孫を残そうとしているのか、リサなんかに無性に欲情してしまっている俺。


 やばいやばいやばいっ! なにを考えているんだ俺は?


 潤んだ瞳で俺のことを見つめるリサの顔が俺の顔にだんだんと近づいてくる。そして湿った唇が俺の唇に……。


「できたあああああああああっ!」


 その瞬間、大声をあげてエミールが立ち上がった。


 その声に我に返る俺とリサ。危なかった。本気で危なかった。あのままエミールの前で、理性を失った俺はリサと獣のようにいたすところだった。

 俺は平静を装いつつ、取り繕うようにエミールに問いかける。


「な、なにができたんだエミール?」

「ぐふふふふっ! 新しい振付けですよぉぉぉ。これで舞歌祭は間違いなく成功ですよ? げへへへへへっ! そして私は一躍帝国のトップアイドルに! エミール・ホノカス・ユーチューンは“えみちゅん”って言う愛称で国民的アイドルになるのですよおおおおぉっ!」


 叫びながらその場で踊り狂うエミール。て言うか、“えみちゅん”ってなんだよ? おまえマジでそれは縁起悪いからやめたほうがいいぞ?



 つづく。

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