第3話

 那毬と留は、元いた場所に戻ろうと砂浜を歩いていた。

 行きに付けた砂浜の足跡は、まだまだ終わりが見えない。


「……疲れた」

「子どもって、体力ないよねー」


 推定年齢4,5歳だろうか。

 砂浜ということもあり、二人の体力の消耗は早い。普段運動不足なせいもあってか、二人の足取りはすでにおぼつかなくなっていた。


「しっかし、なんで異世界トリップしたのかねぇ…」


 妙に年寄り臭い口調で、留が呟いた。


「留さんが常々異世界行きたいって言ってたからじゃないかなぁ…」


 那毬が言う。

 留は現実逃避がしたいがために、時たまそんな台詞を吐いていたのだ。


「いやいや、言うだけで来れちゃうとか、どんなファンタジー?むしろ那毬のワイルドな運転のせいじゃ…」

「そう言えば、車に乗ってるときに異世界トリップしたっけ」

「軽自動車にあり得ないワイルド運転のときにね」


 最後の記憶は、黄色信号をアクセル全開でカーブしたものだ。

 那毬の運転は、那毬自身のお嬢様然とした見た目からは想像出来ないほど、ワイルドなものだった。


「いやいや、車でトリップって、どこぞの映画じゃないんだから…」


 はは、と乾いた笑いを漏らす。


「確かカーブした後、足元が光って…」


 それから先の記憶はない。


「まぁどっちにしろ、異世界って時点であり得ないしねぇ…」


 考えるだけ無駄か、と二人は早々に考えを放棄する。


「…ん」

「どうしたの?」


 少し先を歩いていた那毬が足をとめた。

 つられて足を止める留。


「なんか、騒がしい…?」


 那毬が首を傾げる。

 二人が耳を澄ませば、波の音に混じって聞こえてくる喧騒。断続的に金属音も聞こえてくる。


「嫌な予感」


 遠目に、数人の人の影を見止めて、二人は揃って顔をしかめた。


「神子様はどこだ!」

「俺に聞かれても…。ここでそれらしき魔力の痕跡を見つけただけだ。それ以上はわからん。」


 焦った様子の甲冑の男が、髭面の男に詰め寄っている。甲冑の男の後ろには、同じく甲冑を着込んだ者たちが整列している。


「大事な『箱』と『鍵』の神子様だぞ!?」

「だから俺もはるばる出向いてるんだろうが。このしょんべんたれの泣き虫が」

「な!?」

 

 髭面の男の言葉に、甲冑から除く顔がみるみる赤くなっていく。


「ふざけるな!この…、変態魔術師!色情魔!」


 言い合いを始める二人に、周囲は号令もなしに方々へと散る。おそらくこういった状況は初めてではないのだろう。周囲の甲冑たちは統制のとれた様子で、何かを――おそらくは「神子」とやらを探しているらしい。


「『箱』と、『鍵』ねぇ…」


 そして神子。

 留は顎に手を当て、考えるそぶりを見せる。

 幼い姿に、その仕草はアンバランスだ。


「留さん…、優雅に考えてる場合じゃないって!」

 

 那毬が焦った声を出す。

 二人はしっかりと、浜辺に足跡を残しているのだ。

 すぐにでも、二人は見つかってしまうだろう。


「まぁまぁ。待ちに待ったイベント発生よ。問題は、彼らが捜しているのが本当に私達なのかてことだけど」


 でなければ逆に、二人はこの世界で生きるすべを失ってしまう。情報を一切与えられないまま、ジ・エンドだ。

 

「どうせここから逃げても留まっても、結果は変わらないと思うし…」


 逃げようにも行くあてはなく、既に二人に体力もない。何より子どもの姿なのだ。


「諦め早いよ!っていうか、これ逃げるべき状況?おとなしく保護されるべき?」

「まぁ、すぐに殺されるってことはなさそうだけど」


 そう言いつつ、留の表情は硬い。彼らがさっき言っていた言葉が引っかかる。


「……一応敵意も害意もないことをアピールしておびえてましょうか」

「ほんと冷静ね」


 留の冷静さに那毬も落ち着いてきた。麻痺してきたともいえる。


「あれさ」


 近づいてきた甲冑の一人を見て、留が笑って言った。


「魔王軍、だったら楽しいなぁ」

「不吉なこと言わないで!」


 良くも悪くも、この留の言葉は現実にならなかった。 


目の前にかしずく甲冑の男は、イネスと名乗った。

 リアラ王国王国軍第三師団の団長、であるらしい。

 一人だけローブの男はケイと名乗ってすぐ、イネスに遠くへ追いやられた。イネス曰く、神子様への教育上非常によろしくないとのことだった。ケイはイネスの部下とともに、周囲の警戒に当たっているようだ。


「本当はお城の中に召喚される予定だったのですが、座標軸がなぜかずれてしまって…」

「……」

「第一師団から第十師団までが方々探しまわっていたのです」

「……」

「あぁ、リアラ城に召喚出来ていれば、すぐにちゃんとした服も、温かい飲み物も用意できましたのに!」

「……」

「………」


 那毬と留は、「保護」されてから一度も言葉を発してはいなかった。

 イネスは二人の幼い姿にか、一言も発さない二人を不審に思うこともなく、慈愛に満ちた目で見つめている。

 留は那毬の袖を引っ張る。

 素早く視線を交わした。


「急なことで戸惑いでしょう、神子様。まずは城へお連れします。それから、詳しい事をお話しましょう」

「……神子…って…?」


 ようやく言葉を発したのは、留の方だった。


「あぁ、神子様!ようやくお言葉を…!」


 それだけで相好を崩すイネスに、留と那毬は半歩下がる。いちいちリアクションが大げさで、興奮した様子は小さくなった二人には少し怖いものに思えてしまう。


「……神子様について、ですね」


 留の様子に、自分の表情を自覚したのか、咳払いを一つする。

 部下に命じて砂浜に敷物を敷くと、そこに二人を座らせ、甘い匂いのする飲み物を差し出した。

 恐る恐る、そのカップを手にとる。どうやら木でできた食器の様だ。


「神子様、というのは、特別な力を持った異世界からの召喚者の事です。特に鍵の力を持つ神子様と箱の力を持つ神子様は対の神子様で、魔王に対抗出来る唯一にして絶対の存在なのです」

「……魔王」

「十年ほど前に眠りから覚めた魔王は、徐々に力をつけ、今やその影響は世界のすべてに及んでおります……」


 朗々と話し続けるイネスを横目に、那毬と留は声を潜めて話しあう。


「……呼んだのは二人だけみたいね」

「でも飛ばされてきたのは三人」


 浜辺に置き去りにした彼は、まだあの場所で眠っているのだろうか。

 そろそろ誰かが見つけてもいい頃合いだ。

 そうなれば、異世界からの異邦人は三人。彼らの予想とは数が違ってくる。彼らの予想は等しく、必要な人数だ。一人余ってしまう。


「誰か一人は、おまけか」

「ていうか、魔王ってなんて王道…」

「確かに。神子も」


 二人して口元が緩む。それは苦笑いに近いものだ。


「あぁ、でもおまけじゃなかったら、魔王と戦闘か」


 留が小声で言う。隣に座る那毬にしか聞こえないほど小さな声だ。


「それはヤダ」


 留の声に合わせて、那毬も小さな声で返す。


「でもおまけはおまけで、不要だからと殺される可能性も…ある」

「あるかな」

「得体の知れない異世界人…かもしれない素性不明の輩を、保護する余裕があるかなぁ」

「魔王の手先ー、とか言ってやられるかも…かぁ」


 疑り深いのだ。歳をいくばくか重ねているために。

 少々似た境遇の本や映像を人より多く読んでいるが故に。

 二人して口をつぐんだ。イネスが二人の方を見たからだ。


「という、わけなのです。お分かりいただけたでしょうか」

「……」


 イネスが期待の目を向けるが、後半はほとんど聞いていない。

 まぁ、ほとんどが歴代の神子の賛辞だったようなので、さして問題はないだろう。

 二人は日本人が得意なあいまいな笑みを浮かべた。


「イネス団長!」


 金属が擦れる音と共に、一人の男の声が響く。

 その声には、当惑の色がみえる。


「なんだ」


 イネスが部下を振り返る。

 男の腕には、小さな男の子が抱えられていた。

 二人が浜辺で置き去りにした、彼だ。


「その……浜辺で、気を失っておりまして。神子様ではないか、と……」


 イネスは部下の腕の中の少年を凝視し、また振り返り二人を見る。


「神子様が、三人…?」


かすれた声が、こぼれた。


「さて、どうなることやらね」


 どこか楽しそうな留の言葉は、那毬にしか聞こえなかった。

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