夢と現の二重生活~夢だと思ってたら実は異世界でした~

@HEBO

第1話 夢の中の皇太子

 柔らかな陽の光に誘われて瞼を開けた。

 すっきりとした目覚めなので、睡眠時間は十分なのだろう。

 五~六人は楽に寝られそうなベッドから身を起こすと、ぐっと背伸びをした。

 心地よい陽光と穏やかな風が全身を撫でる。

 枕元にある呼び鈴を鳴らすと、白亜の香木に金粉を塗りたくった観音扉が開き、見慣れた顔が現れた。


「おはようございます。殿下」

「あはようアルフレッド」


 アルフレッドは、物心ついた頃には専属執事として側にいた男である。

 アルフレッドの顔に刻まれたシワは大木の年輪のごとく、その経験と老練さを雄弁に語っていた。

 俺とアルフレッドが接した時間は父親とのそれよりも長いので、育ての父とも言える。


 生みの父の名誉のために言っておくと、父は冷淡な人間ではない。

 俺がこの国の皇太子であり、父が皇帝であることを考えれば、それも致し方ないことなのだ。


 帝位継承権第一位、レオンス・ラ・ファイエット皇太子殿下。


 それが俺の地位と名前だ。

 もっと言うと、これが夢の中におけるステータスだ。


 気が狂ったわけではない。

 これは俺が見ている夢だ。

 幼少の頃から、俺はこの夢を見続けている。

 他人に聞いてみると、夢なんて見ないことも多いしその内容もバラバラらしい。

 どうして俺だけが同じ夢を見続けているのかはわからない。

 わからないまま、現実の俺は高校生になった。


「アルフレッド。今日の予定はどうなっている?」

「午前中は数学及び歴史学のご講義がございます。午後はフィッツジェラルド公爵家の屋敷にてご昼食を召し上がり、その後、同公爵家の領地で狩猟を行います。宮廷に戻られた後には、ご就寝まで特にご予定はございません」

「わかった。すぐに朝食にする」

「御意に」


 それからはほぼ毎朝のとおり、洗顔や朝食等を済ませた。

 講義室まで移動する際、ちょうど居合わせた使用人たちが隅に控えて挨拶をする。


「おはようございます。殿下」

「おはようキャシィ。今日もよろしくたのむぞ」


 アルフレッドから聞いた話だが、こんな風に使用人にいちいち応える皇族や貴族というのは珍しく、ましてやその顔と名前まで把握している皇族は俺くらいらしい。

 偉い人とはそういうものなのかもしれないが、こちとら本性は現代日本で慎ましく生きる小市民。

 挨拶されたら応えなきゃ気まずいし、毎日そうしていれば顔と名前も覚えてしまう。

 この偉そうな口調も、何とか貴人のそれっぽく演じているに過ぎない。

 そうした小市民の性のような行動なのだが、そのお陰で使用人の間における俺の評判は良いらしいというのだから、ずいぶんと楽な地位に生まれたものだと思う。


 そういった傾向は先生たちにも見られた。

 例えば今日講義をしてくれる数学教師からは、随分と良い評価を貰っている。

 日本の俺は数学を諦めた典型的な文系だが、この世界で習う数学は算数とも言えそうな水準だった。

 例に挙げると今習っているのは立体の体積や速さの求め方、中一レベルの方程式等々で、スラスラと解くものだから成績はとても良い。

 無論、この世界にも本当に難しい高等数学は存在する。

 最高学府たる帝都大学などは天才や奇人の集まりで、数学教授の身で軍隊に出向中の変人もいるとか。

 それと全く意識していなかったが、俺の授業態度の評価も良かった。

 他の帝族や貴族の子の中には、平気で遅刻したり寝たり怒り出したりする輩も少なくないらしく、無遅刻無欠席で黙って拝聴している俺はとても有り難いらしい。

 俺としては高校と同じように授業を受けているつもりだし、教師たちは帝国大学の教授というお歴々なので多少襟を正していた節もあった。

 東京大学教授とかそういう肩書きに弱い日本の一般市民らしい習性が、思わぬ形で役に立ったのだ。


 午前中の授業を終えると、俺は馬車に揺られてフィッツジェラルド公爵の屋敷へと向かった。

 フィッツジェラルド家は建国時は既に貴族だった由緒ある家で、帝族とも親交が深い。

 現当主のシュミット・フォン・フィッツジェラルドは典型的な遊び人で、悪人と言われない程度に権力や富を好きに振るう人物だった。

 昼食会の折にも、このワイン一本で良い馬が買えますぞと笑いながらグラスを傾けていた。

 フィッツジェラルド家のワインセラーにはそんな逸品が束になって保管されているという。

 この世界では俺の年齢でもワインを飲んで良いらしく、少量ながら大人の味を楽しんだ。

 

 昼食が済むと、俺はほろ酔いのシュミットに誘われて、狩猟へと出かけた。

 フィッツジェラルド邸の庭には広大な森林と草原があり、そこに猟犬と従者と鉄砲を伴って馬を走らせた。


「皇太子殿下。相変わらず素晴しい騎乗ですな! 我が輩は名馬を多く持ってはおりますが、歳のせいかなかなか走れなくなってしまいました」

「まだまだだ。卿の名馬に乗せられているに過ぎん」


 実際のところ、フィッツジェラルド家の馬は粒揃いだ。

 他で乗る馬と比べると、反応速度も小回りの良さも大きく違う。

 シュミットはワインの他に馬にも眼がなく、厩舎には乗り切れない数の名馬たちが並べられている。

 なるほど豊かさを象徴する姿だが、現代日本で生まれ育った身としては、税金をこんな道楽のために浪費しているというのがどうにも気になる。

 かといって自分の口からああせいこうせいと命令する気にもなれない。

 帝族といってもまだ皇太子であり、あまりうるさくは言えないのだ。


 無論、俺の根っこが小心者というせいもあるが……。


「皇太子殿下! あまり速く走られては危のうございます」


 背後から、聞き覚えのある声が耳朶を打ってきた。

 振り返って見れば、見覚えのある少女が馬に横乗りしながら近づいてきていた。

 少女の乗る馬は見事な白馬で、従者によって引かれている。


「心配は無用だリリス嬢。本当に良い馬というものは乗りやすいものだからな」


 リリス嬢と呼ばれた少女の顔に、笑顔と困り顔が同居している。


 リリス・フォン・フィッツジェラルド。

 シュミットの娘であり、この世界の俺と同年齢だ。


 その整った顔立ちと高貴な紫色の瞳は既にある種のオーラを放っており、貴族はもちろん平民の間でも評判らしい。


「そうだぞりリス! 我が輩の厩舎に暴れ馬などいない」

「もう。お父様はまだ酔っていらっしゃる」

「こんなもの、酔っているうちにはいらん!」


 そう言いつつ、シュミットは赤ら顔を振るわせてしゃっくりをした。

 困り者の父としっかり者の娘を助けるべく、話題を変えることにした。


「それにしても、未だに獲物が見つからないとは不運なことだ」


 貴族の狩猟では、まず猟犬が獲物を見つけ、こちらの方に追い立てることから始まるのだが、今のところその気配はなかった。

 猟犬たちは先ほどから鼻をひくつかせてはいるが、吠え声は一向に聞こえない。


「おおその通りでございます殿下。近頃は天候が悪く、獲物も減ってしまいました」

「近頃ではありませんわお父様。もう三年はこの調子です」

「うむ。そうだったかな?」

「三年前と言えば、ちょうど北方で火山が噴火したと聞いている。それが影響しているのかもしれん。巻き上げられた火山灰が日光を遮るからな」

「まあ。ここは南方ですのに、北方での噴火の影響が三年も続きますの?」

「自然の力とはそういうものだ。北方のセーヴィル帝国はここよりもっと深刻で、我がランシール帝国と食糧援助の交渉をしているが、難航しているらしい」

「うーむ。殿下の仰るとおり、ワインの出来もここ三年のものはすこぶる悪く、体調を崩す馬も増えています。これは参りましたな」

「……お父様はワインと馬のお話ばかり」


 やれやれと俺が肩をすくめてみせると、フィッツジェラルド親子も釣られて笑い出した。

 その後も狩猟は続けたが、結局成果は何もなかった。

 狩猟の終わり頃にはシュミットの酔いも覚め、赤ら顔が深刻な顔になった。

 殿下を誘った言わば接待狩猟であるのに、これではマズいと流石に自覚したのだろう。

 

「フィッツジェラルド卿。本日の狩猟は残念であった」

「申し訳ありません殿下! 当方からお招きしながらこのような結果になってしまい誠に……」


 冷や汗をかきながら馬から降りて謝罪しようとするシュミットとリリスを押し止めるように、言葉を続ける。


「そう慌てるな。狩猟代わりに卿のワインと馬の話を聞いていたら、私も一杯欲しくなってきたところだ。詫びをしたいのであれば、今宵に卿自慢のワインを振る舞ってくれぬか?」

「ははっ! ただちに晩餐の準備をいたします!」


 そうして、フィッツジェラルド邸では急遽晩餐会が開かれた。

 本当に急な話であったので、参加者は俺とフィッツジェラルド一家だけである。

 内心を言えば、見目麗しいリリス嬢の隣で食事をするのは楽しい。

 少なくとも、宮廷に戻ってあの人らと食事するよりはずっと……。


「……? 殿下。いかがされましたか?」


 ハッと我に返り、微笑みでその場を繕う。

 眼と眼が合ったせいか、リリスはほんのりとその白い頬を紅らめた。


「少し、家族のことを考えていた。フィッツジェラルド家は仲が良くて何よりだ」

「それこそが我が家が長く続いてきた秘訣でございます殿下!」


 酔っ払って調子を取り戻したシュミットが豪快に笑う。

 実際のところ、フィッツジェラルド家は仲が良い。

 夫妻もその子どもたちも、皆慣れた様子で歓談している。


 俺の家族というか、皇族ではこうはならない。

 愛想笑いと腹を探るための会話ばかり交わされる。

 皇帝には数人の夫人がいて、俺は第一夫人の長男という最高で最悪のポジションにいる。

 俺の母である第一夫人は既に故人であり、同腹の兄弟はいないので、俺さえいなくなってくれればと願う者は少なくないのだ。


 そういうわけだから、宮廷での食事は一人で摂った方がだいぶマシという有様なのである。


「いかがですかな殿下。不肖の娘ながら、リリスであればいつでも殿下のお側に参らせますぞ?」

「貴方! またそのようにはしたないことを」


 シュミットの隣の夫人がキッとたしなめる。

 なるほど、リリスはこのご夫人に似たのだろう。

 しかり方がよく似ている。

 そして、当のリリスは顔を真っ赤にしてうつむいてしまっていた。


「ふむ。それは何よりの話だが、リリス嬢の気持ちもくまなければな?」


 リリスはバッと面を上げ、慌てて取り繕う。


「で、殿下!? そのようなお戯れを仰っては困ります。私では不相応でございますゆえ」

「うむ。ではリリス嬢に相応しい男になれるように精進しよう」

「殿下!?」


 宴席はどっと笑いに包まれた。

 リリス嬢だけはしばらく困惑したような顔をした後、すねたようになってしまったがそれもまた可愛らしかった。


 そうして宴が続き、夜も更けた頃、俺はフィッツジェラルド邸を後にした。

 俺は軽く水浴びをして歯磨き等を済ませた後、ベッドに飛び込む。

 程良い疲労感の中、意識がどこかへと吸い込まれていくのを感じた。


 それが、目覚める時が来た知らせだった。


 どのくらい眠ったかはよくわかっている。

 昨晩午後十時に寝て、今が午前六時なので約八時間だ。


 敷布団から身を起こすと、乾いた空気とその肌寒さに身を震わせる。

 季節はもう十月であり、秋から冬になりつつある。

 誰に告げることもなく、黙って茶色いドアを開けた。

 冷気に満ちたフローリング張りの廊下を抜け、ダイニングまで行くと、食卓の上にラッピングされた朝食が並べられていた。

親が共働きの我が家ではいつもの光景だ。

父も母も、俺が起きる前に家を出て、俺が寝た頃に帰ってくる。

そんなことだから、共に食卓を囲む方が珍しかった。

 冷水を顔にぶつけて眠気を洗い落とし、軽く歯を磨く。


 冷蔵庫を開けてお気に入りのヤクルトを探したが、何故か見つからない。

 昨晩はあったので、親のどちらかが飲んでしまったらしい。

 こういうことは一度や二度ではなく、飲まないでくれと言ったのに一向に守られる気配がない。

 皇太子の夢ではあり得ない無礼だ。

 それから解凍した白米を生温い味噌汁で掻き込むと、いつもの学生服に着替えて、誰に見送られることもなく自宅である古びた社宅を後にした。


 平和ではあるが、皇太子の時と比べてなんとつまらないことか。

 こんな世界が夢であるはずがないというのも、高校生が現実で皇太子が夢だと確信させる材料の一つだった。

 皇太子の時は帝国の未来を背負っていたというのに、高校生の俺が背負っているのはせいぜい自分の未来くらいだ。

 平凡な自分の未来がどうでも良いとまでは思っていないが、それにしたって格差が大きすぎる。


 ただ、魅力がないように見える高校生生活にも、それなりにイベントというものがある。

 十一月の開催に向けて現在準備中の学園祭がそれで 最近の放課後はその準備に追われている。

 個人的にはこの手のイベントに情熱を燃やすタイプでは全くないのだが、学園祭の準備には積極的に参加している。


 何故なら、クラスメイトの橘桜さんもその準備に熱心に参加しているからだ。

 橘さんは、このつまらない高校生活に見いだせる数少ない美点である。

 切っ掛けは今から約四ヶ月前、高校入学間もない頃に行われた体育祭だった。

 借り物競走で「敷島さん」と指定された橘さんは、迷うことなく俺の手を引っ張り、ゴールまで一緒に走ったのである。

 あの時感じた手の温もりと、女の子特有の柔らかさ。

 ゴールした後、俺に向けられた橘さんの笑顔が今でも忘れられない。


 橘さんと同じクラスになってから二ヶ月程度しか経っておらず、会話もなかったので、まさか名前を覚えられているとは思っていなかった。

 橘さんは俺のような中学からのエスカレーター組とは異なり、高校受験して入って来た人で、入学当初から男連中の間で話題の美少女だった。

 ひな人形のようにお淑やかで、長い黒髪がよく似合う大和撫子。

 噂では、結構良いところのお嬢様らしい。

 それでいて、体育祭の時は軽快な走りで思わぬ運動神経の良さを披露した。

 地味男の俺にとってそんな橘さんは高嶺の花であり早々に諦めていたのだが、体育祭の件で呆気なく好きになってしまった。


 我ながらチョロい。

 どうせ他人に摘まれる花を求めて何になるのか。


 それでも、今日も俺は橘さんを横目に見ながら学園祭の準備に勤しむ。

 そして気付けば、時計の短針は七時を指していた。

 そうなるまでに一人また一人とクラスメイトは帰っていき、教室に残っているのは俺一人となっていた。

 何故こんなことになってしまったかといえば、最も時間のかかりそうな物に手を出してしまったせいだ。

 それは旗のように掲げるタイプの大きめの看板で、看板の組立から塗装まで俺がやることになっている。


 何のことはない。

 橘さんとなるべく一緒にいる口実として一番時間のかかりそうな仕事を引き受けたが、その橘さんが予想外に早く帰ってしまってこの有様である。

 明日やるという選択肢もあったが、半端な仕事をしたと思われるのも嫌なのでこうして残っている。


 作業自体は滞りなく進み、塗装が終わって後は看板の組立というところまできた。

 工具箱から釘数本と金槌を取り出したその時、ガラガラと扉が開く。

 見ると、なんとそこに橘さんが立っていた。


「あれ? 敷島君一人?」

「え、えーっと。看板作ってたら時間かかっちゃって。橘さんこそもう帰ったのかと」

「中等部にいる妹への用事だったから、校内にはいたの。それでまだ教室に明かりが付いてるから、何か手伝えることあるかなと思って」


 なんて良い人なんだ。

 俺だったら無視して帰っているだろう。

 軽く感動していると、橘さんがつかつかと歩み寄ってきて、看板に触れた。

 手を伸ばせば届く距離にまで橘さんが近づき、シャンプーか何かの柔らかな香りが鼻孔をくすぐる。


「色塗りは終わっているみたいね」

「後は組むだけだから、こっちでやっておくよ」

「二人でやっちゃおう? そうすればあっという間だから」


 断る理由はない。

 俺は看板の柄の部分を橘さんに押さえてもらい、板と柄を固定させるべく金槌を振り下ろした。

 すぐそばで橘さんが見ているだけあって、かつてない精度と集中力で釘を打ち込んでいく。


 その甲斐あって、看板は本当にあっという間に完成した。


「本格的ね。工作得意なの?」

「いや人並みだよ。ネットに載ってたのを真似しただけだから」


 情報技術という点に限れば、現代はその辺の古典SFを超えている。

 この看板だって、検索して細かい作り方を把握するまで五分とかからなかった。

 橘さんは教室の片隅に看板を立てかけると、ロッカーから鞄を引っ張り出した。


「一緒に帰って良い?」


 脳内で特大の花火が打ち上がるのを感じた。

 間違いなく今日も良い夢を見られるだろう。


 すっかり陽が暮れた中、俺は橘さんと手と手が触れあいそうになる距離を保ちながら、帰路についた。

 途中で話したのは、学園祭についてとか、今日の授業についてとか、本当に他愛もない話ばかりだったが、他に代えようのない至福の時間だった。

 こうなると、もっと話題を前進させられないかと欲が出る。

 もう少しプライベートな方向に話を持って行けないかと考え、妹さんのことを思いついた。


「そういえば、妹さんとの用事って何だったの?」

「ちょっと急な相談があるって言われたの。男の子に告白されたけどどうしようって」


 思ってたよりもプライベートな話だった。


「それでどうアドバイスしたの?」

「相手の男の子のこと調べて、駄目って言ってあげた」

「へ、へえ。随分と早い決断というか、手厳しいね」

「とんでもない!」


 それまでの温和な口調が完全に消え失せていた。


「相手の男の子はね、普段からたくさんの女の子に声かけ回って迷惑がられてる人だったの。嫌がられてるのに全然自覚なくて、もう今までで最低だった」

「今まで?」

「妹が告白されたのは今回が初めてじゃないの。駄目な男の子ばっかりだったけれど、今回は極めつけ。直接本人に話を聞いてみたら、へらへら笑って私にまで誘ってきたんだから! その時は笑って断ったけど、本当は蹴っ飛ばしてやりたかった」


 熱が入りすぎたと橘さんも自覚したのか、恥ずかしそうに顔を下げた。


「……ごめんなさい。なんだか変だったね」

「い、いやぁ。まあ悪い男に捕まらなくて良かった」

「ホント、敷島君みたいに真面目な男の子ってあんまりいないよ」


 妹さんの話から俺が褒められる展開になるとは思わなかった。

 オマケに、男を蹴っ飛ばしたがるという橘さんの意外な一面を知ることが出来た。

 棚から宝石が出てきたような気分だ。


「ありがとう。まあ妹さんにもそのうち良い出会いがあるよ」

「そうだと良いけれど」

「でもそんな何度も告白されるなんて、もしかして妹さんってかなり可愛かったりする?」

「……」


 橘さんの顔をきっちりと見る勇気はないが、怒っているのはわかった。

 蹴っ飛ばされないうちに弁解しよう。


「も、もちろん変な意味はないよ?」

「……なら良いけど。確かにうちの妹は可愛い。中学校で妹より可愛い子なんて見たことない。小動物系って言うのかな? 抱き締めると凄く癒やされる。それにどこか夢見がちでぼんやりとしているから、男の子からすれば隙があるのかもね。そういう子だから、少なくとも中学生のうちは駄目。もっと責任を持てる歳になってからでないと、安心できないもの」


 頑固親父みたいだなぁという感想を内心に押し止め、俺は笑って返した。

 妹さんと付き合う男は大変だ。


 それはそれとして、橘さんとこういう話が出来るとは、今日はなんて良い日だとしみじみ思う。

 映画か何かだったかは知らないが「素晴しきかな、人生」とはこのことだろう。

 俺の心に、かつてない安らぎと寛容さが宿るのを感じる。

 あんなに鬱陶しかった冷たい空気も、今は爽やかな清涼剤のように思える。

 今ならアフリカの恵まれない子どもたちに千円くらい軽く寄付できるし、臓器提供カードにも全部丸を付けられるだろう。

 恋愛というのはこうも心を綺麗にしてくれるものなのか。

 どおりで音楽界が愛してるのバーゲンセールなわけだ。


 ウキウキのまま、俺はコンビニ弁当を宮廷料理のように有り難くいただき、満ち足りた気持ちで床に入った。

 貧相な敷布団も、今だけは宮廷の豪奢なベッドと同等に感じる。


 さあ今日も皇太子生活を頑張ろうと、意識が沈んでいく中でそう思った。

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