星の砂

崗本琢也

第1話

  街からは春の気配が消え始めていた。どこかのマスターピースよりも華やかに咲き誇っていた桜の木々も、五月の訪れとともに衣替えに勤しんでいる。

そんな桜並木を歩いている僕の足並みはひどく悪い。昨晩、飲んだ酒が残っているわけでもなく、病を患っているわけでもない。ただ、一人の女に騙されたという事実が僕の体を蝕んでいるのだ。

 昨晩、僕は木屋町にある学生バーで待ち合わせをしていた。そこは、一杯を二百円で飲むことができるバーで、常に学生で賑わっていた。そんな学生の例に漏れることなく、僕と僕の彼女も週に一度通うほどであった。

僕は研究室で課題を終わらせると、友人たちに挨拶をせずに後にした。当然、彼らはいつも挨拶をする僕の方を向いていたが、今はその顔を思い出すことさえ、もったいないと感じている。カバンにしまっていたケータイを取り出すと、彼女からのメールを読み返す。『今日の午後八時、いつものバーに来て』

 大学を出ると、目の前のバス停から京都駅行のバスに飛び乗った。すかさず時計に目をやると、午後七時を指していた。僕は空いていた後方の二人掛けの席に、窓側から詰めるように座った。窓からは大通りを歩く人々が見える。カップルや家族連れ、女子高生のグループと、様々な人達がどこかに向かっていた。いつもだったら、僕もあのなかで歩みをともにしていたのだろうが、今日はそれを追い越していく。

 降車するバス停を知らせるアナウンスが流れると、僕は椅子から立ち上がり、バスの前方へと歩き出した。マナーというには大げさかもしれないが、目的のバス停へと近づくと自然と前に行く人が多いので、僕もそれを真似るようにしている。

扉が開くと、僕は二百三十円を乗車賃として徴収箱に入れ、歩道へ降りた。僕は、右手のひらを嗅いでみると、少し鉄臭くなっていたのでズボンで拭って、また嗅いだ。それを繰り返しているうちに目的のバーに到着した。

 少し重たい扉は非日常への入り口という話を思い出した。どこで読んだのか忘れたが、記憶に残っていた。

僕は、すぐに彼女がどこにもいないことに気が付いた。多少遅れることは、いつものことなので気にせずにカウンターの一番奥へと腰を掛ける。相も変わらず、固い木製の椅子が長居をさせまいと抵抗しているように感じた。

手持ち無沙汰に一杯の水とジンバックを注文して待っていると、彼女からメールが届いた。

『今日は、やっぱり無理だったみたい』

僕は、返信を打とうとする手を止めて、目の前に置かれた水とジンバックを飲み干して、次の注文を頼んでいた。

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