子供な彼女と大人な僕と
汐月夜空
彼女と僕と三賢人
第1話 子供な彼女の大人な質問
「なあ、アカツキさん、大人って楽しいもんか?」
布地の薄い夏仕様のセーラー服から日焼けの無い白い足をぷらぷらさせて、彼女――ツキヨはまるで興味がないように僕に尋ねた。横に簡易な椅子で腰をかけていた僕はツキヨの真意を探るべく、彼女の艶のある黒髪の間の瞳を覗いた。その瞳は、風の無い新月の夜の湖のように透明度が高く、けれど絶対的な不変を感じさせる静謐な闇だった。つまりは、いつもの彼女の目だ。
さて、と僕は悩む。これが、彼女の目に何らかの光を持つ冗談であったならば、僕はすぐにでも答えただろう。もちろん、「楽しいよ」と、肯定的な答えを返したに違いない。なぜなら、僕は彼女にとって路傍に転がる石のような、ありふれた一大人でしかないのだから。
身分上ただの家庭教師である僕は、彼女の本質に影響を与えるような答えを返してはならないのだ。それは家庭教師の仕事ではなく、彼女の家族や友人や恩師、これから出来るかもしれない恋人の仕事であり、義務であり、あるいはそれを愛というのだ。僕が軽はずみにそれを奪ってはならない。
だけど、これは残念ながら彼女の本心からの質問だ。過去2回あった、彼女の存在を賭した渾身の質問の3回目だ。こうなると嫌でもわかるのだ。ここで嘘を答えることは僕にとって災厄しかもたらさないことが。
「大人、か。難しい質問だね。もう少しかみ砕けないかな?」
僕は質問を重ねる形でツキヨに質問の難易度を下げるよう要請した。ツキヨは顎に手を当てて少し考える仕草をした後に、それらをすべて放棄して僕にもう一度尋ねた。
「別に難しいことじゃないだろ。大人だよ、大人。アカツキさんだって広義で言えばオトナだろ? ごまかすなよ」
「そりゃあ、僕は確かに20歳だし、もう成人しただろと言われればそれまでだけどさ。でも、僕はまだ大学2年生だよ。稼ぎぶちも無ければ、家庭を持っているわけでもない。そこらへんに居る大学生と同じで政治にも社会にも興味がない子供みたいなものさ」
「でも、アカツキさんは、そこらへんの色惚けた大学生とは違うだろ? 私を嘗め回すようないやらしい目で見てこないし、ドーテーだし」
「……どこでそんな不埒な言葉を覚えてくるんだ?」
「別に、私くらいの年になれば誰だって知ってるさ。知らないって思ってるのは大人だけだ」
家庭教師をしている時も思うけれど、彼女の話す言葉にぎょっとすることが多い。中には15歳の中学生には土下座してでも話してほしくないような卑猥な単語が含まれることがあるのだから、闇が深いと思う。どこでそんなこと知るんだ、って聞くと、ミンナシッテルとか、ネットデミタとか返答が来る。まあ、そうだよな。これだけ情報が溢れていれば、知らないわけないよな、とは思うけれど、でも、やっぱりまだ知らないでいてほしいなとは思う。
この世界、まだまだ闇があるのだから今の早いうちから闇に染まってしまうなよ、と思ってしまう。
「一つ、間違いを正しておくよ。僕だって、君に魅力を感じないわけじゃない」
「まあ、そりゃそうだよね。華の
ツキヨの際どい発言を僕は右手で彼女の口元を抑えることでキャンセルした。ドアの向こうに居るはずのツキヨの家族に意識を向け、動きが無いことを確認してから急いで小声で抗議する。
「――っかやろう! 君は僕を社会的に殺すつもりか!」
「いやあ、そんなつもりは無いよ。アカツキさんが居なくなったら私が困るからね。でも、慌てるアカツキさんの姿を見るのは悪くないね」
「自重してくれ! いくら同意があったからって、僕は社会的に許されないことをしたんだ。ここに居られるのは君の温情あってのものだってことを分かってくれ!」
「ふふ、ひどいなあアカツキさん。そんなに私って魅力ないかな? お互いにファーストキスの相手だったはずなのにな」
「……あるってさっき言っただろ!」
彼女の渾身の質問①の『キスって気持ちいいの?』に僕は嘘で答えてしまった。つまりは「気持ちいいよ」と。一回もしたことも無かったのに。そこから彼女の根掘り葉掘りの追求が始まった。「へえ、いつどこでだれとしたの?」「今まで何回くらい?」「どういう相手としたのが一番よかった?」僕は逐次、馬鹿だった。「中学生の時かな。同級生と放課後の教室でしたんだ」「どうかな、いちいち数えてないよ」「やっぱり、ファーストキスが忘れられないかな」とか嘘八百で答えてたら、ツキヨは僕の首に腕を伸ばし、こう言ったのだ。
『じゃあ、私にも忘れられないキスをしてよ』
そこからのことはよく覚えていない。ファーストキスはやっぱり特別なものだったとしか。やたらと罪悪感が大きかったけど、唇が甘く痺れてしばらくそのままだったのは覚えている。ツキヨのとろんとした色っぽい目も。まだまだ子供と思っていたけれど、そうじゃない一面があることを嫌でも思い知らされた。
とにもかくにも、それからすぐに僕は嘘を自供した。というか、自供するころにはツキヨも気づいていた。あまりにもキスしなれていない僕のうぶな反応を見て、ツキヨはニヤニヤと嬉しそうにしていたのだ。しかし、僕の言い分も聞いてほしい。そりゃうぶな反応だってするさ。ツキヨのファーストキスがまさかの深い方だったんだから。まったくどれだけ世間の闇に染まってやがるのか。
「いやあ、あれは良いもんだった」
「思い出さないでくれ」
「アカツキさんだって思い出してるくせに」
「そりゃ、ね」
「素直だよね、アカツキさんは。二つ目の質問の時もすごく照れてたし」
「あれは、君が悪い。中学生がキスの次を求めようとするなよ」
「だから、そんなの関係ないんだって。私の周りにだってその先を知っているやつは多いんだ。知らないのは大人だけだよ。保健体育の教科書とか見てるとほんとにバカみたいだな、って思うよ。他の科目であれだけ予習が大事だって言ってるのに、あの教科書には予習するための内容が載ってないんだから。そりゃ間違った知識をよそから予習されたって文句言えない」
「……難しいんだよ。その辺は」
彼女の渾身の質問②は『愛って何だ?』だった。僕は前回の反省を生かして真剣に答えようとした。「愛っていうのは、好きな人と一緒になることだ」「そうやって起きるすべての事象を受け入れ、乗り越え、一人じゃたどり着けないところに共に行くことだ」「そうやってたどり着いたところが遠ければ遠いほど愛は深まり、さらに遠くに行く原動力になる」「だけど、そこに嘘が混じるといつか道程にヒビが入り、崩壊する。そして、それは二度ともとには戻らない」
僕が答えると、彼女はよくわからないと言った。どうして、わざわざ遠くに行かなければならないのか。どうして嘘をついてはいけないのか。そして、どうして崩壊した愛は二度ともとに戻らないのか。その質問に僕は答えられなかった。なぜなら、僕にも愛というものが良く分からなかったから。その旨を彼女に伝えると、彼女は――
「なら、私と一緒に遠くに行こうよ」
と言いながら、セーラー服のタイを緩め始めた。僕はそれを瞬間的に止めた。まったくもってツキヨの行動は心臓に悪い。このときの僕の気持ちを〇〇文字以内で答えよ、という問題は国語のテストなら愚問だろうな、と他人事のようにごまかしながら、僕は彼女に断言した。「それはできない」
「なぜ? 私のことが嫌いだからか?」ツキヨの表情は読めなかった。
「嫌いじゃないよ。どっちかといえば好きだ。僕とは違うツキヨらしさにはいつもドキドキさせられてるよ。だけど、僕は大人で」
「私が子供だから?」
「残念ながらね」
「でも、私はもう子供が作れる。なろうと思えば母にだってなれるんだ。なのに、なぜ私はまだ子供なんだ?」
「その疑問はよくわかるよ。多分、君くらいの年齢の女子はみんな思うんじゃないかな? 平安時代ならとっくに大人で子供も産んでいた年なのに、なぜ私はまだ子供なんだろう、って。勉強すればするだけ疑問に思うだろうね。でもね、その疑問にはすぐに答えられるよ。時代が、法律が君を子供と設定しているうちは、君は子供なんだって」
「要は決まりだから、ってことか」
「その通りだよ」
「決まりなら、まあ、仕方ないか……」
聡明なツキヨの理解もあり、その場はそれで収まった。もし僕の理性が無かったなら、僕は今頃逮捕されていたかもしれない。まったくもってぞっとする話だ。いい加減、大人側の理性に頼った法律は無理があるんじゃないかと思わなくはない。彼らはもう、大人の思う都合の良い子供ではないのだ。
「ああ、残念だ。アカツキさん、今日はもう終わりの時間だ」
ツキヨは教材をひとまとめにして、あくびを一つした。時計を見ると21時。確かに指導を開始してからきっちり90分が経過している。ちなみに今日の指導内容は数学だった。一度も数学の話をした記憶は無いが、本日の予定は順調に終わった。ツキヨは僕が来るまでにすべて予習を行ってくれているので、指導に時間がかからない。
「答えが聞けなかったのは残念だけど、次に聞かせてもらえるんだよね?」
「分かったよ。僕の方の宿題にしておく。ツキヨもちゃんと勉強するようにね」
「誰に向けて物言ってるんだよ。当然だろ」
「……当然じゃない子供が多いんだよ。この世界には」
「だから、私は大人なんだって」
「分かったよ。それも踏まえて考えてくるから」
「楽しみにしとく。なら、気を付けて帰ってくれ」
「ああ、ありがとう。おやすみ、ツキヨ」
「おやすみなさい。良い夢を、アカツキさん」
こうして、僕はツキヨの質問を持ち帰ることになった。
ツキヨの渾身の質問③「大人って楽しいもんか?」。
この質問には二つの問いが含まれている。
大人とは何か。そして、それは楽しいのか。
この時点の僕にはその明確な答えは無かった。漠然とした不安がありながらも、僕は楽観視しながら家路を急いだ。
ツキヨが勉強をするように、僕にも勉強しなければならないことは尽きないのだ。
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