第二楽章 毛利と霧島と、佐々木

毛利と霧島と、佐々木-1

 昼休みに弁当を食べていると、ポケットの携帯が振動し、メール受信を知らせる。見てみると差出人は霧島。

 それをすぐ横で覗き込んでいた俺の友人二人が、相次いで頓狂な声を上げた。

「おお? おお? 毛利に女からメールが来たぞ!?」

「ええ!? マジ!? 家族以外で!? 彼女か? 彼女なのか?」

「……うるさいな」

 いくらここが男子校で女っ気がないからと言って、そう動揺しなくてもいいだろうに――。

 俺は呆れながら本文を読み下した。


東畔木ひがしくろき駅の南口でやってるよ 学校終わって暇ならきてみて』


(おお……)

 俺は先日、演奏場所が変わっても三線をまた聴きに行く、と霧島に約束した。

 そしてメールアドレスを教え、どの辺でやるのか決まったら教えてくれ、と伝えた。

 本当にメールが来るのかと半信半疑だったところもあるが、こうして俺に教えてくれたのだ。

 が、俺が軽く昂揚しているというのにその気分をぶち壊す奴らがいる。

「うおおお、これってデートのお誘いってやつじゃねえか!」

「毛利、お前ふざけんなよ! あの時の誓いを忘れたのかよ!」


 俺の左右で弁当を食べていた、一応俺の友人二人だ。名字はそれぞれ、吉川きっかわ小早川こばやかわという。

「……あのとき?」

 ひときわ動揺して詰め寄ってくるのは、先ほども俺の携帯を盗み見た友人、小早川。

「校門前の桜の木の下で、『もてない我ら、生まれし日は違えども、一生清い体で生きていくぜ!』って、俺と毛利と吉川で誓い合ったじゃねえか!」

「そうだそうだ! 忘れたとは言わせないぞ、もてない俺らの義兄弟の誓いをよう!」

 それに呼応し、俺の左に座っていたその吉川という男も声を荒げる。


「いつの記憶だよ、それは……」

 悪いがそんな記憶はまったくない。こいつらが捏造したに違いない。

「よりによって俺らの兄者が誓いを破るとは……」

「ほんとだよ、もう義兄弟解散じゃないか……」

 吉川と小早川はまだ何かを言っていたが、俺は放って弁当の残りをかき込み、手早く片付けると立ち上がった。

「おい、どこ行くんだよ?」

「はっ! まさか学校を抜け出して逢いに行くんだな! 許さん! いや、許せん!」

 本当は単に、こいつらの目の届かないところで返信するだけだが。




 俺の高校は神奈川県の畔木町くろきちょうという地区にあり、最寄り駅の名前も『畔木町駅』という。高校の名前も、N大付属畔木高校という名だ。

 俺が初めて霧島瑠那の演奏を聴いた時も、その畔木駅前の広場で彼女は三線を弾いていた。

 一方で『東畔木』という駅はその名の通り畔木町駅のひとつ東にある駅で、ちょうど俺の通学経路とかぶっている。車窓から外を眺めるだけで特に下車したことはなかったが、中央の畔木町と比べてややおとなしい街並みだ。急行も止まらない。

 ともあれ、定期で乗り降りできて金もかからないため助かる。もし霧島が通学経路と反対方向の駅で演奏する、なんてことになったら一日いくらかの出費がかさむわけだ。

 それでも、仮にそうだとしても、約束したからには行くつもりだったけれど。

 義務や強制ではなく、俺が彼女の三線を聴きたいから――。


 そんな風に車内で立ったまま考えていると電車が止まり、ドアが開く。

 俺は定期で改札を抜け、メールの通り南口から外へ出てみる。

 するとすぐに、懐かしい音が聞こえてきた。

 聴き慣れた、俺の好きな、三線の音色――。

 そして、人だかりの中心でその音色を奏でている少女がいた。

 目を閉じて、楽しそうに、どこか嬉しそうに、三線を弾く少女。

 霧島、瑠那。

 俺を導く音色を奏でる、不思議な少女だ。




 俺が来て二十分ほどしたのち、霧島は演奏を切り上げた。

 聴衆の中から俺を見つけると、手をひらひらさせて控えめに笑う。

「めんそーれ」

 歩み寄った俺に、そう彼女は言った。いつか聞いた、あの不可解な言葉だ。

「前も聞いたけど、それなんだ?」

「……いらっしゃい」

 標準語で言ってくれた。なら最初からそう言えばいいのに。


「沖縄では、いらっしゃいってそう言うのか? メンソレーって」

「め、ん、そ、お、れ」

「あ、ああ悪い……」

 訂正するように一文字ずつ区切って言われ、つい自分が悪いかのように謝ってしまった。

 すると、こくりと頷いたのちに霧島は続ける。

「沖縄の言葉……あんまり知らないけど、使っていれば沖縄のことも思い出すかな、って」

「……なるほどな」


 それがどれほど効果を現わすか知らないが、そういうことは確かにあるのかもしれない。

 俺がそんな風に思っていると、目の前の少女は携えていた相棒をそばに置いたかと思うと、いきなり地面にへばりついた。

「おい、どうした?」

 俺が聞いても答えない。

 がさがさ、きょろきょろ。まるで昆虫のように、何かを探している。そして目当ての物を見つけると、それらをかき集めていく。

 光沢のない茶色の扁平で円い物体、銀色に光るこれまた扁平でドーナツ型の物体などが、地面に数点――。小銭か、と気づいた。


 彼女は地面に落ちた硬貨を拾い集めると立ち上がって、両手に抱えたそれらに、ふっと息をかけて埃を吹き飛ばす。

「……ゲット」

 そして、にまーっ、といい笑顔。

 客が彼女の演奏に感銘を受けて、投げ与えたものだろうか。

「幸先いい……この町に来て初日で、お金もらった」

「いくら稼いだんだ?」

 俺が聞くと彼女は手の中の小銭を検め始め、ほどなくして、


「二百三十円」

 またしても、にまーっ、といい笑顔をする。

(まあ、やっぱりそんなもんだよな……十円とか五十円とかだったし)

「やったな、週刊誌買えるじゃないか」

「……大漁」

 俺は適当に合わせるつもりで言ってみただけだったが、意外にも彼女は心底嬉しそうに答える。

「お金のためにやってるわけじゃないけど……でももらえたら嬉しいよね」

「ま、そりゃな」

 金額的なことで言えば、一時間だけでもアルバイトをしたほうがよほど大きい。

 でも、この場合の彼女は自分の好きなことをして、副産物として金銭を手に入れて。

 とっても嬉しそうな顔をするのだ。


「……でも、これは毛利くんのおかげ」

「えっ? 俺がか?」

 意外な一言に戸惑った。

 俺がなにをしたのだろう。

 俺はただ、数日前から彼女の三線を聴いているだけだというのに。

「私の三線……好きって言ってくれたから。私の演奏が必要とされてる、って思ったら、今日は力が入った」

「そうか……」


 その時、俺はとても優しい気持ちでいる自分を確かめられた。

 俺のおかげで頑張れた、この三線弾きの女の子。

 俺が彼女の演奏を必要としている、ということを力に頑張ったこと。

 それは、彼女にとっても俺が必要だったからではないだろうか――。

 自分が、本当に必要とされるということ、それを感じ取れた。


 ――優ちゃん、勉強頑張りなさい。そして、お父さんとお母さんに今まで育てた分恩返ししてちょうだい。

 ――毛利、頑張れよ。お前は我が校のトップとして期待されていることを忘れるなよ。


 聞き慣れた、聞き飽きた親や教師の言葉が、頭の中でリフレインされる。

 あいつらが俺に求める『必要性』など、いかに浅ましく、薄汚いものなのだろう。

 それを、この少女が俺に抱いてくれたものと比べて初めて、どれほど下らないものだったのか分かった。

「……どうしたの?」

「あ、あーいや、なんでもない。とにかく、金稼げて良かったな」

 思考に嵌った俺に霧島が声をかけてくれたおかげで、俺は戻ってこられた。


「うん。……あ、毛利くん、手出して」

「ん? こうか……?」

 言われて差し出した俺の手のひらに、ぽとぽと、と硬貨が三枚落とされる。

「……半分あげる」

「いや、いいって。お前が稼いだ金だろ」

「そうだけど、毛利くんのおかげで稼げたから」

 彼女の瞳は真剣だった。

 百二十円という、金額的にはたいしたことない金銭を、大真面目に渡そうとしていて。

 今の世の中、一円だって人に渡したくないと思う奴が多すぎるし、俺もその一人かもしれないのに。

(なんかこいつ、やっぱり変だ……)


 俺に硬貨を渡した彼女は手を後ろで組んで、もう受け取れませんよとでも言うような意思表示をしている。

(でも、嫌いじゃない)

 こういう人間が、いてもいいのではないか――。

「わかったよ。ありがとな。ジュースでも買わせてもらうわ」

 観念して俺が答えると、また霧島は笑った。

「でも、次にまた金をもらっても、もう俺に気遣いすることないぞ」

「……そう?」

「ああ、それだとまるでお前から金を掠め取りに来ているみたいだしな。俺はあくまで、お前の三線を聴きに来ているわけだし」


 そう言いながら俺は、彼女の横で鎮座しているその楽器をなにげなく手にとる。見かけより重たい。

「……弾いてみる?」

 俺が三線を手にとったのを、弾きたいからだとでも思ったのか、霧島はそう言っていた。

「え、いや、俺は弾き方なんて知らないし……」

「でも、音くらい出してみたら?」

 まあ、それくらいならできなくもないだろう。

 三線が紡ぐ、懐かしい音。俺にも出せるかもしれないと考えると、ちょっとやる気になってきた。

 俺は彼女の座っていた位置に腰かけ、適当に構えて弦を弾いてみる。


(……あれ?)

 が、音が鳴らない。

 何度試してみても、あの音色は出てこないのだ。

 ふと霧島を見やると、目の前に立っていた彼女は不思議そうに俺のことを見下ろしている。

「三線が好きなら鳴る。嫌いなら鳴らない。三線はそういう楽器。三線、ほんとに好き……?」

「い、いや好きだぞ!?」

 彼女は首をかしげている。その瞳にはどこか悲しそうな色が宿っていて、まるで俺が疑われているよう――。


「ま、待て待て待て! ほんとに三線は好きだぞ! ちょっと待ってろ、すぐ鳴らしてみせるから……」

 が、何度弦を弾いてもそいつが応えることはない。

 その一方で霧島はどんどん悲しそうな表情になって、俺はどんどん焦る。

「毛利くん……私の心をもてあそんだ……三線、好きって言ってたのに、あれは嘘……」

 彼女は今にも泣きそうだ。三線を鳴らせず三線弾きを泣かせるなんて、下らな過ぎて笑えもしない。

「ち、違う! 待て待……」

「……なんちゃって……」


 すると、いきなり舌をぺろりと出して、打って変わっていたずらっぽく笑う三線弾き。

「……ウマが立ってないから鳴らないだけ」

「は? 馬?」

「……じゃん」

 口で効果音を出しながら霧島が手を開いて見せたのは、竹製に見えるアーチ状の小さな物体。

 それが『ウマ』というものか。


「これをチルチーガの間に挟んで『立て』ないと、音が鳴らないのでした」

 そう言って霧島は俺から三線を受け取ると、それを弦と本体――それぞれ「チル」と「チーガ」といったか――との間に挟み、軽く弾く。てん、とひとつ、音が響いた。

「ほらね」

「そうなのか……っておい、ちょっと待て!」

 得意げな顔をする彼女を見て、俺は気づいた。

「……なにか?」

「お前、知っててわざとやらせただろ」

「…………」


 俺がそう言うと、三線少女は相棒を抱えたまましばし黙り込んで。

「……それじゃあ、明日の演奏をお楽しみに……」

「おいこら」

 なにくわぬ素振りで俺に背を向けて歩きだす彼女のセーラー服の幅広い襟をつかんでやる。後ろから引っ張られ、霧島は「あー……」と気の抜けた声でうめいた。

 この俺をだました上、焦っているところを眺めて楽しむなんていい度胸ではないか。

「逃げられると思ったか」

「……残念、たぶんダメだろうなと思ったけど、やっぱりダメでしたとさ……」

 諦めて力を抜く霧島。なぜ昔話口調になる。


「この野郎、俺をからかってたな?」

「……わっ、なにするの……」

 俺は彼女のむき出しの三線を奪い取る。

 抑揚がない彼女の声も、さすがに少しだけ高くなった。俺は右手で棹の部分を持ち、遠心力を全開にして頭上でぐるぐる回しながら言い放つ。

「さて、今すぐ謝らないと三線投げの世界記録を更新させるぞ」

「わ、わわわ、わっさいびーん……」

 すると彼女は大慌てで変な言葉を発した。

 そしてそののち、はっとした顔になる。


「ん? なんだそりゃ、沖縄語か?」

「…………う、うん……」

 彼女はまるで今、自分が口に出した言葉が信じられないかのようで。

 そしてゆっくり、確かめるように続ける。

「そうだ、思い出した……沖縄では、謝るとき『わっさいびーん』って言う……」

「…………」


 俺は三線を下ろした。

『そういう状況』に置かれて、自らの奥底に眠る過去の記憶が、蘇ったのか――。

 それは、たったひとかけらの記憶だけど。

 間違いなく、彼女が自力で取り戻した記憶で。

 そう考えたら、怒りなどどこかへ飛んでしまった。

「……よかったな」

「うん……」

 三線を受け取って、にっこり笑う霧島。

 過程はどうあれ、彼女は記憶を取り戻し、俺はそれを手伝えて。

 久しぶりに心の底から『よかった』と、思えた。

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