【×】から【吉】へ ~熊本地震 西原村での出来事~

仲井 隼星

【×】から【吉】へ

 2016年4月14日午後9時26分、熊本県熊本地方をマグニチュード6.5、最大震度7の地震が襲った。いわゆる、熊本地震の前震だ。

 それから約28時間後の4月16日午前1時25分、同地域を再び、地震が襲った。マグニチュード7.3、最大震度7だった。これが本震だ。


 内陸型地震(活断層型地震とも)でマグニチュード6.5以上の地震の後に、さらに大きな地震が発生するのは、観測開始1885(明治18)年以降で初めてらしく、また、同じ地域で震度7を二度以上計測されたのも、震度を計測震度計で計測するようになった1996(平成8)年以降で初めてらしい。


 この地震で多くの地域が被害を受けた。

 私も佐賀県で、少しの揺れではあったが幾度も受けた。

 ただ、震源となった熊本地方の方たちの苦しみは、私たちとは比べ物にならないだろう。


 被害を受けた自治体の一つに、西原にしはら村という所がある。


 震度7の被害を二度も受けた益城ましき町の西隣にある村で、人口はおよそ7000人。この村も前震で震度6強、本震で震度7を計測している。





 もう今となっては、少し前の話になる。


 私の父が職業の関係で、その西原村へ復興支援に向かった。それは2016年のゴールデンウィーク明けからおよそ10日間の日程だった。


 車で通る道は、二度の大きな地震によって崩れていたり、ヒビが入っていたりしている箇所が多々あったのだそうだ。


 西原村役場に着いた父を含む数名の一行いっこうは、担当の方から、


「私たちは、一日に千人近い人々とお会いします。これが終わって、何週間後などに様子を見に来られ、声を掛けられても、あなた方を覚えてはいないでしょう。すみません、先に謝っておきます」


 と言われたらしい。


 それはそうだ、と誰もが思ったのではないだろうか。それでも彼らは、復旧作業をその日から開始した。





 一行いっこうの中に森吉もりよしさん(仮名)という人がいて、毎日毎日、消しゴムに何かを彫っていたと言う。


 気になってそれを訊ねた人もいたというが、教えてくれなかった。





 ところが残り二日くらいの日、それが完成したのだ。


 まず彼は、西原村役場に掛けられてある、カレンダーを指した。


「このカレンダーには、何も無く無事であった日には、【×】と付けている。今日からは、これを使いなさい」


 そう言って担当職員に手渡したのが、【吉】の字を掘ってある消しゴムだった。


 自分の名前と掛け合わせていたのだ。


 森吉さんは続けた。


「この消しゴムをスタンプにして、何も無く無事だった日に、これを押しなさい」


 と。


 その日からカレンダーには、【×】ではなく、【吉】の字が見られるようになったそうだ。






 10日目の、お別れの時。


 担当職員は、


「始めにも言いましたが、多分、私たちはあなた方のことをほとんど、覚えていないはずです。

 しかし、森吉さんのことだけは忘れないでしょう」


 そう言いながら、カレンダーを見た。そして付け加えた。




「私たちは彼のおかげで、【×】の呪縛から解放された気がしました」




 彼のおかげで、苦しみの中にも、小さな幸せを見付けられたらしい。


 そうして、父たちは西原村をあとにした。




 苦しみの中にも、小さな幸せを作る。


 それがいかに素晴らしいことなのか、気付かされた。






※震度などは気象庁のホームページを参考しました。

 またこの話は、私が父に聞いたものを書いた作品です。事実と違う点があるかもしれません。あしからず。


 そして熊本地震でお亡くなりになられた方たちのご冥福と、被災者の方々が一刻も早く救われますよう、お祈り致しております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【×】から【吉】へ ~熊本地震 西原村での出来事~ 仲井 隼星 @Nakai_boshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ