黒縁の契約 Ver.1.0

城咲こな

0.契約の始まり

「美沙、いくらなんでも急すぎるんじゃないか?」

「そんなのわかってるよ。わかった上でこうして帰ってきた。」

 僕には一つ年上の兄と同い年の従妹がいる。全くと言っていいほど見た目が似ていない兄のつとむ。兄さんは僕とは違い大人びた少しきつい切れ長な目を持ち、身長も180cmと長身。それに対し、弟である僕、ひろしは少し幼い丸い目で、身長も165cmと小柄なほうだ。従妹の美沙みさはくりんとした丸く大きな優しい茶色の瞳を持っている、身長153cmの小柄な女の子。僕が愛してやまない、可愛い女の子。

「何で連絡もなしに急にここに帰って来たんだ。」

「そんな余裕が無かったんだよ。追々話すから、ここに住ませてほしいの。」

「だが四年前の火災で家が全焼してしまってから改装されたこの家は前の家ほど大きくない。だから部屋が余っていないんだ。」

 今からちょうど一年前の冬、真っ白な雪を被った美沙が突然西塚家に戻ってきた。西塚家は四年前に火災に巻き込まれ、屋敷と呼ぶに等しいくらいの大きな家が全焼した。それと同時に預かり子だった美沙は、こんな危ない所に預けられないと遥か北に住む伯母(美沙の母の姉、僕と兄さんの母の妹)に引き取られ、気軽に会うことが出来なくなってしまっていたのだ。そんな彼女が一人で何の連絡も無く、戻ってきた。

「じゃあ近くのアパートでもいいわ。どこか知らないの?」

「オレは不動産屋じゃないんだ、そんなの知るわけ……」

「それなら僕が知ってるから教えてあげるよ。」

 リビングでゴタゴタと兄さんと美沙が揉め合っている中、丁度昼寝から目が覚めた僕が割り込んだ。四年前からずっとそう、兄さんと美沙、みーはすぐにこうやって口喧嘩を始める。僕が仲裁に入るまでずーっとゴタゴタとお互いの意見を譲らない。それを久しぶりに見ることが出来て少しほっこりした僕は笑みを隠すことが出来ず、二人の所へ行く。

「博っ!」

「久しぶり、みー。昼寝から覚めたら懐かしい声が聞こえてきてびっくりしたよ。ちょっと話聞いてたけど住むところ探してるんだって?」

「そうなのよ、でも兄さんが住むところ紹介してくれなくて……」

「当たり前だろ、連絡があれば少しは探したかもしれないが急に来て知っているわけ……」

「さ、さっき博住める場所を知ってるって言ったよね!? どこなのそれ!!」

「みーも知るあいつに頼むことになっちゃうけど、それで良ければ。」

「お前、誰に頼むつもりなんだ?」

 兄さんが怪訝そうに目を細めてこっちを見る。もう僕は見慣れているけれど、見慣れていない人が見たらきっと怒っていると勘違いするようなきつい眼差しだった。元々目つきがきついんだから気をつけた方が良いって僕も言ってるんだけどね。そんな兄さんに僕は人差し指を一本立てて答えた。それを見て兄さんはそういうことか……と少し納得したようで、表情が少しだけ緩まった。そのやり取りを見たみーは頭に大量のクエスチョンマークを浮かべている。

「あんまり迷惑をかけるなよ。」

「大丈夫だよ、あいつならきっと喜んで受け入れるよ。だってみーだもん。」

「私の知り合いでそんな不動産営む人なんていたかな……?」

「ははっ、不動産かぁ。みー専用の不動産屋だね、あいつの場合。」

 そう言って僕はリビングにかけられていた無地の黒いモッズコートを手に取って素早く着た。みーもラベンダー色の可愛らしい胸元の細いリボンが目を引く白いブラウスにブラウンのダッフルコートを着て、準備が完了する。

「夕飯までには戻るよ、早めに話つけてくるから。」

「わかった。気をつけて行ってこい。」

「いってきます。」

* *

 僕とみーが向かった先は、西塚家から徒歩10分ほどにあるごく普通のアパート。ここには僕の親友で美沙の幼馴染である神田幸弥かんだゆきやという男が住んでいた。小学校からエスカレーターで上がれる藍川育ちで、学力が申し分ない黒髪眼鏡。僕も小学校からエスカレーターで育っているからあいつとは小学校からの付き合いだった。みーも中学一年生までは一緒だったから、お互い顔馴染である。でも、四年も顔を合わせていなかったのだから、顔を見てすぐにわかるのだろうか? ちょっと僕は幸弥の反応に期待している。

「と、ところで誰なの? その賃貸に協力してくれる知り合いって」

「幸弥だよ、神田幸弥。あいつに頼むつもりなんだ。」

「ゆ、幸弥! あ、あれ。あの子って不動産経営の家系の子だっけ?」

「いやいや、だから違うって。『みー専用』のだってば。まぁ理由は本人に聞けばわかる、行こう。」

* *

「み、美沙が帰ってきた!?」

「そうなんだよ。だからアパートの一室を譲ってほしいんだ。」

 僕が言うアパートの一室というのは、幸弥の隣の部屋の事。そこは現在神田家の……正確には幸弥の物置き部屋となっていて、住人はいない。一応神田家は俗に言うお金持ちと呼ばれる家系で、特殊な魔術を扱って重工業を家で営んでいる。そのため、両親はほとんど故郷であるここに帰ってくることも滅多にない。それでこの隣の一室は物置き部屋のような存在となってしまっていたのだ。本当は幸弥のご両親の一室なのだ。気軽に譲ってもらえるものかがわからない。

「僕は全然構わないが、美沙がそれでいいのか?」

「うん、掃除の協力ならもちろんするよ。それに隣が幼馴染なら安心だし!」

「そ、そうか……」

「なに顔真っ赤にしてんのさ。」

 幸弥は口を手で隠しながら顔を真っ赤にした。何年経とうともこいつはみーのことが好きなんだな、一途な奴め。中学の時からかけている黒ぶちメガネ、みーに少しでも自分のことを見てくれると良いと思ってつけている伊達眼鏡。視力なんて両目3.0と良すぎるくらいで、全く必要が無いのにみーが転校してからもずっとそれをしていた。それはまだ彼女のことを想っていたからなのか、未練がましいだけなのか僕にはわからない。他人の気持ちなんて、純愛なんて。

「それにしても幸弥、すっごい背伸びたね。最初見た時びっくりしちゃったよ!」

「あ、あぁ。それはよく言われる。美沙こそ髪を茶色にしていたなんて思わなかった。」

「違う違う、元に戻したの。金髪のあれは染めてた、ただの不良だよ。」

 そう言ってみーはアハハッと笑った。そうなのか? と幸弥も小さく笑っていた。僕も場の空気に合わせて笑う。でも、事実を知っていると人間は上手く笑えなくって、少し不自然なタイミングになってしまった。けど、存外違和感が無かったようで再会した二人の他愛ない会話は数時間続いた。当然、家に帰った頃には夕飯は冷めていて……僕とみーは心配していた兄さんのお叱りを受ける羽目になったんだ。

* *

 数か月が経ち、桜が美しく舞う季節になった。みーはアパートの最寄りである公立高校、里口北高校に通うことになった。最初は藍川高校、僕らが通う高校に戻ろうという話にもなっていたのだが、彼女自身がそれを否定したので最寄りの高校を選んだ。学力も平均的で悪い噂もそこまで聞かないということからであった。不慣れな環境でストレスを溜めないかと最初は僕も兄さんも結構心配していたが、思っていたよりも女の子というのは周りの環境に合わせるのが得意なのだろうか? みーはクラスで沢山の友達を作って、楽しく過ごしているらしい。そんな楽しそうなみーを間近で見られる彼女の友達がとても羨ましい、なんてちょっと嫉妬してたり。

「あれからみー元気にしてる?」

「あぁ、毎日が楽しそうだ。高校も楽しく過ごせているみたいだな。特に仲が良さそうなのはよく家に招いている茶髪の子だな。確かるりちゃんとか呼んでたか。」

「へぇ。その子可愛いの?」

「可愛いというよりは綺麗だな。大人っぽい女子だったな、同い年とは思えないような感じの。」

 僕はいつも通り他愛ない会話を親友の幸弥としながら下校していた。グレーのブレザーに青いネクタイが特徴的なエリート校である藍川高校。僕と幸弥はここの三年生で、兄さんは昨年度の卒業生で生徒会長も務めていた。小学校から大学までが揃う私立高校で、以前話した通り僕も幸弥も小学校からエスカレーター式で来ている。みーも中学までは一緒に通っていた。そういえば幸弥ってそのくらいのころからみーに惚れてるんだっけ。

「ちゃっかり見てるんだ。結構幸弥って女の子見てるよね?」

「ひ、人を何変態みたいに言ってるんだ! 人聞きが悪いぞ!」

「あぁ~。幸弥くんはアイラブ美沙だっけぇ~。」

「や、やめろっ! そ、それ以上言うなっ!!」

 そう言って幸弥は僕の口を塞ごうとしてくる。僕はそれを避けながらあははっと笑った。相変わらず、みーのことになるとこいつは本当に素直だ。そんなところが僕は好きなんだよね。

「そ、そういえば博! 今日ブレッド・フラシャリエ寄るんだろ?僕もついて行って良いか?」

「あ、うん良いよ。そこに行くって言っても生物教えてもらいに行くだけだよ?」

 高身長に憧れる僕の気持ちなんて微塵も知らないだろう、高身長の黒髪眼鏡が話に上げたブレッド・フラシャリエというのは、元々うちで家政婦として働いていた白木朱音しらきあかねさんという女性が経営するパン屋のこと。近所では結構有名なパン屋で特にバターの味がとても効いたクロワッサンが大人気だ。現に兄さんもクロワッサンはそこの物しか食べなくなってしまったのだから恐ろしい。しかも店長である朱音さんはモデルのようにスラッとした美しいスタイルを持つ美女、そんな美人店長を一度見るために来店する人も少なくないとか。そんな彼女の旦那さんが生物学者で、その人に僕は今日生物のことで聞きたいことがあったため、訪れようとしていた。

「こんにちは朱音さん。悠哉さんいらっしゃいますか?」

「あら博君に幸弥君もいらっしゃい! 悠哉なら奥の実験室にいるわ、すぐに紅茶作れるから部屋で待っていてもらえる?」

「すみません休憩中に……」

「ふふっ、大丈夫よ。あなたたちが来てくれたことの方がよっぽど至福の時間を過ごせるもの。」

 CLOSEとかかれた店のドアを開けて僕はカウンター近くのテーブルで、紅茶を飲んで一息入れている朱音さんに少し申し訳ないと思いながら声をかけた。そんなことを思う僕と隣に居る幸弥を彼女は笑顔で、嬉しそうに迎えた。銀髪のボブヘア、ルビーのように輝く少し大きな丸い瞳、シンプルな白いカッターシャツに黒いジーンズというラフな服装なのに、良い服を着ているように見える……それが本当に不思議で、美人と呼ばれる人たちは恐ろしいと思う。そして子供好き、これだけ条件が良い女性なんてこの世に何人いるのだろうか。まぁそんな人と結婚するくらいなのだから、当然旦那さんも綺麗なわけで……

 コンコンッ

「悠哉さん、お邪魔します。」

「良いですよ、博に幸弥でしょう? どうぞ上がってください。」

 僕と幸弥は悠哉さんと呼んだ緑髪の男性に実験室に入れてもらう。そこは文字通りの実験室で、周りには顕微鏡やルーペに試験管はもちろん、試験薬が入る瓶が大量に置かれていた。でも5人入るときつそうな狭い部屋であるため、少し今も狭い。それに夏は良いのだが、風の通りがこの部屋はすごく良いのですぐに部屋が冷える。そのため、常にこの部屋では換気扇の音が絶えない。慣れない幸弥にとっては落ち着かない空間だろう。僕も去年のこの時期はとても気になっていた。換気扇がついているというのになぜか、今日はものすごく酸っぱい臭いがする。

「悠哉さん、酢とか使いました?」

「え、ええ……あ、もしかして白衣、臭いますか?」

「絶対その赤っぽい感じ、酢酸ですよね。」

「え、そのブラッディカラー、返り血かと……」

「何その唐突な中二病……」

「実はそうなんですよ~。」

「え、えっ!? そうだったら悠哉さん、人殺し……」

「冗談に決まってるじゃないですか。幸弥は本当に素直で面白いですね。」

 そう言って悠哉さんは赤い血のような染みがついた白衣を脱いで隣にある自分の部屋へとそれを持って行った。七分辺りまで捲られた黒い無地の黒いカッターシャツの下からは、学者とは思えないようながっちりとした腕が見える。冗談でさっきはあんなことを言ったけれど、僕はこの人の秘密を知っている。それは……

「……意地でもそれを血とは認めないんだ。」

「…………」

 僕はそっと隣の部屋に行った悠哉さんについて行き、二人きりになったところで僕は彼の顔を見て微笑みながら言った。そんな僕と目が合った悠哉さんもまた微笑んだ。さっきまでの紳士的な大人の表情では無く、不敵な黒い悪魔のような笑顔だった。

「大したことねぇって、一人だけだ。」

「本当に大変ですねぇ。そんなに自分を汚してまで守りたいものなんですか。」

「……いずれ、お前もそんな存在が出来る。どんなに自分を堕としてでも守りたい存在が。」

「到底、そんなこと思えませんがねー。」

 そう言って僕は何事も無かったかのように幸弥の元へ行く。悠哉さんは定期的に人を殺し、血液を集めている人殺し……それは朱音さんのためにやっていることだった。本人はそれを理由に正当化しているが、僕には正しいのか間違っているのかわからない。そう思っている僕をよそに、幸弥は紅茶を持ってきた朱音さんと何やら楽しそうに話していた。

「随分話しこんでたけど、大丈夫か?」

「うん、酢酸が臭すぎて悶えてただけ。」

「それは大丈夫なのか?」

「酢酸、だからこの部屋こんなに臭うのね。悠哉に後で説教ね。」

「えぇ、そんなに盛大に溢してませんよ。ほんの100ml……」

「「「充分多い!!!」」」

 悠哉さんはあはは……といつもの物腰が柔らかい学者に戻って笑った。そして朱音さんから紅茶を受け取ろうと手を伸ばすが、朱音さんはむっと顔をしかめてそれを拒んだ。その反応を見た彼はお願いします、と手を合わせて頼んでいる。本当に二人は仲が良い、しかもそれがまた嫌みに見えないのだからすごい。きっとこう見えるのは……

「……歪んだ愛だから、だよね。」

* *

「そういえば博。今日はどこがわからなくなってここに来たんですか?」

「ここです、ここ。次のテスト範囲の生態学論です。」

「……へぇ、今の生物はこんなことも習うんですね。この世でこれだけ私達みたいな存在も当たり前になってきたということですか?」

 何とか朱音さんから紅茶を貰えた悠哉さんは僕の隣に座り、僕が見せた生物の教科書をペラペラとめくって楽しそうに読んでいた。僕が今日聞きたかったことは『ユリウスの生態学論』と呼ばれる法則について。少し歴史に近いんだけど、この世界では有名な『アルテマ伝承』と呼ばれる伝承がある。そこで出てくる人間の知能を遥かに超える、美しい容貌を持つ人型の種族「契約書」という種族についての法則だった。今まではファンタジー小説の世界の存在だと思われてきていたけれど、どうやら近年に契約書の実在が確認されたらしい。その哀れな契約書は様々な人体実験をさせられ、結果的に多くの者は命を落としてしまったが様々な結果を人間に残してくれた。それがこの生態学論を作り上げることに繋がった。そんな犠牲が成り立ったうえで生まれた学論なんだよね。

「ああ、博が聞きたいって言ってたのはそれなのか。確かにそれって理屈で考えるの難しいよな。返って文系の方が早く理解しそうだって先生も言ってたし。」

「どっちかと言えばこれって歴史に近いしね、僕も中々理解できないんだ。だからここは生物を専門に持つ学者さんに聞いた方が早いかなーと。もっと正確に言えば『契約書』を専門に調べている学者に。」

「……なるほど。良いですよ、あの私の妹までが理解した私の素晴らしい解説術で教えてあげます。」

「私も聞いていこうかしら。それだけ自信があるあなたの解説力見てみたいもの。」

「へぇ。あの愛菜さんにわからせた解説、楽しみです。」

「その悠哉さんの妹さんはそんなに理解力が無いのか?」

 ふふっと僕は笑って幸弥が小さく呟いたことに答える。その答えを聞いて幸弥はそうなのか……と小さな声で答え、苦笑した。頭が良いとそういう人の気持ちってわからないよね、そう思いながら僕は精一杯苦笑を浮かべる幸弥を見て笑った。そんな中、悠哉さんは朱音さんに変な期待を向けられて緊張しているのか気を引き締めているのか・・胸に手を当てて深呼吸をしていた。こうして見るとどことなく幸弥と悠哉さんは似ている気がする。眼鏡のフレームが……じゃなくて! ひたむきな恋愛感情のこと。怖いほどの一途さ、僕には理解できない純愛。悠哉さんの場合はもう手遅れかもしれないが、彼も若いころは幸弥のような純愛感情を持つ青年だったのではないかと思う。まぁ……一緒なわけがないよね。まず、悠哉さんと幸弥は種族が違うんだから。

「じゃ、じゃあ説明を始めま……博? 大丈夫ですか?」

「ふふっ、ええ……大丈夫です。ちょっと思いだし笑いしちゃっただけですから。」

<ユリウスの生態学論>

 契約書には4つの色が存在する。赤・青・緑・紫の4つである。(赤は炎の魔術を操る他、血液を体に取りこむと自然治癒力を倍以上にすることが出来る。この4色の中では最も魔力が高い。青は氷・水の魔術を操り、遠距離の攻撃が得意。この4色の中で、最も素早く身のこなしが良い。緑は植物の魔術を操り、その力で治癒術も使いこなす。飛び抜けて強い能力は無いが、魔法も攻撃もバランスが整った力を持つ。紫は瘴気の力を操る魔術を使えない契約書。魔力を持ちすぎた人間が突然変異で生まれる種族なので、数も極めて少ない。この4色の中で最も力が強く、前線向き。)

この4色はそれぞれ得意・不得意な特性がある。赤は青を、青は紫を、紫は緑を、緑は赤を不得意とする。この関係では生命反応にも影響を及ぼすことを発見し、論理を立てたのがこの生態学論である。

 この優劣のはっきりした色同士では、子供が生まれないことが発覚。その原因は血液バランスだと挙げられる。子供の体を形成する時、その体に血液を流すと優の血液が劣の血液を飲みこんでしまう。それによって子供は重度な貧血・・・血液不足で死んでしまうのだ。ごく稀にその関係でも子供は生まれる事があり、その子供は男子なら父親女子なら母親と同じ色になるらしい。その例はほとんど検証されていないが、創造神になる契約書たちはほとんどがこういう希少な子供らしい。


「そして、最後にこれを見つけたのは生物学者で緑の契約書である“ユリウス・ヴィルアース”ってわけです。」

「図にすると結構わかるんですね、これ。4色の関係を表すと綺麗に一周する。」

 悠哉さんは楽しそうに色の名前を書き、それに矢印を付けて説明してくれた。契約書を専門にする生物学者……彼は契約書の存在を信じている。ちなみに僕もその存在は信じている。なぜなら、僕はその契約書を自分の目で見たことがあるからだ。伝承どおりだったね……本当に彼らは美しく、本当に人間と大差ない体つきをしていた。違いがあると言えば特徴的な目の色だろうか? 彼らは各々の色の目を持つ、つまり赤・青・緑・紫の瞳を持っているのだ。でもそれは覚醒して本当の力を発揮しないとわからないので、実質はパッと見ただけではわからない。

「実際、契約書にとってこの法則は不便なんですか? そこが一番気になります。」

「そりゃあそうですよ。考えてみてください、例えば赤と緑の契約書が恋に落ちたとしましょう。愛をどれだけ育んでも、子供は絶対に生まれないのですよ。絶対にあり得ないなんて言いきれませんから。増してやそれが子供好きとかだったら……」

「まぁそうですよね。そうやって考えると人間は便利かもしれませんね、どんな相手と結婚してもよっぽど身体の事情が無ければ子供は生まれますから。」

「何か悠哉さんのその話、まるで自分がそうだと言っているような感じ……妙にリアルというか。」

「感じじゃなくて、リアルなんでしょう?」

 ……ヴィルアース博士?

 僕は緑髪の美男に向かってクスリと笑ってみせた。それを聞いた幸弥は思わずえ……? と声を漏らしてしまう。悠哉さんは苦笑いしながら首を横に振った。

「全く、博。あなたは簡単に私の素性をバラしてくれますね。契約書なのは別に話しても構いませんでしたが、ユリウスなのは話さなくても良かったでしょうに。」

「でも夫婦揃ってそれだけ美形だと、バレるのは時間の問題でしょう? まぁ僕らからしてみれば、どうして契約書の夫婦が人間の世界で暮らしているのだろうって思いますがね。」

「その理由はね……」

 そう朱音さんが口を開こうとした時、廊下からダダダダダッ……と誰かがものすごいスピードで駆け抜ける音が聞こえた。そして狭い実験室の扉が勢いよく開かれた。その先にいたのは、紺色のブレザーと絶対折っているであろう膝が見える丈のプリーツスカートの制服に身を包んだ緑髪の少女だった。手にはなぜか飲みかけの牛乳瓶がある。

「こ、ここにいらしたのですね!!」

「おかえりなさい、愛菜。そんなに急いでどうしたのです?」

「い、いえ。朱音さんが自室にもカウンターにもいらっしゃらなかったので、思わず駆け回ってしまいましたわ……なるほど、博君とそのお友達が来てらっしゃったのですね。」

「お邪魔してます、愛菜さん。今日のみーどうだった?」

「今日の美沙さんはいつも通り明るく元気でしたわよ~! 瑠璃と仲良くしてましたもの。」

「……るり、またその名前か。」

 幸弥がそうボソッとつぶやくのが聞こえた。へぇ~と僕は笑って愛菜さんの話に答える。清水愛菜しみずあいな、生物学者の悠哉さんの歳の離れた妹でみーのクラスメイト。清楚な口調を持つため、お嬢様のような空気を漂わせるが、一つ一つの行動はかなり大雑把でお世辞にも丁寧とは言えない。その証拠に、口の周りは少し牛乳がついていて白い。でも、一応緑の契約書なので植物に関しては詳しく知識はあるようだ。

「その瑠璃って子はどんな子なの?」

「瑠璃は私の幼馴染ですわ。茶髪のセミロングヘアを持つ脚が綺麗な子です、背は朱音さんより少し低いくらいですわね。勉強も出来て昨年は生徒会にも所属していたようです。」

 本当にその瑠璃って子と仲が良いらしい、みーとそんなに仲が良いなら一度会ってみたいものだ。どんな人か……僕が見極めないといけないから。もちろん、家族としてだよ?

「愛菜さんってそれだけ詳しいと瑠璃さんと結構深い関係だったりする?」

「ええ、瑠璃は私の幼馴染ですわ。……ってさっき言いませんでした?」

「幼馴染ね。了解。」

 悠哉さんの妹の幼馴染ということはもうその瑠璃さんは契約書で確定だ。みーはどうやら僕の知らない間に契約書と関わりを持っていたらしい。とても恐ろしいね、これはしばらくみーの家に張り付く必要があるか?

「あ、もしかして博君。瑠璃と美沙さんが一緒に入ることで害が及ぶと思ってません?」

「そりゃそうだよ。僕は自分で身が守れるから良いけど、みーは普通の人間だ。危ないに決まってるじゃないか。」

「大丈夫ですわよ。瑠璃が契約書の危ない世界に彼女を巻き込むことなんてありませんから。」

「……どうしてそう言い切れるんだか。」

 僕は愛菜さんに聞こえないように小さく呟いた。何色の契約書か知らないけれど、魔術を使う種族だってことに変わりは無いんだ。そんなふざけたことされて人間が勝てるわけがない、危険生物であることに変わりは無い。だから僕は存在を信じていても、彼らの存在意義は肯定しないよ。

「え、えっと……」

「あ、申し遅れましたわ。私は清水愛菜と言います、里口北高校三年生です。お兄様とは歳が10も離れていますがちゃんと血のつながった兄妹ですのよ。」

 戸惑う幸弥に愛菜さんは笑顔で自己紹介をする。幸弥もそれに応え、少し緊張しながら自己紹介をしている。彼女が契約書だから困ってるのか、それとも性格が読めないから戸惑っているのかわからないけどあいつは表情が今、ものすごく堅い。見ていて僕はとても愉快だけどね。

「おいおい幸弥、緊張しす……」

「博っ……!!」

 笑ってガチガチの幸弥の肩を叩こうとした瞬間、僕の名前を呼ぶ声が店に広がった。この低音ボイスは一番聞きなれた兄さんの声だ。こんなに声をあげるなんて兄さんらしくない。思わず身構えて愛菜さんの立つ扉を見てしまう。

「はぁ、はっ……」

「に、兄さん?」

「ど、どうしたのです勤、そんなに焦って……」

「か、勝手に上がってすみません……ちょっと博をお借りしてもいいですか?」

「え、えぇ……大丈夫よ。」

 そう朱音さんが答えるのを見ると、兄さんはありがとうございます! と頭を下げ、即座に僕の手を引っ張り再び走りだした。引っ張る力がとても強い。陸上部で走り慣れている僕の足でももたつきそうになる。どうやら兄さんが向かっている先は自宅ではないらしい……家とは反対方向に走って行っている。

「に、兄さん? な、何があったの?」

「み、美沙が……」

「え! みーが……なに?」

「……暴走を始めた。」

 そう、この時から僕らの平和は崩れ去った。

* *

「ど、どうしてそれがわかったの!?」

「美沙の家から電話がかかってきたんだ。友達からだったよ、きっと固定電話の前に貼ってある番号を見たんだろう。」

「友達……」

 僕と兄さんはマンションの三階の部屋まで、エレベーターを待つことなく狭い通路を駆け抜けた。みーの部屋の前まで行くと、そこには茶髪の女性が落ち着かない様子で辺りをキョロキョロしていた。そして僕らを見つけるとこっちです!と手を振ってきた。

「あなたが電話を……?」

「はい! 美沙ちゃんの様態が急に悪くなって……と、とにかく様子を診てあげてほしいんです!」

「わかった、すぐに行くよ。」

 そう言って兄さんはすぐにみーの部屋へと入って行った。僕はそんな兄の背中を見送る。焦る兄さんとは違い、僕は落ち着きながら部屋の前に立つ少し自分より背が低い位の女性を見た。

「へぇ、君が兄さんに電話かけたんだって?」

「え、えぇ。美沙ちゃんの家でお茶を頂いていたら急に頭が痛いと汗を流しながら言ってきたんです。だから一番頼れそうな家族の方に連絡をした方が良いかと……」

「随分落ち着いてるんですね、本当に君高校生? 年齢詐称とかしてない?」

「そんなの詐称してどうするんですか……そ、そんなことより貴方は行かなくて良いんですか? 見た感じ、さっきの方の弟さんですよね?」

「そうですよ。みーのことは兄さんに任せておけばいいです、それよりも僕は友人の君に用がある。」

 ねぇ、瑠璃さん?

 そう僕が言うとえっ……と女性は驚く。どうやら彼女が噂の“瑠璃”らしい。赤の契約書のみーの友人。それが分かった以上、僕は彼女について聞きたいことがあった。

「どうして私の名前を?」

「みーからよく話を聞きましたよ。瑠璃って子と仲が良いらしいとね。それに愛菜さんっていう幼馴染いるでしょう? 僕、彼女とはご近所ですごく付き合いはあるんですよ。」

「……何ですか。愛菜を出しにして何を私に聞きたいんです?」

 愛菜さんの名前を聞くと、瑠璃さんは少し顔をしかめ僕の話を聞き始める。僕は腕を組んで笑った。あまりにも彼女が緊張してガチガチになっているから、自分の緊張が吹っ切れてしまったんだ。

「……っ。」

「ははっ、すいません。そんなに緊張されるとは思わなかったので、つい。僕が聞きたいことは一つだけですよ。」

 契約書としてみーに手を出してないか確認したい。

 それを聞いた瑠璃さんは、僕から目をそらした。そして一歩僕から距離を取った。もう一歩離れようとする所を僕は逃がさず、彼女の手首を強く掴んだ。

「は、離してください……!」

「なら覚醒して僕を無理やりに引き離せばいいじゃないですか。」

 覚醒するというのは、契約書としての本当の力を出し切ると言うこと。つまり、本当の姿を現すということ。本来契約書という種族は人間から姿が見えない。その姿を捉える事が出来るのは魔術師と契約書のみ。もちろん今の彼女みたいに覚醒していなければ、どんな人間でも見る事が出来る。だから覚醒すれば簡単に僕の視界から消える事が出来るのだ、簡単なことさ。でも再び瑠璃さんは僕から目を逸らして言った。

「普通の人間相手に覚醒する力を使う気はありません。」

「まぁ、それならそれで良いんです。あなたが後悔しなければ全然良いんですよ。」

 そう言って僕は掴んでいる手に力を込めた。それを感じ取った瑠璃さんは離れろと言わんばかりに僕の手首を掴み、引きはがそうとしてきた。かなり焦っているのが分かる。彼女の額からは汗が流れていた。僕はそんな焦る彼女を笑いながら見た。

「こ、こんなの聞いてない……!!!」

「だから言ったじゃないですか。後悔しなければいいって。」

 僕はフフッと笑いながら手を離した。必死で抵抗していた瑠璃さんは反動でよろけ、白塗りのマンションの壁に手をついた。さっきまで僕が握っていた方の手首は、真っ赤に腫れあがり綺麗な手形がついていた。

「大丈夫ですよ、その腫れはあなたの治癒力なら明日には治ります。」

「どうして、どうしてあなたが……」

「後で僕の事は話して上げますよ。契約書の瑠璃さん?」

 僕はにっこり彼女に微笑んだ。

* *

「痛い……痛いの!!」

 余裕が無い瑠璃さんと僕は、静かに部屋へと入った。すると中ではあまりの頭痛に泣きながら暴れているみーと、そんな彼女を必死に落ち着かせようとしている兄さんの姿が見られた。周りの粉々になってしまったクッキーの様子からも窺えるように、かなりみーは暴れていたようだ。

「落ち着け美沙! 今から俺が診てやるから。」

「もう割れるように頭が痛いの! もう、もう……!!」

「何か今日変わったことは無かったか?」

「きょ、今日、体育で顔を怪我して……か、代わりの湿布をる、瑠璃ちゃんに……がほっ、ごほぉっ……!!」

 突如、みーは咳き込み始め兄さんにしがみついた。よく見るとみーは血を吐いていた。自分の服にそれがついたのも気にせず、兄さんは冷静に近くにあったティッシュを取ってみーの口元に垂れた血を拭いていた。

「兄さん、大丈夫?」

「あぁ。それより博、美沙の部屋から今日つけて外した湿布を探してきてくれ。何か原因がわかるかもしれない。」

 そう言うと兄さんはみーの背中を摩り、落ち着かせていた。……本当に、兄さんはすごい。絶対に良い父親になるだろうな、しみじみそう感じさせてくれる光景だった。僕は廊下でこっそりとそんな光景を眺めていた瑠璃さんの背中を押してみーの部屋へと連れて行った。彼女は今にも泣きそうな顔をして胸に手を当てていた。

「まぁ何となくわかったよ。その湿布が魔力の詰まったものだったんですよね?」

「……はい。私、本当に美沙ちゃんがマナアレルギーだって知らなかったんです! だからこんなことになるなんて……」

「もうあなたの謝罪の言葉なんて求めてませんよ。本当に反省してるんだったらこの部屋からその湿布を探してください。」

* *

「結局、みーはアレルギーが悪化して暴走魔となってしまった。結果的に人間と契約書の間の様な存在になってこの戦に巻き込まれた。」

「そして僕が目をつけてしまったんだ。」

「暴走魔なんて珍しい人間を、アイツは見逃すはずが無かった。」

「そして、その騎士として君が選ばれた。博君、月を眺めて何を考えているのかな?」

 ベランダから僕が月をのんびりと眺めていると、隣で銀髪に白ローブを纏った男性が肩肘をついて笑っていた。左目は長い前髪で隠れていて、半分の表情が窺えない。目に見える右目は爽やかな笑顔だが……本当に左目は笑っているのか、それがわからないくらい綺麗すぎる笑顔を浮かべている。

「思春期の男子は色々悩むことがあるんですよ。」

「そうだね、お兄さんは彼女持ちだしやっぱり自分も欲しかったりするんだ?」

「……何で真面目に捉えるんですか。別に僕はそんな思春期らしい悩みなんて持ってませんよ、これについて考えていただけです。」

 呆れながら銀髪の男性……アルテマ様に答え、右手の甲を見せた。それを見るとなるほどね、とニコニコ笑った。

「……僕があなたの下らない遊びに付き合ったのは、みーを守るためとあなたに後悔させるためです。魔術師と契約書を戦わせて楽しんでいるあなたを、後悔させてやるんですよ」

「継承戦争……じゃあ君がもしも創造神になったら僕に復讐をするんだね?」

「ええ。今まで奪った大量の命の重みを痛感してもらいます。」

 創造神アルテマ、彼が主催で行う娯楽『アルテマ継承戦争』。これが僕の参加した戦争。魔術師と呼ばれる契約書に近い能力を扱うことができる人間と契約書が創造神の枠を狙う戦い。この戦いには僕とみーの組の他、瑠璃さんや愛菜さん……そして、兄さんも参加する。他には魔術師が二人、契約書が一人参加する。僕は、必ず他の三組に勝ち創造神になる。

「君を選んで本当によかった。面白い戦いを見せてね、博君?」

 鮮血の円舞曲≪ワルツ≫……楽しみにしてる。

 そう言うとアルテマ様は静かに消えていった。姿が見えなくなると僕はベランダの柵に手を置き、はぁ……と深く息を吐いた。あの人との会話は疲れる、まぁ創造神と会話しているのだから当然と言えば当然だろう。どうやら僕はあの人に結構気に入られてしまっているらしい。何を期待しているのか正直わからないが……

「僕は約束をした。彼女が死んだ時、約束をしたんだ。」

 何があろうとも……どんな障害に阻まれようとも、美沙を守る騎士は僕なのだと。

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