雨音が連れてきた君は

さつきやまい

俺と彼女とバス停と

 梅雨真っ盛りのころころと表情を変える空。猫のように気まぐれで、気分屋な頭上に俺は翻弄されていた。数年前亡くなった幼馴染みの墓参りへ向かう道半ば、夕立によって足止めを食らった。

「予報じゃ今日は晴れのはずだろ……」

 何もないこの一本道で、この大雨をしのげるところは無いのかとあたりを見回すが、もやに包まれていてあまり視界は良くない。


 少し歩くと、台風が来たら吹き飛ばされてしまいそうな古ぼけたバス停がぽつんとあった。

 アクリルとベニヤ板をあわせた壁はひどく劣化している。金属板でできた折板葺せっぱんぶきの簡素な屋根は、塗料が剥がれ、錆びて赤茶色に染まっている。その二畳ほどのさほど大きくないスペース。その中に、色あせた掲示板があり、時刻表が貼られている。ここだけ時が止まっているようで、物悲しく見えた。

 急いでバス停に避難し、着たままTシャツを軽く絞る。さらに勢いを増す雨にうんざりしていた。雨が道路を伝い、脇にある細い用水路へ流れる。雨の勢いに負けじとウォータースライダーさながらの勢いだ。葉っぱがはらりと枝から落ち、激流に呑み込まれていった。

 傘を持ってこなかったことに後悔した。葉っぱは既に見えなくなっている。

 正直な気持ちとしては墓参りへ行きたくなく、有耶無耶にしてしまいたいという俺の気持ちを汲み取ったかのような雨。しかし、そんなことをよしとしない気持ちがあるのもまた事実であった。


 そんな心の葛藤を胸に、降りしきる雨をぼんやりと眺めていると、このごきげん斜めな天気模様の掌で踊らされた同類がいたらしいく、俺が来た道とは反対側から、紺色に可愛らしい白い水玉があしらわれた折りたたみ傘を差した一人の少女が、このバス停に駆け込んでくる。恐らくその小さな相棒ではこの雨をしのぎ切るには厳しいと判断したのだろう。

 長く伸びた艶やかな黒髪がほんのりと濡れているだけだ。折りたたみ傘さまさまと言ったところか。それに比べて俺は空の辻斬りをバッチリくらっている。とりあえず極限まで端に寄っておこう。

 ゆさゆさと傘の水を切る時に揺れる髪が、幼馴染の面影を感じて嫌気がさした。

「露骨に避けるなんて、ちょっと失礼じゃない?」

「はい?」

 いきなり話しかけられ戸惑う。別に避けたわけじゃない、俺なりの気遣いだ。

「別にこういう公共の場所って、人が来たら間を空けるなんて決まりは無いわ」

 たしかにそうだ。

「……暗黙の了解ってやつじゃないですかね」

 初対面の人と話すのはどきどきするのであまり得意じゃない。控えめにしたい。むしろしたくないまである。彼女は会話を続ける気なのだろうか、こちらをじっと見ている。

 少し顔の方へ目をやると、すぐに視線がぶつかった。

 そのままじっとしていると、騒音と共に一台のトラックが通り過ぎ、もやに包まれていった。車内からもれた音楽がゆらゆらと揺れながらあとに続いた。

 観念した俺は特にやることもないし付き合うことにした。

 少し警戒を解いたのが伝わったのか、彼女は言葉をぶつけた。

「あまりそういうの良くない。流されてばっかりの人生ね」

 なんだかよくわからないが、ありがたい言葉をいただいた。

「逆らえる程、泳ぎは上手くないよ」

 あまり和を乱すことをしたくはないのだ。聖徳太子も言ってただろ、和を以て貴しとなす、だ。

 それを伝えると彼女は、

「あなたはどこまでも泳いでいけそうなのにね」

 勢いを増した細い用水路を眺めながら言葉を紡いだ。そして何を思ったのか、こちら側へさらに少し寄ってきた。話を続ける気満々らしいが、俺はびしょ濡れなのであまりこっちにはこない方がいいだろう。

 黙っていると、視線を感じた。恐らくこちらを見つめているので、俺は目の前の用水路をから目を離せないでいる。雨水が許容量を超えたのだろう。プチ濁流だ。地面に打ち付けられる水の音が響く。


 それにしても実に馴れ馴れしい。少々勇み足気味な言葉が俺を惹き付けるのも事実だが、本来なら気心知れた友人相手にするものだろう。

 君のこと知らないけどもしかして何処かで会ったことあるのだろうか。なんて、くだらない口説き文句のようなものが頭をかすめた。

「雨、強いね。止んで欲しい?」

 そう聞かれると困る。心の決着は未だつかず。無意識に地面を眺めていた。

「知り合いの墓参りに行くんすよ。数年ぶりというか初めてだけど」

 答えられない俺は質問に答えずにこれからの用事だけ話した。

「そうなんだ。数年経ってから一人でお墓参りって、なんだかワケありみたいな感じ」

「……そういうあなたはなにか用事でも?」

 下を向いたまま続ける。またもどこからか葉っぱが泳いできた。笹の葉のようだ。

「奇遇ね、私もこれから久しぶりに会って、お別れ会。当時どうしてもできなかったからって」

 お別れなんかしたくないのになあ。そう付け足してしゃがみ込む彼女。手が濡れるのもお構いなしに、流れてきた笹の葉で船を作り流す。

 時間をあいたのにわざわざお別れ会をやるなんて、相当仲の良い友人なのだろう。

「別れなんて出会いの数だけあるんだ、仕方ないだろ」

心にも思ってないことを言う俺に対し、彼女はふぅ、と溜息を吐いた。雨の匂いがあたりに広がっている。

「そんなこと言う割には、あなたは随分と曇り顔」

 幼馴染の墓参りのことを差しているのだろう。なかなかに観察力のある女の子だ。俺は目を伏せることしかできなかった。

 一体何故、名前も知らない他人が、こんなにも人の心にずかずかと土足で入り込んで来るのだろう。しかも俺の本音を的確に絞り出していく。雨の音がより一層大きくなったような気がしたので、口を開いた。

「お別れしても、会おうと思えば会えるし連絡取ろうと思えば取れるだろ。そんな遠いところなのか?」

 無視をして彼女の話の続きを促した。

「連絡は取れるだろうけど、かなり遠いところだから会うのは難しいの。でも、約束していたこのお別れ会もやっと予定が合ったので」

 遠路遥々会いに来たんだよ。そう告げた。

 笹舟は引っかかり、バス停から旅立てずにいた。

 もうそれはお別れ会じゃなくて再会だな……。でもまあ、そういう友達は貴重だ。

「ふぅん。相当大切な友達なんだな、お互い」

「そりゃもう。時間が経とうとお構いなしに、こういうことしてくれる人なんてそういないもの」

 その表情から、厚い信頼を感じる。彼女の方を盗み見ると、その友人を思い出していたのか、笑顔だった。目尻が下がった、幼くも人懐っこい笑顔が印象的だった。

 無遠慮なのに、嫌悪感を覚えさせないその雰囲気の理由が、なんとなくわかった気がした。その上元々お喋りが好きなのだろう、他人を不快にさせないテンポを保っている。

 いつのまにか俺の耳には雨の音よりも、隣の彼女の絹のような滑やかな声が先に届くようになっていた。

「そういえばお墓参りって言ってたけど、なんで数年経ってから?」

 正直この話題は話したくなかった。今までずっと悩みに悩んでいたのだ。それに、初対面の人間に話すような内容じゃない。

「い、忙しかったんだよ」

「数年単位で一日も空きがないほどに忙しかったんだ?本当は気後れして行きあぐねていた、とかじゃないの?そして今日やっと踏ん切りがついた、と」

「……反応で察してくれ」

 それを聞いた隣の女子は黙った。先程、耳から離れた雨粒が落ちる音がほんのりと耳をかすめ始めた。

 少し経って「……すまん。」と謝る。何とも言えない空気にしてしまったのは申し訳ないのだが、それでも今回は相手の遠慮がなさすぎる。

「…いえ。でもその反応、図星かな?どうせなら一度切りの出会い、お互い全てさらけ出してしまいませんか?」

 彼女は話を続ける。なぜこんなにもこの話を続けたがるのだろう。というかそこは引き際じゃないのか。

「そんなことするにしてもまずは自分から話せばいいじゃないか。次に俺が話せばいいだろ」

「順番にするなら次はあなた。私は話したもの」

 お別れ会の、と彼女。先に聞いたのはたしかに俺だ。

「……大した話じゃないからな」

「私が聞きたいから、いいの」

 またもやものすごい視線を感じる。はやく話せ。そう催促しているように感じた俺は、先程から座礁し続けている笹舟を見つめながら、ここまで来たらもういいだろうと、話すことにした。雨は勢いを失いつつある。

「昔、俺には幼馴染みがいたんだよ。同い年で、よく遊んでた」


――三年前の今頃は、俺は幼馴染みはなんてことはない日々を過ごしていた。いわゆる日常の繰り返しみたいなもんだ。

 ある日、前々から幼馴染みに頼まれていたショッピングへ行くことになった。大きなショッピングモールへ行くことを前日からしゃぐ彼女だったが、当日は今日みたいな土砂降りの雨で、じめじめとした空気にまとわりつかれ、はやく起きすぎた俺は、その音を聞いてうんざりした俺は思わず布団をかぶり直してしまった。

 気づいたらかなり寝ていたらしく、予定していた集合の時間を1時間過ぎてしまっていた。慌てて携帯を覗くと幼馴染みからのメールや着信が何件もあり、俺は慌てて電話をかけたが彼女は出てはくれなかった。

 1時間も待たせてりゃそりゃ怒るよなと思い、急いで身支度を済ませ全力で幼馴染みのもとへ向かった。その途中何度かメールをするも返事がないことに違和感を覚え、より一層足を早めた。

 なんとか着いたが、俺の視界に広がったのは大型トラックが歩道へ突き刺さるように衝突していた光景だった。焦りを感じつつも名前を呼び、辺りを探しまわるも、一向に見つかる気配はない。警官に取り押さえられ、それでも名前を呼び続ける俺に、「ご知り合いの方ですか?」と別の警官が訪ねた。嫌な汗が止まらなかった。呼吸は乱れ、普通に息をするということが難しく感じた。「友人です」と、なんとか声をひねり出して、告げた。渡されたのはぐちゃぐちゃになって、原型は留めていないが見覚えのあるストラップが付いた携帯だった――


「それは彼女の携帯だった。俺はその場にうなだれることしかできなかった」

 彼女は黙っている。話を続ける。

「俺はその後、不登校になって外へ出るのが辛くてずっと無気力に過ごしていた」

 一段落ついたので、ふぅ、と溜息を吐く。こんなことを話したことなかったが、少し気持ちが楽になった気がする。雨はしとしとと降り続ける

「原因は……?」

 隣の彼女は話しかけてくる。

「……飲酒運転だって。でも俺がちゃんと時間通りに行っていれば……。トラックのせいにしたくはない」

「私なら運転手を一生恨んでしまいそう」

「人のせいにして逃げようとも思えたけど、俺にはできなかった。トラックの運転手に罪をなすりつけてしまいそうで、今まで一度も墓参りとかそういったものに参加しなかった。きっと、幼馴染の両親も、友達も、優しい言葉をかけてくれるから」

 俺は、自分を責めて欲しかったのかもしれない。俺は俺自身を許せないのだ。幼馴染みに合わせる顔がない。

「責めてもらえないから逃げたって、なんか変ね。普通逆」

 俺はふと彼女を見る。初めて彼女の方を向いたかも知れない。長いまつげが伏せられていて、憂いを帯びた表情をより一層際立ていた。そんな彼女の横顔はどこか懐かしい、そんなふうに感じてしまった。

「きっと幼馴染は許してるはずよ」

 彼女は「だって」と続ける。

「ずっと私に見せていた横顔は心の底から後悔している顔だったもの」

 そして「自分が興味ないことにそこまで感情的になる人なんていないもの」と続ける。

 俺はもしかしたら幼馴染みに終わりのない言い訳をし続けていたのかもしれない。

「俺は、幼馴染みに許して欲しいわけじゃない。自分でもよくわからないんだ」

「答え、出てるじゃん。雨に負けず劣らずの降水量ね」

 言われて気づく。ぽたぽたと顔を伝い、雫が垂れている。気恥ずかしくなり前を向きゴシゴシと服の袖で顔を擦り、拭う。雲の隙間から光が差し始めた。

「ありがとう、こんなにもつまらない話を聞いてくれて」

「いえいえ、こちらこそありがとうございました」

 いつのまにか心のもやも取れ、向き合おうという気持ちでいっぱいだった。

「あ!最後に一つ」

「ん?」

 一歩踏み出そうというところで、声をかけられ、踏みとどまる。

「その人のこと、好きだったの?」

「……想像におまかせする」

 

そんなの、言うまでもないだろう。


「じゃあ、俺、そろそろ行くから」

 バス停を出ては振り返りながら彼女にお礼を言う。先程の笹舟は、いつのまにかしっかり流れていっていたようだ。

「私もそろそろいかなくちゃ。さようなら」

 手短に挨拶を済まし一歩。もう一歩。もう大丈夫だ。俺を埋め尽くしていくスカイブルーの気持ちは、どこまでもおせっかいで優しい誰かがくれた。もう雨宿りをする必要もないだろう。

 「お元気で、……くん。」

 後ろから絹糸のような声で名前を呼ばれたような気がした。振り返ると、いつの間にかバスが来ていたようで、おしゃべりな彼女の姿もバス停も隠れて見えなかった。風に舞ったその静けさは、寂しくも懐かしい。優しく、そして力強く俺の背中を押してくれた。

 空はもう、泣いていない。覆っていた灰色はが消えたその先にのオレンジは、とても優しかった。

                        了

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