第八十三話 理想 ‐アコガレ‐




    ◇    ◇    ◇





「で、その後はワンパンよ」


 まるで自分の事かのように得意げに語り、興奮冷めやらぬといった様子で酒を煽る南。


「へぇ、二人が知り合いになったのには、そんな経緯があったんですね」


 話を聞きながら缶ジュースを啜り、和歌は興味があった話に聞き入っていた。


「なるほどのぅ。自分が困っている所を助けてもらったのなら、そりゃ惚れもするか」

「惚れた、ってのは違ェな」

「む? あんなに供助の相棒を組みたがっておったし、初めに和歌を悪い虫だなんだと供助から遠ざけようとしたらしいではないか」

「まぁ、古々乃木先輩が私を求めてきたら喜んで受け入れるけどよ。惚れたってよりも憧れた、が正しいな」


 つまみのピーナッツを口に放り投げ、カリコリと小気味良い音が鳴る。


「憧れの人と一緒に仕事をしたい。認めてもらいたい。追いつきたい。そういう風に思うのは当然の感情だろ」

「それは解るがの。だが、先程も言った近付く女を威嚇したのは何でだの? 憧れとは関係なかろう?」

「それは、あー……なんだ、あたしの理想の押し付けだな」


 南はバツが悪そうに顎先を指で掻き、猫又に答える。


「憧れの人には相応の人と一緒になって欲しいっつーか、尊敬する人がバカ女に引っ掛かる情けない姿は見たくないっつーか」


 自分勝手な理由だと分かっている。分かってはいるが、自分が尊敬する人が堕ちていくのは耐えられない。

 南の言いたい事は理解できなくもない。自分の命を救ってくれた人物であれば尚の事。


「それ、分かります」


 そんな南の気持ちが理解できると、一番に言葉を返したのは祥太郎だった。


「憧れの人って自分の中でヒーローみたいな存在だから、ずっと格好良い姿で居て欲しいんですよね」


 そういう祥太郎は少し気恥かしそうにはにかんだ。


「小学校の頃、僕にとって南さんがそうでしたから」

「あたしが祥太郎の? そりゃ初耳だ。ヒーローになれるような立派なモンだったか?」

「自分の意見を言えて、自分を隠さないでいて、強くて……昔の僕にとっては身近なヒーローだったんです」

「そういやお前、小せぇ頃は根暗だったもんな。いつもビクビクしてんのが焦れったくて声かけたの覚えてるわ」

「今も引っ込み思案なのは変わらないですけど。でも、子供の頃と比べればマシになったかな」

「眼鏡なのは変わってねぇけどな」

「あはは、コンタクトはなんか怖くって」


 互いの幼少期を知っている二人は小さな昔話で笑みを零し、思い出を懐かしむ。


「あたしの話はそんな感じだ。つー訳でバッター交代、次は猫又サンの番だ」

「む? 私かの?」

「古々乃木先輩と組む前までは旅してたんだろ? それがなんで払い屋になったのかは気になるだろ」

「大して面白いものではないと思うが……」

「いいからいいから、酒の肴の一品だと思ってよ」

「しょうがないのぅ」


 猫又は咥えていたスルメの足を噛み千切って、勿体振るように口に残ったスルメを咀嚼する。


「私は払い屋になる前はぶらぶらと気ままに旅してての。供助と最初に出会ったのは公園で、確か雨の降っていた夜だったのぅ。その時、私は怪我を負って気を失っておった」


 猫又は口の中のスルメを飲み込み、アルコールが入って頬を薄赤くさせて当時の事を思い出していく。


「そこを供助の気まぐれで拾って貰っての。傷の手当をして貰った」

「その気を失っていた時って、猫又は猫の姿だったんですよね? 供助が猫を拾うなんて珍しいな」

「まぁの。今になって私も運が良かったと思う。あんな弄れた性格の者の気まぐれで命が助かったのだからの」


 面倒臭がりの供助の性格上、傷を負った野良猫を拾って介抱するなどまず有り得ない。

 付き合いの長い太一は……いや、付き合いが長くない者でも分かるだろう。供助がそんな人間ではないと。


「で、供助の家で目が覚めて半額弁当を馳走になっての。払い屋が人手不足って事で私も働く事になった。以上!」


 話は終わったと、スルメの続きを噛み始める猫又。


「それだけ?」

「それだけだの」

「マジ?」

「マジマジ、マジンガーだの」

「……」

「……」


 数秒、猫又と南が無言で見合う。


「マジで面白くねぇじゃねぇか!」

「だから言ったではないか、面白くないと!」


 本当に面白い所も無ければ話が短いと、南は大声を上げる。

 確かに前もって大して面白くないとは言っていたが、ここまで山も谷もオチも無いとは思っていなかった。 


「まぁ本当は何やかんやあったんだがの、そこは割愛で」

「いや割愛すんなよ! そこが聞きたいんじゃねぇか!」

「その部分は色々と立ち入った話での。私を含め軽く話せるような事ではなくでの」

「私も“含め”……?」

「そういう事だの。本人が話さない事を、私が話す訳にもいかん。すまんの」


 この会話で南は察す。話さないのではなく、話せないのだと。

 胡座をかいた状態から身を乗り出していた南は、出鼻を挫かれた様に姿勢を戻した。


「ったく……期待してた分、あっけなく終わって興が削がれてちまった」


 南は後頭部をおもむろに掻いて、ここでこれ以上の話を聞き出すべきではないと諦める。


「話も終わっちまって区切りが良いし、ちょっと外で一服してくる」


 南はスタンドライト台に置いてあったタバコを手に取って、ベッドから降りる。

 別に不機嫌になったでも、腹を立てたでもない。ここには未成年の和歌達が居て、部屋でタバコを吸うのは避けた方がいいと純粋に気を遣ってからの行動である。


「五分くらい抜けっけど、太一達も飲みたかったら酒飲んでいいからなー」


 そう言って南が部屋を出て戸を閉めると、後ろから喜ぶ太一の声とそれを抑止する和歌の声が混じって聞こえてきた。

 大人しい祥太郎は二人を見て苦笑いを浮かべている所だろう。まだほんの二、三日の付き合いだが、三人の反応は想像するに容易い。

 南は小さく頬を綻ばせて、ニコチン摂取すべく玄関に向かう。


「夜風がいーい感じで涼しいねぇ」


 とうに夜は更けて深夜一時。普通ならば十月の夜の風は少し肌寒いだろうが、アルコールで火照った熱を冷ますには丁度良い。

 南は愛煙するメビウスを一本、口に咥えて百円ライターを手にする。小さく凪ぐ風に火種が消されぬよう、手で覆って紫煙を登らせ始める。

 メビウスにも色々とあるが、南が好んで吸っているのはライムレモンのような清涼感ある喫味がする種類。柑橘類のような味わいがクセになる。


「っはー……」


 星が散らばる空へと煙を吐き出して、メビウス特有の味が口内に染みる。

 南はヘビースモーカーまでは行かないが、ヤサグレていた頃の名残で今でも日課になってしまっている。

 ギャンブルはしないが、酒と煙草はする。お陰で地味な出費が多く、いつか買おうとしているバイク購入はまだまだ先のようだ。


「なんだ、アンタも抜けてきたのか?」


 玄関から繋がるバルコニーで一服している所に現れた人物に、南は視線だけを向ける。


「いやなに、ちょっと厠のついでにの」


 現れたのは猫又だった。着物の袖に交差させて手を入れ腕を組み、酔いからか鼻先が少し赤い。

 トイレついでというのも本当だろうが、夜風に当たって軽く酔いを覚ましたかったのもあった。

 そして、さっき話しきれなかった話をする為……それが一番の理由か。


「さっきは和歌達がいたから詳しく聞かなかったけどよ、古々乃木先輩と猫又サンが組んだ理由ってさ……」


 それをすぐ察して、南は前置きもなく猫又へと話を振った。


「古々乃木先輩が人食いの妖怪を探しているってぇのと関係あんのか?」


 言いながら、言葉と一緒に吐き出される煙。

 暗闇の中で微かに白いモヤが揺蕩う。


「ほら、昨日トンネルの妖怪を祓っただろ? そん時、二人は人食いとあやかし喰いの妖怪を知ってるか聞いてたからよ」

「それを聞いて、どうする気かの?」

「いやなに、あたしも何か力になってあげてぇと思っただけだ」


 他意は無い。それだけだと。南は言う。


「さっきあたしが払い屋になった切っ掛けが古々乃木先輩だったってのを話したろ? だけど、あたしは古々乃木先輩が払い屋になった切っ掛けを知らねぇ」


 少し、ほんの少し寂しそうに南は。

 雲掛かった夜空を見上げて、憧れの先輩と出会った時の事を思い返す。


「本当に力になりたいと思うのなら供助から直接聞くといい。あ奴はひねくれてはおるが、人の思いやりを無下にする人間ではない。心から手助けしたいと思うのであれば、供助は答えてくれる筈だの」

「そ、か……あんた、古々乃木先輩と組んでどんくらいだっけ?」

「そろそろ三週間くらいかの? 一ヶ月は経っていないと思うが」

「はぁ……三週間、か。あたしはもう二年だってのに……」


 南は項垂れ、そのまま手摺りに乗っけていた両腕に顔を埋める。


「む? どうした?」

「まだ短い付き合いなのに、古々乃木先輩の事を理解してんだなってよ……軽い嫉妬だ」

「同じ屋根の下で寝食していて、相棒として一緒に仕事をしていればある程度はの」

「ホント、あたしって古々乃木先輩の事をなんも知らねぇなー」

「元々自分の事を好んで話すタイプでは無いからのぅ。それは仕方ないんじゃないかの」


 猫又は供助の性格を語りながら小さく呆れ笑いを含め、南の隣で手すりに背中を寄り掛ける。


「ま、供助の事を知りたいのであればちょくちょく遊びに来るといい。ついでに酒を持ってきてくれれば私も喜ぶ」

「猫又サンが良くても古々乃木先輩が嫌がンだろ。現に今回、あたしが会いに来た時も嫌がってたしよ」

「言ったであろう? 供助は人からの好意や優しさを無下にはせん。悪態はつくであろうが心からの拒絶はせん」

「そういや、なんだかんだで昨日は古々乃木先輩の家に泊めてくれたしな……」

「私自身も供助という人間を理解するには色々とぶつかって怒った事もあったがの。相棒を解消直前まで言った時もあった」

「なんだ、そのまま辞めてくれてれば、あたしが古々乃木先輩の相棒になれたのによ」


 南は冗談交じりに笑って、灰皿に代わりに持ってきた空き缶に煙草の先端を落とす。


「なぁ猫又サン。アンタが払い屋になったのってよ、探しているっつー共食いの情報が欲しいからだろ?」

「なぜそう思う?」

「払い屋になる前は旅をしていたって言ってたのは、その共食いを見付ける為だと思ってよ。天敵とまではいかないが、妖怪の猫又さんがその払い屋になったんだ。それなりの理由があんじゃねぇか、ってさ」

「ま、そんな所だの……で、聞いてどうする気かの?」

「友人って言うにゃ会ったばっかだし、仕事での先輩後輩って言うのもピンとこねぇ」


 南は短くなった煙草を最後に一口吸って、先端を潰したタバコを空き缶の中に入れる。

 軽く空き缶を振ると。火消し水として少しだけ残っていた中身がチャポンと鳴った。


「ただ一緒の釜の飯を食った仲だ。出来る事があるなら、飲み仲間として出来る事は力になってやりぇと思っただけだ」


 別に特別な理由だあるでも、好奇心からの探りでもなく。新しく出来た飲み仲間だから。

 何か手伝える事があれば手伝ってあげようと、濁りの無い南の純粋な気持ちだった。目付きや言葉使いは悪いが、元から姉御肌の南。面倒見の良さというか、少しおせっかいな部分が出て来たのだ。


「……く、くく、はははははははっ! そうか、飲み仲間か!」

「なんだよ、おかしな事を言ったか?」

「いや、すまんの。私がこの姿になってからそれなりに長い。長旅をしてきて知り合いや友人は数人出来たが、そういえば人間の飲み仲間は居なかったと思っての」


 猫又は目尻に薄らと浮かんだ涙を人差し指でぬぐい、小さく笑う。


「初めて出来た飲み仲間の申し出だからの、素直に甘えるとしよう」


 猫又はバルコニーの高蘭に背中を預け、軽く空を仰いだ。


「私は金色の毛髪をした狐の妖怪を探しておる。もし何か情報を掴んだ時は、一報頼む」

「金色の狐、ねぇ。あたしが払い屋になってからは見た覚えはねぇな。分かった、何か見付けた時は連絡する」

「ま、気長に待っておる。私が長く旅をして何一つ情報を掴めなんだ。そうそう簡単に見付かるとは思っておらん」

「その探してるあやかしの情報を得る為に払い屋になったってぇのに、今まで何も情報が無くて焦れったくねぇのか?」

「まぁ正直、最初は煩わしく思った事もある。しかし、よく考えれば今言ったように私が旅をして何の手掛かりも掴めなかったのだ。痺れを切らせてまた旅に出ても同じ事を繰り返すだけだと思っての」

「だったら、人手や伝手が多い払い屋でもう少し様子を見ようってか」

「そういう事だの。しかし、これはこれで楽しくやっておる。今の暮らしには温かい御飯も雨風凌げる屋根も、温かい座布団もある」

「ハッ、このまま正式に払い屋に就職しても悪かねぇってか?」

「ふふっ、それも有りだの。だがやはり、先の目標は“共食い”を見つけ出す事だ。それを終わらさなければ次には進めん」


 仮りの契約ではなく、正式に払い屋としての活動。それも悪くないと猫又は微笑む。

 しかし、それはあくまで全てを終えた後の話。今、最も優先すべきは共食いの発見と接触。

 それを達成して全てを終わらせなければ、猫又は新たな生き方を歩めない。怨念と因縁に決着を付けるまでは。


「分かった、金色の妖狐だな。あたしも出来る限り情報を集めとくよ」

「うむ、何か掴んだ時は頼む。お礼は旨い酒でも奢ろう」


 目は合わせずとも、お互いの表情を察して同時に微笑する二人。

 微かに漂っていた煙草のに臭いが消えていくように、この話も終わりを迎える。


「さ、戻って飲み直すかのぅ」

「太一と祥太郎に飲まれて無くなってなきゃいいけどな」

「大量に買い溜めたのだ、そうそう無くなりはせんて。高校生が飲むのは大体甘いカクテルやチューハイであろう」


 バルコニーから中に戻ると、女子会を開いている部屋の方から騒がしい声が聞こえてきた。

 と言うか、ほとんどが和歌の怒鳴り声というか騒ぎ声というか。大方、飲酒しようとする太一と祥太郎を咎めているのだろう。

 その声を聞いて猫又と南は一度お互いを顔を見てから、小さく吹き出して笑い出した。


「今夜は騒がしい夜だのぅ」

「いいじゃねぇか。バカ騒ぎ出来んのも若いうちだけだからよ」


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