第四十七話 幼馴 中 ‐オサナナジミ チュウ‐

 陽は落ちて空は真っ暗。雲に覆われて星も月も顔を隠して、雨が降る前兆なのか湿気で肌がべたつく。

 時間は夜九時を過ぎたところで、街中はまだ人通りが多い。街のイルミネーションに混ざって、車道を車のヘッドライトが流れていく。

 ガヤガヤと騒めく夜の街。夜の街と言っても如何わしい店は無く、全国チェーンや個人経営の飲み屋が殆んど。

 他にもコンビニやレンタルショップも店内から明かりを灯しているが、どの店にも見向きもせず。

 供助は背中を丸めて、いつもの怠そうな雰囲気で街中を歩いていた。


「くぁ……あー、疲れた。ガラにもなく真面目に手伝うモンじゃねぇな、やっぱ」


 手で隠しもしないで、大きく口を開けて欠伸。

 慣れない事をしたのもあって、疲れから襲ってくる睡魔。供助の目尻には小さな涙が浮かぶ。

 本日も当然、半額弁当を買うべく九時過ぎにスーパーへ行ってきた帰りである。

 文化祭準備は七時前にお開きになり、供助だけじゃなくクラスの生徒全員が帰宅。供助が最後まで文化祭準備を手伝ったのは初めてで、クラスメートの何人かは驚いていた。

 弁当が半額になる時間まで大分空いていたが、一旦帰ってまた出掛けるのも面倒だったので、本屋で立ち読みをして弁当が安くなる時間まで暇を潰した。

 今夜の収穫は上出来で、カツ丼やハンバーグ弁当となかなかお目にかかれない品ばかり。これなら猫又も文句を垂れたりしないだろう。


「さっさと帰って飯食って寝るか。面倒臭ぇけど明日も学校だしな……」


 丸まった背中をさらに丸くさせ、供助は憂鬱ゆううつ気味に独り言を吐いた。

 残念ながら本日は月曜日で、今週は始まったばかり。次の休みまであと四日もあると思うと、そりゃ気も滅入る。

 しかも今週末は文化祭。土曜日は午前中に最終準備を行い、午後からは開催セレモニーが行われて生徒だけで文化祭が開始される。そして、翌日の日曜から一般開放もされる予定になっている。

 文化祭で土日に出席する分、来週の月曜と火曜が代休となる。つまり、今週は次の休みまであと六日もあるという現実。供助が憂鬱になるのも無理はない。

 とりあえず今出来るのは、風呂に入って汗を流し、晩飯を食べて腹を膨らませ、明日に備えて眠る事。

 依頼がある時以外は飯食って漫画読んでぐーたらしている猫又が心底羨ましく思える。


「ちょ、ちょっと! 離してください!」

「あん?」


 街の喧騒の中から飛んで聞こえてきた、女性の声。言葉と声質からして拒否の意を表しているのは簡単に解った。

 興味があろうと無かろうと、大声が聞こえれば反射的にその方を見てしまうもので。

 声が聞こえたのは、供助が渡ろうとしていた十字路の左側。シャッターが閉まっている店の自動販売機の前で、ガラも頭も悪そうな男二人に腕を掴まれて絡まれている女性の姿があった。

 しかし、街中を歩く何人もの歩行者は誰一人として助けようとしない。一度は目を向けて、それで終わり。同情はしても助ける事はない。

 自分が絡まれている被害者になれば、無視する通行人を薄情者と心の中で罵るだろう。だが、これは薄情なのではなく、当然……いや、自然な事と言っていい。

 他人より自分が大事。それはごもっとも。誰もがそうで、それが当たり前で、常識である。見ず知らずの人を助ける為に、危険を冒してまで助けようとする自己犠牲愛も持ち主はそうそう居るものじゃない。

 見ず知らずの人を見返りも無く助けるなんてのは、漫画の中のヒーローぐらいしか居ない。あとは周りの通行人同様、触らぬ神に祟り無しと見て見ぬふりで終わらす。

 供助はヒーローでもなければ、お人好しでも自己犠牲愛を持ってる訳でも無い。当然、当て嵌るのは後者。


「ま、俺にゃ関係の無いこって」


 自分もただの通行人Aになって通り過ぎようと、止めていた足を動かす――――が。

 一瞬、歩行者の間から見えたのは。自分と同じ高校の制服と、茶色いポニーテールと、縁無しの眼鏡。それと、見覚えのある顔。

 数時間前にも学校で見合わせていたクラスメート。言うまでもなく、そこに居たのは委員長だった。

 男二人に絡まれていたのが予想外の人物で、動かし始めた足をまた止めてしまう。


「悪ぃが、面倒臭ぇ事は嫌いなんで」


 絡まれている委員長を横目で見て、家路に家路に就こうとする。が、しかし。右足を一歩踏み出たところでまた、足は止まってしまう。

 疲れているし、腹も減った。おまけに五月蝿うるさい猫が家で晩飯を待っている。気分は早く帰宅して飯を食い、風呂入って寝たい。

 だが、仲が良いかはどうかは別として、委員長は顔見知りの仲ではある。これを無視して次の日学校に行って委員長が休みだったら、さすがの供助でも罪悪感を感じてしまう。

 後味が悪いまま、せっかく買えたカツ丼やハンバーグ弁当を食べるのはどうだろうか。どうせなら何の気兼ねもなく、旨い物を旨いまま食べたい。


「……ちっ、本当に面倒臭ぇな、ったくよ」


 結局、通行人Aになる事は出来ず。しかし、かと言って漫画みたいなヒーローなんかでも無くて。

 人助けなんてガラじゃなく似合っていないのは自覚している。だから、適当な理由を探して、作った。“無視したら後味悪くて飯が不味くなる”と。

 なんて事はない。つまり供助は、知り合いが困っているのを見過ごせなかった――ただの人間だった。


「いい加減にしてください! 私は早く家に帰りたいんです!」

「君、石高セキコウの生徒っしょ? 制服見れば分かるよ」

「だったら何なんですかっ!?」

「いやぁ奇遇だなぁ、俺等も石高の生徒なんだよね。去年、三年生で辞めちゃったけど」


 セキコウとは供助と委員長が通う石燕せきえん高校の略称で、生徒の間でよくそう言われている。

 委員長に絡む男の一人が喋る度に目に入るのは、舌に開けた銀色に鈍く光るピアス。お洒落なのか格好付けかは解らないが、喋り難くないのだろうか。


「あー、すんません、ちょいと通ります」

「えっ、あっ、古々乃……」

「そうなんす、“ここの”自販機で飲みモンを買いたくて」


 絡む男二人と委員長の間を半ば強引に割って入り、驚いた男は掴んでいた委員長の手を離した。委員長が供助の苗字を言いかけるが、供助は無関係を装い途中で言葉を被せて誤魔化す。

 そして、マイペースに財布から小銭を出して自販機のボタンを押すと、ガコンと缶ジュースが降りてきた。


「なんだ、テメェ!? こっちは取り込み中なんだよ、邪魔すんのか、あぁ?」

「いや、俺ぁ喉が渇いたんで飲みモンを買いたかっただけっすよ。邪魔なんてする気ねぇですよ」

「ならとっとと消えろや。俺等は取り込み中なんだからよ」


 まぁ当然、いきなり現れて、しかも自分達の真ん前を通過されれば苛立ちもする。男達は無いようである薄い眉毛を八の字にさせて、無意味に体を揺らしながら供助にガンをくれる。

 幽霊や妖怪相手とは言え、喧嘩商売じみた仕事をしている供助。それなりに体は鍛えられていて引き締まっている。

 しかも、人と違って変質変異な行動をする妖怪を相手にしている為、それに反応できる供助は反射神経もズバ抜けていると言っていい。

 態度や声がデカイだけの男二人だけなら喧嘩になっても勝てるだろう。が、面倒臭がりな供助はそんな事をする筈も無く。


「あぁ、そりゃ失礼。でも……ちょっといいっすか?」

「なんだ、あぁ? やるってのか? お?」

「いやいや、あそこ見て、あそこ。ビルの前」

「ビルの前ぇ? そこがどうしたってんだよ?」


 供助が指差すと、促されて男二人も同じ方を見る。

 そこには黒っぽい制服に、天井が水平に張られて黒い鍔が付いた帽子を被った人が立っていた。


「ほら、警察が居るじゃないすか。ここでこの子にまた大声で叫ばれたらヤバくないすかね?」


 言って供助が委員長へと視線をやり、目が合って意図を察した委員長は。

 これみよがしに、そして大げさに。大きな胸をまるでラジオ体操みたく反らし、息を大きく吸う。


「げっ、おい行くぞ!」

「っくそ、タイミング悪ぃな!」


 この委員長の仕草を見れば、次に大声を上げられる未来しか見えない。

 さすがに頭の悪そうな男二人でも予想が出来たようで。状況が悪いと判断したのか、男二人はビルとは反対方向へと慌てて走って人混みに消えていった。


「中退したとは言え先輩でもあるねぇ、俺に負けない位ぇの馬鹿だ。ありゃ警察官じゃなくて只の警備員だっての」


 男達が消えていった方向を見て、供助は渇いた笑いを浮かべる。

 供助が通う高校は偏差値が低めで、さらに中退したと言うさっきの男二人。その時点でもう頭の中身はお察しである。


「あ、その……助けてくれて、ありがと」

「あぁ? 俺ぁ喉が渇いたから飲みモンを買っただけだ。礼を言われる覚えは無ぇよ」

「でも、助けられたのは本当だから」

「勝手に助かっただけだろ。委員長が叫ぼうとしたからあの二人が逃げたんだからよ」


 普段は言い合ってばかりの二人。供助の前ではいつも眉間に皺寄せている委員長だが、今は珍しく態度がしおらしい。

 気が強くて強かな性格だが、やはり委員長も女の子。男二人に絡まれて怖かったのだろう。


「……ほらよ」

「えっ? って、わっわっ!?」


 委員長の返事も待たず、供助は右手に持っていた缶ジュースを軽く投げて渡した。

 緩い放物線を描いて、急に渡された缶ジュースを慌てて受け取る委員長。


「やる」

「え? でも、これは古々乃木ここのぎ君が飲みたいから買ったんじゃ……」

「コーヒー買おうとしたんだけどな、ボタン押し間違えて別の買っちまった」

「でも……」

「俺好みのジュースじゃねぇし、捨てんのも勿体無ぇだろ」


 供助はぶっきらに頭を掻き、大きく欠伸。

 ふと委員長が自販機を見やると、委員長が貰ったジュースと供助が買おうとしたコーヒーはとても離れた位置に並んでいた。

 隣同士だったならともかく、離れている上に列も違う。とてもじゃないが押し間違えて買ってしまうなんて事は考えられない。

 しかも、供助があげた缶ジュースは――――委員長が子供の頃から好きなミルクティーだった。

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