三章 人因怨呪
第四十六話 幼馴 前 ‐オサナナジミ ゼン‐
本日の授業も全て終わり、時計の針は午後五時を指している。
文化祭まであと一週間を切り、放課後にも関わらず校内は慌ただしい。忙しさの中に賑やかさも混じって、生徒達は楽しそうに各々の仕事をしている。
青春は長いようで短い。いつか笑って話せる思い出を作ろうと、文化祭の準備を満喫する多くの生徒。
祭りは準備が一番楽しいとも言われるが、結局は準備も本番も楽しいのは変わらない。そんな学校中が青春の一ページを書き足している中、校内の喧騒から逃げ出す一人の生徒が居た。
少し癖っ毛混じりで前髪が数本垂れたオールバックもどきの髪を、無造作に掻き上げて大きく溜め息する。
屋上に続く階段の上。屋上の扉がある踊り場に隠れて、供助は缶ジュースを煽った。
「っはー、だっる」
供助は缶から口を離して一息つき、地べたに座って壁に背中を寄っ掛からせた。
何気無く顎を上げると、薄汚れた天井が見えた。創業何年かは知らないが、年季のある校舎だけに染みや汚れが目立つ。
つい先程までは供助も文化祭の準備を手伝っていたが、やる気が元々無いので隙を見て個人的な休憩を取る事にした。
これといった大きな仕事を任されている訳でもないのに、妙に疲れていた。浮かれている周りに、どうも馴染めないでいるもの疲れの一因だろう。
肉体的ではなくて精神的な疲労。あまり自分と合っていない空気の中に長時間居たら、ストレスも溜まってしまう。
「よくまぁあんだけ熱心に出来るもんだ。何をあそこまで夢中にさせるんだかねぇ」
もう一口ジュースを飲んで、理解出来ないと漏らす供助。
協調性が欠ける性格の供助には、生徒でワイワイやる学校行事は面倒で怠いだけだった。
「一息入れねぇとやってらんねぇっての」
供助は壁に寄り掛かっていた背中をずるずると滑り落として、殆んど寝っ転がった状態になる。
今日は空が曇っていて快晴ではないが、少し湿った暑さがある。ひんやりした床のタイルが気持ちがいい。サボっている事がバレたら委員長にまた五月蝿く言われるが、関係無いと半分開き直ってサボタージュを決め込む。
それに供助はそれなりに仕事をした。他のクラスメイトと比べれば少なく、あくまでそれなりに、だが。
小道具の製作を少し手伝ったり、廃材を焼却炉に持って行ったり、買い溜めた材料を保管場所から持ってきたり。供助は太一と同じく舞台の小道具関係が役割だが、不器用な供助は製作部分ではあまり戦力にならない為、殆どは材料運び等の力仕事が多かった。
何をするでもなく、ただボーッと踊り場の天井を眺めて時間を潰す供助。さすがに校内の殆んどを使用する文化祭といっても、普段から解放されていない屋上は範囲から外されている。隠れてサボるにはこの上ない場所と言えよう。
校内の賑やかさが遠くのように感じ、まるでここだけ隔離されているような静かさがある。その静かさが落ち着けて、人気が無いからゆっくり出来る。
「なかなか戻ってこないと思ったら、やっぱりサボってたな」
少し眠気がやってきて、供助の意識が半ば失いかけていた時。
呆れた声が聞こえてきて、供助の意識は現実に引き戻された。
「おう太一」
「おう、じゃないだろ。教室に戻ってこないと探してみれば案の定サボってやがって」
「サボりじゃねぇよ、個人的な休憩だ」
「馬鹿なクセに口が回るな、お前は」
「お前ぇも大して変わんねぇ馬鹿だろうが」
「クラスでドべのツートップだかな、俺達は」
太一はケラケラ笑いながら、供助の隣に移動して手摺りに寄り掛かった。
供助と太一はクラスで頭が悪いと有名で、いつもテストでクラスの平均点を下げている原因になっている。
当然、二人揃って補習の常連。毎回どちらが赤点の数が少ないかで低レベルの競い合っている。ちなみに、もう一人の友人である祥太郎は優等生なので赤点なんか取ったは一度も事もない。
「なんでこっち来るんだよ。それに立ってると三階の廊下から見えんだろうが」
「せっかくだから俺も休憩」
「いいのか? 後で委員長が五月蝿ぇぞ」
「俺は供助と違って真面目に文化祭準備やってるからな、少しサボったくらい誤魔化せる」
「けっ、あーそうかい。毎度ガミガミ言われている俺からしたら羨ましいねぇ」
「供助がいつもサボったり不真面目なのが悪いんだろ。もう少し文化祭準備に協力的になれば委員長も静かになるんじゃないか?」
「人には向き不向きがあんだよ。俺ぁ人の顔を伺って生きんのは苦手でよ」
「小学校の時はクラスの中心になって周りと遊んでたのに、人は変わるもんだな」
「お前だって小学の時は鼻ったれの丸坊主だったのが、今じゃ耳にピアス開けた金髪のなんちゃってヤンキーだろうが」
供助と太一は小学校が同じで、中学は別々だったが高校で再会した。
なので、お互いに小さい頃の事を知っている。言うなら、昔からの馴染み。幼馴染とも言えるだろう。
お互いの家はそんなに近くはないが、小学校の頃はよく一緒に遊んでいた。
「でもよ、もうちょっと文化祭に対して意欲的になんないか?」
「んだよ、委員長の肩を持つのか?」
「そういう訳じゃないけどさ、文化祭まで一週間を切ってさらに慌ただしくなってるだろ?」
「そうだな。相変わらず進行具合が遅れ気味みてぇだし」
「なんか委員長が必要以上に気負ってるようでさ。お前が協力的になれば、委員長の気苦労も減ると思って」
「言ったろ、向き不向きがあるってよ。とてもじゃねぇが無理だろうな」
「でも、昔はこんなにいがみ合う事はなかっ――――っとと!」
「ん? どうした?」
何かに気付き、慌てる太一。
三階の廊下から見えないように、屈んで壁に体を隠す。
「委員長が来た。噂してて呼んじまったか?」
「バレてねぇだろうな」
「見付かる前に隠れたから大丈夫だ」
供助が太一と一緒に手摺りの影から頭だけを出して覗き見ると、確かに居た。
茶色く長い髪を束ねたポニーテールと、縁無し眼鏡を掛けたのが特徴の女生徒。供助のクラスの委員長が三階の廊下を歩いている姿があった。
下の階になにか用事があるのか、階段を降りようとしていたところだった。
とりあえずサボっているのがバレる前に頭を引っ込め、何事も無く通り過ぎるのを待つ――――と。
「
同じクラスの別の女生徒が走り寄って来て、階段を降りる寸前に委員長を呼び止めた。
当然であるが、供助達が委員長と呼んでいるのはあだ名というか名称で、和歌というのが本名である。
「なぁに?」
「小道具で追加したい物があるんだけど、今からでも作ってもらえるかな?」
「小道具関係の管理や材料の購入は田辺君と古々乃木君に任せているから、二人に聞いてみて」
「あー、あの二人かぁ」
「なんか曇った返事ね」
「んー、ちょっとね」
委員長が二人の名前を出すと、女生徒は言葉を詰まらせ苦い顔をさせる。
その反応でいい印象を持っていない事は明確だ。
「太一君はいいんだけど、古々乃木君がねぇ……」
「古々乃木君がどうかしたの?」
「ほら、古々乃木君ってなんか取っ付きにくいって言うか……あまり自分から他人に接したりしないじゃない?」
「うーん、そうね」
「文化祭の準備も協力的じゃないしさ。気付いたら居なくなってる事も多いし、皆は残ってるのに一人だけ帰るし。和歌だって迷惑してるじゃない」
「私は別に迷惑なんて思っていないわよ。まぁ、少し協調性を持って欲しいとは思ってるけど」
「本当にぃ? いっつも怒って言い合ってるじゃん」
「言い合ってるって言うか、古々乃木君は聞き流してて私が一方的に喋ってる感じだけど」
答えて、委員長は苦笑いする。皮肉や嫌味を言っている訳じゃなく、聞き分けの悪い子供や弟を相手しているよう。
困り顔を作ってはいるが、嫌悪する様子は一切見えず。迷惑に思っていないというのは本音だというのが見て取れる。
「私はただ、古々乃木君にも楽しんで欲しいだけ。文化祭だって、来年は受験だから何も考えず本気で楽しめるのは今年が最後でしょ?」
「でも、体育祭や球技大会とかの学校行事、古々乃木君はいつもダルそうにしてやる気無いよね」
「昔はもっと明るく人当たりも良くて、あんな風じゃなかったんだけど……」
「昔? 和歌、古々乃木君と仲良かったの?」
「えっ? あ、いや、小学校の時にね、同じクラスだった頃があったのよ」
「ふーん、そうだったんだ」
「色々あって古々乃木君が引っ越して、中学校は別になっちゃったけどね」
両手を交互の肘に当てて腕を組み、小さく吐息する委員長。一瞬だけ、昔を懐かしむ表情を見せる。
それと同時に、いつかの悲しみを思い出していた。眼鏡の奥の瞳に、悲しくて可哀想な……過去の事を。
でもすぐにその悲しみの色は消して、普段の気強い雰囲気を纏わせた委員長に戻った。
「普段からクラスでもちょっと浮いてるし、これを機に周りと打ち解けれたら良いなぁって思ってたんだけど……余計なお世話なのかな」
「大変だねぇ、クラスの委員長も。文化祭の準備だけじゃなくて問題児の事も気に掛けなきゃいけないなんてさ」
「委員長だからって訳じゃないわよ。古々乃木君も楽しめて、いい思い出を作って欲しいだけ。今の思い出を作れるのは今だけだから」
上っ面だけの綺麗事なんかじゃない。委員長が本心から思う、素直な言葉。
過去の話で笑える未来を作るのは、現在しか出来ない。凄く当たり前の事だけど、人はそれを忘れがちになってしまう。
「だってぞ、供助」
「なんで俺に振ってんくんだよ」
「お前の事だからな、お前に振るべきだろ?」
「……ちっ」
話を盗み聞くつもりはなかった。しかし、近くに居る二人には嫌でも聞こえてしまう。
太一が話を振ると、供助は頭を掻いて舌打ち一つ。
「あ、ごめんね。先生に呼ばれてるから、そろそろ行かなくちゃ」
「うん。じゃ小道具の事は太一君に聞いてみる」
「木材とかまだ余ってたから、多分作ってくれると思う」
「和歌もあまり頑張りすぎちゃダメだからね。何かあったら言ってよ? 私も手伝うからさ」
「ありがと。とりあえず文化祭を成功させなきゃね」
「今は大変だけど成功させたら打ち上げしようね、打ち上げ」
「いいわね。クラスの皆で出来るよう、先生に頼んでおくわ」
「よっろしくぅ。じゃね」
「うん」
クラスメイトの女生徒は走って教室に戻っていき、委員長は足早に階段を降りていった。
階段には誰も居なくなり、離れた教室や廊下から賑やかな声が聞こえてくる。屋上の踊り場には静けさが戻ってきた。
「ホンット、委員長は大変だな。文化祭準備だけじゃなくて、こんな不真面目生徒の事まで気に掛けてるなんてさ。なぁ供助?」
「お前も普段は不真面目だろうが。それに大きな親切、小さなお世話なんだよ」
「……大小が逆になってんぞ」
初めて委員長の本音を聞いた供助。正直な感想を言うのなら、それは“意外だった”。
委員長はいつも文句や小言を言ってきて、供助はそれを面倒臭そうに適当に受け流す。そんなやり取りや態度を取られていれば、誰だって嫌がるし嫌うものだと……だから供助は、委員長に嫌われていると思っていた。
しかし、委員長の口から出て言葉にされた胸の内は。嫌ってなどいなくて、むしろ一緒に文化祭を楽しんでほしいと言う。
「知ってんだろ、俺が面倒臭い事が嫌いなのはよ」
「面倒かどうかは、人によって基準が違うよな」
「何が言いてぇんだよ」
「面倒臭い事か? 委員長に応えてやる事は」
「……さぁな。少なくとも楽じゃあねぇだろ」
供助は胡座をかいた膝の上に頬杖し、素っ気ない態度で太一から目を逸らした。
他人の評価を気にせず、周りの目を意に介さず、自分の印象なんてどうでもいい。供助はそういう性格で、そうやって生きている。
相手の気持ちを知ったからといって態度や接し方が変わる訳でもない。供助は変わらない。何も変わらない。いつも通り自分は自分らしい、自分の生き方で生きていくだけ。
人の顔や機嫌を伺う生き方が好ましくなくて、得意じゃない供助。だから、自分らしく生きる事を決めている。自分らしく、無理のない、楽な生き方を。
「……そろそろ教室に戻るか」
「お? なんだ、早くないか?」
「また委員長に突っ掛かれて小言を言われたら堪んねぇからな。それに早く終わらせればその分、早く帰れる」
「ははっ、そうだな。皆が早く帰れるな」
そう、自分らしく。供助は缶ジュースを一気に煽って飲み干し、怠そうな態度で立ち上がった。
不器用で、素直じゃない。それも供助の生き方の一面で、特徴の一つとも言える。短所なのか長所なのか、はっきりと分別が出来ないあたりが面白い。
そんな供助を見て、太一はくすりと小さく頬を綻ばせた。
「面倒臭い事が嫌いなクセに、面倒臭い性格してんな」
「なんか言ったか、太一」
「いんや、なーんも。委員長にはお前がサボってた事は上手く誤魔化してやるよ」
太一も座るのを止めて立ち、供助の背中を軽く叩いた。
仲が良くなければ知り得ないだろう、供助の一面。普段は怠そうな態度で、面倒臭がり屋で、何事にも興味を示さず、非協力的。
故に誰もが親睦を深めず、嫌煙してばかり。だから、数少ない。供助の根っこ、奥底はとても優しく……決して薄情で無い事を知る者は。
ただ
「しっかし、さっきの女子にはいい印象無かったな、供助」
「嫌われんのは慣れてる。昔っからな」
「小学校ン時は真っ直ぐな奴だったのに、どこでそう性格がひん曲がったか」
「うっせ、お前には言われたくねえよ」
二人は並んで屋上の階段を降り、自分達の教室へと戻って行く。教室までの間、短い談笑を交えながら賑やかな廊下を渡って。
しかし、供助の意識は別のモノにも向けられていた。不可視でありながら、でも確かに存在して聴認している。
さっきから鳴り聞こえる、ある音。あの音。
――――チリン。
昔から聞こえる、異怪の音。鈴の音。
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