第三十四話 隠蓑 ‐タネアカシ‐

「この汚ぇのが無けりゃもう奇襲は出来ねぇからな」


 右手に握る、児亡き爺が来ていた藁蓑わらみの

 相当着込んでいるのか、それとも古い物なのか。泥やシミが付いていて、お世辞でも綺麗とは言えない。


「これだろ? てめぇが姿や妖気を隠せていた手品の種はよ」

「く、く……っ!」


 小さく振って、藁蓑を振って見せる供助。

 それを児亡き爺は忌々しそうに見つめ、不揃いの歯を噛む。


「これは……“隠れ蓑”かのっ!」

「あん? 知ってんのか、猫又」


 供助の隣に立つ猫又が、藁蓑を見て驚きの声を上げた。


「うむ。身に纏えば姿を隠せると言われる物だの」

「誰でも透明人間になれるってか」

「本来は天狗の持ち物とされておっての。元々は只の藁蓑だが、山神の加護を受ける事で隠れ蓑となる。他にも雪童子が敵から身を隠す為に使われておるの」

「へぇ、このきったねぇのがねぇ」


 妖怪の中でも上級で、時には山神とまで言われる事もある天狗。

 その天狗の持ち物と言われる貴重な物を、供助は空き缶の中身を確かめるように振って粗雑に扱う。

 そして、猫又は納得する。今までの不自然、不可解な点が全て氷解し繋がった。

 街中で嗅ぎ取った臭いの希薄。突然の子泣き爺の出現。現れるまで感じなかった妖気。

 それら全ての原因が、隠れ蓑による隠匿だったのだ。


「しかし、腑に落ちん。隠れ蓑は児亡き爺程度の下等妖怪が簡単に手に入れられるような代物ではない筈だの」

「拾ったんじゃねぇか? どっかで」

「そう馬鹿な事がある訳なかろう。持ち主を見付け奪い取るのすら困難であるというのに……」


 今までの不可解な点は解決した。

 しかし、猫又には児亡き爺が隠し蓑を手に入れた経緯が気になった。

 天狗の持ち物と言われている隠し簑を、児亡き爺がどうして持っていたのか。普通ならばそうそう簡単に手に入る代物ではない故に、一層気になる。


「児亡き爺、貴様……どうやってこれを手に入れた?」

「ひっひ、聞かれて答えると思うてか?」

「だろうの。期待はしておらん」


 まぁそうだろうな、と。猫又は予想通りの児亡き爺からの返しに、小さく鼻を鳴らす。

 児亡き爺は答えながら笑って見せているが、奥の手であった隠し蓑を失って余裕が無く見える。


「それよりもだっ! 小僧、どうやって隠れ蓑に気付いた……!?」

「あぁ? 目の前でてめぇが消える所を見せられりゃあな。馬鹿な俺でも気付くっつの」

「貴様、あれだけ殴られて気を失っていなかったのか……!」

「言ったろ。打たれ強ぇってよ」


 友恵の家で倒れてきたクローゼットに挟まれ、児亡き爺が操る友恵の父親にゴルフクラブで殴打され。傷だらけ痣だらけになりながらも、供助は己の目で見ていたのだ。

 寝室から友恵の父親が出て行く際に、背中に乗っていた児亡き爺が羽織っていた藁蓑を頭から被った瞬間。

 その姿と妖気が――――霧の如く消え無くなったのを。


「ってと、こちとら目の前で飯をお預けされて食ってねぇんだ」

「なんじゃと?」

「さっさと終わらせて帰るっつってんだよ」


 供助は前髪を右手で掻き上げる。

 覇気もやる気も感じられない声。ただ……声や態度に反して凄味を感じさせて。

 余りの威圧感と圧迫感。予想以上の供助から放たれる霊気と雰囲気に、敵対する二匹の妖怪は――――圧倒される。


「これ、供助」

「あん? ……あぁ、忘れてねぇよ」


 猫又に呼ばれ、供助は横目で隣を見る。供助同様、猫又も顔は向けず目だけを向けて。

 二人の間に殆んど言葉は無い。だが、供助は猫又が言いたい事を理解していた。


「おい、てめぇら」

「のう、貴様等」


 供助は顔を少し曲げ、ガンをくれるように。

 猫又は背を伸ばし、真正面を見据えて。



「人喰いを知ってるか?」

「共喰いを知っているかの?」



 二人の言葉が、重なる。互いの探し者。その妖怪。

 二人は依頼で妖怪や幽霊に会う度、必ず聞いている問い。

 もはや妖怪を祓う通過儀礼と言ってもいいだろう。


「人喰いに共喰いじゃと……? ふん、知っておったらなんじゃと言うのか。尤も、知っておっても答える気は無いがな。ひっひ」

「ギィギィギィギィ!」


 児亡き爺は皺くちゃな顔を揺らして、真っ暗返しに至っては笑うだけ。

 予想を裏切ってくれる嬉しい返答が返ってくる事は無かった。


「ま、だろうな。期待はしてねぇ」

「右に同じく、だの」


 情報無し、収穫無しのいつも通り。 落胆もしなければ残念がりもせず。

 供助と猫又は二人揃って、小さく息を吐くだけだった。


「聞く事ぁ聞いた。なら、次は仕事を終わらせる」

「のぅ、供助。その隠し蓑をずっと持っておるが……どうするつもりかの?」

「あぁ、これか。何かしらに使えるんじゃねぇかと思ったんだけどよ、この大きさじゃあ無理そうだ」


 猫又は供助が喋る途中で割り込み、気になっていた事を聞いてきた。

 供助が児亡き爺から奪い取った隠れ蓑の大きさは、大体一メートルあるか無いか。姿も妖気も完全に消しされる優れ物だと知り、供助は何かに使えないかと思っていた。

 だが、供助や猫又が使うには小さ過ぎる。小学生の友恵ですら小さい位だ。

 児亡き爺が幼稚園児と同じ位の奇形体型だったからこそ使えた訳で、供助達が使用するのは無理そうだった。

 となると、使えないのならゴミと大して変わらない。


「小僧、それは儂のじゃ……その蓑を返せぇぇぇぇぇ!」

「これを? はっ!」


 余程重宝していたのだろう。大声を出して必死になる児亡き爺を、供助は鼻で笑う。

 そして、持っていた隠し蓑を地面に落とし――――。


「嫌だね」


 靴底で、踏んだ。


「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあ!」

「おー怒った怒った。笑うよりそっちの顔の方が合ってるぜ。醜ったらしくてよ」


 供助は児亡き爺を小馬鹿にする台詞を吐き、僅かに口を吊り上げた。


「それに物を返せと言える立場か?」

「なんじゃと、小僧?」

「攻め手も無ぇ逃げ場も無ぇ。もう詰んでんだよ。てめぇらは」


 空いた両手。供助は右手で握り拳を作り、左手に打ち込む。

 公園に響く、小気味の良い音。

 猫又が一歩前に出て、冷たい目を向けて口を開く。


「気付いておらんのか? 貴様等の絶望的な立場にの」

「ひっひ、何を言う。儂らはまだ……」

「友恵の母親を盾に逃げるかの? まぁ取り憑いたまま逃げようと友恵の母親を捨てて逃げようと、どちらにしろ私の足の方が速い。隠れ蓑を失った以上、貴様等が逃げ切るどころかこの公園から出る手段は既に無いの」

「ぬ、ぐ……」

「奇襲も出来なくなり、正体も明らかになり、手札も殆んど失った。貴様等にはもう生き延びる術は無いの」

「ぐっ……ならば、この人間がどうなってもいいのかっ!? 人間を殺すなど容易い……」

「阿呆が。生きているから人質の意味があるというのに、それを殺せば自分の首を締めるだけだの。尤も、貴様らが自分で首を締める前に私が息の根を止めるがの」


 圧倒的不利な立場になっても尚、卑劣下劣な児亡き爺を、猫又は刃のように鋭い目で睨み付ける。

 児亡き爺の怒りを買う言動に猫又の腹中は煮え滾り、怒りのボルテージは最高潮まで来ている。


「っひ、ひっひっひっひ! 獣娘、儂らが逃げ延びる為にこの人間は生かすと踏んでおるのだろうが、その気になれば……」


 ――――ズズンッ!


 そんな、轟音。地響きとも、地鳴りとも、地震とも違う。

 地面が僅かに揺れ、風が起こり、砂煙が舞う。


「きゃっ! な、何が起きたの……?」


 余りの大きな音と突然の衝撃。

 友恵は驚愕して短い悲鳴を上げた。


「その気になれば……なんだの?」

「っひ……!?」


 舞い上がる砂煙が落ち着く前に、児亡き爺はそれを目にした。

 組んでいた筈の腕を解き、大きく横に払う猫又の右腕。

 まるで建設機械を使ったかのように、猫又の足元が横に数メートルも抉られている地面。

 児亡き爺は友恵よりも短い悲鳴を上げ、表情は青ざめ身震いする。

 友恵の両親に取り憑き、隠れ蓑を隠し手として取っていた時は強気だった児亡き爺も。

 こうして手札が無くなり猫又の力を目の当たりにして、ようやく自身の余命が短い事手を悟った。


「ひっ、ひっ……確かに貴様らの言う通りのようじゃ……」


 勢い無い引き笑いに、引きつった表情。

 勝ち目無し、逃げ場無し、命無し。絶望的状況に児亡き爺もとうとう、諦めの色を見せた。


「じゃが! このまま大人しくやられるつもりはなぁ!」


 児亡き爺は叫び飛び、隣に立っていた友恵の母親の肩へと乗っかる。そして、おもむろに腰巻から取り出すは果物ナイフ。

 供助の所から逃げる途中、真っ暗返しが投擲して地面に落ちていたのを拾って腰巻の中に隠していたのだ。

 出刃包丁に比べて驚異は少ないが、それでも十分に人を傷付ける事は出来る。


「ひっひ、殺してやる! 殺してやる! 逃げれんのなら殺してやる!」


 果物ナイフを逆手に持ち、大きく振りかざす児亡き爺。


「殺して小娘の絶叫悲鳴を聞いてから死んでやるわぁ! いーっひっひっ」


 どうせ殺されるのであれば、死ぬ前に友恵の悲鳴を聞いてから死んでやると。

 半分自暴自棄になった児亡き爺は往生際の悪さを露呈する。


「おい」

「っひ……?」

「糞爺、てめぇ麻雀って知ってるか?」

「小僧、何を……」


 不意に声を掛けるは、供助。

 一体何を考え、何を思い、何をしたいのか。子泣き爺が凶器を手にし、後は振り下ろすだけで一大事になるこの状況だというのに。

 供助は焦りも慌てもしないで、麻雀という全く関係の無い単語を出してきた。


「色々と面白いルールがあってよ。その一つに、敵が捨てた手札を拾って自分のモンに出来ちまうってのがあんだ」

「時間稼ぎのつもりかっ! 残念じゃが、その手は喰わん!」


 鈍く光る切っ先を向けるは友恵の母親、その首筋。

 刃渡りも小さく、切れ味も優れているとは言難い果物ナイフでも。人間の首筋にある動脈を切り付ける事は容易である。

 そこを切ってしまえば僅かな傷でも簡単に致命傷になってしまう。

 児亡き爺が逆手に持った果物ナイフが、友恵も母親を――――。


「ひーっひっひ――――っひゃ?」


 感じる異変。気付く違和感。

 児亡き爺は笑いを止め、見た。見回した。自身の周りを、公園の中を。

 頼りない外灯の明かり、誰も使っていない遊具、未だ舞い上がる砂煙。


「小僧、答えろ! どこへ行った……どこに消えた!?」


 どこにも見当たらず、今も見付からず。

 いや、それだけでは無い。見えず消えたのは……姿形だけでは、無かった。


「――――あの獣娘はッ!?」


 姿はおろか、影も、臭いも――――妖気も。

 この公園という空間に居た筈の猫又という存在そのものが、消えて無くなっていた。

 供助は答えず。児亡き爺に返すは不敵な笑みだけ。

 そして、児亡き爺の目前に前触れも予兆も無く。


「ぎにゃあっ!」


 突如現れた、それは。

 闇に溶けるような黒い毛色毛並に、黒一色の中に目立つ黄色い瞳。

 眉間に皺寄せ物凄い形相で、大きく開いた口から見える鋭い牙が――――子泣き爺の腕を屠る。

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