第三十三話 合流 ‐ゴウリュウ‐

 猫又は考える。

 今からでも児亡き爺を追い掛けるか……否。追い掛ければ動かない友恵の父親を、真っ暗返しが今度こそ刺してしまう。

 では、友恵の父親を担いで追うか……否。それではスピードが落ち、確実に間に合わない。

 ならば、友恵の母親から刃物を奪い、追いか掛けるか……それも否。時間が足らない。それに幾つもの刃物を出してきた。まだバックに何かしらの凶器を持っていると考えるべきだ。

 つまり、どう考えても。いくら考えても。導き出される答えは同一のものばかり。

 ――――“間に合わない”という、最悪の答え。


「ひっひ!」


 そう。間に合わない。

 どうやっても、どう足掻いても。


「んっひっひ!」


 この状況を覆す事は叶わない。

 友恵に飛び掛かり、襲い掛かる児亡き爺を阻止する術は――――無い。


「いーっひっひっひっひっひっ……」


 だが、それは、あくまで。

 猫又“は”である。


「――ひゃ?」


 友恵に襲い掛からんと宙を飛んでいた筈の児亡き爺の体が、ぴたりと。友恵に到達する事無く途中で止まったのだ。

 不自然に止まった自分の身体に、児亡き爺の笑いも止まる。


「よう」


 その理由……原因は。

 前髪が数本垂れ、少し癖っ気がある焦茶色の髪を掻き上げて。手には黒い模様が描かれた軍手を付け、額には血の跡が目立つ。

 ヒーローは遅れてやって来るというが、ヒーローと言うには余りに不格好で不相応。

 しかし、それでも今は。今回はだけは。窮地を救ってくれた事に変わりはない。


「供助っ!」

「供助お兄ちゃんっ!」


 猫又と友恵が、その者の名を呼ぶ。

 窮地を救った人物……それは友恵の家で気を失っていた筈の供助であった。

 額にある血の跡の他に、顔や首、腕。体の至る所が赤紫色に変色し、痣が出来ていた。

 助けに来た筈の供助の方が遥かに、猫又と友恵よりも傷だらけでピンチに見える。

 だが、この遅れての登場。それが今回はいい意味で裏目に出た。


「大声で笑って……いい事でもあったか? ロリコン爺」


 ぎっちり、がっちりと。供助が軍手を付けた左手で掴むは。

 児亡き爺が羽織っている、濁った茶色の藁蓑わらみの


「小僧、貴様あの状態からどうやって……!」

「あれ位ぇどうとでもなる。あんま人間を嘗めんじゃねぇぞ、糞妖怪」


 猫又と友恵に名前を呼ばれても反応せず。

 供助はギッと。敵である児亡き爺を睨み、目を離さない。


「やっぱりこれか。てめぇが妖気を隠せていた種は」


 言って、供助は自分が掴む汚れた藁蓑を見やる。


「ッ! 貴様、気付いて……」

「ま、仕留めればそれも関係無ぇがな」

「ぐっ、ぬ……!」


 子泣き爺の藁蓑を掴む左手。供助はその腕を丁度良い高さまで上げる。

 供助の胸あたりの高さ。角度は斜めに。これ位が丁度良い。そう、丁度良い。

 ――――ムカつく奴を思いっ切りブン殴るのに、丁度良い。


「倍返し程度で済むと思うな……よっ!」


 供助は空いた右手に力を込める。ぎちりと、骨が軋む程の力を。

 自身の最大の武器である拳。それを引き、狙いを定め、妖怪にとって鈍器以上に危険な拳を振るう。


「ぬぅ……っ!」


 が、供助の拳が当たる直前。児亡き爺は顰めた表情を作り、苦渋の決断を強いられた。

 結果、児亡き爺が選んだ行動は。

 身に纏っていた藁蓑を脱ぎ捨て、我が身を自由にする事だった。


「チッ」


 空振った己の拳。避ける老人の妖怪。

 予想し、望んだのとは異なった結果に供助は舌打ちし、逃げた標的を目で追う。


「老人の癖にすばしっこい奴だ」


 供助から離れ、既に数メートルも先に児亡き爺は移動していた。

 供助と友恵。猫又と真っ暗返し。その間の位置。

 児亡き爺はつい先程までの余裕も、勝ち誇った顔も消え失せて。逆転してしまった状況に醜悪な表情を浮かべていた。


「小僧……あれだけしこたま殴られてまだ動けるとは予想外じゃった」

「体が丈夫なのが数少ない自慢なんでね」


 供助は右手で髪を掻き上げ、乾いた笑いを漏らした。


「供助お兄ちゃん、無事だったんだねっ!?」

「この傷を見ろっての。どこが無事だってんだ」


 供助が生きていた事に喜び、友恵は供助に抱きつく。


「よかった……児亡き爺が、供助お兄ちゃんは死んだみたいな事を言って、心配して……でも、泣いたら妖怪を喜ばすからって泣かないように我慢して……」

「ったく」


 小さな溜め息を一つ。

 抱きつく友恵を引き剥がすに引き剥がせず、供助は肩を竦ませる。


「真っ暗返し、こっちに来て儂を拾うんじゃ!」


 藁蓑を奪われ、余裕が無くなった児亡き爺。

 焦りを露にし、仲間である真っ暗返しの名を呼ぶ。


「ふん。私が友恵の母親の手を掴んでおる以上、此奴はこの場から動けん。残念だの」

「ギィ、ギギギ……」


 友恵の母親が包丁を握る両手の内、右手首を掴むは猫又の手。

 この手が離されない限り、友恵の母親はその場から離れる事は出来ない。


「真っ暗返しぃぃぃぃぃ!」

「ギギ、ギィ!」


 児亡き爺の叫びに追い込まれるように。

 真っ暗返しは猫又に片手を掴まれた状態で、行動を起こした。


「ギィッ!」

「ぬっ!?」


 猫又に掴まれているのとは別の片手を、包丁から手を離し。

 真っ暗返しに操られた友恵の母親は、肩に掛けていたトートバックを猫又へと投げ飛ばした。


「ふん、イタチの最後っ屁かの」


 当然、それが当たる事は無く。猫又は上半身を軽く捻るだけの最小の動きで、難なくトートバックを躱した。

 だが、真っ暗返しの狙いはバックを当てる事ではなかった。

 一瞬、ほんの一瞬で良かった。猫又の意識を別の何かに逸らす事さえ出来れば。


「む?」


 猫又が飛んできたトートバックを躱し、視線を友恵の母親へと戻すと。自分が掴んでいる友恵の母親の右手首。いや、正しくは右手。

 ついさっきまで握り持っていた筈の包丁が……無くなっていた。

 猫又は即座に消えた包丁の行方を探す。


「ギィ……!」


 そして、一秒足らず。

 猫又が再び包丁を視認した先は、友恵の母親の左手だった。

 先程トートバックを投げて猫又の意識が逸れた隙に、真っ暗返しは右手から左手に出刃包丁を持ち替えていたのだ。


「ふん、持ち替えたところで……」


 友恵の母親は振りかぶり、再び凶器を光らせる。

 だが、猫又に危機感は無い。理由は簡単、危機でも危険でないからだ。

 右手は友恵の母親の右手首を掴み、左手は児亡き爺の支配から逃れ、意識が無い友恵の父親を抱えている。

 それでも猫又には問題ではなく、この状態でも余裕で攻撃を躱せる。

 それに、攻撃してきた所をまた掴めばいい。そして、刃物を奪えば今度こそ奴は詰みになる。


「ギィッ!」

「何ッ!?」


 しかし、次に友恵の母親が起こした行動。それは猫又の予想を裏切るものだった。

 確かに猫又は接近状態でも攻撃を躱せて、問題は無かった。けどそれは、猫又が攻撃対象であった場合は、だ。

 真っ暗返しが、友恵の母親の刃物が狙った先は――――猫又が抱える、友恵の父親だった。


「く……っ!」


 攻撃してきた腕をまた掴み、刃物を奪えばいい。そう思い、そう考え、そうする筈だった。

 だが、それはあくまで友恵の母親が切り掛かって来た場合を想定したもの。

 真っ暗返しが取った行動は、猫又の考えを全てを無にした。


「……して、やられたの」


 猫又は呟き、一本取られたと悔しがる。

 真っ暗返しの予想外の行動。それは唯一となった自身の凶器を投げた事だった。

 攻撃してきた所を友恵の母親の手を掴む手筈も、それでは不可能になる。

 猫又の左手は友恵の父親で塞がり、さらには真っ暗返しの予想外の行動に驚き、体が一瞬硬直してしまった。

 故に猫又本人ならともかく、友恵の父親と抱えて避けるのは間に合わず。よって、猫又が取らざるを得なかった選択は。

 友恵の母親の右手首から手を離し、空いた右手で投げられた出刃包丁を掴み取る事であった。


「よもや自ら凶器を捨てるとはの」


 漏らして猫又は出刃包丁から手を離すと、大きめの出刃包丁は地面に転がった。

 そして、真っ暗返しを目で追う先。猫又の近くからは離れ、既に児亡き爺の元へ走っていく友恵の母親の姿が見えた。


「ふむ。だがこれで……」


 たんっ、と。まるで階段を二段抜かしで登るみたく軽快に。小さな動作で大きく飛ぶ猫又。

 友恵の父親を抱えていても大して関係無いと、着物の袖をはため宙を舞う。

 供助と友恵が居る場所への距離は四十メートル程。それをまさに文字通り、一飛びで移動した。


「ほっ、とな」

「猫又お姉ちゃん! お父さん!」

「気を失っておるが怪我は無い。児亡き爺からの呪縛からも解放されれた。安心していいの」


 猫又は抱えていた友恵の父親を降ろし、地面に寝かせる。

 友恵は心配して寄り添うも、友恵の父親は気絶したまま動かない。

 だが、取り憑いていた児亡き爺はもう離れた。心配は要らないだろう。


「供助、傷はいいのかの?」

「大丈夫じゃねぇけど、体は丈夫でよ。昔っから打たれ強さにゃ自信があんだ」


 今は止まっているようだが、頭から血が流れていた跡。体中の痣。

 見ている方が痛々しく感じるが、供助は平気とまではいかないが問題は無さそうだ。


「さてと、ようやく終わりが見えてきたな」

「うむ。流れは完全こちらに向いているの」


 供助は首元に手を当て、こきん、と関節を鳴らし。

 猫又は着物の袖に手を入れ、腕を組む。


「友恵の父親は戻ってきた。あとは母親だけだ」

「奴等の手駒も手札もほぼ底尽きただろうしのぅ」


 二人の霊気と妖気。決して混ざり合う事の無い水と油。

 だが、向かい放つ先は同方向。児亡き爺と、真っ暗返し。


「これで奴等は……」

「詰み、だの」


 二匹の妖怪へと突き刺さるような霊気と妖気が、襲い掛かる。

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