第十九話 気掛 ‐キガカリ‐
横田との電話は三十分で終わった。
携帯電話を右手に握ったまま、供助は屋上の扉の窓から空を眺めている。
さっき大きく聞こえた鈴の音。幼い頃から聞こえていて、今までにこんな事は無かった。
あんなに頭に響くほど強く聞こえた事は、一度も。
「警戒たってな、何か解んねぇモンにどうしろってんだか」
最後に横田は警戒しろと言い残し、電話が切られた。
増える妖怪と幽霊、払い屋の依頼。その時期と重なる、猫又の出現。おまけに大きく聞こえた鈴の音。単なる偶然か、それとも必然か。
少なくとも供助の勘は、ろくでもない事が起きそうだと言っている。
「……教室に戻るか」
放課後だから教室から出ても問題は無いが、文化祭の準備が行われている。長時間抜け出してサボっていたら、口煩い委員長に何を言われるか。
本当は文化祭の準備などやらずにさっさと帰宅したいが、そうもいかない。供助は供助で仕事を割り振られていて、サボれば委員長のご説教が待っている。
文化祭準備と長い説教。二つを天秤に結果、供助は前者を選んだ。
携帯電話を制服のポケットに入れ、階段を降りようとする。
「何か騒がしいな」
そこで、賑やかさとは別の騒がしい声が耳に入った。
悲鳴……とは違う、きゃーという女生徒の声。よく聞くと喜んでいるようにも聞こえる。
何か面白い事か、はたまた面倒な事があったのか。そう思いながら供助は一段、階段を降りた。
すると、校内を騒がせている原因が……目の前に現れた。
「……は?」
まず最初に出た一声が、これ。
理解出来なかった訳ではない。ただ、理解したくなかった。
いや、理解よりも受け入れたくないという気持ちが強かった。今起きた状況と、これから起きるであろう状況を。
面倒な事になるのは簡単に想像できたからだ。
廊下を駆けるそれが、供助に気付く。
目が合った瞬間、供助は嫌な予感がしていた理由がこれかと嘆く。
「にゃ!」
赤い首輪を付けた黒い四足歩行の物体は、進行方向を変えて階段を駆け上ってきた。
供助は堪らず、頭を抱える。
「頭痛がする。吐き気もだ……」
「供助、ようやく見付けたのぅ!」
階段の手すりから供助の肩へと、二段ジャンプして飛び乗る。
耳元で話す黒猫は、ぜぇぜぇと息を切らせている。かなり走り回ったようだ。
それもそうだろう。外で見掛けた際は大して物珍しくないが、学校や校庭に犬や猫が現れた場合は違う。
なぜか一気にレア度が上がり、全生徒の注目の的になる。
一度撫でようと多くの生徒に追い掛け回されたんだろう。
「あれー? 猫どこいったんだろ?」
「あっち行ってみようよ」
「ちっ」
女生徒の話し声が近付いてくる。
供助は舌打ちして悪態をつき、降りようとした階段を回れ右した。
見付からないようにしゃがみ込み、手すりの死角に隠れてやり過ごす。
「……で、なんでてめぇがここに居るんだ? あぁ?」
肩に乗る猫又を、供助は横目で睨み付ける。
「いやはや、初めて学校とやらに来てみたが……大勢の人間に追われるとは思ってもみなかったの」
猫又は肩から降り、供助の前に座り込む。
疲れているのもあり、足場が不安定な肩より地べたの方がいいのだろう。
「俺の話を聞け、駄猫」
「そうカリカリするでない。ちとな、気になる事があっての」
「気になる事だぁ?」
供助は片眉を上げ、不機嫌に聞き返す。
「うむ。少女の事が気に掛かっての、少しばかり散歩がてら探して歩いたんだの」
「少女……? あぁ、クッキーのガキか」
「昨日言ったの? あの子から妖怪の匂いがすると」
「そういや言ってたな。結果は?」
「毛も見付からんかったの」
「だろうな」
供助は片膝を立てて、その上に頬杖をする。
解っている情報は少女が小学生だというのと、容姿くらい。それだけで探し見付けるのは難しいだろう。
近くの小学校を
「見ず知らずのガキを気に掛けて街中を探しまわるたぁ、ご苦労なこった」
「見ず知らずではない。顔も知りクッキーを貰った仲だの」
「それだけで名前も住所も知らねぇだろうが。他人と変わんねぇよ」
道端で声を掛けられ、クッキーを貰っただけ。顔は知ってても名前も歳も知らない。
初対面以上、他人以下。結局、他人である。
「払い屋として気にならんのかの?」
「ならねぇな」
「即答かの」
「金にならねぇボランティアは嫌いなんで。それに……」
「面倒臭い、かの?」
「分かってるじゃねぇか」
頬杖したまま、供助は怠そうに答えた。
猫又の方は見ず、何も無い踊り場の空間を見つめて。
「なら、聞き方を変えるかの」
小さく息を吐き、猫又は供助を見る。
「供助自身として、気になんのかのぅ?」
一度だけ尻尾を揺らし、猫又は聞く。
目を合わせない供助に対し、真っ直ぐに目を向けて。
「今さっき答えただろ。ならねぇな」
「そうかの? 私には気に掛けていたように見えたがの」
「家に目薬はねぇぞ」
「要らん。私は昔から目も良くての」
「……そうかい」
供助は明後日の方向を向き、猫又に返す。
わざと目線を合わせないでいるような、そんな風にも見えた。
図星だったのか、意図を読ませない為か、ただ意味も無くそうしているのか。
理由は供助にしか解らない。
「回りくどい言い方は性に合わねぇし、単刀直入に聞く」
「ぬ?」
「さっき横田さんから電話があった」
「お、依頼が入ったのかの?」
「それもある。が、俺が聞きたいのは他の事だ」
供助は頬杖を止め、
そして、両肘を曲げた膝の上に乗せ、明後日を見ていた顔を猫又へと向けた。
「ここんとこ、この街を含めた一定の地域で妖怪や幽霊による事案が異様に増えてるらしい」
「ほう……最近、慌ただしく依頼が来るのはそれが原因かの」
「増え始めたのは二週間程前から……つまり、猫又。お前ぇがこの街に現れたのと同じ時期だ」
「……なるほどの。それで何かあるんじゃないかと私を疑っておる、と」
「あぁ。タイミングがな……合い過ぎている気がしてならねぇ」
「疑うのは当然だろうの。立場が逆だったなら私でも疑うの。まぁ、隠れてコソコソ疑われるよりも、ハッキリ言ってくれた方がこちらも嫌な気をせんで済む」
猫又は自分が疑われているにも関わらず、嫌な顔をするどころか納得する。
それどころか、前足を前に出して背伸び。慌ても怯えも驚きも、たじろぎもしないで普段通りのまま。
「弁明はしておくが、私は無関係だの」
「証拠は?」
「無いの」
「だろうな」
鼻息を小さく出し、供助は肩を微かに下げる。
「猫又が無関係だってんなら、何か情報を得れる事は無ぇか」
「ぬ? 証拠も無いのに信じるのかの?」
「んだよ、疑って欲しいのか?」
「そういう訳では無いが、ちと簡単に信じすぎではないかの?」
「お前が関係無い事を証明する証拠が無ぇように、こっちもお前が関係あると証明する証拠が無ぇ」
「まぁ……そうだがの」
「だったら、お前ぇの言葉を信じるしかねぇだろ。無関係だってのに疑っちゃあ、普段の生活が互いが気まずくなる。面倒臭ぇ」
「うむ……確かにそれは面倒だのぅ。それでは気持ちよく漫画が読めん」
猫又は背伸びを止め、耳を垂らす。
供助と横田に疑われても、猫又には漫画が気ままに読めない程度らしい。
が、猫又にとっては漫画は貴重な暇潰しの一つ。それが気持ちよく読めないのは重要である。
「それに俺にとっちゃ、お前が妖怪や幽霊の数が増えている事に関係あるか無いかはどうでもいいんだけどな」
「どういう事かの? 魑魅魍魎の急増について原因を掴まなければならぬのだろう?」
「真っ当で真面目な払い屋だったらそうなんだろうな。けど俺ぁ、正式な払い屋じゃなく見習いな上に不真面目なんでね」
「関係無い、と言うのかの?」
「俺の場合は関係が無ぇんじゃなく、興味が無ぇだけだ」
右手の小指だけを立て、供助は耳を搔く。
そして、ふっ、と指先を吹いた。
「それに依頼が増えれば財布が重くなる。妖怪共が増えても俺は困らねぇ」
「その点は同意だの。食事が華やかになれば私としても喜ばしいの」
「ま、俺は興味無くても横田さんが原因を知りたがってたしな。世話になってる上司が困ってるなら手も貸すさ」
「にしては、深く調べようとはせんのぅ」
「現状で俺が出来る事は、お前が関係あるかどうか聞くぐれぇだからな」
「安心していいの、嘘など言っておらん。まぁ嘘を吐いていたとしても、正直に言う馬鹿はおらんがの」
「その辺は信用してる。一応な」
首をこきん、と。供助は小気味のいい音で関節を鳴らす。
「で、話は戻るがよ。なんでガキを探していたお前がなんで学校に居んだよ」
「うむ? あぁそれはの」
顔はそっぽを向けたまま、横目で。供助は猫又を見た。
「この学校の前を通り掛かった時に供助の匂いがしての。興味心から覗いてみたら……」
「追っかけ回された、と」
「うむ。最初は数人に撫でられる程度だったんだがの、段々と数が増えてもみくしゃにされてのぅ」
「この学校は女生徒も多いからな」
「好奇心は猫をも殺すという言葉が身に染みたの」
ぐったりと。耳と尻尾を下げ、猫又は疲れた様子を見せる。
「早く帰れ。見付かったらまた追っ掛け回されるぞ」
「む……それは勘弁願いたいのぅ」
「だったら家で大人しく漫画読んでろ」
「おぉ、そうだった。供助、地獄担任ぬう平の十二巻が無かったの。続きが気になって夜しか眠れん」
「夜だけ寝れれば十分だろうが……そういや地獄担任の十二巻は太一に貸していたな」
「早う読みたいんだがの」
「わぁったよ、近いうちに返してもらう」
頭を掻きながら、供助は立ち上がる。
階段の上から下の廊下を見てみると、猫又を探している生徒は居ない。
話をして時間もある程度経ち、猫又の騒ぎも落ち着いただろう。
「生徒が少ないから外に出やすいだろ。今のうちに早く帰れ、猫又。俺も教室に戻らなきゃなんねぇからよ」
「そうなんだがのぅ……」
「あん? まだ何かあんのか?」
「うむ。実はの、学食というものが気になっての」
舌をペロリ。猫又は口周りを一舐めする。
「なんでも種類豊富で値段も手頃。学生の味方と漫画に描いてあって興味を持っての」
「……」
「街中を散歩して小腹も空いた。ここは一つ、噂の学食とやらを……」
「猫又」
「ぬ?」
「正直に言え。お前、最初っから学食狙いだっただろ?」
「……てへぺろ」
三歩。供助は歩いて猫又の目の前で止まり、むんずと猫又の首根っこを掴み上げる。
片手に黒猫を持ち、無言で階段を降りていく。
「おっ、学食へ行くのかの? 何を食べようかのぅ、迷うのぅ」
伸びる猫又の首根っこ。
供助が階段を一段降りる度に、右へ左へと宙で揺れる。
「やっぱり定番のラーメン……カレーライスも捨てがたいの。いや、ここは敢えてカレーうどんもありだの」
猫又は何を食べようかと舌なめずり。
階段を降りて廊下に出て、供助は数秒歩いてからすぐに足を止めた。
「猫又」
「のぅ、供助はどちらがいいと思うかの? カレーライスとカレーうどん」
供助の目の前には窓。鍵を外して外界へと繋がる入り口を開ける。
今居る廊下は三階。空は青く、とても広い。紙飛行機作って明日に投げたくなる。
「さっさと帰れってんだ、この駄猫!」
「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
まぁ、投げるのは紙飛行機ではなく黒い妖怪なのだが。
フルスイングで窓の外へ投げられた猫又は、手足をバタバタさせて空を飛ぶ。
動物虐待と指を差されそうだが、猫の姿をしているだけで中身は妖怪。なのでノー問題。
放物線を描いて猫又が着地したのは木の上。枝に引っ掛かって、身体に緑の数枚の葉っぱがくっ付く。
「何をするかの、供助!」
猫又は態勢を整えながら声を荒げるも、供助は無視して窓を閉める。勿論、鍵も。
窓の向こうの猫又に対し、供助は
あんなでも猫又は一応妖怪。自分でどうにか出来るだろう。
「これ供助! 触覚前髪! 唐変木! カレーうどん!」
猫又が何やら悪口を言っているが、供助は気にせず教室に戻る。
最後のは悪口ではなく食べ物だったが。
学校に猫又が現れた時は頭が痛くなったが、何事もなく事が済んで助かったと供助は胸を撫で下ろす……が。
「古々乃木君っ! 今までどこ行ってたの!」
教室前に居た委員長の声を聞いて、また頭が痛くなった。
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