第十四話 隣人 前 ‐リンジン ゼン‐

 平日の昼間。曜日は水曜で、一週間の真ん中。ようやく半分だと思うか、もう半分かと思うかは人それぞれ。

 学生である供助は当然、勉学に励むかは別として学校に登校していた。

 供助が通う学校の名は、石燕せきえん高等学校。学生の間ではイシコウという略称で知られている。

 偏差値は……まぁ、供助が入れる時点でお察しである。


「……だる」


 昼休みもとうに終わり、昼食の満腹感が無くなり眠気も去った六時限目。

 机に頬杖を立てて気怠そうにしている供助の姿が、そこにあった。

 六時限目の授業内容はロングホームルーム。このロングホームルームが本日最後の授業で、終わればお待ちかねの放課後。

 供助は早く終わって欲しい一心だが、どうやら雲行きは怪しく、延長戦に突入しそうな空気なのである。


「はぁ」


 気怠さと面倒臭さと憂鬱さ。出るのは溜め息だけ。

 教壇には担任の先生ではなく、クラスの委員長が立って話を進めていた。

 ロングホームルームが長引きそうな理由。それは文化祭である。

 ここ石燕高校の文化祭は十月頭に毎年行われている。今は九月中旬。もう文化祭までは二週間を切っていた。

 だと言うのに、クラスの出し物の進行具合が芳しくなかった。それが原因で、授業終了の十分前なのに終わる気配が全く無い。


「さっさと終わってくんねぇかな」


 周りがガヤガヤと騒がしく、あぁだこうだと出し物の話をしている中、供助は他人事のように呟いた。

 左手は頬杖、右手にはシャーペン。何気なく開いてあるノートには、暇潰しに一人でやった○×ゲームのあと。

 ちなみに全戦全勝である。ある意味、全戦全敗でもあるが。

 席が窓際だったりすれば、外の景色を見てボーっとも出来るが、生憎供助の席は真ん中の列の後ろから二番目。

 この席から窓の外を眺めるには遠く、暇潰しは落書きぐらいしかない。

 普通の授業ならば寝たりも出来るのだが……。


「そっちの予定は決まったの!? 脚本組は今週までに完成させて!」


 教壇に立ってクラスを仕切る女生徒。言わずもがな、このクラスの委員長である。

 背中まである長く茶色い髪をシュシュで纏めたポニーテールと、縁の無い軽量型眼鏡が特徴的。あとは、口煩さか。

 不良という訳ではないが、普段の生活態度が不真面目な供助は委員長から目の敵にされていた。そのせいで、授業中に寝たりサボったりすると後から五月蝿く言われる事が多々ある。

 他の授業ならまだしも、今は委員長が進行するホームルーム。寝てしまったら後が面倒臭い。


「はぁ……」


 特にやる事も無く。あるとすれば、ホームルームが早く終わるよう祈るくらいか。

 チラリと太一の方へ視線を向けると、太一は進んで話し合いに参加していた。太一の成績は供助とそう大差無いが、学校の行事の際は自分から進んで協力する。

 身なりは金髪で耳にピアスをしているのに、文化祭や運動会などのイベントだけは真面目。対して供助は、何に対しても不真面目。理由は面倒臭いから。

 ノートに落書きするのも飽き、カチカチとシャーペンの尻を何度も押す。どんどん長くなっていくシャーペンの芯。限界まで出切った芯はもう伸びず、三センチ程で止まった。

 それと、ほぼ同時に。授業終了の鐘が教室に響いた。

 供助は鐘の音に反応して、下げていた顔を上げる。


 とりあえず進行具合はどうなったのかと思い、黒板を見てみる。

 ホームルームが延長する事はほぼ確実だろう。鐘がなっても教室は静かになる気配が全く無い。

 教室の喧騒を無視して話し合いに参加していなかったが、黒板に書いてある事を見れば、どれだけ長引くかはある程度予測は出来るだろう。

 が、黒板には白いチョークで書かれた文字がびっしり。もはやどこから読めばいいのか。

 なので供助は読むのを諦めた。理由は言わずもがな、面倒臭いから。

 こんなに多い文字を読むくらいなら、いつ終わるか解らなくてもいいと考えた。


「はいはい、静かにして!」


 委員長は二、三回手を叩き、騒がしいクラスメイト達を静かにさせて自身へと注目させる。

 そして、次に出た言葉は。


「今日はここまでにします。各自、自分の割り当てをしっかりやってください。時間がないんですから!」


 予想外な事に、お開きの言葉だった。

 あと一時間は拘束されるもんだと思っていただけに、拍子抜けした。

 兎にも角にも、早く帰れる事に越した事はない。

 委員長が教壇から降りて、担任と入れ替わって連絡事項を読み上げていく。


「お、終わりか。助かった」


 供助は頬杖をやめ、シャーペンとノートを机の中へと仕舞う。

 仕舞うだけで、鞄には入れない。家に帰っても勉強をしない供助は基本置き勉である。

 担任の連絡事項もすぐに終わり、ものの五分足らずで放課後になった。

 とは言え、文化祭が近い上に出し物の進行具合が宜しくない状況で、帰宅する生徒は殆んどいない。

 学校に残って、文化祭の準備をする生徒が大半だろう。あとの残りは部活に精を出すか。

 言わなくても解ると思うが、供助はその大半には入っていない。授業が終われば即帰宅。


「さて、さっさと帰るか」


 大勢のクラスメイトが机を隅に寄せて文化祭の準備を始める中、供助は机の横に掛けていた鞄を持って椅子から立ち上がる。

 放課後だから家に帰る。ごく当たり前、ごく普通の事なのだが、この状況だとかなり浮いてしまう。

 クラスメイトの何人かは供助へ目を向けはするが、普段の行いや性格、協調性が無い事は皆知っていた。

 一瞬、または数秒。視線を送るだけで何も言わず、興味も示さない。

 ――――ただ、一人を除いては。


「古々乃木君!」

「……うーわ」


 少し甲高い、女性の声。

 この声を聞いただけで誰か分かり、供助は隠しもせず嫌な顔をする。


「皆は文化祭の準備をしているのに、あなたはどこに行こうとしているのかしら?」


 ついさっきまで教壇の上でロングホームルームを仕切っていた生徒。

 供助がこのクラスで最も面倒臭い相手だと認識している、委員長。


「帰るんだけど。何か問題でも?」

「あるに決まってるでしょ!?」


 甲高い声はさらに甲高く。

 あぁ、これは確実に面倒臭い事になる、と。予想が確定して、供助は嘆息した。


「さっきロングホームルームでも言ったでしょ! 文化祭まで日も無いし、予定より準備が遅れているって!」

「らしいな。大変だな、委員長は。やる事多くてよ」

「なに他人事みたいに言ってるの! あなたもこのクラスの一員でしょ!? なのになんで一人だけ帰ろうとしてるの!?」

「やる事無ぇし、そもそもやる気が無ぇ」

「あなたねぇ!」

「第一、出し物が演劇だろ? ガラじゃねぇよ」

「ガラじゃないとかじゃないでしょ! 大体……!」


 委員長は血が沸騰し、供助の机を強く叩く。きらりと光る眼鏡からは、今にもビームが出てきそうな勢い。

 いくら言っても暖簾に腕押し。さらにクラスの事なのに他人事扱いされたら、怒るのも無理は無い話だ。


「ままま、落ち着いて。委員長」

「なに? 田辺君は古々乃木君を擁護するの?」

「そうじゃないって。供助も煽るなよ」

「んだよ、太一」


 二人の様子を見兼ねて、間に割って入って来たのは太一だった。

 金髪にピアスと格好はどうみても不真面目だが、供助と違って協調性はある。

 だがまぁ、供助と同じく頭は悪いが。


「委員長、こいつバイトやってるから疲れてんだ。少しは目を瞑ってやってくれよ」

「バイト? 古々乃木君が?」

「それも夜のバイトでさ、寝不足の時が結構あるんだよ。家庭の事情でやむ無しでさ」

「……そう」


 委員長は一度供助を見て、申し訳なさそうに視線を下げた。


「おい、余計な事言うんじゃねぇよ」

「まぁまぁ、面倒な事になりたくないだろ?」

「そりゃな」

「だったら俺に任せろ。お前じゃ委員長をなせないだろ」

「いな……なに?」

「いいから任せろ」


 委員長に気付かれないよう、小声で話す供助と太一。

 往なすという意味を知らない供助を見る限り、太一の方が若干頭が良いらしい。

 あくまで若干、だが。


「それに、供助は小道具の準備や裏方の手伝いが仕事だから。まだ特にやる事が無いんだよ」

「確かに……今は衣装や台本の修正、演技の演習がメインだもんね」


 ちなみに、クラスの出し物である演劇のタイトルは『ロミオとジュリエット』。文化祭の演劇ではベタな作品の一つ。

 供助がガラじゃないと言うのも尤もである。恋だの愛だの、供助には全くもって似合わない。


「でもま、委員長が供助も文化祭の準備に参加させないといけないって気持ちは分かるよ。皆で文化祭を成功させたいってのも」

「おい、太一……!」

「そこで折衷案。これから俺と供助で駅前で小道具で使えそうな物ないか下調べしてくるからさ、今日はこれで勘弁してやってよ」


 一瞬、裏切られたかと焦る供助。

 その様子を知っていながら、太一は無視して話を続ける。


「うーん、そうねぇ……裏方の仕事は田辺君に全部任せてるし、まだ小道具の見積もりも出していなかったわよね」

「裏方は一週間前から動けば間に合うってんで、殆どが部活に入ってる奴等だしさ。今週で放課後に手が空いてるの、俺と供助くらいなもんなんだよ」

「わかった。じゃあ今日は小道具に使えそうな物と、金額を調べてきてもらえる?」

「りょーかい。じゃ供助、鞄取ってくるからちょっと待ってろ」


 委員長の承諾を得て、太一は自分の机へと鞄を取りに行く。

 その場に残されるは、供助と委員長の二人。

 何も話す事は無く、向こうも無いだろう。そう思いながら、供助は右手の小指で耳の穴を搔く。


「古々乃木君……バイトしてるんだ」

「あ? あー、まぁな。色々あんだよ」

「……そう、だよね」


 意外な事に、委員長から供助に話し掛けてきた。

 さっきまでの怒った様子ではなく、しんみりと。落ち込んだような感じで。

 供助が通う石燕高校はバイトを禁止してはいない。自由にしていい事になっている。だから、その点について委員長が何かを言う事はない。

 ただ少し。違ったのだ、様子が。雰囲気が。


「よし行こうぜ、供助」

「おう」


 鞄を手に太一が戻ってきた。


「んじゃ委員長、見積もりは明日持ってくるから」

「うん、お願いね田辺君」


 田辺が戻ってくると、委員長の調子はいつも通りに戻っていた。

 口煩さが無ければ、委員長は可愛い部類の女の子に入る。一緒に昼飯を食いたいかと十人に聞けば、半分以上はYESと答えるだろう。


「……じゃあな」

「うん、古々乃木君もじゃあね」


 振り返りざま。供助は軽く手を上げて、呟くように言った。

 それに委員長も、少し物悲しげに返した。

 あとは振り返る事もなく、供助と太一は教室を出て行く。


「おい供助」

「あん?」

「俺が鞄を取りに行ってる間に、委員長に何か言ったのか?」

「何も言ってねぇよ。なんでだ?」

「いや、なんか……委員長が暗い顔していた気がしてさ」

「気のせいだろ」


 供助は太一から目を逸らして、背中を丸め廊下を歩く。

 太一が言った事は間違いじゃなく、委員長は表情は少し暗くなっていた。

 その理由に心当たりはあった。しかし、供助は知らぬ振りを、何も無かった振りをした。

 答える必要も、意味も特に無かったから。そして何より、説明するのも面倒だった。


「それより太一、てめぇ裏切りやがって。何が俺に任せとけだよ。結局手伝わされたじゃねぇか」

「何言ってんだよ。なら、あのまま長時間捕まってガミガミ口煩く文句言われてた方が良かったか?」

「俺ぁドMじゃねぇんで」

「だったら、俺の仕事を手伝えよ。そんな時間掛かんないだろうし、さっさと終わらせてゲーセンでも行こうぜ」

「ったく、どっちにしろ家には帰れねぇか。ゆっくりしたかったんだけどな」

「委員長の小言よりマシだろ」

「まぁな」


 それに考えてみれば、早く帰れていたとしてもペットが一匹居たのを忘れていた。人型のでっかい猫が。

 最近は漫画にハマって、供助が買い集めている漫画を読み耽っている。

 起きて飯食って、漫画読んで飯食って、風呂入って寝て。いいご身分である。全くもって羨ましい。


「最近はお前の家に集まれないしさ」

「悪いな。今ちょいと家の中が散らかっててよ。人を呼べる状態じゃねぇんだ」


 ある意味、嘘は言っていない。

 猫又が読みっぱなしの漫画を片付けずに散らかしているし、猫又の事をどう説明していいのやら。

 この前の三連休以来、供助の家に集まって遊んでいなかった。


「それに、祥太郎も文化祭の準備で忙しそうだしな。あいつ、俺と違って真面目だし」

「そうだなぁ。んじゃ、文化祭が終わったら供助の家で遊ぼうぜ。打ち上げも兼ねて」

「考えとく」


 猫又が居る以上、太一達を家に呼ぶ事は出来ない。かと言って、今まで遊んでいただけにダメとも言えない。

 とりあえず曖昧な返事をしておく。


「さっさと駅前行くか。早く済ませちまおう」

「そうだな。夕方過ぎて混む前に行くか」


 話題を変えるのも含めて。供助は心持ち足早に歩き出す。

 他の教室だけでなく、廊下も文化祭の準備で色んな材料が置かれている。

 賑やかな校内に反して、ローテンションの供助。自分だけ取り残されたような、置いてけぼりを食らったような。妙な感覚。

 なんだか自分が居ていい所じゃないような気がしてきて、さっさと学校から出たかった。

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