第九話 探者 案 ‐サガシモノ アン‐

 その言葉に、固まった。思いもよらない所から出て、予想もしていなかったタイミングで。一瞬、信じられず固まった。

 だが、あくまで一瞬。すぐに抑えられない感情が込み上がる。


「そいつは長い白髪じゃなかったか?」

「うむ、背丈と同じ位の長い白髪だった。供助、なんで解――」

「どこだッ!?」

「な、なん……」

「そいつと会った森の場所を教えろ! 今すぐにだッ!」


 供助は激しい剣幕で近づき、猫又の胸ぐらを掴み掛かる。

 気怠く面倒臭そうにしていたのが一転。

 怒り。供助からは怒りの感情だけが放たれていた。


「す、すまぬが……先程も言った通り、詳しい位置はよう解らんのだの」

「思い出せ、今すぐッ!」

「供助、落ち着くんだの……傷が、痛む」

「奴を逃がす訳にはいかねぇんだ! 奴は、奴は必ず……!」


 溢れ出る憤怒の感情のまま。何かに取り憑かれたかのように大声をあげる。

 猫又が痛がる様子も、供助の目には映っていなかった。

 怒りのあまり、周りは見えていない。見えているのは、白髪の人喰い。過去の記憶。日常が壊れる記憶。

 ――――両親の、仇。


『落ち着け、供助ぇ!』

「――――ッ!」


 突然の怒号。耳鳴りがしそうな位に大きな声。

 その声で我に戻ったか、供助はハッとして表情が落ち着いていく。


『あぁ、何でもない何でもない。ごめんね、大声出して。電話電話、そうそう。あと、コーヒー入れてもらっていい? 砂糖二つで、うん、ミルクも』


 大声で怒鳴ったかと思えば、横田の口調はすぐに戻った。

 いきなり大声を出して近くにいた部下に驚かれ、受話器の向こう説明している。


「……悪ぃ、猫又」


 横田の一声で正気に戻り、供助は猫又の服から手を離す。

 申し訳なさそうに謝り、少し離れた所で背を向けて座った。


『あー、もしもーし。供助君、落ち着いた?』

「……今熱を冷ましてるんで、もうちょい待ってください」


 供助は額に手を当てて小さく俯く。


『すまんねぇ、猫又ちゃん。この件に関してはちょいと訳ありでね。怒らないでやって』

「い、いや、怒ってはおらん。多少驚きはしたがの」


 胸ぐらを掴まれて乱れた襟周りを整え、猫又は横田に返す。


『確認だけど、長い白髪に袖無しの黒い着物姿……間違い無いね?』

「うむ。私も逃げるのに必死で断言は出来ぬがの」

『いやいや、助かるよ。この妖怪は何年も前から探しているんでけど、ある日を境にぱったり目撃情報が無くなって困っていた所なのよ』

「そやつは供助が探しておる、人喰い……かの?」

『あぁ、もう供助君から聞かれていたのね』

「……相当、訳ありのようだの」


 背を向ける供助の後ろ姿を見て、猫又が言う。

 若い歳で一人暮らし。一軒家で両親が居ない。探している妖怪は“人喰い”。

 これだけでもう、答えが出ているようなものだ。理由は自ずと解ってしまう。


『まぁね、色々あるのよ。ちなみに猫又ちゃん』

「なんだの?」

『君が襲われた理由……何か心当たりがあったりしない?』

「う、む……無いの。先程も言ったが、奴は私を痛めつけ楽しんでおった。理由など無く、ただの暇潰しだと思うのぅ」

『何か特別な理由で猫又ちゃんを襲ったのなら、そこから奴の行動範囲や予測が出来るかもと思ったけど……望みは薄そうだぁね』

「恩も恨みも作った覚えは無い上に、私もしがない猫の妖怪だからの。特別狙われる理由も思い当たらん」

『とりあえず、この街から半径百キロを中心に探してみよう。逃げ延びた猫又ちゃんがここに居るなら、君を追っていた人喰いも近くに居る可能性が高いからね』


 横田の口調は変わらず無気力な話し方だが、どこか緊張した空気が伝わる。

 何年も目撃情報が無かった人喰いの出現。人里近くに居る可能性があれば当然、被害者が出るという懸念が容易に浮かぶ。

 そして、ようやく現れた因縁の妖怪。この機会を逃す訳にはいかないと、携帯電話を握る横田の手には、無意識に力がこもっていた。


『さてと、供助君。そろそろクールダウンは済んだかい?』

「……あぁ、大分冷めました」


 離れて背を向けていた供助は立ち上がり、片手で髪を掻き上げながらテーブル前に座り直す。

 ただ、まだ表情は固く、目の奥には静かな怒りの色が見える。


「悪かったな、猫又。傷を負ってるってのに」

「気にしておらん。それに先程も謝ったろう、二度も謝らんでよい」

「助かる」


 供助は猫又を見て微かに口を吊り上げた後、すぐにテーブルに置かれた携帯電話へと向く。


『熱を冷ましてる間、ちゃんと話は聞いてたよね?』

「聞いてましたよ」

『熱くなるのも、君が人喰いを今すぐ探して見付けたい気持ちも理解出来る。けどね、相手が相手だ。ここは慎重に動こう。見付けても返り討ちにあっちゃあ意味無いでしょ?』

「はい」

『俺も悲しい思いはもう、なるだけしたくないのよ』

「……はい」


 横田の言葉に供助は視線を落として、物悲しげな顔をする。


『もしこっちで人喰いを見付けた時は必ず供助君に連絡する。だから、君が見付けた場合も必ず俺に連絡を入れるように。決して、一人で追ってはいけない』

「……解ってます」

『大丈夫。討伐の際は必ず君を参加させるから。感情に任せて無理はしないよーに』

「はい」


 肩を上下させ大きく深呼吸。

 供助は気持ちを落ち着かせ、静かに返事した。


『ここで一つ、提案があるんだけど』

「提案、ですか」

『うん。可能性は低いけど、人喰いを見付ける為のね』

「奴を見付けられるなら……どんな提案でも協力しますよ」

『助かるよ。ちなみに供助君だけじゃなく猫又ちゃんも関係あるんだけど』

「うぬ? 私がかの?」


 自分の名前が呼ばれると思っていなく、少し慌てて自分を指差す。


『猫又ちゃんが人喰いに襲われた理由は特に無く、奴の暇潰しだと言っていたけど……』

「うむ」

『もしかしたら本当は、何か狙われる理由があったかも知れない。そしたら、また襲われないとは言い切れないでしょ?』

「まぁ、そうだの」

『そこで提案。猫又ちゃん、少しばかり旅するのは一旦休止して、うちらに協力する気なーい?』

「協力、とな?」

『そそ。もし人喰いが君の事をまだ追っていて近くに現れたら、うちらは万々歳。情報も入るし、あわよくば討伐出来る。だから、少しばかり様子を見てみたいのよ。協力してくれない?』

「つまり、私は餌になれ、という事かの?」

『奴は妖怪は食べないからね。餌とはちょっと違うかなぁ。ま、囮捜査だね』

「ふん……だが、それだと本当に人食いが現れた場合、私が危険に晒される。今回は深手で済んだが、次は死ぬ事も有り得る。お前等の為に死ぬつもりは毛頭無いの」

『まぁまぁ話はちゃんと聞いて頂戴って。さっきも言ったけど、今君が居る五日折市から半径百キロ圏内に、人喰いの警戒と捜索用にうちの部下を出来るだけ送る。もし君の前に人喰いが現れた時は、即座に保護に回れるよう手配する』

「しかし、人喰いが私の前に現れてからではな……お前の部下が間に合わん可能性の方が高いと思うがの」

『それを踏まえて、その間はうちの腕の立つ払い屋を一人、常に護衛として付ける。責任持って君を守ろう』


 猫又は腕を組み、小さく鼻を鳴らしてテーブルの携帯電話を見つめる。


「それなりに安全である事は解った。しかし、その話は私に得があるのかの?」

『期間の長さは様子を見て後から決めるけど、一つは傷が癒えるまで安全な所に居れる。二つ目はこちらが指定した場所に住む形になるけど、衣食住に困らない』

「ふむ、悪くは無いの」

『最後の三つ目。君が探している共喰い……そいつの情報が入れば君に教える』

「……ほう」


 猫又は僅かに目を細め、頭の猫耳がピクリと動いた。


『今から君が九州に向かうよりも、全国各地に情報網があるうちらに頼る方が効率的かつ合理的だと思うけどね? 少なくとも、君の傷が完治するまでは』

「名前は確か横田、だったかの?』

『あ、俺の名前覚えてくれてたの。スルーされているとばかり思ってた。嬉しいねぇ』

「確かに、お前の言う通りであろう。しかし、いいのかの? お前には関係無い妖怪の筈だが」

『前々から探している妖怪ではあるからね。それに現れる可能性は希薄とは言え、危険性が非常に高い“人喰い”を誘き出す為の囮になってもらうんだ。それ位の見返りは当然でしょ』


 猫又は口元に手を当て、しばし無言で考え込む。今の自分の状況と、この提案による己への利得。

 猫又は今までは一人で全国を無く歩き回り、共喰いの情報を探していた。

 しかし、一向に情報は集まらない。一人で当ても無く探すのは無理があると思っていた所であった。今回みたいに妖怪に襲われて深手を負う危険な目にも遭った。

 だが、この提案では安全を確保出来て、尚且つ何もせずに情報が入る可能性がある。

 猫又にとって美味しい話であるのは違いない。


「……成る程。では一つ、その提案に乗ろうかのぅ」

『じゃ、交渉成立だぁね』


 猫又は微笑み、横田の提案に協力する意を見せる。

 ギブアンドテイク。互いが互いの探す妖怪を見付ける為に、都合がいい。

 義理や人情は無い。あるのは己のメリットを優先する思考だけ。


『って訳で、供助君』

「はい?」


 しばし置いてけぼりの蚊帳の外。

 会話に参加する間もなく話は終了し、頬杖を付いて話を聞いていた供助。

 そこに横田から不意に名前を呼ばれた。


『猫又ちゃんは今日から君の家に住むんで、色々とよろしくー』


 そして、次に言われた事は。

 予想の斜め上どころか、予想すらしていなかった言葉。


「……」

「……」


 供助と猫又。無言のまま二人は互いを見合い、時が止まる。

 そして、数秒後。


「はぁ!?」

「うぬ?」


 供助の頓狂とんきょうな声と共に、時は動き出す。

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