第24話 by Suzu.I

 研究員だったわたしが、狙撃手に志願して一ヶ月。最初は反対されたけど、准尉が前線から身を引くようになってからは、わたしが前線に出ることになった。

 そこからは早かった。戦闘員の皆さんと同じ訓練をすることになったのだ。元々わたしは戦闘員ではないから、士官学校で受けた訓練は護身術くらいのものだった。士官学校時代から鍛えられ、今も現役の戦闘員として前線に立ち続ける他の皆さんの訓練についていくのに精一杯――いや、実際はついていけなかった。体力がない。反射神経がない。体が固い。もちろんついていけないことは覚悟していたけど、それにしてもひどい有様だった。しかも狙撃手は大庭隊ではわたし一人である。戦場に立ったら、誰もカバーしてくれないというプレッシャーが、さらにわたしを追い詰めた。

 そして実際に戦場に立ってみたら――プレッシャーは桁違いだった。以前万意葉さんと一緒に後方で戦場に出たのとは訳が違う。吐きそうなほどの責任の重み、お腹に何か刺さったのだろうと思うほどの激痛に、思わずうずくまりそうになる体を心の中で叱責しながら、なんとか耳からの情報を捉える。通信機のランプが赤いから、これは個人通信だ。どなただろう。

『鈴。聞こえているかしら?』

「はい」

 いつも狙撃銃の扱いを教えてくださっている、凜とした声。少尉の声だった。

『今からあたしは前衛に行くわ。後衛は有愛とあなたに任せる』

「え……?」

 少尉から告げられた言葉は、にわかに信じられないものだった。アリーとわたしだけで、後衛を守る?

 少尉は言わずもがな百発百中の拳銃使いだ。どんな敵でも拳銃さえあれば仕留めることができるだろう。対してわたしは、士官学校の生徒なら模擬戦闘すら行わないような、まだまだ訓練が必要なへろへろ狙撃手。アリーは戦闘員として士官学校を卒業しているけど、どちらかというと防戦や威嚇向きの武器だから、明確な攻撃手段は持っていない。さらに今回、ゴムボートでの移動だったためにアリーの相棒のヴェッデは連れてきていない。

 今後衛で攻撃手段を持つのは、わたしだけ。

 ズクン、と心臓の音がやけに大きく聞こえた。同時に、腹痛がさらにひどくなる。

『鈴、あなたは今、話す余裕はあるかしら?』

「……」

 こんな状態で話せるほど、わたしはできた人間ではなかった。研究員だったときは、こんなプレッシャーにさらされたことはない。失敗したらまた何度でもやり直せばいい。今までの記録やデータ、残された書類を辿ってゴールを見つける。それもいつも一人ではなく、万意葉さんや花澄さんがいた。

 だが、今はどうだ。愛用して使っているレミントンM700 VTRに装填されている弾は六発。チャンスは六回、外すと敵に位置を知らせることになる。さらに――外して、アリーに当たってしまったら? 花澄さんは味方からの誤射で足が動かなくなった。アリーに同じ運命を辿らせることになるかもしれない。

『鈴、狙撃手にとって大切なことは?』

 これ、前に聞いたことがある。以前少尉がおっしゃったことを思い出す。


「鈴、狙撃手にとって大事なことはなんだと思う?」

「え? 絶対に外さない、正確な射撃を行うことではないですか?」

 唐突に質問をした少尉に、わたしは慌てて返事をした。少尉はいつもと変わらない無表情で、何十メートルも先にある的をぼんやりと眺めながら言った。

「それも大切だわ。でも、それを行うために必要なことがあるわ。強靭な集中力よ」

「集中力、ですか」

「ええ。狙撃手は、たった一度の弾丸を撃つために、三日三晩――長ければ五日だって十日だって、同じ姿勢でずっとチャンスを狙い続けるのよ。もちろん、対象がすぐに仕留められるならばすぐに撃つべきだわ。いつ撃つか、どこに撃つか、何を狙うか……そんなことを判断するためには、やっぱり集中力が必要ね。その集中力を維持するには、今度は体力が必要になるわけだけれど」

 少尉がこちらを向いた。わたしと目を合わせると、ほんの少しだけ口角を上げた。

「あなたは研究員で、三日三晩ずっと、寝ずに研究することには慣れていると思うわ。大庭隊戦闘員では誰も持っていない、ご飯を食べることすら忘れる、圧倒的な集中力――鈴、それは狙撃銃以上のあなたの武器よ」


「……集中力、です」

『ええそうね。誰にも負けない集中力。それとあのとき言わなかったもう一つ』

 通信機の向こうから発砲音が聞こえた。少尉、わたしと話しながら移動して、さらに敵を仕留めているのか。それがどれだけ難しいことなのか、今のわたしにはわかる。

『もっと集中しなさい。そして計算するの。風を読んで、弾丸の軌道を読んで、速度を考えて引き金を引きなさい。……聡明なあなたならわかるはずよ、ここで逃げたら、有愛がどうなるか。有愛を守りなさい』

「!」

 ブツッ、と通信機の音が消えた。少尉が前衛に追いついたのだろう。

 わたしは目を閉じた。ここでわたしが動かないと、アリーがどうなるかなんてわかっている。防戦一方のアリーはやがて体力もボウガンの矢もなくなり、未確認生物に襲われて――。そんな映像が脳裏に浮かんだ。左右に大きく首を振り、その映像を消す。

 そうだ、集中しろ、鈴。アリーを今守れるのはわたしだけだ。スコープを覗いて、アリーの位置を確認する。一人になったというのに、アリーは意に介していない様子で――前だけを、見ている。

「あ……」

 後ろにわたしがいることは、今ここにいる大庭隊全員が知っている。自分が前衛に出るとき、少尉はきっとアリーにそのことを伝えたはずだ。そして少尉とアリーは、前だけ見て進んでもいいと判断した。

 背後は、わたしが守ってくれると、そう信じてくれているから。

 少尉があのとき言わなかったもう一つの大切なこと――仲間を、思いやること。

 少しだけスコープ越しの景色が歪んだ。もう一度目を閉じ、呼吸を落ち着かせる。その間に戦況が変化すると怖いから、手は引き金から離さないし、アリーが数歩進むことも計算して目を開けた。

 視界がクリアになったことを確認して、わたしは体勢を整えた。あぐらをかいて座り、左腕を体に緩く回して、右手と左腕で狙撃銃を構える。まだアリーの付近に未確認生物は現れていない。おおかた少尉が倒しながら進んでいるせいだろう。

 それでも油断は禁物だ。ぐ、と力強く狙撃銃を握り直し、わたしはまだ見ぬ敵への来訪に備えた。

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