第20話 by Arisa.S

 けたたましい警報が鳴り響いたのは、まだ空が白んでいる頃だった。

 軍人生活を何年も続けていると、寝起きだろうがなんだろうが警報の音で頭を一瞬で覚醒かくせいさせることができる。いつもはしているベッドメイクも、日課も放り投げて、素早く制服に着替えると、ローテーブルにある拳銃をホルスターに直してドアを開けた。

「おはようございます、有砂さん」

「万意葉、おはよう。早いわね」

「調べておきたい書類を見ていたら、もうこんな時間でした」

 あたしと同時にドアを開けたのは万意葉だった。目の下の隈が濃くなっているところを見ると、きっと寝ていないのだろう。

 しかし、ここで万意葉に寝てなさいと返す余裕はない。副隊長として、あたしが言う言葉がある。

「万意葉、花澄を迎えに行ってちょうだい。慌ててベッドから落ちて怪我……なんてされたら危険だわ」

「はい、すぐに行きます」

 労りの言葉ひとつない上司の命令に、嫌な顔もせず万意葉は走って行った。大庭隊の子たちはあたしが怖くなるほどに従順だ。もちろんあたしが副隊長という役職持ちで年齢が上、というのもあるだろうが、きっとそうでなくても彼女らは「はい」と答えるのだろう。

 その従順さが、いつか彼女ら自身の身を滅ぼしそうで怖いのだ。

「そんなことはさせない」

 確認するように呟き、あたしは会議室へ向かった。


 あれだけ早く用意しても、全員が集まるこの食堂に一番に座っているのは友里だ。慌てて制服を着た様子も、髪の乱れさえなく、あくまでいつも通り座っている。

「友里」

「少尉か」

「……はい。このような時間に警報が鳴ったのは、まさかいたずらではありませんよね」

「冗談を言うな。今ごろ足立花澄が情報を集めているだろう。きっと月城万意葉もそこにいるはずだ」

 口を開けば、大庭友里ではなく大庭中尉としての友里だった。この友里は、今まさにその行動を見ているかのように、的確に物事を指摘していく。きっとあたしが万意葉に出会うことも、花澄のところに行かせるのもお見通しだということなのだろう。前にも何回か似たようなことがあったから、そのときの経験から導き出した答えであることは予測できる。

 そんな友里に敬意と畏怖いふの念を抱きつつ、あたしは質問を重ねる。この状態の友里には敬語で話すと決めている。いつもは敬語なんて使わないが、大庭中尉をしての友里は少尉のあたしより位が上の”上司”だ。

「何が起こっているか、ご存知なのですか?」

「……憶測程度だがな。皆が揃ってから情報を集めたほうが早い」

 ちらり、と友里が扉に目線をやる。同時に勢いよく扉が開かれた。

「っはー、こんな時間に警報が鳴るなんてどういうことだよ」

「みそ、静かに。警報なんていつ鳴るかわからないんだから仕方ないでしょ」

「そうだね。いつもいきなりすぎるとは思うけど……ふぁあ……」

「志保ちゃん、目は覚めました?」

「は、はい……頑張ります」

 入ってきたのは実空、鈴、有愛、菜美、志保の五人だった。完全に覚醒しているあたしたち成人組と違って、未成年組は未だ覚醒していないようだった。それを咎めることもなく、友里は椅子から立ち上がった。きっと、嫌でも目が覚めるようなことを言う。今までにも似たようなことがあったから、想像はつく。

「五十嵐鈴。足立花澄の部屋に通信を繋げ。そこに月城万意葉もいるはずだ」

「はい」

 未成年とは言え、鈴は覚醒しているようだった。そういえばこの子はついこの間まで研究職にいたし、今もあたしとの訓練の合間には研究室にいる。眠らずに研究をすることなど日常茶飯事だったのだろう。万意葉と鈴の研究室に行くと、カフェインドリンクの空き缶とブラックコーヒーの香りが出迎えてくれたことを思い出す。

 食堂に備え付けてある通信機器を、鈴が慣れた手つきで扱う。何本もあるコードを手早く繋ぎ、スイッチを入れた。

「……花澄さん、万意葉さん。聞こえますか? 五十嵐鈴です」

『五十嵐ちゃんおはよう。そちらは皆揃っているのー?』

「いえ、白藤准尉と神瀬さんがまだです」

 鈴が回りを見渡して言う。ここには今、部屋にいる花澄、その付き添いの万意葉、早苗、早苗の保護者代わりのひなた以外は勢ぞろいしていた。

 いつもこのような警報が鳴ったら、友里の次にあたしかひなたがここに来ていた。ひなたのことを案じているのだろう。

「ああ、その二人なら呼ばなくてもいい。神瀬早苗がこの音で起きるのを防ぐように、神瀬早苗の部屋だけ警報を切ってある」

「あれ、じゃあなんでひなた姉は来ないんだ?」

 実空の疑問は最もだった。

 あの説明会に参加していなければ、ひなたが早苗にとってどういう立ち位置か、迷う気持ちもわかる。

「……白藤ひなたは、神瀬早苗を守るために――これからの戦闘には参加しないことになった」

「……は?」

「だから、これからは白藤ひなた抜きの編成で考える。今ここに集まっているメンバーが全員だ」

「ちょ、ちょっと待てよ友里姉。ひなた姉が参加しないって……」

「理由は今言った通りだ。野口実空、これ以上お前に構っている暇はない。足立花澄、月城万意葉。何か得られた情報はあるか?」

 実空はどこか腑に落ちない表情を浮かべていたが、今優先するべきものが何かを理解したらしい。素直に口をつぐみ、通信機の方へ意識を集中させている。

 ひなたは前衛と後衛のどちらでも使える人材だから、ひなたのサポートを受けられなくなるのは実空にとって苦しいはずだ。しかしそんなことはわかっている、何のために今日まで鈴を戦闘員として鍛え上げたのかの理由までは気が付いていないらしい。

『はい。……特別陸軍の冴木さえき隊が、ある島へ調査に向かったところ、伝令役を残して全滅したそうです。警報信号を送ってきたのは冴木隊伝令の外井とのい上等兵二十一歳。陸軍の他の隊は、海軍との合同演習や、その他任務に出ており、本部にいません。よって動ける陸軍は我々のみ、ということですね』

 友里の問いかけには万意葉が答えてくれた。

海軍との合同訓練は、年に数回行われる交流行事のようなものだ。海軍所有の軍艦に乗り、どこかへ行って訓練をして帰ってくる。どこで何をしているのかは、「女だから」と参加を許されていないあたしたちが知る由もない。

「なるほど……。海軍との合同練習があるというのは何となく聞いていたが、他の隊もいないのか。足立花澄、その外井とやらと話はできる状態か?」

『さっき月城ちゃんが話を聞き出そうとしたけど、得られた情報は少ししかなかったよー。今からお姉さんがモニターに出すね』

「頼む」

 花澄の言葉ののち、食堂のスクリーンに研究室パソコンの画面が映し出された。現在進行形で文字が増えたり消えたりしている。きっと万意葉が聞き取った中身を文章打ち込みソフトでまとめている最中なのだろう。

 万意葉が箇条書きでまとめたところによると、「足元は悪い」「敵は陸上系」の二点しか有力な情報は得られなかったようだった。伝令役と言えばうちの隊では万意葉のことを指す。彼女は護身用のナイフしか武器は持たないし、外井上等兵も万意葉と同じように研究職ながら戦場へ行ったとすれば、戦闘員であるあたしたちと違って得られる情報が少ないのも仕方がないと言える。

 万意葉や有愛がいつも索敵をしてくれるから、あたしたちは広い視野で以て戦場に立てているけど、この隊は索敵者がいないのかもしれない。そういえば冴木隊というのも初めて聞いた。

 他の戦闘員の顔を窺うと、皆情報が少ないことに辟易へきえきしているようだった。ただ一人、友里だけは表情を変えずにモニターを睨み付けている。やがて画面が変わらないことを理解すると、小さく息を吐いた。

「現地に行って確認ができるのだから、情報の少なさは問題にはならない。陸上系の敵が出る足元の悪い場所、という情報を得られたことに感謝こそすれ、恨む気持ちなど毛頭ない」

「そうね」

「外井上等兵もきっと事情聴取に忙しい頃だと思います、二つも情報をくださったと考えるべきですわ」

 大庭隊が発足した当時、我々大庭隊は「女だから」という理由で、出撃前情報を故意に与えられなかったり、嘘の情報を流されたりしたこともあった。未確認生物ではなく、同じ軍隊の面々に殺されるのではないかと思ったほどだ。

 当時は索敵も通信もできなかったから、一度バラバラになれば仲間が無事かどうかすらわからなかった頃を経験している友里やあたし、菜美と、今のまだマシになった段階を知る他のメンバーとは、隔たりがあるのは当然である。

 しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。冴木隊が向かった場所に行かねば、いつ未確認生物が日常を壊してくるかわからない。

「情報は覚えるまでもないだろう。月城万意葉、場所は?」

『はい、特定できました。ここですね』

 万意葉の声で、モニターが洋ナシのような写真に切り替わる。いびつな形をしているそれの周りは青い。この青は海や川と見るべきだろう。

「……小島、か」

『ここからさほど遠くありませんね。足元が悪いというのは、整備されていなかったからだということでしょうね』

「……どう考える? 佐々倉有砂」

 腕を組んだまま、友里が目線だけをこちらに寄越してきた。あたしに聞かなくても、友里なら同じことを思いついているはずだ。でもあたしに聞いてくるのは、万が一考えがずれていたことを危惧してのことだ。過去、満足に情報がなかったときにお互いの共通認識さえあれば、仲間の行動を読むことができると学んでからは、友里は会議のときに絶対一言はあたしに喋らせる。

「ゴムボートか何かを借りてここまで行きましょう。あたしが後衛の指揮を執ります」

「わかった。足立花澄、ゴムボートの手配は?」

『もう三つ確保してるよー。お姉さんたちはここから動けないから、いい感じに分乗して行っちゃって!』

「迅速な行動、感謝する。……では五分後のマルヨンヨンマルに、裏口ゴムボート置き場まで武器を持って集合。それまでに目を覚まし、乱れたままの衣服や髪を直すこと。看護師二人は治療に必要なものやいつも使っているものを用意しておけ。いいな!」

「「「「「はい!!」」」」」

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