それから

蟹家


 それから、二ヶ月が過ぎた。

 十一月、下旬。街路のポプラは黄色くなった葉を落として、電線にとまるスズメは寒そうに丸くなっている。季節は、冬になっていた。

 午前七時の閑散とした道路に一台の車が通り抜けて、風を巻き起こす。道路の端に溜まった落ち葉がカサカサと音を立てる。私は思わずマフラーに首を埋めたけれど、風はスカートを抜けて太ももを撫で上げた。


「さむ……」


 一人そう呟いて、私は少し早く歩き出した。


 校門を潜ると、見慣れた校舎。校門脇の木にくくりつけられた看板には安っぽいデザインで「合唱祭まであと1日」。合唱祭なんて、と少し思う。文化祭や体育祭に比べたら盛り上がってるクラスも少ない。まぁ、うちのクラスは盛り上がっているけれど。

 一週間前から、八時に登校して三十分ほど練習しているのだ。割合、出席率は良い。

 遅刻癖のある伊藤くんは八時に間に合ったことが無いけれど、それでも八時十五分くらいには着いていた。彼の普段の登校時刻に比べたら快挙だ。

 私はいつも八時のほんの少し前に行っていた。五分前行動なんてできる柄じゃないし、遅刻するのも嫌なのだ。

 今日はたまたま早く起きて、することも無いから早く来た。そう。たまたま。


 校舎の二階、左から三番目の教室からキーボードの音が漏れている。私の教室だ。

 その音色に合わせて、彼が指揮棒を振っているのが窓から見えた。


 とくん、と。

 私は自分の心臓が高鳴るのを感じた。血圧が僅かに上昇して、脳がくらりと多幸感。


 彼はキーボードに合わせて、優しく、丁寧に、振っている。


 それから、私はそのキーボードを弾いてる相手のことと、二ヶ月前のことを思い出した。すると高揚感は暗く、冷たく、重くなって、心の奥底へと沈んでいった。

 端的に言うと、私はあの指揮棒を振っている彼に二ヶ月前、振られた。そして彼は、キーボードを弾いている彼女と付き合ったのだ。

 お似合いだと皆んなから言われている。私も、そう思う。


「いい加減忘れなくちゃな……」


 自分にそう言って、昇降口へと。

 校舎の中に入れば、うちのクラス合唱曲である「大切なもの」の旋律が静かに優しく響いている。それは彼と彼女と私以外、誰もいないことを示していた。それはそうだろうなと思う。大体の生徒は、たかが合唱祭と思っている。うちのクラスがやる気になっているのは、彼と彼女のおかげ。二人に感化されたから。


 私は流れるその曲の拍子に合わせて、ゆっくりと歩く。それは陽気な理由じゃなくて、ただ単純に三人でいるのが嫌だから。

 もう二ヶ月も前の事ではある。確かに二人はもう私に対して何も思ってないのかもしれない。私も大勢と一緒なら、二人と喋る。けれど、まだ三人になる勇気はなかった。きっと三人になっても、二人は優しく明るく接してくれるだろう。けれど、まだ私にはその明るさが、優しさが辛くなると思う。


 ため息、一つ。


 それから私は二階を通り過ぎて、屋上へと逃げた。

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