蜘蛛の巣

第30話 いやー、やっぱうまいわ、日本のビールは

「いやー、やっぱうまいわ、日本のビールは。イチバン、最高やん!」と、ハチバンは日本の代表的なビールであるキリンの一番搾り・マニラ味を飲みながら言った。ビールの味はだいたい麦とホップと水で決まるわけだが、飲む場所・季節・体調なども微妙に影響してきて、酔っぱらい具合も違うらしい。

 おれたちが今いるのはフィリピンのマニラで、世界一の夕景を見ながらビールを飲んで、おれの部屋に置いてあった画像「Twilight in Summer」と、それに添付してあった「私はここにいます」の意味を考えることにしてみたのである。引き続き日本国内ではないので、日本では酒が飲めないハチバンでも合法的に酒が飲める。

 マニラは全体に横浜みたいなところで、海岸沿いに歩ける通りもあるのだが、治安の悪化により寂れてしまっている。マニラ湾に泳げるビーチがあるかというと、東京湾の内湾で泳げるかどうかというのと同じぐらいである。

 滅亡しつつある世界の夕日としては悪くないな、と、おれは思った。そういう世界の話をいつか書いてみたいけど、ジャンルはSFか純文学になって、SF評論家とその意見を信じる人たちの間でしか話題にならない物語になることだろう。

     *

 フランスから帰国後しばらくの間、おれは大学のレポートとファンタジー系ネット小説の執筆にはげんだ。大学の講義は全世界どこでも、その授業に登録してある者には見ることができて(学籍の有無は関係ない)、教える側も板書なんかしないでメモテキストを配布するだけだから、リアルで教室に教授・講師と学生が接触する意味は、お互いの名前と顔を、雑談のついでに確認する程度の意味しかない。がっちり勉強したい人は、そういうののギルドに所属して、パーティメンバーを組んで、クエストをこなしてレベルを上げる、という、ゲームと同じことをやるのである。

 とはいえ、法学部カルキュラムの流れとしておれは、いっぱいレポートを書いた。憲法・国際法・刑法・民法・(武士の)商法・(孫氏の)兵法・(伊賀の)忍法・ハイリハラフレ背理法その他である。おれが書くレポートは昔から「続きはまだ?」と先生のほうにせがまれるくらいで、それはネット小説のネットネームとは異なる形・異なる名前で流通している。それについて書いてもいいんだけど、物語の中の物語って、うまいこと終わらせられないので面倒くさい。

 ハチバンは同じ大学の文学部史学科という、あまり将来に関しては希望が持てなさそうなところを専攻志望にしているが、世界の諸言語に関しては可能な限り勉強していて、おれと同じぐらい大学をサボって(というかまあ、実技の一環として申請すれば通らないことはないことをやっていて)、そのため提出するレポートの数はおれの倍で、量はおれの十分の一ぐらいだった。

     *

「この絵はニースだということがわかったけど、別に「私」と思えるような人はいなかったよ」

 おれはことの顛末を話し、親父には、アクレナの死体の第一発見者とかにはならなかったのかあ、とがっかりされた顔をされたが、おれは親父でも、親父の物語の登場人物でもないのでそんなミステリーに巻き込まれることはない、と答えておいた。ふたりとおれのおふくろの、昔の話が気になりすぎるが、アクレナさんはどうせ『カサブランカ』みたいないい話にするんだろうな。むしろそういう話を期待したいところである。

「せっかくなので、もうすこし探してもらえないかな」と、親父は言った。

「あとふたつぐらい候補はあるんだけど」

 おふくろの遺品もいくつかある、ってことね。

 なんだ、「私」っておふくろのことなのかよ。

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