空の涙は宝石のように
夏野
。
あるところにひとりの少女がいました。
少女は幼い頃両親を亡くし、それ以来ひとりで牛や豚の世話をして暮らしていました。少女がひとりなのを哀れんで村の人は少女に食べ物をくれることもありました。
ある日、少女が畑を耕していると、ひとりの村人が声をかけてきました。
「こんにちは。今日はいい天気だね」
「こんにちは。少し、暑いですね。最近雨が降らないのでこのままでは水不足になるのではないかと心配なの。畑の作物が枯れてしまうと食べるものがなくなってしまうので」
「そんなことになればうちの畑も困ってしまうよ。でも大丈夫さ。太陽を怒らせなければやがて雨が降る。いやあ、今日も平和だね。牛のお世話、頑張ってね」
「どうもありがとうございます」
その時、少女は牛の姿がないことに気づきました。
「どこにいったのかしら」
少女は村人に別れをいい、牛を探しに行きました。
しばらく原っぱを歩いていると、牛の姿と奇妙な小屋を見つけました。
「おいで。勝手に出でいってはだめよ」
少女は牛を捕まえるとすぐそばにある小屋を見ました。小屋には窓がなく、扉には外から鍵がかかっているようでした。さらにその鍵の上に鎖が巻かれていて、外からでも決して開かないようになっていました。
「どうして開かないようになっているのかしら…」
「誰かそこにいるの?」
突然中から声がして少女はとてもびっくりしました。
「人がいたのね。あなたはどうしてこんなところにいるの?」
「ぼくは、太陽や月の光に当たると死んでしまうんだ。そう言われていてね。だから光が届かないこの小屋の中にいるんだよ。ろうそくの光だけで、生活しているんだ」
少女は中を見ようとしましたが、小屋には少しの隙間もないようでした。
「じゃあ、外に出たことがないのね。あなたみたいな人がいるなんて、全く知らなかったわ」
「どうせ外に出れないから、村の偉い人しか知らないんだよ。村長さんはたまに食べ物を持ってきてくれるんだ。とても優しい人だよ」
少女は、この少年のことをとても可哀想だと思いました。この少年は外の景色を見ることも、友達と野原を駆け回ることもできないのです。
「ねえ、私、あなたの友達になりたいわ。あなたがよければ友達になってくれない?」
少女の提案に少年はとても驚いたようでした。
「もちろんいいけど、ぼくは君に何もできないよ。それでもいいのかい?」
「ええ。私はずっと友達が欲しかったの」
少女はそれから毎日、少年のいる小屋に通いました。
少女も少年も親の顔を見たことがありませんでした。少年の親は罪人だったらしく、こんな体になったのはその報いだと村長は少年に言っていたそうです。その話を聞き、少女はますます少年に同情しました。さらに少女が外の世界の話をすると少年は興味津々で耳を傾けてくれます。少女は毎日の生活のことや自分の気持ちを少年に話し、少年も少女に自分の気持ちを話しました。少女にとっても少年にとってもお互いの存在はとても大切ものになっていきました。
「外の世界を一度見てみたいな。とても美しく、すばらしいんだろうね。君の話を聞いていると、そんな気がするんだ」
少女は家へ向かう道の中、美しい夕焼けの中を歩きながらこの少年に外の世界を見せたいと思いました。
「そうだわ。お月さまがなくなってしまえばいいのよ。太陽がなくなったら困るけど月がなくなっても、誰も困らないわ。そうしたら、夜の間だけでも外の世界を見せてあげられるわ」
少女はそう考えるとすぐ何でも知っているという村の長老のもとを尋ねました。長老は今年で百歳だそうです。
「こんにちは、長老さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけれど、いいかしら」
「やあこんにちは。よく来たね。どんな用だい?」
少女は少し考えました。月を消してしまいたいと言ったら、反対されてしまうに違いありません。
「とても、大きな、大きなものを仕留めたいの。それは空に浮かんでいて、とにかく大きいのよ。お願いします、なにか方法はありませんか」
「それはなんだい?わしにはよく分からないんだが」
「説明できないの。お願いします」
いつもは穏やかな少女のただならぬ気迫に長老は少し驚きました。
「それは仕方ないな。言えないことを無理に言わせることはできないからね。ちょっと待っていておくれ」
そう言って立ち上がり一冊の本をとってきました。
「これをごらん。不死鳥の羽とやじりに星のかけらを付けた矢はどこまでも遠くへ行きどんなものでも仕留めると書いてある。
「ありがとう長老さん!」
少女はそれを聞くやいなや長老の家を飛び出しました。不死鳥の羽は数十年前にこの村に落ちてきて以来、村長の家に飾ってあるはずです。
少女は村長の家に忍び込みました。今日はこの家で村の会議があり、ドアが開いています。大人達が話すことに夢中になって少女には全く気付きません。村で行う儀式について話しているようです。そのうちに少女は見事玄関に飾ってある不死鳥の羽を盗み出しました。
少女がこのようなことをするなんて少し前までには考えられなかったことです。少女はあの少年のためなら何だってできるような気がしました。
もうあたりはすっかり夜になり、草むらにはたくさんの星のかけらがキラキラ光っているのが見えます。少女はそのひとつを拾い上げ、矢のやじりの部分に付けました。この弓矢は昔村の親切な猟師からもらったものです。さらに不死鳥の羽を付け、とうとう弓矢が完成しました。
少女は村で一番高い木の上に登り、月に向かって矢を放ちました。矢は遙か遠くへと飛んでいき、月に深く突き刺さりました。その瞬間、強い風が吹き、地面が大きく揺れました。それはまるで月の悲鳴のようでした。やがて月は砕け散り、かけらが落ちていくのが見えました。
少女が走って少年の元へ急ごうとしていると、会議に来ていた大人たちが慌てた様子で話していました。
「誰かが月を殺してしまった。これは大変なことになる。太陽の怒りを鎮めるためにもいけにえを捧げなければ」
「ああそうだ。早くあの小屋にいる少年を連れてこい」
「儀式までまだ時間があるがこうなってしまっては仕方がない。このためにわざわざ生かしていた罪人の子だ」
「あれ?私の大事にしていた不死鳥の羽がないぞ」
いけにえ、という言葉を聞いて、少女は驚きと共に恐怖で震えました。とんでもないことをしてしまったのではないかと感じました。
少年の小屋に行くと、その小屋は先ほどの強風と地震で潰れてしまっていました。少女が慌てて駆け寄ると、中から「大丈夫だよ」と、あの少年の声が聞こえました。
「ぼくは大丈夫。すごい揺れだったね。一体、なにがあったんだい?」
「大変なことになってしまったのよ。あなたに外の世界を見せたくて、月を殺したの。」
「なんだって?じゃあ、今は月がないのかい?」
「ええ、そうよ」
少年は潰れた小屋から出てきました。
「これが外の世界か。すごい。すばらしいよ。ありがとう、ぼくは今、とても幸せだ。」
少年は地面に手をつけ、月のない空を見上げています。初めて見る少年の顔には満面の笑みが浮かんでいました。少年は少女が今まで見た中で一番優しい顔立ちをしているように思えました。
「ごめんなさい」
少女は謝りました。
「どうして君が謝るんだい?ぼくは、とってもうれしいのに」
「さっき村長が太陽の怒りを鎮めるためにいけにえを連れてくると言っていたわ。あなたのことよ」
少女は耐えきれず涙を流しました。
「そうだったのか。でも、謝る必要はないよ。外に出られたんだから。ぼくはここから逃げるよ」
「私もいっしょに行くわ」
「君がきてしまったら君まで罪が着せられる。ぼくはひとりでいくよ」
「私が行きたいの。お願い。連れていって」
少年と少女はその場所から逃げ出しました。森を抜ければきっと逃げ切れるはずです。夜が明けるまでに少年を太陽の光から守る場所を見つけなければいけません。
やがて、空からは雨が降り始めました。
「空も、君と同じように涙を流すんだね」
「ええ…そうね。きっと、月が死んだことに泣いているのよ」
「悲しみは、必ず癒えるものさ」
少年と少女は雨の中、森の中に入っていきました。ただでさえ月のない夜の森は暗く、とても恐ろしいです。
「暗くて怖いわ」と少女が言うと、
「暗いのは慣れているから平気だよ」と少年はにっこり笑って言いました。
少年と少女は夜通し歩き続けました。やがて雨が止み、生い茂る木々の先に空が明るくなっているのが見えました。夜が明けていたのです。
「大変。太陽が出てしまっているわ。木陰にいて」
しかし少年は太陽の下に出てきました。昨日降った雨のせいで草花には水滴が残ってきて、それが太陽の光の下、キラキラと輝いていました。
「どうしてここにいるの?死んでしまうわ」
「あれはぼくを閉じ込めるために村長達が考えた嘘だよ。君の話を聞いて分かったんだ。ぼくが、逃げないように」
「そうだったの。なんてひどいことをするのかしら」
少年の言う通り、太陽の下でも少年の体に変化はありませんでした。
少年は周りを見回すと、目を輝かせて、葉に滴る水滴を指差しました。
「ねえ、あれは何?ぼくが今まで見た中で一番きれいなものだ。君が話していた通り、この世界は本当に、とても美しいね」
少女はそれを聞いてうれしくなりました。いつも見ているその水滴がこの世で一番美しいもののように見えます。少女は少年と一緒に永遠にこの光景を見ていたいと思いました。
少女と少年はしばらく太陽の下に立っていましたが、突然大きな声が聞こえました。
「いたぞ、あの少年だ!」
村長達です。彼らもこの森の中、ずっと少年と少女を追いかけていたのです。
やめて、と少女は必死で叫びましたがふたりともあっさり捕まってしまいました。
「太陽が怒っている。さあ、この少年を捧げろ!」
「殺せ!」
「やめて!私が月を殺したのよ。殺すなら私を殺して」と少女はもがきながら叫びました。
その時、空から声が響きました。
「やめなさい」
村人と少女と少年は上を見上げました。太陽の声でした。
「私はその娘が月を殺したことについて、とても怒っています。この地を焼き尽くしてしまいたいくらいです。しかし、いけにえなどいりません」と太陽が静かに言いました。
「ではどうすれば良いのですか」と、村長が尋ねました。
「その娘は地上に散らばった月のかけらをすべて集めてつなぎ合わせ、月を復活させなさい。世界中に細かく散った月のかけら集めるには途方もない年月がかかるでしょう。しかし、それを終えるまで自由になることは許しません。これはあなたが犯した罪の罰です」
村人達はは少女と少年を放しました。
「分かりました。月のかけらをすべて集めます」
少女はきっぱりと言いました。村人は太陽の怒りが収まったことに安心したようでした。
少年は少女の元に駆け寄って来ました。
「ぼくも、一緒に行ってもいいかい?君と一緒に月のかけらを集めるよ」
「月のかけらを集めるのはきっととても大変よ。私は世界中に散ってしまった月を見たのよ。これは全て私のせいよ。あなたまで来る必要はないわ」
すると少年はゆっくり首を振って微笑みました。
「ぼくは、君と、世界を見て回りたいんだ。君が聞かせてくれた外の世界は君がいるから美しく見えるんだよ」
それから少年と少女は月のかけらを求めて長い、長い旅へ出ました。ふたりのゆくえを知るものは、この村にはいません。
おしまい
空の涙は宝石のように 夏野 @ame77
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