誕生
アリスの相棒、鴉型希少獣コル視点のお話です
第二部の298話までご覧いただけていたらネタバレにはならないと思います
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グラーティアが生まれた時、コルは柄にもなく泣いた。
もちろんアリスやダニエルにバレるようなヘマはしない。エルとは常に一緒だから見られていたかもしれないが、彼の場合は分かっていないだろう。
グラーティアは屋敷中の人間から「まだかまだか」と言われながら生まれた子だ。
アリス付きの侍女など、用意万端で待っていた。あらかじめコルニクスが生まれると分かっていたため、鳥型希少獣向けの寝床や玩具を作って待った。
生まれる数日前にはアリスの兄二人も家に戻ってきた。二人とも騎士として働いており、王城に詰めていたのをどうやったのか休みをもぎ取ったらしい。
生まれる日が大体このあたりだと分かったのはアリスの同僚のおかげだ。高レベルの鑑定魔法持ちながら気軽に調べてくれた。その鑑定で、生まれてくる子が女の子だとも分かっている。
皆が選んだ玩具に可愛い色合いが多いのはそのせいだった。
皆が待ち望んだ子は、晴れた日の朝に生まれた。
「まぁ、なんて可愛いの」
「姫様、わたくしにも見せてくださいませ」
「アリス、俺にも」
「ミハエル、お前くっつきすぎだ」
「カール兄さんだって」
わいわい騒ぐ中、アリスの手の中で小さな黒い毛玉が動く。まだ目は開かない。けれど、彼女は誰が主なのか分かっていた。すりすりと甘えるようにアリスの指にまとわりつく。
「かぁ」
小さな小さな鳴き声だ。しかし、腹が減ったと嘴を開けて強請る。
これほど小さく弱々しい生き物なのに、生きることへの強い力をコルは感じた。
コルはアリスの膝の上、一番近い場所で生まれたての同族を見た。
「グラーティア、あなたの名前はグラーティアよ」
「かぁ」
「ご飯は少し待ってね。用意しているから、すぐよ。その前にね、あなたに教えたいことがあるの」
「かぁ……」
「わたしはアリス。そして、ここにいるのが、あなたのお兄さんよ。同じ種族の先輩でコルという名前なの」
「カーカーカー」
兄とは大きく出た。コルが苦笑気味に伝えると、アリスは「そうかしら?」と小首を傾げた。
「だって、先にいるのだから兄ではないかしら?」
「カーカーカーカー」
「『お爺さん』でいいの?」
「カー」
「コルったら」
アリスが笑うので膝が揺れ、コルもまた揺れた。心地よい揺れだ。
コルは人に慣れ、今では仕事で飛ぶ以外はアリスに抱かれていることが多い。彼女と共に寝ることさえあった。
アリスは寝相の良い娘だ。コルも長年の習慣から寝入ることがない。そのおかげで潰されることはなかった。
その間、コルと共にいる芋虫幻獣のエルは大きな瓶の中で過ごしている。中には土と小さな葉付きの枝があり、餌として置いている葉の上がエルのベッドでもあった。
「姫様、食事でございます」
「ありがとう。山羊乳を多めに交ぜてくれた?」
「もちろんでございます。山羊乳も厨房の者たちが新鮮なものを用意しておりました」
普段、コルとエルの食事はアリスが用意する。厨房に専用の場所も作っていた。しかし、今回は違った。
生まれたての希少獣とは常に一緒にいるべきだ。だから餌の準備について料理人たちと話し合い、取り決めをした。生まれてくる子の食事は彼等が作る。コルの食事もだ。
コル自身、アリス手ずからの調理を求めるつもりはもうなかった。
人間不信であった頃なら食べなかっただろう。アリスも当時誰かに任せることはほとんどなかった。体調不良や急な用事で作れなかった時だけ、料理人が代わりに用意した。それを食べなかったのはコルだ。
けれど、あの頃と今では違う。
コルはいつしか屋敷の人間たちに心を許していた。
気持ちの良い人間ばかりが住んでいる。コルが我を張るのがみっともないと思えるぐらいだ。
優しく丁寧に扱われる心地は、たとえようもない。
生まれた子もすぐに幸せな心地を味わうだろう。
「さあ、お食べ」
「かぁぁ」
「慌てなくていいのよ。グラーティア」
鳥型の幼獣に食べさせる方法を、アリスはずっと前から調べていた。少し押し込む必要があることや、お腹がパンパンになっても食べさせることなど。
知識として知っていても実際にやるのは躊躇することもある。
しかし、アリスは最後まで一人でグラーティアに食べさせた。
「もう、いっぱいかしら。コル、分かる?」
「カーカー」
「そう。じゃあ、様子を見てまたあげましょう」
嘴を閉じてコロンと横になったグラーティアを、アリスは専用の籠に入れた。柔らかい羽布団が敷かれている。
本当は藁で編んだ籠でもいいようだが、小型希少獣持ちの知人たちから勧められたらしい。コルは幼い頃、我が子と間違えた鷲に育てられたことがある。その時の経験から藁で十分だと思ったが、それは言わなかった。
幼子を大事にしたいという気持ちはコルも同じだ。
グラーティアが生まれた瞬間から、コルは不思議な感情に支配されていた。守ってやらなねばならないという強い思いだ。
とはいえ、コルの守護は必要ない。
分かっている。
老いた自身よりも、
しかし、思うだけならば許されるはずだ。
それに他の人間たちもコルと同じように考えていた。
「こんなに小さいのか。わたしたちもできる限り養育しよう」
「アリスが仕事で忙しい時は僕たちも手伝うからね」
「わたくしもお手伝いさせてくださいませ」
「俺も俺も」
「ミハエル様ったら。でも、わたしもいますからね、アリス様」
「コーラ、敬称なんてもう要らないのよ?」
「分かってますけど、慣れないんです。ねぇ、クリストフ」
「えっ、僕? アリス様は永遠にアリス様ですよ。って、これでいい?」
「あはは。君たちきょうだいは相変わらずだねぇ」
騒がしい空気の中、リグドールが部屋に入ってきた。誰かが知らせたのだろう。彼はアリスの仲の良い友人だ。いや、恋人と言ってもいいのだろう。コルは何度か、ダニエルたちに内緒で手紙を届けている。
リグドールは視線の鋭いダニエルに挨拶すると、急いでアリスの傍に来た。
「無事に生まれたんだね。良かった」
「はい。グラーティアです。さっき初めての食事をして、今は寝てしまいました。とても可愛い子です」
「うん。うん……本当に」
感極まったのか、リグドールの目が潤む。彼にはこういうところがある。コルはこの純粋な青年を割と気に入っていた。
当初、卵石の一つをリグドールに渡すべきかと、アリスは悩んでいた。けれど結局、渡すことはなかった。
リグドールが断ったからだ。今の自分では育てられないだろう。それは不幸な希少獣を作る原因になる、と。
真剣に考えた末の答えだ。コルはその手紙を受け取る時に、彼自身の口からも言われた。「情けなくてごめん。でも安請け合いはできない」と。
そこで冷静に考えられるリグドールを、コルは見直したものだ。
だから、ダニエルが何故そんなにまで睨みを利かせるのかが不思議だった。
アリスの兄二人もひそかに苦笑していた。彼等はそれぞれの妻や婚約者に目配せし、部屋から出ていった。気を遣ったのだろう。
しかしダニエルはいまだ残っている。グラーティアを見るという体で、リグドールを正面に睨み付ける位置取りだ。ここまで来るとコルも呆れる。
「グラーティアは寝てしまったね。リグドール君、姿を見て安心したのなら用事は済んだのではないかい?」
「もう、お父様ったら」
「あ、いえ。あの。もう少しだけいさせてください。グラーティアのこともですが、俺はコルと話をしたくて」
「コルとかい?」
「はい」
真剣な表情のリグドールを見て、ダニエルは少しだけ迷ったようだ。けれど、アリスとコルの冷たい視線に気付き、渋々部屋を出ていった。
もちろん、部屋には侍女がいる。未婚の男女が二人きりというわけではない。それでもダニエルは部屋の扉を大きく開けたまま、部屋を出た。
コルがダニエルの後ろ姿が消えるのを見ている間に、アリスがリグドールに席を勧める。
リグドールは斜め横のソファに座り、コルへ向かった。どうやら本当に話があるようだ。てっきり方便だと思っていたコルは、アリスの膝の上から下りて互いの姿が見えるテーブルの上に移動した。
テーブルには籠も置かれている。籠の中ではグラーティアがすやすやと寝ていた。
「コル、良かったな」
「カー?」
「卵石が無事に孵って。……コルがさ、人には見付けられないような場所に落ちている卵石を拾って集めていたと聞いてたから」
「カー」
「アリスさんからじゃないよ。シウが、コルのことを心配してたんだ。俺はアリスさんとよく会うし、それで教えてくれたんじゃないかな」
「カーカー」
リグドールは調教魔法は持っていない。だから会話ができるわけではなかった。人間はそうした意味でも希少獣より劣っている。何故なら希少獣は、人間の言葉が理解できるからだ。
昔のコルはそう思っていた。人間は希少獣よりも劣っていると。
でも違う。そうではなかった。
「きっと、コルはこれからも卵石を拾うのは止められないんだろうと思う」
「カー」
「……今度から、俺も一緒でいい? 休みの日になっちゃうけど」
「カー?」
リグドールの言葉の意味が分からず、コルはじいっと彼を見た。彼の目を。
笑顔なのに、どこか潤んで見える瞳のままに、リグドールは続けた。
「その代わり、ずっと付き合うよ。今度から休みが二日連続で取れるようになったんだ。だったら泊まりがけで行ける。あの洞穴ならシウが結界を張ったままだから安全だし、泊まれるだろ? 騎獣を借りていけば行き来も早い。ほら、途中までは道路も整備されてるから意外と早く着くよ」
だから――。
まるで懇願するようにリグドールは視線を外さず、コルに訴えた。
「俺、ちゃんと今でも鍛えてるんだ。昼休みには騎士の訓練場を借りて剣の指導を受けてるし、仕事が終わると魔法での攻撃方法も勉強してる。研究だけじゃなくて実戦でも役に立つよう頑張ってる。それにカッサの騎獣なら護衛にもなるから、俺が一緒でも大丈夫だろ? だから、頼むよ。一緒に連れていってくれないか?」
潤んだ瞳は、けれど一粒も涙を零すことはなかった。
リグドールは泣いてはいけないと思っているようだった。
何故か。
アリスが共にいるからだ。彼女に、決定的な一言を告げたくないからだ。
でも分かっている。
全員が分かっていた。
「カーカー、カーカーカーカー」
「……『寿命が、そろそろ尽きることを知っているんだね』って、コルが言ってます」
アリスが小さな声でコルの言葉を訳した。
「カーカーカー」
わしはそれほど上品に話したつもりはないぞ、と告げると、アリスはほんの少し表情を和らげた。その顔を見て彼女がどれほど強張っていたのかが分かった。
アリスもまたリグドールと同じように考えている。死期が近いであろうコルを、彼等の目の届かない場所で一人寂しく死なせたくないのだ。最期の時に誰かが付いていたいと、そう願っている。
コルは一つ頷いた。
「カーカーカー、カーカーカー」
「『来たければ来てもいい。その代わり大変だぞ』と」
「もちろん覚悟の上だ。一緒に行こう」
「カー」
「これは、溜息かしら? 言葉ではないわ」
「カーカーカー」
「『訳さなくてもいい』って、だって」
「カーカー」
「ふふ。ねえ、グラーティアが少し落ち着いたら、わたしも一緒に行くわ」
「カー!? カーカー!!」
「長い休みの時だけよ。だから怒らないで、コル。わたしだって、見てみたいの。あなたが一生をかけて行おうとしたことを。最期までやり遂げようとしていることを」
「……カー」
呆れと共に吐き出した鳴き声に、アリスとリグドールは同時に笑った。笑って、互いに顔を見合わせる。
それぞれを思いやる眼差しだった。
その優しい眼差しが、コルに向く。
それは慈愛に満ちたもので、かつてどうしようもなくコルが欲したものでもあった。
ああ。
ああ、なんと幸せな一生だろうか。
最後にこれほどの幸福が待っていた。
「かぁ……」
籠の中のグラーティアが目を覚まし、小さく鳴いた。
彼女が幸せでありますように。
コルは心の底から祈ることができた。
どうか、自分が今味わった最高の幸福が、常に彼女と共にありますように。
コルは生まれて初めて、神に感謝した。
まるでそうなることを知っていたかのように、アリスは名前を付けた。小さな同族はグラーティア、感謝という意味の名前であった。
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