ルコのおやつ-後編-

前後編の後半です。

※注(ルコは雌です)




**********




 カナルは冷たい声で部下たちを叱っていた。

 ルコはヒヤッとしたものを感じて、そちらを見ることができなかった。けれど部下の誰かが、返していた言葉に驚いて、また視線を戻した。

「サボってませんってば。それよりカナル隊長でしょう? 最近しょっちゅう厩舎に行ってるそうじゃないですか」

「なっ、そ、それは!」

「カルガリやグラシオ隊長が言ってましたよー」

 部下たちがニヤニヤ笑っているので、不穏な空気は感じない。けれど、ルコはなんだかドキドキした。

「気になってる子がいるんですよね?」

「ち、違う!」

「へぇぇー」

「お、お前ら、俺をからかってるだろ!」

「違いますよ! なんか、可哀想じゃないですか。その子のこと好きなんでしょ?」

 ルコのことだ。

 ルコはハリスと一緒にいることも忘れ、緊張して頭がどうにかなったように、フラフラした。

「……可愛いけどな」

「だったら、声を掛けてみたらいいのに。グラシオ隊長が、その子のお相手を探しているそうですよ。変なのに持ってかれたら、どうするんですか」

「俺みたいなのより、マシだろ」

「まーた、そういうことを」

「カナル隊長、サラ様に振り回されすぎて、ちょいと病んでませんか?」

 数人の部下がやいのやいのと騒いでいる。

 ルコはフラフラしてハリスにぶつかった。

 心配そうに見下ろしてくるハリスには気付いたけれど、ルコはジッとカナルの言葉を待った。

「――そうだよ。俺みたいな仕事人間に付き合わせたら、可哀想だろ」

「隊長」

「あいつ、すげー可愛いんだよ。きっと、パートナーになってくれって頼んだら、受けてくれるぐらいにさ」

「ああ……」

「グラシオから聞いたろ? あいつは、いつも一緒にいてくれる、良いやつと契約するべきだ。俺みたいな、サラ様に振り回されて仕事ばっかりの男があるじってのは、可哀想すぎるよ」

 カナルの言葉に、部下たちは黙ってしまった。

 ルコは息をするのを忘れたように、ジッとしていた。

「俺はおやつ係でいいんだ。美味しいおやつを、食べてもらう。それでいい」

「隊長ー」

 部下の声が悲しげで、ルコも悲しくなってきた。

 すると、もう一人の部下が言った。

「もしかして、魔法でこっそり見てます? 食べてるところ」

「……仕事、行くぞ」

「あ、見てるんだ!」

「うわ、それって!」

「うるさい! 早く仕事に戻れ。馬鹿野郎。サラ様が抜けた穴は大きいんだぞ!」

 そう言うと、彼等は去っていった。

 残されたのは隠れて見ていたルコとハリスだけ。

 ハリスが少し心配そうだったけれど、ルコは立ち竦んだままだった。



 それから、ルコの散歩コースが変わった。

 特務隊の隊舎が見える庭を選んで、そこで立ち止まり、こっそり眺めるのがルコの習慣となったのだ。

 おやつは、ちゃんと食べた。

 魔法で見ているらしいから、マナー通り綺麗に食べる。それまでもきちんとしているつもりだったけれど、頑張って覚えたことを見せたかった。

 散歩の途中でカナルの姿が見えたら、嬉しい。

 見えない時は落ち込んだ。

 そのうち、騎獣たちもルコのやっていることに気付いたようだけれど、誰も何も言わなかった。

 ルコのことを応援しているようだった。


 カナルの姿を見付けて喜んでいたルコは、やがて彼の働く部屋が分かった。一階だったから、その窓枠にお土産を置くようにした。

 綺麗な葉っぱ、木の実、キラキラした石。

 近くの森で見つけたものを、伸び上がって窓枠に置く。

 飛んでしまうと見つかってしまうから、こっそりと置いた。


 飛行は、ルコはあまり得意ではない。

 騎獣の勉強の中でも一番、難しかった。けれども、熱心に訓練するようになった。

 なんとか形になった頃、獣舎で一番飛行が得意なフェンリルにお願いし、特訓した。

 ルフスケルウスのルコがそこまで頑張る必要はない。

 最初、そう言っていたグラシオや騎獣たちは、ルコが諦めないことを知ると熱心に教えてくれるようになった。

 ルコの姿を見て、騎獣たちも訓練を真面目に受けるようになったらしい。グラシオには褒められた。

「ルコは前向きに頑張っているのにな。あいつときたら……」

「きゅ?」

「よしよし。大丈夫だぞ。ルコ、お前の気持ちは俺がよく分かっている。なんとかしてやるから。待ってな」

「きゅ」

 よしよしと、グラシオはルコを優しく撫でてくれた。



 ルコが一日に一度、カナルを見られるようになったのは、すぐだった。

 やがて、回数が増えた。

 そして、いつの間にか視線が合うようになった。


 その日もそうだった。

 ルコが窓枠にコガネムシを置いた時だ。窓にカナルがへばりついていて、驚いたようにルコを見下ろしていた。

 ルコも固まってしまって、その場で立ち止まった。

 数秒か、数分か。ルコには分からなかったけれど、カナルがそうっと動き出した。

 窓をゆっくり開けて、それからカナルはルコに言った。

「……お茶してく?」

「きゅ」

 窓から入っておいで、と手招きされて、ルコは飛んだ。ちゃんと、小さな窓にぶつかることなく綺麗に通り抜けられた。

 ルコは、繊細な飛行をもう身に着けていたのだ。


 お茶の間、会話はなかった。

 けれども、ルコは嬉しかった。カナルが手ずから入れてくれたのだ。それに、一緒におやつを食べた。カナルのおやつは、ルコがいつも食べているものだった。それがなんだか嬉しい。

 ルコの尻尾はぴこぴこと自然に揺れていた。

 カナルはそれを見て、微笑んだ。

 そして意を決したらしかった。


 お茶の後、カナルはルコを見て、何度も何度も口を開いては閉じていた。

 けれども、ルコが必死になって見つめていると、とうとう告げてくれたのだった。


「俺と、契約してくれないか? パートーナーに、なってほしいんだ」

「きゅ!」

「俺の仕事は忙しいし、お前を幸せにしてやれるかどうか分からない。騎獣として働かせてやれるかどうかも分からん。だけどな……」

 ルコは必死で首を横に振った。これは人間がやる仕草だ。いいえ。違う。そうじゃないと伝えるための――。

 カナルに、ルコは伝えたかった。

 でも何故か声が出ない。出ないのだ。

「だけど、俺は、お前が一番可愛い。大事に守ってやりたいんだ。もし、お前に、他に好きな人間がいないのなら。俺と、俺と契約してほしい」

「……ゅ、ぅ、きゅ、きゅ、きゅきゅ!!」

「いいのか?」

「きゅ!」

 だって、ルコも、カナルを守りたいのだ。

 毎日忙しそうなカナルを、運んであげたかった。目の下が黒くなって、倒れそうになっているカナルが、心配だった。

「きゅきゅきゅ!」

 一生懸命伝えた。

 お願い、届いてと、この時ほど思ったことはない。

 はたして。

「そうか、俺を守ってくれる、のか。すごいな、ルコは」

「きゅ!」

「……俺もルコを守るぞ。だから、だから」

「きゅ!」

 一緒!

 これから、ずっと一緒!


 ルコの願いは聞き届けられた。






 後日、カナルに、ルコのどこが気に入ったのか聞いてみた。

「騎獣たちと楽しそうに過ごしていたのに、自室へ戻ってからは寂しそうにしていただろ。なのに、鳴かないし、ワガママも言わない。それが可哀想でさ。どうにかして笑ってほしくて、おやつを置いたんだ。おれのお気に入りの芋」

 ――カナルは仕事疲れで、癒やされようと騎獣を見に来た。そこで、噂のルフスケルウスを見付けてしまった。

 小さな騎獣。

 死にかけていた、可哀想な騎獣。

 誰もが幸せになってほしいと思っていた、騎獣。


 ルコは皆に大事にされていた。カナルの話を聞いて、そのことに改めて気付いた。

 皆が待っていてくれた。ルコが心から幸せになることを。

「きゅきゅきゅ?」

「ルコで良かったのかって? ルコだから良かったんだよ。あの時、ルコがおやつに驚いて、それからゆっくり食べただろ? その後、ルコが幸せそうに笑ったんだ。俺、疲れていたんだけどさ、ルコの笑顔で吹き飛んだ」

「きゅ」

「それから、ルコに笑ってほしくて、おやつを置いてたんだ」

「きゅ!」

「俺も、嬉しい」

 カナルは、ルコと契約したことで仕事量が減ったらしい。なんでも、カナルの上司であるサラが怒られたそうだ。仕事を投げすぎだと。

 また人員も増えた。

 おかげで、ルコはカナルと一緒に散歩できている。

 契約はグラシオやキリクといった人たちも見守る中、行ってもらった。

 ルコは嬉しくて、ずーっとはしゃいでいた。

 皆が、良かったね良かったねと言ってくれて、幸せだった。



 カナルと散歩していて、ルコは思い出した。

 こんなに幸せな散歩は二度とないと思っていたことを。

 シウと一緒に行った公園の散歩。

 ルコと同じぐらいの歳の幼獣が、幸せそうにシウへ甘えていた。何の不安もなく、ただただあるじを信じて慕っていた。

 今のルコと同じ。

 あの時の幼獣、フェレスの気持ちに、ルコは今そうなっている。


 散歩の途中、カナルはルコと一緒におやつを分ける。その時の幸せそうな視線は、シウがフェレスに向けていたものと同じだった。


 なんて幸せなことなのだろう。

 ルコは、この幸せのために、生まれてきたのだ。

 このために、きっと。




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