自分だけの主に




 ルコにとって人間とは、ぞわぞわするものだった。



 生まれて初めて見たのは人間の女の子で。

 その顔、声がガッカリしていることに、まだ顔色や言葉というものを分かっていなかったルコでもそれはハッキリと理解できた。

 自分は望まれて生まれてきたわけではないのだと、本能的に悟った。

 最初に感じた、ぞわぞわでもあった。


 それでもルコは騎獣の習性として、人間に好かれたいと考えた。

 人間は騎獣のパートナーである。そうしたことは誰に習わずとも分かってる。本能がそう囁くのだ。

 だから、少しでも受け入れてもらえるよう彼等の言葉を必死に覚え、命令には従った。

 主従契約が成されることはなかったけれど、初めて見た女の子を親のように思い、彼女から笑いかけてもらえることをご褒美に頑張ったつもりだ。

 それでもルフスケルウスという種族であることから、彼女の思うような『騎獣』にはなれないことが、ふたりを離れさせた。

 可愛がってくれたのも最初の2ヶ月だけ。

 あとは、馬と同じ獣舎に放り込まれた。



 馬達は基本的におとなしく、優しい。

 本来なら子供で種族違いのルコに縄張りである居場所を譲り渡す必要はないのに、小さな仔ということや、種族的には彼等の上位に当たるためか、憐れんでくれたのだろう。受け入れてくれた。

 厩務員や下男の目がない時は舐めてくれたりもした。彼等がいれば、騎獣には関わらないようにと言われるからだ。普通の獣と希少獣は別物だからというのが彼等の言い分だった。

 だから、ルコはひとりぼっちだった。



 女の子に自分を見てほしいと思っていた。けれど、同時に怖くもあった。

 彼女のあの目を見ると、悲しい気持ちと共にぞわぞわしたものを感じるのだ。

 背中が震えてしまう。

 お屋敷にいる他の人間達もそう。

 ルコをないものとしていつもは無視し、時に溜息を吐いて見下ろしている。

 言葉なんて理解していない時からでも、ルコには分かった。

 嫌われているんだなってことに。

 馬達は優しいけれど、言葉を与えてくれるわけではないし、ただ温めてくれるだけ。

 もっと一緒に過ごせる何かを、ルコは求めていた。

 それが女の子なら良かったのにと思い、同時にあのぞわぞわしたものを恐れもした。


 いつしか、屋敷内の人達全部にもっと怖いぞわぞわしたものを感じるようになった。

 厩舎の偉い男の人だけがまだ少し大丈夫だったけれど、ルコを邪魔に思っていることは分かっていたのでおとなしくしていた。



 お散歩に連れて行ってくれる人も、みんな怖かった。

 叩く人や、怒鳴る人、愚痴をこぼしながら溜息を吐く人。そういうのが、ルコの背から尾の間をぞわぞわとさせた。尻尾が丸まってしまうのも仕方ない。

 いつも緊張して、こわごわとついていき、厩舎に戻ってはホッとした。

 馬はただ(かたくなってるー)(なめてあげるー)という単純な気持ちでルコを温めてくれたけれど、ルコのいいようのない不安を分かち合ってくれることはなかった。彼等にぞわぞわのことは分からなかったようだ。




 そんなある日、ぞわぞわしない人間と出会った。

 シウという名の人間の男の子で、小さい騎獣の仔フェーレースを連れていた。

 優しい眼差しと、ルコに合わせた歩み、行ってみたかった公園での楽しい時間にルコは舞い上がった。

 ドキドキしながら甘えてみたら、邪険に扱われることもなく優しく撫でてもらった。

 フェーレースの仔と一緒に昼寝をして、幸せな気分で過ごした。

 この人が主だったら良かったのに。

 帰っていく姿を見て、そう思ってしまった。






 それから、いろんなことがあった。

 

 最初はご飯の量がどんどん減っていった。

 厩舎内は荒れ、時々やってくる屋敷の人に叩かれたりした。

 売れば少しは金になると言って、無理やり厩舎から連れ出されそうになったこともある。


 そのうち、怖い顔の人達がやってきて、こいつらを売れば金になるだろうが! と怒鳴られたりもした。

 沢山の怖い顔の人達は、この家の人に騙されたり嫌な目に遭わされていたのだって。

 だから怒って、馬にもルコにも当たり散らしたのだ。


 やがて厩務員や下男が辞めていき、馬も1頭2頭とどこかへ連れて行かれた。


 ルコはまるでいないもののように、忘れ去られていた。

 ぽつんと厩舎内の隅で震えていた。


 お屋敷内からもどんどん人の気配が消えていき、大勢の『役人』と呼ばれる人達がやってきてからはもっと静かになった。

 たまに何人かが出入りするだけ。


 ルコは、替えられなくなって湿気てしまった藁の中に潜り込んで、空腹を紛らわせていた。

 鳴いたら良かったのかもしれない。

 けれど、鳴くと煩いと言って怒られたから、小さい頃以来大きな声は出せなかった。

 なによりも怖かった。


 鳴いたら人間が来る。


 人間は、ぞわぞわしているから、怖い。

 ぞわぞわしない人間を、シウの他には少ししか知らなかったから。

 だからもう、諦めていた。

 出会えることを。

 自分だけの、主を。






 どれぐらいひとりでいたのだろう。

 急に日差しを感じ、戸が開いて厩舎の中に人間が入ってきた。

「いた!」

 大きな男の人の声に、ルコはビクッと震えた。また怒られるのかな。そう思うととても悲しかった。

「書類通りに下げ渡されていなかったから嫌な予感がしてたんだ、ああ、震えないでいい。お前を怒ったんじゃないからな。ほら、俺の手の匂いを嗅いでみろ」

 首を傾げると、男の人は目の前に手のひらを持ってきた。叩かれるかも、と慌てて伏せたら、男の人の気配が震えていた。

 この人も怖いのかな?

 そっと見上げると、男の人は変な顔でルコを見ていた。

「……可哀想に。そうか。……そうか。もう大丈夫だからな。何も怖いことなんてないぞ。大丈夫。あ、そうだ、ルコ。お前はルコだろ?」

 頷くと、男の人は変な顔を無理やり笑顔にして、ルコに少しだけ近付いた。

「お前のことを心配してな。シウって人間の男の子、覚えてるか?」

 うん、と頷くと、男の人はまた笑った。

「ルコがどうなったか知りたいって、俺の上司に相談して、それでお前のことを探していたんだ。良かった、ここにいたのか。探しに来るのが遅れて悪かった」

 頭を下げて、謝った。

 人間が、ルコに、頭を下げた。

 びっくりしていたら、男の人はまたそっと近付いた。

「大丈夫。俺は、騎獣を扱う人間だ。ほら、お仲間の匂いがするだろう? 調教は厳しいかもしれないが、決してひどいことはしないと約束する。こんな、こんな、ガリガリになんてさせやしない。人間を恐れるような目にだって、絶対に遭わせない。分かるか? 俺の言葉ちゃんと伝わっているか?」

 その顔が、とても可哀想に思えて、ルコは慰めたくなった。

 怖かったけれど、顔をそちらに向けて、そっと手を舐めてみた。

 男の人は目から沢山の水を落とした。

「お前は優しいなあ。俺を慰めてくれてるのか。そうか。そうか。お前は本当に偉いなあ」

 偉いの?

「そうだとも。お前はひとりでここまで頑張った。これから、俺やみんなと一緒に楽しく過ごそうな。いっぱいご飯を食べて、遊んで、寝て、俺達人間に愛されて過ごすんだ」

 愛されて?

「そうだ。あのな、うちにいるフェンリルの雄は、愛されるってことは体が震えるような感覚だと言っていたぞ。レオパルドスの雌は尻尾がビビビッとくるらしい。とても気持ちよくて幸せな心地なんだと」

 気持ちよくて幸せ……。

「俺と一緒にみんなのところへ行こう。そこでは、騎獣達はそれぞれが仕事をして楽しんでいるぞ」

 仕事。

 楽しい?

 ルコの知らないものばかりだ。

 仕事はしんどいことで嫌なものだと聞かされていた。楽しいことなんてないと下男は言っていた。

「びっくりしているな? 大丈夫、俺は嘘は言わない。それにほら、俺達、もう通じているだろう?」

 通じてる……。あ!

「誰とも、気持ちが通じなかったろう? 馬は可愛いがちょっと単純だからな。ここの厩務員には大した調教持ちもいなかったようだし」

 そう言うと、男の人は顔を顰めて厩舎内を見回し、それから最後にルコを見て微笑んだ。

「だから、お嬢様を掻っ攫って行っても、いいよな?」

 ぞわぞわしない人間に、また会えたことが嬉しかった。

 ルコは小さく「きゅ」と鳴いて返事をした。






 ルコは痩せ細って、もう少しで『死ぬ』ところだったらしい。

 それから手厚い看護を受けて、生き延びた。

 助けてくれた男の人はグラシオという騎獣隊の偉い人。

 調教魔法のレベルが高くて、騎獣との会話もできる人間だった。

 忙しいのに、ルコのことを気にかけて何度も顔を見せに来てくれた。

 ルコが起き上がれるようになると彼の職場にも抱っこで連れて行ってくれた。

「ほら、ここが騎獣専門の獣舎だ。ティグリスとフェンリルがいるだろう? 今は訓練でドラコエクウス達が出ているが、大勢で住んでいるんだ」

「きゅ」

「ブーバルスも領地にはいるんだが、ここにはいないんだよな。おーい、みんな、新しい仲間だぞ」

 大きな声で叫んだけれど、ルコはもう怖いとは思わなかった。これは怒鳴り声とは違う。そうしたことにももうルコは気付いていた。

(うわー、ちいさくてかわいいこ!)

(ふるえてる! こわいんだ!)

(ばーか、お前の顔が怖いんだよ。おら、離れろ)

(ひどい!)

(フェンリルの俺が一番人気あるんだ。任せとけ)

「おいおい、みんながっつきすぎ。ルコが怯えるだろ」

(るっせー。グラシオ、そこどけ。ほら、ちび、こっちこい。おっちゃんが尻尾で温めてやるからな)

(言い方がオヤジ臭いんだよ)

(キリクがそう言えばモテるって言ってたんだよ)

(キリクの言うことは聞くなって、この間マオルが言ってたぞ)

(マオルって竜の調教師のやつか。あいつの言うことなら、しようがねえな)

「君らねえ、仮にもキリク様は一番偉い人なんだからさあ。いくら言葉が通じないって言っても、その言い草はないよ」

(いーんだよ!)

(それよりチビ下ろせ! めんこい!)

(かわいい!)

 わふわふ言いながら近付いてきたたくさんの騎獣に、ルコはただただ圧倒されるだけだった。

 が、その後、下ろしてもらってこわごわ彼等に近付いたら。


 もみくちゃにされて、あっちこっちから舐められて転がされて。尻尾で遊んでくれて、お腹に乗せてくれて。


 お昼寝の時はふかふかの尻尾で包んでくれた。


 あったかくて、シウに撫でてもらった時のことを思い出した。




 遠くどこかで声がする。

(かわいそうになあ。主がいても主なしってやつかあ)

(俺達はまだ騎士を選べたからな)

(卵石の時からの主従契約に夢があったけど、こういうことがあるなら、成獣になって自分で選ぶってのもいいかと思うよな)

(お前の相手、足臭いけどな!)

(あれな。ほんと、やめてくれって思う)

(あたしは噛んでやったわよ)

(お、おまっ)

(怒られただろー?)

(ちゃんと足が臭いからだって、グラシオに訴えたもの)

(……治ったのか?)

(グラシオが、騎士なんだから身綺麗にしてろって怒ってくれたわよ)

(マジか!)

 じゃあ俺も噛もう噛もうという騒ぎ声。それから煩いぞ静かにしろと怒る声。

 少しして、誰かの気配と小さな声が聞こえてきた。

(見て、この子笑ってる)

(お、本当だ)

(良かった。ここに慣れてきたのかな)

(おっちゃんがやさしいからな!)

(あんたは煩いのよ)

(まあまあ。みんな静かに。ルコの目が覚めてしまう)

(そうだそうだ。こいつはもっといっぱい寝ないといかん)

(大切にしなきゃね)

(そうだな。こいつはまだまだ甘やかされて大事にされなきゃいけない。俺達が幼獣の頃に沢山注いでもらった愛情を、こいつはこれから受けるんだ)

 愛情を?


 ルコはもう成獣なのに。

 そう思ったけれど、同時にとても嬉しいと思ってしまった。

 また誰かが、笑ってる、と言っていた。

 うん、自分でももう分かる。

 ルコは幸せなのだ。

 人間を見ても、もうぞわぞわした気持ちにならない。

 沢山の人間がここに出入りしているけれど、ただの一度も嫌だと思ったことはなかった。

 ここは、幸せなところ。幸せの場所なんだ。



 ルコも、誰かを幸せにしたいな。

 人間と主従契約ができたらいいけど、できなくても何かしたい。

 騎獣のみんなのためでもいいし、グラシオや、ここにいる人のためでも。

 今はまだ何が出来るのか分からないけれど、きっといつか出来ると思う。


 そういうことを、ルコはここに来て自然と理解した。

 そして騎獣の本能というものも理解した。


 主従となる相手を見付けて働きたい。その人のために何かしたい。それが、騎獣の本能なのだ。


 いつか、ルコにだってそれが叶うはず。

 だからそれまでは。




「笑顔で寝られるようになって、本当に良かったです」

「シウには黙ってようぜ。ルコがもっと幸せになった時に、これがあの時のって見せてやるんだ」

「キリク様……」

「いいだろ、別に。あいつには毎回驚かされてるんだから」

「はいはい。まったく子供みたいに」

「何か言ったか?」

「いいえー。では、ルコには相性の良さそうな相手とそれとなく見合わせてみましょう。お仕事もしたいようですし、メイドよりは下男、あるいは騎獣隊の候補生や後方部隊員でもいいかもしれませんね」

「そこは任せる。ただ、泣かせるなよ?」

「もちろん」




 ルコに主従の相手――パートナー――ができるのはもう少し後のことである。







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