第5話 ファーストキス

 相変わらず、タータの料理は美味しかった。レシピも豊富らしく、今日もまた違うメニューが出てきた。まさに一家に一台という感じだ。

 街門は夕刻で閉じられる。閉門後は一切街に入る事が出来ないし出る事も出来ない。上空から入ろうとしても迎撃されるのがオチだ。

 つまり、タータは今日も朝帰り確定というわけである。上機嫌な彼ではあるが、いいのだろうか?

「なんで毎晩来るの? 嫌なわけじゃなくて単純な好奇心なんだけど……」

 サロンで葡萄酒などを飲みながらタータに聞いた。彼はオレンジジュースをセレクトしている。

「えっ、少しでも長い時間一緒にいたいからです。ご迷惑ならやめますが……」

 タータは当然と言わんばかりにそう言った。

「いや、迷惑じゃないし、むしろありがたいけど、こんな街の外で大丈夫? 親御さんも心配でしょうに……」

「大丈夫です。むしろ、僕の方が心配です。先生1人でこんな危険な街の外なんて……いてっ!?」

 隣に座るタータの頭を小突いた。

「あなたに心配されるほど、ここは無防備じゃないわよ。夜は敷地全体を結界で覆ってあるから、魔物も人間も入ってこられない。万が一侵入されても、今度はアラームが鳴る。よほどの事がない限り問題はないわよ」

 小さく笑ってやると、タータは笑みを浮かべた。

「なるほど、安心しました。そろそろ夜半ですし、休みますか?」

 タータがちらりと時計に目をやった。もうそんな時間か……。

「じゃあ、休みましょうか。特別サービスで、今日は子守歌でも歌ってあげようか?」

 彼にほんのちょっとだけ近づいてみた。

「えっ、本当ですか!! ありがとうございます。では、僕からもちょっとした贈り物を……しゃがんでもらっていいですか?」

 ……ん? なんだ??

 しゃがむ事で、私は彼の目線と並んだ。すると、彼は迷うことなく自分の唇を私の唇に……。うん、ミント味だな。歯磨きしたな。よし。……じゃねぇ!!

「フレッシュミントぉぉぉぉぉ!!!!」

 次の瞬間、勢いよく立ち上がり、なぜか右手を高々と天井に向けて突き上げていた。

「せ、先生?」

 あっけに取られた様子で、タータはこちらを見上げていた。

「あっ、ゴメン。ミントの味が美味しくて」

 な、なに言ってるんだ自分!!

「ああ、今日のデザートですね。ミントのソルベ。よかったです」

 ニコニコとタータが言う。違うわ!! どこの馬鹿がファーストキスの後にデザートの話しをする!!

「ええ、まあ、うん。そういう事にしておくわ。さて、寝ましょ」

 心拍数がとんでもない領域に達している事を隠しながら、私はタータの手を引いて客室に連れて言った。片手には葡萄酒のボトル。とても飲まずには歌えない。

「ちょっと待ってね……」

 私はマグナムボトルに半分ほど残っていた葡萄酒を、一気にラッパ飲みした。よーし、静まれ心臓。落ち着け、落ち着け、落ち着け……。よーし、アルコール回ってきたぞ。エンジン掛かったぞ!!

「じゃあ、タータ。お休みなさい」

 ソファに横になったタータの様子を見ながら、私はちょっとマニアックな子守歌をチョイスした。作曲されたのは、海を挟んで反対側のプロサロメテ王国。そこの伝統的な歌である。

「トゥア ディ スタン ディアティア~ ララファ ミレディ ディア~♪」

 発音が共通語になってしまうが、言葉自体はプロサロメテ語だ。10分も歌わないうちに、タータから寝息が聞こえてきた。

「さて、こんなもんか。寝付きがよくて助かるわ」

 ちなみに、原曲は全て歌いきると小一時間はかかる。そんなに喉がもたない。

 寝室に移動し、そっとベッドに潜り込む。……寝られん。ファーストキスの衝撃が強すぎる!! これが書物に書いてあったことか。ファースト・インパクトか。ううう、なんか違う気もするが……。

「『睡眠』」

 自分自身に睡眠の魔法を掛けてみた。うぉ、加減間違えた。これ……じゃ……ドラゴンでも……寝る……。


「タータ……ごめん。今日授業休み……」

 翌朝、ベッドでぶっ倒れていた。アルコールではない。「魔法酔い」だ。強力な麻痺系や睡眠系の魔法を食らった時によくなるのだが、それをやったのが自分なのが痛い。

「それは構わないですが、先生どうしたんか?」

 ……言えない。

「うん、ちょっと大きな蚊に刺されちゃって、貧血起こしただけよ」

 ……お前のせいだぞ!!

「大きな蚊ですか? そんなの見たことないです!!」

 目をワクワクさせるな。馬鹿者。

「こ、こういう時は、無理にでも散歩……」

 ベッドの上で上半身を起こそうとした時、また目眩でぶっ倒れる。その繰り返しだ。

「じっと寝ていてください。今お粥が出来ますから!!」

 うー……情けない。しばらく待っていると、タータがお粥セットを乗せたワゴンを押してきた。ウチにこんなのあったっけ?

「はい、熱いので気をつけて下さい……」

 部屋の中にあった椅子をベッドに傍らに移し、タータはせっせと面倒を見てくれる。その目は真剣そのもの。本気で心配してくれているらしい。ありがたい事です。

「ご飯大丈夫でしたか?」

「うん……ありがとう」

 なんか染みるね。こういうときに誰かいると……。

「僕はこれから街に戻ってお父さんに話してきます。腕のいい魔法医を知っているので、連れて戻ってきますね」

 ガラガラとワゴンを下げ、タータは部屋から出て行った。なんて言うんだこれ。自爆じゃなくて自滅? ダメだ。思考すら定まらん。どんだけ魔力を突っ込んだんだ……。


 体感的には1時間くらい経った時だった。ドヤドヤと人の声が聞こえ、まずタータのお父さんであるテリアさんが顔を出した。

「先生、酷い顔色ですぞ。さっそく魔法医の先生に診て貰いましょう」

 そこからが凄かった。一目で魔法医と分かる初老の白衣姿のあとに、看護師さんたちが10人ほど入って来る。これから手術でもするのか? という勢いだ。

 魔法医の先生が何も言わずとも、看護師さんたちはテキパキと動き始める。点滴が開始され、なんかこう医療機器っぽいものが色々装着されていく。……単なる魔力酔いなのに。寝てれば治るのに……。

「さて、大きな蚊に刺されたと聞いたが……なるほど、これは大きいな」

 魔法医の先生は片目を閉じて見せた。側にはタータもいる。上手く話しを合わせてくれたらしい。

「よし、少し点滴で様子を見てみよう。同時に殺虫剤で蚊を殺しておかねばな」

 見事な演技である。感謝だ。

「それ、僕やります!!」

 スプレー式の殺虫剤が大量にセットされたベルトをたすき掛けにして、タータは部屋から出ていった。あんなもんどこで売ってるのやら……。

「さてお嬢さん。これ以上の魔力注入は危険だ。少し時間が掛かるが我慢して欲しい。どこでこんな強力な魔法を……」

 ……

「……昨日寝られなくて、ついうっかり」

 理由は言わんぞ。

「なるほど、サソリが自分を刺して死ぬのと同じだな。もう少しで、本当に死んでいたぞ」

「ごめんなさい」

 これしか言えないわな……。

「安心しなさい。治るまでここにいる。優秀な看護師もおる。テリア殿、忙しいと思うのでもう戻って大丈夫だ。万事ワシが面倒をみる」

「では、お任せします。アリス先生、お大事にして下さい」

 軽く一礼すると、テリアさんは部屋から出て行った。しかし、この医療スタッフたち。並の魔法医ではない。全く、一体何者なんだろう。ただのパン屋ではない。

「それにしても……あんなに殺虫剤撒いて大丈夫ですか。今度はタータが……」

「なに、あれは消毒用アルコールじゃ。家中殺菌できてよかろう」

 魔法医の先生はそう言って笑った。

「そ、そうですか……」

 こうして、私の午前中は終わったのだった。

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