《第67話》後輩を労う日 ⑵

 時刻は19時に差し掛かったところだろうか。

 騒がしい声が近づいてくる。

 まだ外が明るく滲んでいるため、6人の楽しそうな表情がうかがえる。


「あれが九重くんの彼女さんかぁ。黒髪ボブの美人さんですね」


「九重があんなだからな。彼女もよく喋るかもな」


 エプロンで手を拭きながらガラスのドア越しに莉子は眺め、連藤は油がはねたのか眼鏡を拭き、それをかけなおしたとき、ドアベルがガラリと鳴った。


「いらっしゃい」


「ようこそ」


 2人で出迎えてみるが、巧と瑞樹が吹き出した。


「連藤、マジ似合いすぎ」


「代理、マスターみたいだぁ」


 いいながらも肩を激しく震わせている。一応連藤に気を遣って大笑いをしないようにしているのだが、息遣いでばれているだろう。


「そんなにヘンか?」


 連藤はエプロンを手でなぞってみるが、


「違う違う、似合いすぎて、別人みたいでウケるの」


 巧が連藤の肩を叩いた。

 その横から出てきたのは九重である。


「今日はありがとうございます、莉子さん。

 こちら僕の彼女の新沼です」


「新沼真穂です。よろしくお願いします」


「こちらこそ。真穂さんですね。よろしく。

 あ、こちらが九重くんの上司の連藤さん」


 莉子は連藤の手を取り、真穂の前に引っ張りだした。


「よろしく、真穂さん」


 連藤が手を伸ばすと、色白の小さな手が連藤の手を握った。そして小さく会釈をする。

 九重とは真逆のタイプのようだ。物静かで落ち着きがある。少し大人びて見えるが前情報だと全員同い年と聞いているので、これが彼女の雰囲気なのだろう。


「さ、席はこちらです」


 と手をさすが、


「莉子さん、どうやって座ったらいいかな?」奈々美が聞いてくるので、


「合コンみたいに、男女で分かれて座るのはどうでしょう?

 真穂さん、真ん中にして奈々美さんと優さんで挟んで座ったら?」


 言うとそれに従い6人は席に着いていく。


「なんか新鮮な気がする」優は席に着くなりそう言った。

 いつものメンバーでも座る位置が変わると雰囲気も変わるものだ。


「では、乾杯のシャンパンを」


 連藤が持ってきたボトルを受け取り、莉子が注いでいく。

 細かな泡がグラスから立ち上り、ゴールドの皿の色も透けてか、濃い黄金色に輝いて見える。

 艶やかでマスカットの香りを感じながら、連藤と莉子も乾杯にグラスを持った。


「では、スタートは上司の私から。

 今日は存分に楽しんでいってほしい。

 では乾杯」


 8人でグラスを鳴らすと、莉子は一気に飲み干し、前菜の準備にとりかかる。

 最初は生ハムのサラダだ。

 連藤がバランスよく野菜と生ハムを盛り付け、そこにドレッシングをふりかけ、運んでいく。

 ルッコラ、チコリー、スティックブロッコリー、イエロートマト、レッドトマト、ヤングコーン、レア気味のホタテの貝柱、そこに生ハムが添えられ、彩りもきれいな一品だ。ドレッシングはレモンがきいているので、シャンパンの酸味にもよく合う。さらに野菜の甘み、ホタテの甘みが見事にマッチしてくれる。

 白ワインに切り替わり、白ワインはフランスのロワールのソーヴィニヨン・ブランである。冷涼な地域であるため酸味も強く、青臭い香りがサラダによく似合うのだ。

 楽しんでいただいている間に、パスタを茹で始める。

 今回はフィットチーネである。

 茹でている間にソースを温め、エビを入れてさらに温めておく。

 味を見て、調整をしていく。すこし固めのソースがいい。なぜなら茹でたてのパスタを入れるからだ。

 座席の方からは楽しそうな会話が聞こえて来る。

 お互いの仕事の話をしているようだ。

 どうも真穂は社会人としてみんなより先輩であるようだ。大手銀行に高校卒業と同時に就職したという。あの落ち着きはそこから来ているのかもしれない。

 パスタが茹で上がり、手早くソースと絡めると、連藤が準備してくれた皿へと盛り付けていく。

「はい、続きましては、アメリケーヌソースのパスタになります。

 こちらはフランスのコート・ド・ボーヌのシャルドネがよく合うと思います。

 ソーヴィニヨン・ブランと比べて酸味は控えめ、コクがあってクリーミーな印象のワインです」

 モンブランのように高く積み上げられたパスタの上にエビが鎮座している。

 一口頬張れば口いっぱいにエビの風味とクリーミーな甘みが広がる。そこにシャルドネを流し込むと、すっきりとさせながらも甘みが余韻となって広がるはずだ。

 バゲットを持っていった連藤が莉子を呼んでいる。

 次のメインの皿と付け合わせを用意し、莉子は手を拭きながらテーブルへと向かうと、目を輝かせた男性3人がいる。

 開口一番、「これ、定番メニューにしてよ!」瑞樹である。


「無理」


「なんで」ドスの効いた巧の声が聞こえるが、


「無理」


「こんなに美味しいのに?」九重は可愛らしく首を傾げて見せるが、


「無理。

 っていうか、聞かなかった?

 このソース、連藤さんが作ったんだよ?」


 すっごーい! 歓声をあげたのは女性陣である。

 羨望の眼差しが連藤へと注がれるが、向かい合わせに座っている彼氏には冷ややかである。


「どうやって作ったんですか?」


 そう声をあげたのは真穂である。


「ああ、これは有頭エビの頭と殻を使うんだ。炒めて煮て、こしてソースにする。

 意外と簡単なメニューだ。

 もし必要なら九重にレシピを渡しておこう」


「ありがとうございます」


 真穂がふわりと笑う。その笑顔を九重は見つめ、口元を緩ませた。本当に九重は彼女のことが好きなのだ。

 こんな些細な仕草でも幸せに感じられるのは素敵な時間である。

 莉子はひとり微笑むが、絶望の顔を浮かべている人がいる。


 優である。


 彼女の料理のセンスは、皆無に近い。


「……優さん、もし作りたいなら、うちで料理教室やろうか?」


 莉子が言うと、振り向いた優の顔は輝きに溢れている。

 だがそれは奈々美も同じだった。こんなの作れない、そう顔に書いている。


「わ、わかった。これ、私も連藤さんから習っておくから、一緒に作ろうね。

 でも真穂さんは料理得意そうだね」


「そりゃもう、めっちゃ美味しいですよ!」


 満面に美味しいですと書いて喋る九重が真穂は恥ずかしいようだ。少しうつむき加減に顔を赤らめている。


「そしたら私も真穂さんに教えてもらおう。よろしくね」


「いえ、そんな。私はこんなおしゃれな料理作れないし」


「ああ、おしゃれに見えてるのはカフェの視覚効果のせい」


 莉子が返したとき、厨房からブザーが響いた。メインの肉料理が焼きあがった合図である。


「さ、メインが出来上がりましたので、持って参ります。

 赤ワインの説明を連藤さんがしてくれるので、お願いします」


 莉子は連藤の肩を叩き、厨房へと潜っていく。

 連藤はひとつ眉をあげると、少し気取った口調で話し始めた。


「今日の赤ワインは、シャトーヌフ・デュ・パプになる。

 13の葡萄品種を使い、造るワインだ。香り、味ともに深みが特徴のワインで、ベリーの香りと腐葉土のような土の香りもほのかにするが、果実味が豊かでしっかりした味わいがある。

 今日のメインは牛もも肉のオーブン焼きだ。本来であれば羊を使うがここでは手に入らないからな。

 香草の香りが染み込んだ香り高い料理になる。ワインとの相性は間違いないだろう」


 そう話し終えたところで皿が運ばれてきた。

 ほろりとほぐれた肉にポテトマッシュとインゲンソテーが添えられ、肉から溢れたソースもかけられている。横には一緒に焼かれた皮付きのニンニクが添えられ、潰してソースに絡めて食べて欲しいと莉子が付け足した。

 フォークだけで食べられるんじゃないかというほど、ほぐれていく肉は柔らかく、味が濃厚に感じる。

 そこにワインを口に含むと肉の香りが一段と引き立つのがわかる。

 ジャガイモの甘みも風味もワインの雰囲気に似合って、ワインがすすんでしまう。

 そこに大きなボウルに入れられたエンダイブとクルミのサラダが取り分けられた。

 口休めに食べながらどうぞ、という意味だ。

 みなそれぞれ頬を赤くしながらも、明るい声がころころと転がっていく。

 だが肉を平らげる頃にはお腹をさする姿が見られ、莉子はすかさず、


「デザートと食後のコーヒーもあるからね」


 指を立てつつ言うと、


「本当にフルコースなんですねぇ」


 九重は驚きながらも嬉しそうに顔をほころばせた。


「九重くん、あんまし期待してなかったんでしょ?」


「その通りです」


 テーブルの下で真穂が九重を蹴ったようだ。怒った顔の真穂と泣きそうな九重がいる。


「でもそれはおれらも同じだもんな」


 巧が瑞樹に向けて言った。


「そう、カフェだろうぐらいしか思ってなかったもんね」


「だがここのビーフシチューが絶品すぎてな」連藤がすかさず声を挟んだ。


「そそ。九重、マジここのビーフシチューやばいから」


 巧は九重の肩を掴み、悩ましい表情を作る。


「ランチも来たらいいよ、九重と真穂ちゃん」


 瑞樹が体をテーブルへ乗せそうになり、優がすかさずいさめた。


「ここ、公園の端にあるから、街の中には感じづらいんだ。

 気分転換に本当にいい場所だよ」


 奈々美が真穂に向けていうと真穂も納得したのか小さく頷き、


「たしかに静かでいい場所ですね。

 それに料理教室やるんですもんね?

 参加しないと」


「そうそう、莉子さん、料理教室!」


 今度は優が乗り出しそうな勢いだ。


「はいはい、みんなの都合が合う日にやろうか」


 莉子はシャトーヌフを傾けながらみんなに笑いかけるが、


「莉子さん、飲んでいるのか……?」


 連藤に気づかれ、顔を真顔に戻すと、


「デザートの準備してきます」


「莉子さん、俺も飲みたいんだが。莉子さん、…莉子さん?」


 二人で厨房へと入っていく姿を6人は眺め、なぜか笑顔がこぼれてくる。

 きっと、連藤と莉子が幸せそうだからだ。


「代理、こんな優しい顔もあるんですねぇ」


 九重はいいながらグラスを手に取った。


「冷徹な顔も今の顔も、どっちも代理だから気をつけてね」


 瑞樹は肉を頬張り、幸せのため息を落とす。


「でも連藤も変わったよなぁ」しみじみ巧が言うと、


「莉子さんも日に日に可愛くなってるし」優が続き、


「なんか大人なカップルだよね」奈々美が納得したようにワインを飲み込んだ。


「素敵なカフェってことですね」真穂がワインを傾けたとき、


「デザートはケーキを2品チョイスできるよ!

 どれが食べたいか選んで」


 大きなトレイを持った連藤と、どうだと言わんばかりのケーキを指差す莉子が現れた。


 今日の夜はもう少し続きそうだ───

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