《第50話》ものは試しに


「莉子さんって和食、作れないの?」


 久しぶりに巧と瑞樹がランチを食べに来ていたのだが、開口一番、このフレーズである。


 何気ない瑞樹の一言だが、和食が作れないと思っているからこそ、出てきた言葉であるのは間違いない。

 だが屈託のない笑顔を向けて放たれた言葉は、時として弾丸のように莉子の胸を突き抜けていくようだ。

 飯屋のプライドとして、日本人なら和食が作れなければならない。

 そう思っている莉子への挑戦状とも言える言葉である。


「今日の夜、ここへ来てください。

 美味しい和食を食べさせますよ……」



 二人の仕事状況など分からず告げた『来い宣言』だが、彼らはちゃんと19時に来店してきた。


「ただいま、莉子さん!

 最近和食が食べたくて、めっちゃ嬉しかったんだよねっ」


 子犬のようにはしゃぐ瑞樹に、巧は視線で莉子に謝罪した。

 とんでもない、というように軽く会釈をすると、


「さぁ、やっぱり和食は日本酒。

 ということで、今日は日本酒を用意しました。

 私が最近ハマったいいお酒なので、冷でどうぞ」


 枝豆と一緒に出された日本酒はガラスの徳利に入り、お猪口もガラスで涼しげだ。

 ワインは男性が注ぐものというが、日本酒はやはり女性が注ぐのが品があるように見える。

 莉子は二人のお猪口に、そろりとお酒を注いだ。

 日本酒は二人にとって初めてのお酒だ。どこかで口にする機会は今までにあったが、敬遠していたところがある。

 イメージとして、アルコールが強く、酒臭く、美味しいものではない、というもの。

 だが莉子がハマったという日本酒は、香りがまず甘酸っぱく、日本酒独特の酒臭さが感じられない。ワインのように豊潤な香りとまではいかないが、涼しげな綺麗な香りがしてくる。

 曇ったお猪口を覗き込むと、色味は透明で濁りもなく、まるで水のようだ。

 二人は恐る恐る、日本酒を舐めてみる。

 二人は意識せずに顔を見合わせ、にやりと微笑んだ。

 舌に辛味もなく、甘みが口に広がりすぐに消えていき、鼻から抜ける匂いは花の蜜のような、柔らかい香りがする。

 今までの日本酒と印象が全く違ったのだ。

 二人はさらに口をつけて飲み込んだ。

 喉越しの爽やかなキレのあるお酒であるのがわかる。

 だが舌触りは滑らかで、甘みが舌に広がり、さらにそれが旨味に変わっていく。

 ワインは香りの変化を頼むことが多いが、日本酒は味の変化が楽しめるようだ。


 巧はお猪口をかがげながら、


「これ、すごく飲みやすい」呟くと、


「うん、コクのあるワインっていうか。すごくいいね!」


 瑞樹は気に入ったのか、一気飲み干し、手酌でお猪口に酒を足した。


 やはり米で作られた酒だからこその味わいだ。

 余韻が短く、これだからこそ日本食に合いやすい。

 日本人の食事は口の中で味を整える傾向がある。それを邪魔しないのが尚いい。

 莉子はにこやかに徳利を持ち上げ、


「日本酒は純米とか吟醸とかで味が変わるそうです。

 ちなみにこれは大吟醸になります。

 大吟醸は香りが華やかで味わいが深いものが多いそうですよ」


 酒屋さんの受け売りですけど。いいながらお猪口に酒を流し込むと、付け足した言葉につられてか、二人はまじまじとそれを見つめ、香りを嗅いでいる。

 次の料理はカツオのタタキである。今日はいいのが入ったよとのことで魚屋さんから頂いたのだ。ちゃんといぶし済みなのもありがたい。そこにミョウガに生姜、さらにシソと、薬味を山盛りにして二人に出すが、それがぴったり日本酒に合ってしまったようだ。新しいものを発見したそんな表情である。

 やはり刺身と米は合うのだから間違いないのだろう。


「日本人で生まれて良かったぁ……」


 瑞樹がしみじみ言うと、巧もそれに続いて、


「ワインにない喉越しと風味がマジでいいよな」


 思わず食事が進みそうなタイミングで、鶏の手羽元の煮物を差し出した。


「これは夏にぴったりな酢醤油煮になります。煮卵もいっしょにどうぞ」


 この作り方は簡単だ。

 鶏手羽元に焼き色をつけたあと圧力鍋に入れ、酢・醤油・酒・砂糖を美味しい割合で入れればいいだけ。割合的には1:1:1:1でタレを作り、体調によって味の好みが変わるのでそれに合わせて酢を多くするか、醤油を多くするか、砂糖を多くするか決める。

 今日は甘酸っぱいのが良かったので酢と砂糖が多めに入れられた。

 莉子は調理をしながら、日本食の場合、あまり調味料を計らないで入れることが多いことに気づいた。目見当というやつだ。今までの経験値がここで発揮されるのである。今まで食べてきた食事が味付けにも影響するのだと、妙に納得してしまう。

 さらに莉子は、ニンニクのスライス、生姜のスライスも加えて火にかけた。

 ニンニクの風味が食欲をそそり、生姜が鶏肉の臭さを消してくれるので、莉子の中では大事なポイントだ。

 圧力鍋の気圧が下がれば、あとは一度冷ましておき、食べる直前に温めなおすこと。冷やすことで味が染み込むのでこれもポイントになる。


 ポイントを押さえた酢醤油煮は、しっかり味が染み込み、二人は骨までしゃぶる勢いで食いついていた。


「莉子さん、マジうまい」


 巧の端的な言葉は、本当にありがたい言葉だ。言葉数が少ない彼は美味しいものしか美味しいとは言わないのである。なので料理でもワインでも、気に入らなければ別なのが欲しいとすぐに言ってくる。これは社長の息子特有のもの、なのかもしれない。


「莉子さん、ご飯も欲しい」


 鼻を鳴らす子犬のように言った瑞樹に、待ってましたとばかりに混ぜご飯が登場した。

 ひじきの混ぜご飯である。生姜がきいたひじきごはんは、ひじきの煮物の余りでできる。

 今日のランチでちょうどあまったので少し味を足して煮詰め、生姜チューブといっしょに混ぜればできあがりだ。彩りに絹さやの千切りを散らせば素敵な一品である。

 それと揚げと大根の味噌汁、たくあんもつけ、お盆に乗せて二人に差し出すと、さらに瞳が煌めいた。

 とたんに茶碗が握られ、ご飯が口に運ばれていく。

 瞬く間になくなり、追加のご飯を差し出すが、彼らの胃袋は無限のように見えてくる。

 いくらでも美味しそうに食べていく。


「やっぱり日本食って大事なんだね……」


 莉子も混ぜご飯をおにぎりにして頬張り、味噌汁をすすった。


 今日の出来もいい!


 二人を眺めていると、幸せな気分になるものだ。

 まるで弟ができたかのような、そんな気持ちになってくる。

 大きな口でたくさんのおかずを頬張り、味噌汁を飲み込む姿は、男らしく、少年らしく、若い二人だからこその風景に見える。

 それに日本酒となると少し景色が合わないかもしれないが、二人は満足そうに酒も飲み干し、楽しんでくれている。それを見るだけで自分も楽しめるのだから、これだから飲食業は辞められない。


 莉子は一人満足そうに頷いた。


 ───現在3本目。調子がいいようだ。


 一升瓶の中身を気にしながら、二人を眺めた時、莉子は減らない水に気づき、


「日本酒は水も飲まないと明日大変なことになるからね」


 水の入ったコップをさらに前へ突き出した。


「どういうこと?」赤ら顔の瑞樹が尋ねるが、


「二日酔いになるってこと。

 だから日本酒飲むときは、お酒の2倍は飲む気持ちでいないと、明日辛いよ?」


 そう言われると飲まずにはいられない。


 確かに最初から水がたっぷりとコップに入れられ添えられていた。

 ただの水と思っていたがそんな意味が込められていたとは……

 二人は感心しながら、水を飲み干し、酒を飲み、ご飯を頬張る。

 二人は会話をしないまま、全てを平らげると、満足そうにお腹を撫でて幸せそうに微笑んだ。


「「莉子さん、ごちそうさまでした」」


「はい、お粗末さまでした」


 莉子は応え、空いた食器を片付け始める。

 まだ日本酒が残っていたので、追加の枝豆を出すと、二人は肘をついてお猪口を一気にあおり、互いに注ぎあって小さなため息をついた。


「なぁ巧、俺たちってこれからどうなってくんだろな……」


「さぁな。来年は配置換えのタイミングだし、瑞樹も独り立ち、あり得るんじゃねぇの?」


「まだまだおれ半人前だよぉ……

 だったら連藤代理のところがいいなぁ」


 日本酒はどうも愚痴っぽくなるのがいけない気がする。


 莉子は思いつつ、同じ日本酒を飲み込んだ。


 日本酒はしみじみ語りたくなる酒だ。

 そう思い、また一口、飲み込んだとき、


「莉子さん、もう1本っ」


 明日、仕事がまともにできることを祈りながら、ゆっくりと注ぎ足した。

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