《第32話》あとしまつ
「莉子、最後までしなかったんだってな」
いつでも三井はオープンだ。
「そうだね、寝ちゃったからねぇ……」
莉子が答えた先には、頭を抱えたままの連藤がいる。
暗澹とした表情のまま項垂れ、まるでそこだけ誰かの葬儀場のようだ。
「今日一日、この調子でよ、
なんかあったかと聞いたらソレよ」
「まぁ、そうだね、それなりに張り切ってたもんね、
連藤さん?」
呼んでみるが、微かの返事もない。
莉子は変わらず二人にワインを継ぎ足した。
だが思い出したように、
「でもちゃんと、私は髪の毛先から、ピーーーーの毛先まで確認したので」
にたりと笑い、三井に報告する。
「何、そのピーーーーというのは」連藤が反動をつけて頭を上げるが、
「ピーーーなんだろうよ」三井がいい、
「ピーーーなんですよ」莉子も頷く。
連藤は少女のように手で顔を覆うと、
「莉子さん、
今日も泊めてくれ」
「なんで急に?」
「泊めてくれたら最後までするから」
もう、懇願である。
「聞きたくない……
連藤さんからそんな言葉聞とうない!」
莉子は耳を塞ぎながら、一旦退却していく。
「男として、……これほどの屈辱は……」
どうやら彼は暗黒面に落ちていったようだ___
再びチーズの盛り合わせをもって登場した莉子に、
「莉子さん、今日、飲んでいいですよ?」
連藤が不敵に笑みを浮かべた。
「なんで、また急に?」
「俺が介抱しますから」
にんまりと笑顔を作る。
冷たい視線を傾けるが、やはり盲目。
この視線は感じられないようだ。
「莉子、今日も泊めてやれよ」
「やだよ」
「なんでそんなに頑ななんですか……」
連藤の顔が絶望的である。
「俺はこんなに求めてるのに!」
「知らんがな」
今日のワインは個人的に好きなフランス、ローヌ地方のヴィオニエで造られた白ワインを開けてみた。
前回と違い造り手が変わるため、やはり香りも味も変わってくるようだ。
香りは、まさしくヴィオニエの白い花の香りがするが、膨らむような花の香りの厚さはない。
どちらかというとミネラルたっぷりの硬いワインだ。
アルコールはそれほど高くなく、するりと飲み込めるが、若干の渋みが苦味となり舌に残る。
その点、青みのある野菜とは相性がよく、ブロッコリーのチーズ焼きを口に含み飲み込むと、ワインの味が広がり、苦味も和らぎ、とても風味がいい味わいとなる。
焼きあがったブロッコリーのチーズ焼きを二人に出しながら、自分用にも莉子はよけていた。
それを頬張り、ワインを飲み込んだ。
小さい感動が莉子から上がる。
何度目でも、このマリアージュは感動してしまうようだ。
「二人とも、このワインとこのブロッコリー、マジで美味しいから、食べて食べて!」
三井は珍しげに、連藤は仕方なく口に運んでいくが、思っていたよりも美味しかったようだ。
思わず顔がほころんだ。
やはり美味しいものと、美味しい飲み物は正義なのです。
莉子はワインを傾けながらそう思う。
店のドアが大きく開いた。
それは力任せに開けた音である。
「ここに、和弥いるんでしょ!?」
___見たことのある顔だ。
「……彩香さん……って方ですか?」
莉子が尋ねると、髪を振り乱し、
「あんたね、莉子って!」
「はぁ」返事とも言えぬ声をあげると、
「ちょっと何よブサイク、和弥に何を吹き込んだのよ!」
こういうことか。
妙に納得してしまうが、巻き込まれた感が否めない。
周りの客も迷惑そうである。
「店内で騒がれるのは迷惑なので、ご遠慮いただきたいのですが」
莉子がいうが、聞く耳がない。
「あんたに言われる筋合いわないわよっ」
じゃぁ誰ならいいんだよ。
突っ込みたくなるが、これをいうと火に油となるのだろう。
我に返ったようにカウンターに座る二人を見つけ、
「ちょっと三井くん、三井くんからも言ってよぉ」
「何を言えってんだよ」三井は振り向きもせず、酒を口に運んだ。
「莉子、おかわり」
「はいはい」
いつも通りの光景だ。
そこにヒステリックな女が一人芝居をしているようにさえ感じる。
「ちょっと和弥も、お願いだから。
私と一緒に来てよ」
連藤の腕を取り、動かそうとする彼女を彼が見る。
その目はあまりに冷たく、鋭く、人を殺せそうなほどの怒りが込められているのがわかる。
「この前も言ったが、お前の顔など、1ミリも思い出せない。
ただ金がなくなったから俺にタカリに来たんだろう?
この、ハゲワシが」
彼を怒らせてはいけない。
莉子は心に深く刻んでいるところに、
「あんた、和弥と何回したのよ」
「……は?」
明らかに素っ頓狂な声だっただろう。
「何回したのよ!」
「それと、これが、何か関係あるんですか?」
「私と和弥はそれは求め合ったものよ。
そんな貧乳に化粧っ気のない顔じゃ、全く相手にされてないんでしょう?
私の方が釣り合うのよ。
なんでわからないのかしら」
確かに彩香のボディラインは魅力的だ。
胸は前に張り出てあばらに影ができるほど。腰は細くくびれ、足は程よい太さである。
どれをとっても男性にはたまらないものだろう。
触り心地といい、抱き心地といい、完璧と言っていい。
見事なボディラインを強調したワンピースが、派手でありながらも彼女の煌びやかさにアクセントを与えているようだ。それは真っ赤な口紅も負けない、彼女のメリハリのある整った顔がより美しく見える。
だが、連藤は違ったようだ。
「莉子さんは貧乳ではない!
程よい膨らみだ!」
そこ、かよ。
しかも、それで反撃しないでほしい……
莉子は頭を抱えたままカウンターに沈んでいく。
「莉子さんはお前のように私利私欲で動く人ではない。
若い俺にはお前みたいな強引さも必要だったかもしれないが、
今の俺には、全く必要ないものだ。
いい加減にしてくれないか。
不似合いで不必要なんだよ、俺にも、この場にも」
絶望の淵にいた連藤にとって、八つ当たりの格好の的となったのは言うまでもない。
ここまでいわなくてもいいところまで言ってしまうのが、彼の悪い癖だろう。
「そこまでにしとけ、連藤」
三井に言われ、我に返ったかのようにワインを飲み干した。
「そういうことなので、彩香さん、
おかえりください」
莉子がいうと凄まれたが、それ以上はなかった。
何か言い返そうにも言い返す言葉がないのだろう。
乱暴に歩きながら、再び力一杯ドアを開け、飛び出していった。
「追いかけ……なくていいか」
全てあの女の自業自得だ。
うまく別れたつもりだったのだろう。
すぐに復縁できるとでも踏んでいたのだろうか。
だが全く違う環境に変わっていて、彼女自身も戸惑ったのかもしれない。
彼女はきっと、あの5年前のままだったのだ。
ここはもう、5年過ぎた、今日なのである___
「嵐のような人でした」
「そうだな……」三井は何か感慨深げに息を吐く。
「俺にとっての黒歴史って奴だな」連藤は小声でいうと、ワインを飲み干した。
「連藤さん、また潰れる気ですか?」グラスが差し出されるので、注ぎたすが、
「潰れたら、泊めてくれるだろ?」明るい笑顔が浮かび上がる。
そういえば、そんなこと言われてたね。
覚えてたんだ___
「あの時、約束したからな。
三井、付き合ってくれるだろ?」
「そりゃあ、もちろん、友の申し出ならな」
莉子、酒!
三井も潰れる気だろうか。
二人とも、潰れてくれたら、約束とは違うよね?
「さぁ、どんどん飲んでください」
莉子の腹は、黒かった。
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