《第9話》カバはカバでも飲めるカバは?
「ねぇ、お願いだってばぁ!」
瑞樹の懇願が続いている。
だがそれにウンと言わないのが、オーナーの莉子である。
「なんでダメなんだよ」
巧は頑なに断る莉子にふてくされたように言うが、
「なんであんたたちに合わせて新メニュー出さなきゃならんのだ」
彼女は怒ったまま、
「絶対、ダメ。
やらないから」
そう言ってカウンターの奥へと引っ込んでいった。
落ち込む彼らだったが、救世主がいるではないか!
その救世主の名は、『連藤』___
「お前たちは何もわかっていないようだな」
一連の流れを聞いた連藤だが、大きくため息を吐き出した。
デスクの書類がめくれるほどだ。
呆れたような、困ったような、それでいて、情けないという表情がにじみ出ている。
「だって連藤だって簡単に作るだろ」巧が食い下がるが、
「じゃ、お前たちは、ネバークエストのレベル上げ、
3日で70レベルまで上げてくれって頼まれてできるのか?」
「そんなのできるわけないじゃんっ」瑞樹が叫んだ。
ネバークエストはRPGゲームである。
2周目からが本番と言われるオープンワールド型のRPGだ。
瑞樹も巧もこのゲームにどハマりしており、主人公の体型、もちろん顔も好みにできるため、彼らのアバターじゃないかというぐらい、そっくりなキャラまで作り上げ、ダウンロードでできるクエスト配給の日は、早退を願うほどのハマりっぷりだ。
現に二人はその日は有給希望が出されている。
配信日が一ヶ月前からの告知は本当に有難い。
そのゲームと比べられた二人だが、ピンときていないようだ。
「それと同じことをお前たちはオーナーに言ったんだぞ?」
「それとこれは、訳が違うだろ」
巧は切り返すが、
「オーナーだってプロだ。
簡単にできるとしても、お客様に出せるものしか出したくない。
簡単にできているようでも、時間をかけて吟味して、努力した結果のメニューなんだ。
簡単だろと言われて、レベル70の戦士をくれと言われたら、お前たちだって拒否するだろ」
連藤はメガネをかけ直し、きゅると椅子を回した。
話は終わりという意味である。
だが、これでようやく事態を飲み込んだらしい。
レベル70の戦士なんて裏技を使わないで上げるなら、ゆうに100時間はかかってしまう!!
二人は立ち尽くしたまま、どんどん顔が青ざめていく___
「ヤバイと思うなら、詫び行って来い」デスクに向き合ったままの三井が言った。
彼らは跳ねるようにオフィスを飛び出した。
カランとドアが開いてから間もなく、
「「莉子さん、ごめんなさい」」
他の客に関係なく、二人は頭を下げる。
他のお客様たちは何事かと訝しるが、オーナーの表情の固さに何か理由があるのだろうと、
ここは見ない振りを決めたらしい。
さらに彼らの長い腕から出されたのは、名店中の名店、製菓店カドワキの有名なベイクドチーズケーキのホールである。
何故わかるかは、箱を開けなくてもリボンの色でケーキがわかる仕組みだからだ。青色のリボンが掛けられている。
ちなみに誕生日ケーキは男性でも女性でも赤いリボンである。
莉子は箱を見下ろし、「それで?」冷たい声が放たれた。
「さっき連藤さんに言われて気づいたんだ。
簡単なんて言ってすみませんでした!」
「それとお詫びになるかわからないけど、莉子さんの好物のチーズケーキ買ってきたんだ」
さらに巧がずいと前にケーキを押し込んだ。
「なるほど。
それを献上して私を取り込もうというのか」
彼女はケーキを睨み、二人に凄んだ。
側から見るとかなり二人は劣勢であるし、縮み上がっている様子は怯える仔犬のよう。
助けてあげたいが、たぶんこれは、調教師と犬の信頼関係だ。
邪魔はできない___
オフィスを守る彼女たちは、そう読み取り、涙ながらにコーヒーをすすっている。
凄まれた二人は、明らかに狼狽えているが、
「ここのスフレも好きなんだよね」彼女がぽろりというと、
「明日、持ってきます!」瑞樹がすかさず返す。
「よろしい」
彼女は言った。よろしいと。
彼らの気持ちが救われたのである。
さらに、
「夜のテラス席を貸し切りにして、そこで料理を出してあげる。
雨が降っても決行。屋根があるからね」
それだけビシッと言い切ると、彼女は鼻歌混じりに奥へと移動していく。
どこから食べようかなぁとも聞こえたが、どこから食べても同じケーキだ。
「巧、やったのかな?」
「ああ、やったんだよ」
二人は顔を見合わせ、手を取り、ガッツポーズを決める。
「巧、やったぁ!」
「やったな、瑞樹!」
では早速日程をとスマホをいじり始めた。
彼らのお願いというのは、瑞樹の気になる子のために辛い料理を出してくれ、というものだ__
どうも瑞樹の気になる子が辛いものが好きらしい。
それ以上の情報がなく、料理を絞りきれなかったのもあるだろう。
そのため、彼らの中で、
「そんな辛い食べ物がうまい店なんてある?」
「いや、そうそうない。」
「韓国料理にインド料理とかあるけど、そっちはデートで行くにしてはカジュアルすぎる。」
「というか近所にオシャレな辛い料理の店なんてない!」
「「なら、オーナーに作ってもらえばいいじゃない。」」
そう思ったのだそうだ。
安易に考えたものだ。
第一に、瑞樹は辛いものが苦手だ。
ペペロンチーノですらギリギリ。
そんな彼が辛い料理を所望するのである。
よっぽどのことだ。
だが、私に勝算がある!
辛いものが苦手な瑞樹にとっての勝算だ___
決戦当日。
遠くから歩いてくる四人の姿が見える。
巧とその彼女はいつも通りの雰囲気だ。
肩の力が抜けている。
だが瑞樹の顔色はそれほどよくはないようだ。
辛いのが苦手なのに、それを食べなければならないなんて、死地に行くようなものである。
だが気になるあの子がいる__!
いつもより髪型も服装も、気を使っているのがわかる。
心は踊っているのに、料理のことに恐怖している瑞樹は、顔は笑って足がもつれている。
どうにも進まないんだろう。
しょうがない。姐さんが一肌脱ごうではないか。
オーナーは扉を開けて出迎えた。
「どうぞ、いらっしゃい。
テラス席を貸し切りにしてます。
楽しんでくださいね」
さっそくと出迎え、案内していく。
が、小鹿のように震える姿が視界の端で見える。
__それほど怯えることか。
巧の彼女が話しかけてきた。
「ここに来るの楽しみにしてたんです」
カウンセラーをしていると聞いていただけあって、物腰が柔らかく、何より美人だ。
「奈々美さんですよね? 私も巧くんからいつも聞いてます。
今日は来てくれてありがとう。
辛い料理は大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。
あ、彼女は私の友人の優です。
彼女が本当に辛いものが大好きで」
振られた彼女はぺこりと頭を下げた。
「今日はわざわざ辛い料理作ってくれたって聞いたんで、
ホントにありがとうございます!」
ハキハキとしゃべる彼女はハーフだという。
髪の毛は金色に近く、目の色も緑だ。
顔立ちは東洋っぽい雰囲気があるが、大変可愛らしい。
仕草も何もかも可愛らしい。
そりゃ、なんとかしたくもなるわなー。
棒読みの勢いで思いながら、オーナーは4人に席についてもらう。
そこにはすでに鍋が用意してあった。
真っ赤な鍋だ。
ラー油だろうか。浮かび上がる油まで真っ赤である。
ニラ、ネギはもちろんだが、豆苗や春菊も入っている。豆腐も沈み、赤くにじんでいる。
漂う香りは山椒の辛味が鼻腔に刺さり混んでくる__
「火鍋ってものです。
花椒の香りと豆板醤、ニンニクなどの香辛料が鶏ガラスープにたっぷり溶け込んでます。
肉は羊肉が一般的のようですが、今日は豚肉にしました。
ロースの肉でさっぱりと辛味を楽しんでいただきたいと思います。
そして、今日の食事のお供に選んだワインは、
カバになります」
彼女は氷付けのワインクーラーからカバを取り出し、四人に見せる。
「カバってなんですか?」優がすかさず質問した。
「いい質問ですね。
カバというのは、スパークリングワインを指します。
スペインの特定地域で、シャンパーニュ製法を用いて生産されているワインのことですね。
まずは、乾杯しましょうか」
莉子は慣れた手つきでグラスに注いだ。
ぴちぴちとはじける泡は、シャンパンより大粒な気がする。
色味は黄金色で、まるでシャンパンと同じようにも見える。
「それでは、今日の日に、乾杯」
乾杯!
四人の声が響いた。
ひとくち、それぞれに飲み込んでいく。
香りは鮮やかな葡萄、そして華やかで明るい青い香りがする。
夏の日の新緑のような香りが鼻腔を抜けていく。
舌触りは滑らかとは言い難いが、喉越しはまるでビールのように清々しい。
「では煮上がったので、最初の一杯だけよそわせていただきますね」
彼女は手際よく鍋を小鉢へ取り分け始めた。
先ほどまで香ってこなかった目にしみるような辛味が襲いかかってくる。
「ここにゴマダレがあります。
ピリ辛と、甘めのタレ、どちらもあるのでブレンドしてもいいですし、そのままでも構いません。お使いください」
すかさず瑞樹は甘めのタレを選び、かけてみる。
優はピリ辛をたっぷりと。
巧と奈々美は半々にしてかける。
せーので頬張ると、口一杯に刺激が走り抜けた。
一目散に走り抜け、さらに野菜の青み、肉の甘みも感じるが、
やはり、辛味が口の中を暴れまわる__
「はい、すかさず、カバを飲んで!」
彼らは言われた通り、グラスを持ち上げ、飲み込んだ。
「おお!」
瑞樹が一番に声を上げた。
他のメンバーも思わずグラスに目を落とす。
辛味がすっと引いたのだ___
先ほどまで暴れまわっていた辛味が、いきなり落ち着いたのである。
喉に張り付く辛さも、舌に刺してくる痛みも消えていく。
よくぬるま湯を飲めば引くというが、それよりも爽やかに辛味がなくなるのは、魔法の水を飲んだ気分だ。
「最近だと餃子にシャンパンなんていいますが、
辛いものにもシャンパン、スパークリングワインは合うんですよ。
瑞樹くんも食べやすくなったでしょ?」
大きく頷いた。
これほど辛味がなくなるのは驚いた。
今まで食べてなかったぐらいの感覚である。
炭酸による錯覚にしろ、今まで辛いものが食べられなかったのが嘘のようだ。
これなら食べられる!
「口休めの前菜もお持ちします。
お鍋は最後、ラーメンで〆ますので、しっかり根こそぎ食べてくださいね」
飲みすぎんなよ。
瑞樹の耳元で彼女は囁いた。
だがあれほど苦手だった辛いものが、好きになりそうな勢いだ。
やっぱり、オーナーすげぇ!!!
巧と瑞樹は目を合わせ、頷いた。
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