現 うつつ

炎明エンメイ』という男は、無口だった。

 日本語はそれなりに話せるようだが、僕は彼と親しく会話した記憶が無い。


 組長が言ったことを真に受けていたのか、彼は、僕にカンフーを教えてくれた。

 カンフーというと、『酔拳』とか『蛇拳』とかを想像していたが、香港映画のようなイメージは無く、さばいて撃つを繰り返すような反復練習であった。

 まぁ、それが唯一のコミュニケーションだったのかもしれない。

 無口で無愛想、だが、僕はこの『炎明エンメイ』という男を嫌いではなかった。

 時折、財布に入れてある娘の写真を眺めている表情は、とても穏やかで優しい顔をしていた。

 父親が娘を見る顔というのは、こういうものだろうか…。

 父親にとって娘とは特別なものなのだろう。

 僕は、両親とは不仲だから少し羨ましいような、不思議な気持ちになった。


炎明エンメイ』とは、色々な場所へ行った。

 運びもそうだが、彼の知り合いはチャイニーズマフィアも多く、闇カジノにも出入りした。

炎明エンメイ』がクスリを使用していたかは知らない。

 少なくても僕の前では使ったことは無かった。

 組長も、クスリに関してはシノギの手段であって、自分達で手を出すものではないという考えをもっていた。


 とくに僕には、使うなとしつこいくらい念押ししていた。

 自分は、僕の口に押し込んだくせに…。

 ヤクザなんて、そんなもんだ。


 クスリのシノギは順調だった。

 組に入る金も多く、上納金も順調に収めていたのだろう。

 この時点では、あの教団なんてイカれたセックス教団としか思ってなかった。

 だが…教団だって、当たり前のように潤っていくのだ。


 クスリは広がっていく…当然、逮捕者も多くなってくる。

 僕も、『炎明エンメイ』も、組の杯を貰っているわけではないが、田舎町で『炎明エンメイ』は目立っていたのかもしれない。


 麻薬捜査の刑事にマークされていた。

 この頃は別行動が多く、僕は相変わらず運び屋だったが、『炎明エンメイ』のほうは別の仕事をしていたようだ。

 内容は知らない。


 久しぶりに顔を合わせた『炎明エンメイ』が、僕に差し出したもの。

 細身のバタフライナイフだった。

再見ツァイツェン

 と軽く拳を僕の胸に当て、事務所を後にした。


 彼とは、それ以来会うことはなかった。


 その後、クスリは取り締まりが厳しくなり、また供給過剰で飽和状態を招いた。

 組も大きな資金源を失い。

 表向き、解散となった。


 事務所に最後に顔をだした夜。

タカ…こっちの世界にくるんじゃねぇぞ…」

 そう言って、組長はタバコに火を着け、僕に使い古したジッポを投げてよこした。


 何人かいた組員と、軽く挨拶して、僕は最後に組長に深々と頭を下げた。

 何を言えばいいか解らなかった。

「ありがとうございました」

「お世話になりました」

 どれもが違う気がして、言葉にならなかった。


 親と不仲で父親とは会話すらしたことがない僕にとって、『炎明エンメイ』と組長は、父親のような存在だったのかもしれない。


 まぁ…どちらもロクな人間では無いが…。


 僕は、間もなく素行不良で転勤させられて、この地を離れることになった。


 教団が、あの凶行を行うのは、この1年後だった…。

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