2-7.初めての共同作業(というほど共同してない)
そのころ、敵国のパイロットに「変態が多い」と言わしめたハイランド国内では。
「――――君は、神を信じるかな?」
エサを見つけた働きアリのように、整備魔導士たちがわたわたと慌ただしく駆け回る格納庫内。
神のごとき威容を備えた銀の巨人を見上げていたユーレイは、ふと隣へ歩み寄ってきた雨男の問いに、ほんの一瞬思考を止めた。
「……特別、信仰する神は持ちませんが」
「神でぴんと来ないのならば、運命と言い換えてもいい」
肩幅五メートル近い巨体をすっぽりと囲むように描かれた、床の巨大な魔法陣。【シルバー・バレット】はその中央に立っている。
「魔導巨兵のパイロットという、カードゲーマーの頂点として選ばれた……誰もが認める天才の兄。ずっと背中だけを見てきた、ずっと、どこか遠くにいた兄が、国も、地位も捨てて、逃げ出した。その結果として、君は代わりのパイロットを見つけ出したばかりか……自分までも、魔導巨兵に乗ることとなった」
相も変わらず水のカーテンに遮られて表情は見えず――魔導巨兵を見上げるその視線にどんな感情が籠もっているのか、ユーレイにはわからなかった。
「本来なら届くことがなかったはずの椅子に、今、座れることになった。……運命のようなものを、感じはしないかと思ってね」
「……身内の恥は己の恥、それを濯ぐのは私の義務です。兄の不祥事の後始末は、私に与えられた使命で……それは運命などではない、必然だと考えていますが」
「なるほど」それきりジェレインは何も言わなかった。
ジェレイン・ラミソール――ユーレイの視点からしてみれば、いまだによくわからない男である。いや、ひとり滝行の話ではなくて。
過去三年間、【シルバー・バレット】のパイロットを務めた男。カードゲームの実力は折り紙付きと言われている。
今年はボーレイ・ローゼストにパイロットの座を譲ることにはなったが、『とある事情』さえなければ例年通りジェレインが担当していただろうと、そう囁かれる程度には――
風の噂に聞く程度だから、ユーレイは『事情』の中身を知らない。
カラセルさんは心当たりがあるような顔をしていましたが、などと考えながら、今しがたのジェレインとの会話をしばし反芻し――
「……あれ?」
え、あの人今なんて言いました?
きょとんと目を見開いたそのときにはもう、カラセルを連れたジェレインが魔法陣の内側に立っている。
整備員のひとりからジュラルミンケースを受け取ると、手慣れた様子で鍵を外し、ケースの中身を開帳する。
入っていたのは、一枚のカード――ジェレインは腕まわりの水を消した。
《emeth》というカード名以外何のテキストも記されていないそのカードを、隣のカラセルへと手渡す。
「発動しろ」
「これを?」
「"跪け"。それだけでいい」ではでは、と咳ばらいをひとつして。
カードを受け取ったカラセルの手の中で、《emeth》が虹色の輝きを纏う――
「T.C.G.を発動する。――跪け、《銀の弾丸》!」
空ではじけた花火のごとく、天高く掲げた《emeth》から七色の光がこぼれ出した。
それに触発されたかのように足元の魔法陣からも光が立ち上る。
直立不動の銀の巨人、その胸部装甲の中央に装着された
手番灯の明かりはすぐに消灯、魔法陣の輝きも半分消えてしまった。
正円を描くはずの魔法陣は、カラセルが立っている側の半分だけが虹色に光るのみで、残りは完全に沈黙している。
世にも奇妙なかまぼこ式の発光を見せる魔法陣――足元からの光で七色にライトアップされながら、ジェレインは水音に紛れてため息を吐いた。
「ま、やはり足りないか……」モグラの魔力量などそんなもの、と短く吐き捨て「そういうわけだよ、ローゼスト」――暖簾をくぐるように、水のカーテンから腕の先だけを出し、手招く。
そういうわけだよ、ローゼスト。
どういうわけです、ラミソール――
「君も乗れ」
――なにぶんユーレイは真面目な淑女なので、ぶっつけ本番超本番でぶつけられたこんな台詞にも、見苦しく取り乱したりすることはしなかった。
宇宙空間に放り出された猫のように、ただただ放心・硬直したのみである。
ジェレインは【シルバー・バレット】に搭乗する二人に向けてブリーフィングを始めた。
「知っての通り、我が国ハイランドとザイナーズは海を挟んで隔てられている。ゆえに会敵地点は例年通り海上――敵T.C.G.【コンセプター】は、国土に上げることなく迎え撃つ方針だ」
「お待ちください」うち一人がびしりと制止する。
雨男はほんのわずか眉をひそめて、聞いていないのか、と続けた。
「T.C.G.は乗りさえすれば誰にでも動かせるが、乗るためにはある程度の適正が必要だ。端的に言えば魔力量が足りない。そう厳しい基準でもないが……」
こいつでは届かなかったようだと、冷たい視線を(水のベール越しに)送る。
カードゲームは得意だが、魔法の才能――というか、魔力量に関して言うなら、そうでもない。
いつだかの世間話でカラセルがそう言ったのをユーレイは覚えているし、魔力カートリッジが充填できるだけの、すなわちカードゲームができるくらいの魔力があるなら十分だよと、当人にさほど気にした様子がなかったことも覚えている。
そのあたりの問題はどうするつもりなのだろうと、ユーレイも気になってはいた。
気になってはいた。
いたのだが。
「今回、王が民間人のパイロット起用に踏み切ったのは……魔力量の問題を、『もう一人乗せる』ことで解決するからと、そう聞いているのだが」
「…………」ユーレイはすべての始まりを思い出していた。
突如として姿を消した兄の件で直接呼びつけられ、カードゲーマー『虹のカラセル』を探してくることを命じられ……
『身内の恥は身内がケジメ付けるって、おまえ、自分で言っただろう?』
――王は、兄の逃亡を根に持っている!
そりゃそうですよね国賊ですもんと崩れ落ちそうになるユーレイだが、しかし今は一級の非常事態。現在時刻は二月二八日午後十一時三二分。二時間後には敵T.C.G.【コンセプター】との接触が予想されている緊急事態である。
なぜそんなにも大事な話をこの土壇場も土壇場の緊急事態になってぶち込んでくるのかという憤りや『心の準備』『余裕をもって』『五分前行動』とかそんな言葉を全部飲み込んでユーレイは手を挙げた。
「……今までのパイロットは全員、一人で【シルバー・バレットに】乗っていました。二人で乗れとは言いますが……」
「乗れるんすか?」
「乗れるはずだが?」カードゲーマーというのは基本的に面の皮が分厚い生き物である。
けろりとした顔で答えるジェレインに、ユーレイの頬を伝う冷や汗が増える。
「いや、とは言いますが……そう、そうです。我々はまだ試乗も何もしていないのです! この大事な一戦に、操縦に慣れもしていないような人間が打って出るなどと……」
「試乗ってするもんなんすか?」
「しなかったが?」カードゲーマーというのは基本的に神経の図太い生き物である。
「そもそもの話。こんなにも危険な超兵器を、試運転程度の名目でおいそれと動かせると思っていたのか?」
視覚的に表情の読みづらい男ではあるのだが、このときのユーレイはジェレインの声色から彼の心境を察した。
「なにか勘違いしてるようだけど、我々が行うのはあくまでカードゲーム。T.C.G.は神器なんだ。神に造られた超常の兵器、神の意思を問うための祭具。優れたカードゲーマーなら、操縦技法なんか練習しなくてもT.C.G.が勝手についてくる……」
隠すつもりもない、呆れ。
とめどなく流れ落ちる水の向こう側で、こちらを見下す冷徹な瞳をユーレイは確かに幻視した。
「兄と似なかった凡才とは聞いている。カードゲーマーの機微を理解れとは言わない。直接戦えとも言っていない。が、バベルに籍を置きながら、【シルバー・バレット】の承認を得る程度の魔力すら持っていないのは……似る似ない以前の問題だ」
――おまえの実力に期待などしていないから、電池の役くらい黙って果たせ。
あまりに遠慮なく叩きつけられたものだから、言葉の意味を噛み砕くまでの間、ユーレイはしばらく何も言えなかった。
そんな彼女の背中を力強く、それでいて優しくぽんと叩いて――カラセルは、ユーレイの手に《emeth》のカードを握らせる。
「なんにせよ、これ本番だからね。今更になって騒いでもしょーがないってとこは動かないよ」
振り返ったユーレイの沈痛な面持ちとしばらく目を合わせてから、この男は――
「もっかい運命共同体だ。二回目なら、まあ慣れてんでしょ」
まじめくさった表情で、そう肩をすくめてみせた。
数拍の間をおいてから、ユーレイはそっと目を閉じる。
白魚のようなユーレイの指に挟まれた《emeth》のカードが光を放ち――魔法陣の残り半分を、淡い黄金色に染め上げた。
「――跪け、《銀の弾丸》!」
その一連の動作は、主に跪く鎧騎士のごとく。
まるで意思でもあるかのように白銀の巨人が膝を折った。
その胸の手番灯は今度こそまばゆいばかりの白光を灯らせ、それに呼応して魔法陣の外周から光の壁が立ち上る。
いつの間にかジェレインは陣から出ていた。
虹色と金色のごっちゃになった光が渦巻く円柱状の空間。中にいるのはユーレイとカラセル、そして魔導巨兵【シルバー・バレット】のみ――――
虹金色の光の柱が夢のように弾けて散ったそのときにはもう、
二十メートルを超す【シルバー・バレット】の巨体は、跡形もなく格納庫から消えていた。
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