214:停滞は滅びへの道 その十七

 伊藤さんの周りに仮の祭壇である聖域を作り上げた訳だが、ここから散ってしまった魂を核となる石を中心に集める必要があった。

 人間の、と言うか肉体を持つ生物にはすべからく魂魄があり、精神を魂が、肉体を魄が司っている。

 この二つは常に結びついていて、分かたれるとその人間は死ぬ。

 伊藤さんが陥っていたように怪異に憑依された状態は、他の魂がその人間の魄を操っている状態であり、その場合、例え魄のみ残っていても、もはや別人と言っていい。


「なるほど、魂がメインシステムで魄がそのアプリケーションという訳だ」

「いや、人間を電算機に例えるのはどうよ」


 俺の説明に流が自分なりの解釈を述べたのにツッコんだ。

 まぁ俺だって基本の理屈は習っているけど、ちゃんと理解しているかどうかは怪しいんだけどな。

 とにかくこの魂魄というやつが面倒なもので、常に結びついていないと存在を保てないのだ。

 別々になってしまうとすぐにこれらは世界の中に散ってしまう。

 一旦散った魂魄は単なるエネルギーの一種でしかない。

 やがて新しい肉体を宿した母体や強い霊的スポットや瘴気溜まりに吸い寄せられて新たな魂魄の核となるまで世界を漂い続けるのだ。

 つまり魂が怪異と共に昇華してしまった伊藤さんの魂を構成する元素とも言うべき気は、既に形を無くし、それにつれて魄も崩壊しつつあるというのが現在の状況なのである。


「どうだ、ユミ?」


 この件については何の役にも立たない我が友を捨て置くと、俺は頼りになる我が妹に呼び掛けた。

 由美子は聖域の周りに大きな陣を描いている。

 素材は赤い色の付いた砂で、今回伊藤さんを助ける為に準備して来たものの一つだ。

 まだ死んでしまった訳ではないから反魂という程でもないが、これによって魂を魄と結びつける蘇生陣を組んでいるのだ。そのため、この砂はかなり特殊な物となる。

 ベースになっているのは柘榴石という話だが、色々と呪術的な付与を時間を掛けて行っているらしい。


「陣は完成した。後は定着出来る程魂が残っているかどうか。それと強い未練があるかどうか。大半が怪異の昇華に引っ張られてしまっていたら難しい」

「……そうか」


 伊藤さんはまだ俺と一緒に生きたいと思っていてくれるのだろうか?

 怪異に乗っ取られるなどという恐ろしい体験をしてしまったのは、全て俺の近くにいたせいだ。

 いや、俺のことはどうでもいい。

 伊藤さんがご両親の待つ家に帰りたいと強く思っていてくれさえすれば、きっと魂は戻ってくるはずだ。


「タカくん、檻に閉じ込められた猛獣じゃないんだから陣の周りをグルグル回るのはやめるんだよ。それに君の強い感情が陣に影響するかもしれないだろ?」

「あ、ああ」


 カズ兄の言葉にハッとして陣から離れると、俺はなるべく陣に意識を向けないように装備の点検を始めることにした。

 愛用のナイフが一本、ワイシャツとズボン。

 ん? 装備これだけか? 迷宮の中なのにどうなっているんだ?


「隆はどうして今更混乱状態に陥っているんだ?」

「兄さんは昔から体を動かしていないと何をしていいかわからなくなる性質ですから。安全地帯に着いて警戒を解いてしまったので心配がピークに達してしまったのでしょう。ところで流さん、キャンプ料理はお得意ですか?」

「ああいや、俺はもっぱら作ってもらうほうだったから全く自信がない」

「……わかりました。あなたのような人と兄さんが親友というのは不思議ですね」

「お互い立場が似ているからね」

「魔導者についてあまり首を突っ込むと碌なことにはならないそうなので、あまり深くは聞きませんが、怪異とほとんど関わり合ったことの無い方がこのような場所にまで同行すると言うのは、それがどんな力ある方でも精神的な負担は大きいはずです。休める時には休んでおいたほうがいいですよ」

「まいったな。足手まといだと怒られるのかと思っていたのに心配されてしまった」

「僕をなんだと思っていたのです?」

「いや隆の話を聞いているとお小言の多い性格のように思えてしまってね」

「……兄には後々よく言って聞かせておきます」


 薄ら笑いを浮かべた浩二をぼんやりと眺めながら、俺はちらりと伊藤さんの横たわる聖域を目に入れる。

 いや、正直に言うと今だけではなく、装備確認の間も自然にそちらに目が行ってしまってそれどころではなかった。

 やがて陣を描く赤い線が燃え尽きたかのように真っ白に変わる。

 由美子は聖域の周りを右回りに回りながら小瓶から水を撒いて行った。

 ふわりと、伊藤さんの胸に置かれた石が光を発し、その光は心臓の鼓動のような明滅を始める。


 ――……トクン、トクン、トクン……。


「兄さん、これ持って左に回って」


 由美子から吊り下げ香炉を手渡され、よくわからないままうなずくとそれを手に聖域に近づく。

 悪影響は無いのか心配になって由美子を振り向くと、あの慌てることのない妹が、早く! と言うように柳眉を逆立てて俺を睨んだ。

 慌てて回ろうとしてハタと気づく。

 ええっと、左に回るってどっちに行けばいいんだっけ? 左だよな?


「右側から左に向けて回るの」


 迷っている俺に的確な指示が飛んで来た。

 おお! やはり妹は頼りになるな。

 俺が満足感を得ながら歩いていると、芳しい香りと共に伊藤さんの胸の光の鼓動は更に強まった。

 ふと、香のふくよかな香りに記憶が呼び覚まされる。

 あれは、そうだ、会社の屋上の庭園で二人で昼食を摂っていた時のあの香りだ。

 霧雨の中、他に屋上で昼食を摂る物好きはいなくて、二人だけで食べながら会話を交わしていた時、丁度途切れた話題に沈黙が降りた。

 その沈黙は居心地の悪いものではなくて、なにかとても豊かな時間だった気がする。

 その時にどこからか漂って来た花の香りにそれは似ていた。


 石の光がふっと掻き消えた。

 ぎょっとして振り向いた俺の目の前で、伊藤さんが身じろぎをする。

 口元が何かを呟くように動いて、笑みを浮かべた。

 そして少しだけ顔をしかめて薄く目を開いて、何かに気づいたように俺を見る。

 言葉もなく伊藤さんは微笑みを深くした。

 俺は思わず聖域に押し入り彼女の手を握った。


「いきなり聖域を破壊するのはやめてほしかった。危険だから」


 はっと我に返って周りを見る。

 由美子と浩二が呆れ果てたような顔でこちらを見ていた。

 バカ師匠が涙を流しながら大げさに拍手している。……死ねばいいのに。

 流が後ろを向いて見ないようにしてくれていたのが唯一の良心だった。

 いや、この際俺の恥はどうでもいい。


「優香、気分は?」

「うん、大丈夫。えっとね。実は全部覚えてるんだけど」

「全部?」

「はい。これって、浮気者って怒るべきなのかな?」

「えっ……、ええっと」


 俺はおおいに焦った。

 あの時伊藤さんの体の中身はほぼ清姫だった。

 浮気と言えば浮気なのか?

 そんな俺を伊藤さんは「あはは」と明るく笑い飛ばした。


「ごめんなさい。嘘。ありがとう。本当に、ありがとう」


 笑いながら泣いて、伊藤さんは俺にしがみつくように抱きつく。

 俺は笑っていいのか泣いていいのかわからないまま、その奇跡のように脆くて柔らかい体を抱きしめた。

 力いっぱい抱きしめたら壊れてしまうこの人が、ここに帰ってきてくれたことがただただ嬉しい。


 その時、パーン! という派手な音と共に、俺たちの頭上に紙吹雪と花びらが舞い散り始めた。

 なんか白い鳩まで飛んでいる。


「おめでとうううう二人共!! 感動だなぁ!」


 おいバカ師匠、そんな演出は誰も望んでいないから。

 空気を読めよ。お前このパーティで一番の年長者なんだからさ……。

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