199:停滞は滅びへの道 その二
「おかえりなさいませ兄君」
「アニギミはやめろ」
マンションの植え込みの影に不審者がぬぼーっと立っている。
職質レベルの怪しさだ。
いや、この場所からして警察を既に呼ばれていてもおかしくない。
「お前いい加減にしろよ、前の時もマンションに不審者注意の張り紙がされていたんだぞ」
「尊き血の御方にご心痛を掛けるとは、我が身の至らなさに痛恨の想いです」
変態はボロ泣きを始める。
もうこいつなんなの? 変態なのはわかっているけど、どうして成人を過ぎた男がこんなに泣きまくるんだ? 意味がわからないぞ。
「まぁいい、これ以上表で世間を騒がせるよりは俺一人が迷惑を被ったほうがマシだろう。部屋に入ろう」
「光栄のいたりです」
グスグスと鼻水をすすりながら感動したように言う。
このおかしな男に段々慣れてきた自分が嫌だった。
生体波形を確認したマンションの玄関のロックが外れて中へと進む。
エレベーターの狭い空間に二人きりというのはぞっとしないがこいつだけエレベーターで上がってもらって俺は階段という訳にもいかんだろうしな。
何と言っても由美子や浩二とこの変態がかち合うのが嫌だ。
まぁ由美子は大学では会っているんだろうけど。
「私はずっと子どもの頃から考えていました。偉大な勇者は人々を守って魔物を倒しますがどうして人々は守られてばかりの我が身を恥じずにいられるのだろうか? と。成長した私は更に驚きの事実を知りました。人類は勇者を『管理』しているという恥知らずな現実を、です。この愚かさに恥じ入ることの出来ない人類は魔物よりも下等な生き物でしかない」
「それはちょっと危険思想じゃないか?」
ヒヤヒヤする。
こいつは自分の意見を隠すということをしない。
よくもまぁ今まで無事に過ごして来たものだ。
しかもあの排他的と言われたロシアにまで行って帰ってきたと聞いて、俺はある意味こいつを尊敬した。
実の所、俺は、人は怪異を恐れるように、あるいはそれ以上に他人を恐れているのではないか? と思うことがある。
以前迷宮で遭遇した他人を操っていた冒険者の時もそうだが、人が人に対して害意を持って行動した時に、それに対するリアクションが必要以上に激しい物となるのを何度か見た。
人間はもしかすると同族にこそ、最も恐れを感じているのかもしれないと思うことすらあるぐらいだ。
だから、この男の暴走っぷりを他人が恐れて叩き潰してしまおうとするかもしれないという懸念がどうしても付き纏うのである。
考えすぎなのかもしれないが、例え変態と言えども知り合いが不幸になるのなら忠告ぐらいはするべきだろうと思うのだ。
しかし、正直言って、この変態になんと言えばいいのか俺には全く見当もつかなかった。
「これは悲しいことに事実なのです、偉大なる方。人間は愚かなことに自分が劣っていることが許せない、認めることが出来ない生き物なのです。そのせいで自分達よりもはるかに偉大な者を鎖に繋ぎ、自分達のほうが偉大だと思い込むことで心の平静を保ってきたのですから」
「いや、でも……」
そう言った時にエレベーターが目的の階に着いて話が途切れた。
俺は素早くこの変態を部屋に引っ張りこむと扉を閉めた。
なにしろこの階には俺以外は我が家の妹と弟しかいないのだ。
あの二人に鉢合わせしてこいつの変態ぶりに巻き込む訳にはいかない。
お兄ちゃんとしては二人を守る義務があるのだ。
「とりあえずコーヒーでいいか?」
「いえ、私などにおかまいなく」
そう言われると逆に何もしないのは負けたような気持ちになってしまう。
ついついこれから垂れ流される妄想を聞く羽目になった自分のためにもお気に入りの豆を選んでコーヒーをセットしてしまった。
「このような下賤の身にお気遣いいただき申し訳もありません」
変態はまた涙ぐむ。
うっとおしい。
ベランダから放り出せたらどんなに気持ちがいいだろうか。
「で、なんでこんな平日の夜に俺の所にやって来て意味のわからない考察とやらを聞かせようという気になったんだ?」
「そうそうなんです! 実は私はとうとう一つの真理にたどり着いたのです。人類の罪の精算、愚かさの代償が既に支払われているということに! 私はずっと愚かなる人類の一人であることに
「いや、言ってることわからねぇから」
コーヒーを啜りながら変態の言葉にげっそりとする。
変態は先程泣いたのが嘘だったかのように子どもみたいに両目を輝かせて俺に語った。
「以前も語ったと思いますが、勇者とは人の意思によって生まれた人の中の聖なる者達です。これは人類学として考えれば生物的な進化とも言える訳です」
「……一概にそうとも言えないんじゃないか?」
俺は一族の長にだけ伝わる口伝を受け継いでいる。
そのため、自分達の一族の成り立ちを知っていた。
変態は勇者血統を人類の切なる願いによって生まれた新しい人類のように思っているらしいが、うちの血統はそんな上等なものではない。
怪異に対抗出来るより強い血統を生み出すために、目を背けたくなるような非道な行いもやっているのだ。
それはいわば家畜や作物の品種改良のようなものだ。
到底「自然」に生まれたと言えるはずもない。
もちろん海外には純粋に祈りに応えて産み出された勇者もいたのだろう。
タネルとビナールの国の聖者という存在などはそうかもしれない。
だが少なくともうちの血統はそうではない。
「いいえ、兄君は思い違いをなさっています。何者も己より優れた者を意図して生み出すことは出来ません。それこそが人類の罪、ごまかしなのです」
「ええっと」
「自分達の中から自分達の理解を越える者が生まれた。だからそれを理解の出来る形に押し込める。人が昔から行ってきた偽りの歴史です」
「それはさ、お前の思い込みだよね? れっきとした証拠はないだろ?」
実際うちに伝わる口伝は常に一人にしか伝えられない。
知っているのは祖父と父と俺だ。
この変態が知るはずもない。
「それこそが人が掛けた呪いです。考えたことはありませんか? あなた方を管理する者達は全ての事実を知っているのでは? と。実際あなた方程信義に篤くない人間達はボロボロと情報を拡散させていたのです。こんな一介の学生である私でも調べられる程に」
「っ!」
変態の言葉に俺は驚愕した。
そして同時に恐れもした。
ならば彼は俺たちの成り立ちを知っているのだ。
汚れた生まれ、言葉だけは立派な忌まわしい望みのために多くの人を犠牲にした成り立ちを。
「私はあなた方の伝えている真実という物を知りません。しかし、これだけはわかります。あなた方の伝える歴史の中には罪悪感の楔が打ち込まれているはずです。本来あなた方が感じる必要のない、人類よりも劣った、使役される者として納得させられた呪いが」
「呪いって……」
血に掛けられた呪い自体は俺も知っている。それは強大すぎる力を持った勇者血統と呼ばれる者達に付けられた安全のためのストッパーのようなものだ。
しかし、それはこの変態の言うようなものではないはずである。
だが一方で、俺はその「呪い」というものが具体的にどうやって自分達に組み込まれているのかを知らなかった。
「そうです呪いです。人は尊い血統に呪いを掛けた。そして愚かにもそれを公言している」
「それは勇者血統が危険だからだろ? 暴走されたら大惨事になる強すぎる力を持った者にストッパーを付けるのは当然だ。そもそも勇者血統だけじゃなくて異能者だって枷は付けられるだろ?」
そう俺が告げた途端、変態は声を上げて泣き出した。
なんなのこいつ、感情の起伏が大きすぎてドン引きだよ。
「うっ、うっ、なんという高潔さ。いや、鎖に捕らわれても尚あなた方は遥か高みにいるのです。いと高き者を種として劣る者が跪かせることなど出来ないという証でしょう。ああ、疑っていましたが、世界はやはり公平なのです。高潔な者には汚されぬ魂を、下賤の者には地を這いつくばる惨めさを、これこそが世界なのです!」
「ちょ、怖い! お前怖いから!」
テーブルを越えて詰め寄る変態から、伊藤さんに貰ったコーヒーカップを死守しながら、俺は無駄なことと知りつつ変態を正気付かせようとした。
「尊い存在を! 守り! 共にあることこそがっ! 人類のっ! 取るべき道であったというのに! 愚かなる者達が! ……」
「ちょ、落ち着け! 落ち着け! な、話聞いてやるから。血管切れるぞその調子じゃ、マジで」
助けて! 誰か! こええよ、やっぱり変態こええ!
「人類は急激にその社会形態を変化させて来ました。それでいながらその社会の在り方に迷い続けている。他にそのような生き物が存在するでしょうか? どんな生き物も自分達がよりよく生きるための在り方をわかっています。大きな集団を作る社会的な生き物においては必ずその集団を治める存在に肉体的な印が現れる。全て横並び同じような存在が集団をまとめ上げることなど出来るはずがないのですから! それを人類は社会制度を作ってごまかしてきた。しかしそこには
立ち上がり、痙攣するように震えながら、変態はツバを飛ばしてそう叫んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます